終わりを待っていた
何度、夢見たことだろう。何度、あの頃に戻りたいと願っただろう。
「フッフッフッ…どうした? リーリス」 「…んーん、なんでもないよ、ドフィ」
今日も私は、嘘をつく。
「…なんか、外騒がしいね。国民が騒いでる…?」 「あァ…、もうすぐおさまる。心配するな」 「そっか…」
朝、そんな話をドフィとして、そして今。 ――ドレスローザは、混乱を迎えていた。
「っ…どいて! ドフィはどこ!? ドフィの所に行かせて!!」 「いけません! リーリス様はお部屋で待機とのご命令でございます!」 「そんな…! っ、ごめん!!」
私は兵を気絶させ、ドフィの元へ向かう。何が起きてるのかさっぱりだけど、でも、会わなきゃ。 急ぎ足で外に行き、走り回る。幹部のみんなも倒れていて、それでもただ一人、ドフィだけを探し続けた。 街の中心に辿り着くと、辺りは瓦礫まみれで建物の原型なんてもうなかった。
そんな中、立っていたのは――、
「……ルフィ…?」
ずっとずっと会いたくて会いたくて、けれど会いたくなかった、血の繋がっていない兄だった。血塗れなルフィは私の姿を見るなりその目を丸くして、次いで笑顔を見せた。
「リーリス〜〜!! 久しぶりだなァ!! どこいたんだよお前ェ〜〜!!! 会いたかったぞ!!」 「っ、ルフィ、苦しい…」 「んあ? 悪りィ悪ィ!」
ニッコニッコと笑うルフィの顔を真っ直ぐ見れなくて、ふいっとそらしてしまう。すると目に入ったのはドフィの傷だらけな姿だった。 頭で考えるよりも早く私はルフィの体をグイッと押してどけ、慌ててドフィの元へ行く。戸惑うようなルフィの声が聞こえたけど、それよりもドフィが心配だった。
「あいつは?」 「おれの妹だ!」 「妹ォ!?」
そんな会話がされていたなんて知らずに、ドフィの名前を呼ぶ。いつもならすぐに反応してくれるのに、今は全く何も反応してくれない。
「ドフィ、ドフィ! ドフィ!!」 「…諦めろ。どの道、お前はもうドフラミンゴの側にはいられねェ」 「ロー…! お前が…お前がドフィを!!」 「ミンゴを倒したのは、おれだ!」 「ルフィが…? ……んで、何でっ!!」
キッと鋭く細めた目をローとルフィに向ける。するとルフィはあっけらかんとした顔で、
「ムカついたからだ!!」
次の瞬間、私はルフィを殴っていた。
「なんで、っ、ふざけないで! どうして、なんでよ…なんでドレスローザに来たの…!」
ぽたぽたと涙が落ちる。ずっと、ルフィの事は聞いていた。クロコダイルを倒したこと、CP9を倒したこと、インペルダウンの侵入、そして、エース奪還のためにマリンフォードに行ったこと。 その後の進路で、ドレスローザに来る可能性なんて低かったのに。
「…おまえが…ローが! アンタがルフィをここに連れてくるから! …っ…かえして! ドフィを、ドフィのドレスローザを!」
その私の台詞に、周りの人々は反乱の声を上げる。
「ふざけるな! ドフラミンゴがおれ達に何をした!?」 「リク王様にした仕打ち、今ここで奴の首を取らなければ気が済まん!!」
ギラリ、と刃が光る。それを見た瞬間、私は弾かれたようにドフィの元へ走る。それがドフィの首に落ちる前に、私は体を滑らせてドフィを庇った。
――ザクッ!!
