「大っ嫌い」


長年付き合ってきたけど、心の底からそう思ったのはこれが初めてかもしれない。

私の恋人兼上司、いや違うな、上司兼恋人と言った方が正しい。とにかく彼は女癖が悪かった。
最初は、それこそいつ別れを告げられるのだろうかと常にびくびくしていたけれど、あいつが取っ替え引っ替え女を拾っては捨てを繰り返していく中で、なぜか私は奇跡的に捨てられることはなかった。あいつの浮気相手がセックス3度以上続いた試しはない中、私とのセックスは不定期だけど確かに繰り返され、いわば細く長い関係を保ち続けていた。
嫉妬しないといえば嘘になる。けれど嫉妬したところで何が変わるわけでもない。私がやめてくれと頼んだところで、俺様主義なあいつが私の願いを聞き届けてくれるはずもない。むしろ逆効果だ。あいつのやることにいちいち文句なぞつけていたら、やがて面倒くさい女というレッテルが貼られるだけ。泣いて縋ろうもんなら確実嫌悪される。奴はそういった見苦しさを何より嫌う男だから。
だから私は敢えて何も言わない。どんなに嫉妬に狂おうとも、腹わた煮えくり返ろうとも、それ以上に強くて厄介な慕情を持ってしまっているが故、恋人というポジションを維持する為に、内心の激しさなんておくびにも出さず物分かりのいい女を演じている。しかしその我慢もついに限界が来たようだ。

ザンザスはあまり仕事熱心ではない。支配欲は満々だが勤労なんて御免だ、という、革命間近な王朝のキングのようなどでかい態度をボス就任時から貫いている。けれどもヴァリアー内で革命軍が組織される気配は全くない。大体ナンバー2のスクアーロからしてザンザスに心酔しており、その他幹部はもちろん末端構成員まで同様で、腹立たしいが私もその一人だ。私の場合尊敬ではなく情からくるものだけど、とにかくザンザスのためなら寝る間も惜しんで働ける。諜報だろうと暗殺だろうとバックアップだろうと残務処理だろうとなんでもやる。しかしろくな休みもなく、アメリカから中国、オーストラリア、ハワイからフランスへ飛んでやっとイタリアの土を踏めたのが1週間前。空港についたその足で現地に向かってスクアーロと合流し、Sランク任務という名の大量殺人によって身体中を返り血に染め上げた。アジトに戻るとシャワーだけを浴びて、溜まりまくった書類の山をさばくことに専念した。束ではなく山としか言い様のないそれらは、軽く5つは越えていたけど、名誉のため
に誓って言わせていただけるのなら溜め込んだのは私ではない。言わずもがなうちのボス様だ。毎日酒飲みながら椅子に踏ん反り返るだけの我らがボスのために身を削り、結局イタリアに帰ってから一睡もしないまま仕事漬けの日々に明け暮れた。自慢じゃないが、要領のいい私でもさばき切れなかった残りの書類を抱えて自室に向かった。さすがにくたびれたのだ。1時間だけ眠って続きをやろうとドアを開けた瞬間目を疑った。やっぱり部屋は分けておいた方がよかったのかもしれない。でも自室なんて寝るためにしか使わないから、共有にしても煩わしい事等何もなかった。今までは特に問題なくやっていた、そう今までは。あいつもさすがに他の女とヤる時はホテルなり唱館なりで事を済ませていたというのに、今日に限って、なぜか、真っ昼間から、二人の部屋で、よりにもよって、私とあいつが寝るベッドで、見たこともない女と裸でよろしくやっていた。開いた口が塞がらないとはこの事だ。さすがにそれはない、ありえない。このクソ忙しいときに、仕事ほったらかして、やるべき
仕事を恋人に押し付けて、他の女とお楽しみとかありえない。あってはならない。
ふざけんな。付き合ってから今まで、微量ながら、しかし着実に畜積されていた苛立ちがついに爆発した。
腰の銃を抜いて女の顔すれすれに弾丸をお見舞いしてやった。まずは邪魔者に退散してもらわないといけない。出ていけと凄むと、女は悲鳴をあげてベッドからはいずりだし、床に散らばる服をかき集めて隠すところを隠しながら逃げていった。
肝心のあいつはと言えば特に悪びれた様子もなく、欠伸をしながら何の用だと尊大に言い放ちやがった。何の用もクソもあるかと、持っていた束を思いっきり投げ付けた。奴は案の定ご機嫌を損ねた。かっ消すぞと睨まれたけど、残念ながら今回憤怒のボルテージは私の方が高かったので効果はない。


「仕事もしないで何やってるの。あんた仮にもボスでしょ?」
「何やってようと俺の勝手だろうが。テメェは何時からそんな偉そうな口きける立場になった。あ?」


死ぬ気の零地点ならぬ、憤怒の零地点を突破した。そんな境地ないけど私が作った。とにかく限界値を越えたということで、もう無理だ。恋愛云々というより組織の頂点に立つ者として認めたくない、こんな奴。
それから口論が激論となり、騒ぎに気付いたスクアーロ達が何だどうしたと止めに入って来たけど眼中に入らなかった。ただこの目の前の男のふてぶてしさが許せなかった。気がついたら手が出てて、ぱしん、と、幹部がぞろぞろ雁首揃える部屋に気持ちいいくらいに響いた張り手の音。そして冒頭の台詞に至る。

