屋敷に帰ると、玄関ロビーに何かが生えていた。


「誰だぁ、こんなとこに笹なんか持ち込んだのは」
「あーオレオレ」
「と、ミーですー」


青く生い茂る葉の裏側からひょこりとのぞいた金髪とカエル頭。二人の背丈の二倍はある笹は幹も太くて色つきもよくて実に立派だったが、いかんせんうちのアジトは洋館なので主役と背景はかなりミスマッチだった。


「また変な遊びでも思いついたのかぁ。なんでもいいが、終わったらちゃんと自分たちで片付けろよ」
「遊びじゃねえし。今日七夕だし」
「はあ?」
「日本の行事ですよー。センパイが知ってるくらいですから当然隊長も知ってるでしょ」
「俺が聞きたいのは意味じゃなくて動機だ。なんでわざわざそれをお前らがここでやってんのかっていう」
「いちいち理由なんかあるかよ。やりたいなーって思ったからやってんの」
「思いつきにしては結構手がこんでますよねー。わざわざ日本から取り寄せてるし」
「しょぼいのやじゃん」
「それなら初志貫徹で全部自分でやってくださいねー。ボスに許可取ったり短冊作ったりっていう雑事は全部ミーに押しつけて」
「うっさい黙って言うこと聞け後輩」
「ああムカつくなー誰かこの人殺してくんないかなー」
「なんか言ったか?」
「いいえなにも。何書こうかなー」


なんだかんだこいつらもまだガキだな。とりあえず俺は興味ねえしやることもたくさんあるので階段へと身体を向けた。が、一歩も踏み出さないうちにフランから呼び止められる。


「これ隊長のぶんですー」


ひらりと差しだされた水色の紙切れ。だから興味ねえっつうのに。


「いらねえ」
「ししっダメー。みんなに書かせてんだから。例外はナシ」
「俺は忙しい」
「ダメッたらダメ。ちゃんと書かねーと罰ゲームな」


面倒くせえ。しかしこいつは一度言いだしたら聞かないから、俺が譲らないといつまでも解放されない。そっちの方が面倒くさい。バカバカしいとは思ったが、溜息をついてひったくるように紙を受け取った。階段を上り、バルコニーを歩き、角を曲がってベルたちから十分見えなくなったところで片手で紙を握りつぶした。デスクについてそれを屑籠に投げようとして、ふいに、手が止まる。待って、と言われたような気がした。こういう時はいつもあいつが止めるのだ。ベルはどちらかといえば眺めながら茶々を入れる方で、思いついて実行すんのはたいていあいつだった。そんな二人に巻き込まれたフランがぶつぶつ文句を言う。三人はいつも憎まれ口を叩き合うくせに、なんだかんだいつも一緒にいてくだらないことをした。なまえはよく笑ってた。そしてあいつは俺をも巻き込もうとして、俺はすげなく断って、ケチとか空気読めとかノリが悪いとか理不尽なことをぶーぶー言われるのだ。
あの能天気な笑顔が思い出されたせいかもしれない、ゴミになってしまった紙を広げ、ペンをとる気になったのは。きれいに皺をのばして、背もたれに寄りかかりながらペンをくるくると回す。しばらく回したのちそれを走らせたが、できた一文に自分でも笑ってしまった。

やはりくだらない、こんなもの。

ペンを投げてデスクに伏せる。少し眠い。本格的な眠りではなく、眠っているのか起きているのかよくわからない曖昧な境界線でしばらく微睡んだ。みんな出払っていて俺以外誰もいない。静かすぎてそれが逆に落ち着かない。いつもならあいつらが騒いでいて、仕事に集中できないくらいうるさいのに…。


「…ンーンー、ンー…」


時間の感覚を忘れた。いつの間にか水底に沈んでいた意識が、誰かの声に引っかかって引っ張られるように浮き上がっていく。水面が近くなるにつれて聞こえる声が大きくなっていった。一滴雫を落として、波紋を広げながら音もなく溶けていくようにその声は違和感もなく鼓膜に溶けた。聞き覚えのあるソプラノボイスの主は実に気持ちよさそうに口ずさんでいるが、音程がずれまくっていて言っちゃあ悪いがかなり下手だった。まあ、いつものことなんだが。音痴だっつってんのに自覚なしの歌いたがりだから困る。


「起きた?」
「…う゛お…ぉい」
「おはよう」


いつの間にか隣のデスクになまえがいた。頬杖をついてにこにこと微笑んでいる。相変わらず能天気な顔だ。


「なんでいる?」
「わたしの席だもん」
「もとはルッスの席だぁ」
「交換してもらったんだもん」
「公私混同はやめろっていつも言ってんだろぉ」
「なんだよースクアーロだって私が隣で嬉しいくせに」
「中学生か。俺はお前と違って大人だぁ」
「そうやっていつも子供扱いする。私もう成人してるんだからね」


こんなやり取りをもう何度繰り返しただろう。俺はいつもこうやってはぐらかそうとする。年の差なんて関係ないと頭でわかっていても、十も離れた女を好きになった自分を認められなくて、なまえからの好意を感じても逃げたりごまかしたりしてずるずる引っ張ってきた。プライドが高い性格はこういうときに損をする。なんでもっと素直になれなかったのだろう。そうしたら、後悔なんてしなかったのに。