「ッァ゙アアア!!」
どうやら背中が抉られたようだ。燃えるように熱い、痛い。
「リーリス!」 「うるさい! 私の名前を呼ばないで! 近寄らないで!」
ルフィが私の名前を呼ぶが、私はそれすら否定した。 ドフィを倒した貴方が、私に触れないで。
「…国民が、ローが、ルフィ達が、ドフィを恨むのだってわかってる。それだけの事をドフィはしてきた。でも、でも…っ、私にとってドフィは、かけがえのない家族だった! 私を見つけてくれた、私のために家族を作ってくれた、大切な人だった!」
ヒューマンショップに売られて、どこの誰かも知らない男の相手をさせられて、そんな悪夢のような日々を救ってくれたのは、悪のカリスマだったドフィだった。
「フッフッフッ…泣くな」 「っ……」 「ほら、言え。おれにどうしてほしい? 口にしねェとわからねェ」 「ふ、…っ……」 「…言ってみろ。希望を、このおれに」 「…、っ、…け、て、――…たす、けて…っ…!」 「フフッ、フフフッ…ああ、助けてやる。いいか、お前は今日から、おれの家族だ」
嬉しかった。涙が出るほど嬉しかった。
「ドフィだけが、私の希望だった…!」
――そうして、ドフィは海軍に連れて行かれ、私はドフィに無理やり飼われていた捕虜扱いとしてお咎めなしだった。 必死に抵抗した。他の幹部達だってインペルダウン行きだったのに、どうして私だけ? 私だって、みんなと一緒の所に行きたい。一人は嫌だ。だって、一人でこの世界を生きるには広すぎる。
私の世界は、ドフィだけでいいのに。その狭い世界だけが、私の全てだったのに。
「リーリス、おれの船に乗れ!」 「…いやだ」 「おれだってお前が乗らないのはいやだ!」 「めちゃくちゃだぞルフィ」 「しかも! その子はドフラミンゴの部下でしょ!? 何考えてるのよルフィ!! 海軍はこの子を捕虜扱いしたし…貴女、部下なんでしょ!?」 「…いっそ、部下だったなら、私もインペルダウンに行けたのかな」
ぼそりと呟いた言葉は、みんなの口を閉ざすのに効果覿面だった。そんな中、ルフィだけが阿呆な顔して首を捻っている。
「リーリス、お前ミンゴの部下じゃなかったのか?」 「…ちがうよ。ドフィは、頑なに私を部下という括りに入れるのを嫌がった」
あくまでもドフィは、家族として接してくれた。そこに海賊やらなんやらは入ってなくて、ただ純粋な想いだけが私とドフィを繋いでいた。
「…もう、ころして」
また涙が頬を伝う。そんな時だった。 スッと目の前に差し出されたのは、電伝虫だった。
「さ、ぼ……」 「…繋がってるそうだ」 「だれ、に…」
《フッフッフッ…相変わらず泣き虫だなァ? …リーリス》
独特な笑い声が、鼓膜を震わせた。それと同時に私はもっと泣き出して、ふるふると小刻みに震える手を電伝虫へと伸ばす。
「ドフィ…っ! どふぃっ…! どうして、どうしてわたしを置いてったの…!」
電伝虫に縋り付く。そうでもしないと、正気ではいられなかったからだ。ぽたぽたと甲板に私の涙が落ちていくが、私はぎゅっと目を瞑って嗚咽を零す。
「ドフィがいない世界でなんて、生きたくない…!」 《…おれだけがお前の世界じゃなかったはずだ。おれが広げただろうが》 「でもっ、みんな、っみんないなくなっちゃった!」 《待ってろ》
ドフィの力強い言葉が、私の胸の中に入り込んでくる。待ってろ? 待ってていいの? この広い海で、ドフィが私のところに戻ってくるのを待ってていいの?
《おれァ、こんな薄暗いところで死ぬ気はねェよ》
たとえ、それが私を安心させる嘘だとしても。 貴方は私が生きる理由を、与えてくれるんだね。
「…まってる…」
ぽつり。囁くような声だったけど、電伝虫の口元はにやりと笑ってるから、伝わったんだろうな。
「…ずっと、まってるからね」 《あァ。…そこで待ってろ、チビ助》
懐かしい呼び名。それは、私がドフィに出逢って間もない頃に呼ばれていたあだ名だった。ドフィと比べたらみんなチビ助だーって、あの頃はよく反抗してたなあ。
「…もう、おっきくなったもの」 《フッフッフッ…。その台詞はおれを抜いてから言いやがれ》
それ、無理だってわかって言ってるでしょ? やっと笑った私に、ドフィも笑みを深くする。
ああ、もう終わってしまう。きっと、これがドフィと話す最後だ。ドフィはきっと、一生あの暗い牢から出てくる事はないだろう。出てきたが最後、それはドフィが生を終わらせる日となるだろう。 ルフィがしたような奪還撃は、私にはできない。だから、だからね――私はドフィが言った通り、待つ事にするよ。