だいきらい。出てきた言葉のなんと幼稚なことか。しかし私にとっては一番言ってはならないことだった。私が一番否定してはならないのはザンザスへの愛情だった。その信念を覆すほどに今まで溜まりまくっていたのだ、不満や怒り、その他諸々がブレンドされたフラストレーションは。
重ね重ねの無礼がザンザスにどの程度ダメージを与えたのかはわからない。たぶん0に近いと思う。張り手をかました私に対して返されたのは鉄拳制裁だった。益々ありえない。仮にも女子相手にパーではなくグーを繰り出しやがった。しかも尋常でない強力の持ち主のグーは尋常でない威力を持ち、私はものの見事に吹っ飛んで壁に背を打ち付けてしまった。
痛い。一瞬息が止まって呼吸も困難になる。そしてお決まりの台詞、“気に入らないのなら今すぐ出ていけ”。実はこれもう軽く千回は聞いている。まるで亭主関白なそれは私に対する彼の口癖のようなものだった。でも私がその言葉通りにしたことはない、というか、今までろくに逆らったことすらなかった。だから今日の出来事はかなり珍しい部類に入るのだ。いつも謝るのは私、譲るのは私、折れるのは私。私が悪くなくても私。だってこいつに怒ってもしょうがない、どうせ無意味だ。結果が同じならなるべく短いルートを辿った方がいい、だからこういう場面では私が膝をつくのが王道だった。でもそれも今日でおしまい。本気で頭にきた。腹が立った。もう我慢できない。
駆け寄って来たルッスーリアの肩を借りた手が震えた。全身が怒りで震えた。言い様のない激情は私の中で募りに募り、やがて突き抜けてしまった。
もういい、疲れた。どうでもいい。もうこいつにはついていけない。


「…わかった。そうする」
「…な、ちょっとなまえ?どこ行くのよ!」


確実悲惨な状態であろう顔は後で何とかしよう。いろんな意味で軋む身体に鞭を打つ。立ち上がると、そのまま寝室と繋がっている控の間に引っ込み、荒々しくクローゼットを全開にした。


「う゛お゛ぉい、ちょっと待て、落ち着けぇ!」
「そうよ!一先ず落ち着いて考え直して。ここを出てどこに行くつもりなのよ」
「今すぐボスに謝れ!土下座して許しを乞え!」
「レヴィさん、ちょっと黙っててくださーい。少しは空気読めよこの変態」
「なんだと!?」
「お前らうっせえぞぉ!!」
「お前もうるせーよ。…なあ、なまえ嘘だろ?こんな冗談笑えねーからやめろって」


何だかみんな物凄く必死になっているけど、今の私は怒り心頭真っ赤っかでそれどころじゃなかった。一言も答えず無視し続け、黙々と必要最低限の荷物をまとめ、さっさとザンザスの目の前を横切った。視界に入れたくもなかったから、奴がどんな表情で私を見ていたのかはわからない。興味もない。
トランクを下げて廊下を足早に行く私を、すれ違う隊員達はぽかんと眺めていた。明らかに尋常でない空気を、というか殺気にも似た怒気を放つ私に、一体何事ですかと尋ねる声もなかった。好都合だ。しかし後ろからスクアーロの馬鹿でかい声が何度も静止を促してくるが、完璧に無視。脇目も振らず闊歩し続けたが、あと少しで出口というところで思い切り腕を掴まれてしまう。

ああ、欝陶しい。


「待てっつーのに!何も本当に出ていくことねえだろぉ」
「離して」
「あんなんいつもの事だろうが。いつもの冷静なお前に戻れ。少し疲れてるせいで頭に血が上ってるだけだ」
「うるさい。離せ」


面倒くさげに必要最低限の言葉を紡いだ。
実際面倒くさかった、なにもかも。

わかってる、自分が大人にならないといけないって事くらい。ザンザスは10代後半から長い間眠り続け、本来順調に登るはずだった大人の階段をすっ飛ばして成長したため、未だに大人になりきれていない部分がある。あの8年間はザンザスの精神面にかなり影響を及ぼしてしまった。結果こんな我が儘いっぱいに育った暴君が出来上がってしまった。それはわかる。わかるよ痛いほど。だから今まで我慢してきたのだ。
でももう無理だ。
だから出ていく。
たったそれだけのシンプルな事をこの馬鹿に説明するのも面倒なくらい怒りすぎていた。大体、30過ぎていい年した男が、いつまで思春期の傷を引きずってるつもりなのか。図々しい。いい加減にしろよ。周りが甘やかしてばかりだからあんなんになったんだよ。私はこれ以上甘やかす気はない、後はスクアーロに任せた。さようなら。

口で言っても本気が伝わらないと思ったので、手っ取り早く銃口を眉間に向けた。スクアーロは一瞬目を見開き、ゆっくりと腕の拘束を緩めていった。するりと腕の自由を取り戻した私は、それ以上何も言わずに背中を向けた。
スクアーロにも、ヴァリアーにも、あいつにも。

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