「今日はルッスがご馳走作るんだって」
「…そうかぁ」
「ちゃんと食べなよ?最近食欲ないとか言って抜いてるでしょ」
「…………」
「睡眠も取ったほうがいいよ。隈できてるし」
「仕事が」
「忙しいのはスクアーロがなんでもかんでも自分でやっちゃうからでしょ。だから皆に頼めっていつも言ってんのに」
「違え」
「違わん」
「幹部が一人欠けたぶんの穴埋めしてるからだぁ」
「ふーん誰?」
「お前だよ」
「失礼だな。私はいつも真面目に働いてますー」
「死んでからはそうじゃねえだろ」
「…………」


なまえは死んだ。2ヶ月前のことだ。任務に行く前、珍しく真面目な顔で「帰ったら大事な話がある」と言われた。それだけで察しがついた。ついに結論を迫られるときが来てしまったのだと思った俺はまた逃げた。女に誘われてるから無理だと嘘をついて、なんとも思ってないフリ、気づいてないフリをして。なまえは一瞬固まって、そっかと下を向いた。声があまりにも弱々しかったから、まさか泣いてしまうんじゃないかと思ってそこで初めて後悔した。ひき止めようとする前になまえは行ってしまい、迷った挙げ句俺は追いかけなかった。
二時間後、なまえの部下が発した救援シグナルに俺とベルが駆けつけたが、すでに手遅れだった。惨状なんて見慣れてるはずなのに、そこに横たわる死体のひとつがなまえだということが信じられなかった。抱き起こして、名前を呼んで、揺さぶってみたが反応はない、これから先もう一生無いのだと思ったとき初めて認めた、俺はなまえが好きなのだと。なんでもっと早く認めなかったのだろう。なんであの時追いかけなかったのだろう。そうしたら、こんなことにはならなかったかもしれないのに。


「ま、仕事できるってことは元気な証拠だよねー」


明るく言ってなまえは立ち上がった。


「てっきり私がいなくなって泣いてるかと思ったんだけどなー」
「…………」
「なんだかんだ言ってスクアーロは私のこと大好きだもんね!」
「…………」
「…反応してよ。滑ったじゃん」


相変わらずノリが悪い。言われ慣れたセリフにいつもならうるせえと思うのに、今日は違った。


「じゃあ、もう行くね」
「…なん、」
「元気そうで安心した。バイバイ」
「…っ、待てぇ!!」


床に叩きつけるように椅子をひっくり返し、ドアノブを握るなまえの背中に飛びついた。


「…スクアーロ?」
「すまねえ」
「え?」
「ノリ悪くて」
「…………」
「子供扱いして。嘘ついて。ずっと知らんフリしてて」
「…………」
「……。好き、だ」


息を呑む音が聞こえた。腕の中のなまえの震えが伝わってくる。ずっと側で見てたのに、こんなに首が細くて身体が小さいなんて知らなかった。頼りないなんて知らなかった。


「それを…ずっと聞きたかった」
「すまねえ」
「本当に?」
「ああ゛」
「良かった。私も好き」
「知ってる」
「入隊したときからずっと好きだった」
「それは知らなかった」
「一目惚れだったんだよ」
「…そうかぁ」
「私のね」
「ん?」
「デスクの一番上の引き出しにね、宝物が入ってる」
「宝物?」
「ここに入ったときスクアーロからもらったの。スクアーロに返すね」


なまえが身体の向きを変え、背伸びをしてきた。どうしたらいいかわからないまま固まっている間にくっついた唇、そして消えたなまえ。本当にあっという間に、あっけなくなまえはいなくなった。夢だったんじゃないかと思うくらいに。


「びっくりした。何してるの?」
「…………」
「ちょっとスク!無視しないでよ」


ちょうどドアを開けてきたルッスーリアと真正面からかちあったが、無視してなまえのデスクの引き出しを開けた。メモやら文具やらがそれなりに片付けられた引き出しの中に、レースで綺麗にくるまれた、掌に収まるほどの固くて丸いものがあった。ゆっくりと拾い上げて布を広げる。


「ヴァリアーのエンブレム…なまえのね」
「……。これが宝物だったんだと」
「わかるわ。あの娘ここが大好きだったもの」
「入隊した時に俺が制服と一緒に渡したんだぁ」
「だからかしらね、こんなところに大事に仕舞ってたのは」
「お前知ってたのかぁ?」
「当たり前じゃない、バレバレだもの。どっちもね」
「俺もかぁ」
「そうよ」
「…マジかぁ」
「皆知ってるわよ。だから心配してたの。なまえが死んでからアナタとり憑かれたように仕事してたから」
「…………」
「ベルちゃんとフランちゃんが短冊になんて書いてたか知ってる?」
「いいや」
「先輩が静かすぎて気持ち悪い、隊長が怒鳴らないから不気味です」
「…それ願いじゃなくて悪口だろぉ」
「レヴィはあいつが安らかに逝けますように。アタシも似たようなものね」
「ボスは?」
「紙を燃やしたわ」
「だろうな」
「スクアーロは?」
「叶った」
「は?」
「もういい。吊るす前に叶っちまった」





まぼろしでもいい

もう一度なまえに会えますように




(なまえです!今日からよろしくお願いします!)
(作戦隊長のスクアーロだぁ。わかんねえことがあったらまず俺に聞け)
(え、カッコイイ…)
(はあ?)
(や、なんでも!)
(ガキだろうが女だろうがうちでは通用しねえかんなぁ。そこらへんは覚悟しとけよ)
(はい)
(これがお前の制服と隊章だ。制服は替えが利くが隊章は絶対失くすなよ。忠誠心の証だからな)
(…はい。大切にします!)



by クロエ

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