「…あの日、ドフィに手を伸ばしてよかった」 「あの日、私を見つけてくれたのがドフィでよかった」 「あの日、ヒューマンショップにいてよかった」 「あの日、ドフィと出逢えてよかった」 「……ドフィの、家族になれて、よかった」
泣くまい、と無理やりにでも口角を上げる私。きっとドフィの方の電伝虫の顔はひどい事になっているだろうなあ。
《……お前が、リーリスが、おれの家族でよかった》 《愛してるぞ、おれの娘よ》
そう言って切れた電伝虫。 私もゆっくりと電伝虫の受話器を置いて、サボにお礼を言った。
「…ありがとう。最後にドフィと話させてくれて」 「いや…これくらい、なんてことないさ」 「…みんなね、悪のカリスマのドフィしか知らないから。ローもそう、ローだってみんなの前に立つ悪のヒーローであるドフィしか知らない」
コラさんが死んだときは、私だって悲しかった。ドフィに対して怒鳴ったりもした。なんで殺した、なんでコラさんが死ななきゃならなかったんだって。
そしたら一言。
『おれは、アイツだけは、…コラソンだけは、裏切らねェって思ってたんだがなァ』
そんな想いを、彼はサングラスで蓋をして、誰にも悟られないように生きていたなんて。私だって思わなかった。 それからだ。ならば私は、私だけは何があってもドフィの側にいよう、ドフィを裏切らないと決めたのは。
「彼は、誰よりも愛に飢えた、ただの人だったんだよ」
願わくば、貴方の来世がここよりもずっとずっとより良いものでありますように。
・ ・ ・
ずきりと、頭が痛む。どうやら父親に殴られた患部が今になって悲鳴を上げているらしい。まったく、容赦なしに娘を殴るなんて。これだから女に捨てられるんだ。なんて、今頃家で酒をガブガブと飲んでいる父親に対して悪態を吐く。
今日は、家に帰れない、か。 星が点々とある夜空を見上げ、ひっそりとため息を零した。
「こんなとこで何してんだ?」 「……だれ?」
見た事もない人が、話しかけてきた。この村では私に話しかけてくる人なんていないから、びっくりした。何故かって? そんなの、人という生き物は面倒ごとには関わりたくないものなのだよ。
暗い夜でも映える、ピンクのもふもふ。目にはサングラスをしていて、その瞳の色は確認できない。にやり、と効果音のつきそうなほどに釣り上げられた口角は、面白そうとでも言うかのように綺麗に三日月型を描いていた。
「こんな時間に何してんだァ? チビ助」 「む、チビ助じゃない! こう見えて毎年2センチくらいは伸びてるんだから! あと、貴方…この村の人間じゃないの?」 「フフッ、ここには食料調達で寄っただけだ。すぐに出る。で、何でこんな時間に外にいるんだ?」 「…家、クソみたいな親父がいるから。ほら、うちってよくある父子家庭で…母親に逃げられた悲しみからか知らないけど、年中呑んでるアル中が暴力奮ってくるから、帰らないだけ」 「フフフッ、フッフッフッ…。そうか。お前、そのクソ親父のこと、好きなのか?」 「やだ、何その質問! 寒気しちゃうわ。ないない、私だってもう少し大人だったならあのあばずれ女みたいにさっさと家からおさらばするんだけど…。そんなお金もないし、この歳じゃあどこにも行けないわ」
ふ、と海を眺めながら答えると、男はまた愉快そうに笑った。何故だろう、この人のこの笑い方。わたし、知ってる。それだけじゃない。あのピンクのもふもふも、サングラスも、三日月型の口も。ぜんぶしってる。なんで? 私、この人と会ったのは今が初めてなのに。
「変わらねェなァ、リーリス」 「え…、どうして私の名前…」 「フフッ。…なァ、お前はどうしたいんだ?」 「……え…?」 「…言ってみろ。希望を、このおれに」
どうしてだろう。 この人とは今が初対面なはずだ。 なのに、なのに――今の台詞を、昔どこかで聞いたような…。
「……たすけて、…ドフィ」
あれ、どうして、名前。 戸惑う私に、男は、ドフィは、当たり前だとでも言うかのように私が伸ばした手を取った。
「お前は今日から、おれの家族だ」
ああ、もうなんでもいいや。 だって、この人から言われたこの言葉が、心底嬉しいんだもの。
「ただいま、リーリス」
歓喜に、心が震えた。 まるで、彼のその言葉をずっと待ち望んでいたかのようだ。
「…おかえり、ドフィ」
ずっと言いたかった台詞なのか、ぽろりと口から飛び出たのはそんな普通の台詞。けれど、とろりとした甘さを含んだ、甘美な台詞だった。
「…もう、置いていかねェよ」
そして、私は村のだれに、それこそ父親に何を言うでもなく忽然と姿を消したのだった。
家の扉の前に、ピンクの羽をひとつ置いて。
[ Back]
|