昔から子供というものがあまり好きではなかった。すぐ泣くし、うるせえし、理屈が通じねえしで、面倒くさいものだと思っていた。それなのにまさかこの自分が父親となり、その小さくて奇妙な生き物を守り育てるために、全身全霊を尽くすことになる日が来ようとは。


「あー、うー。あー!」
「ぐえっ」


ある日のことだ。
むすこが生まれ、ちょうど1年が経った頃だった。その日は物凄く久しぶりのオフで、疲れた身体を寝室のベッドに沈めていると、急にでんと腹に乗っかってきた何か。他ならぬ息子のむすこだ。

妊娠が発覚して、ちゃんと産み育てることを二人で決めた時、一つ約束事をした。自分達は敵が多いから、もしかしたらその報復にと子供を狙う輩が湧いて出て来るかもしれない。だから子供が一人前になるまでは、必ずどちらかが傍について守ろうと。しかし俺は仕事を辞められない。最初からそれを承知していたなまえは、親類にもベビーシッターにも頼らなくて済むようにと、仕事を辞めてまで子育てに専念した。
悪いとは思ってる。なまえにだけ何もかも捨てさせたって事は。だがあいつは、私はこれで十分すぎるくらい幸せなのよと屈託なく笑うから、俺はその笑顔に甘えてきた。意外にもボスはすんなりとなまえの脱退を認め、俺はその穴を埋めるべく、ろくに家族サービスもせず子育てを手伝いもせず、ひたすら仕事に忙殺され気が付けばもう一年。家庭を省みる余裕もないままに、いつの間にか季節が一巡りしていた。
年月が経つのは早くて偉大だな。生まれたては猿のようにしわくちゃだった赤ん坊が、今では自力で床を這い、父親の腹の上にまで登ってくるまでになったのだから。
ヤワなつくりはしてないので別に堪えはしないが、眠りを妨げられていい気はしない。不機嫌丸出しで犯人を見ると、小さくてころころした生き物が、俺の腹で気前よくぽんぽん跳ねていた。


「う゛おぉい。俺はトランポリンじゃねえぞぉ」
「あー、うー」
「何だ。っつーかママはどうした」


一歳の子供に聞いても答えが帰ってくるわけない。はずなのに、こいつは昔からどうも聡い奴だった。偶然かもしれないが、俺が尋ねると腹の上で四つん這いになり、辿々しい動きでよっこらせと背中を向けた。そこには一枚の紙がぴらりと貼り付けてあった。


[スクアーロがお休みなので、私は今日一日遊んでくることにします。むすこのことをよろしくね。]
「…………」


引き剥がした紙を見て、数秒固まったのは言うまでもない。そして無邪気に広いベッドを這い回る無知な息子を見、また紙を見る。それを何度か繰り返して、ようやく事態が呑み込めた頃には額に手をあてて唸っていた。口からはついマジかぁ…という本音が。
決してむすこを愛してない訳じゃない。寧ろマフィアにしては珍しいくらい俺は家族を心の底から愛してる。しかしあえて威張って言うが、俺はむすこをまともにあやしたことなどない。ミルクをやったこともむつきを取り替えたことも、それどころか、一対一で向き合った事があるのかすら怪しい。どちらかと言えば俺は、なまえがそうするのを眺めている方が好きだった。それはあいつも知っていたはずだ、とすると敢えて二人きりにしたのかもしれない。悩める父親を見上げてくるむすこの瞳に託された、もっとちゃんと息子を見てやれという、あいつからの無言のメッセージを見たような気がした。
それはわかるが、いきなり過ぎやしねえか。こんな経験値ゼロの俺に、一体どうしろというのか。


「あーう。あーう」
「…お前は元気でいいなぁ」
「う?」
「はあ…。おいむすこ。なるべく腹は空かすなよ。あと漏らすな。いいな」
「むー!うー!」
「無理じゃねぇ!男なら我慢しろぉ!」
「…あうー」
「う゛おぉい。お前いつの間にそんな目付き覚えやがった」


仮にもヴァリアーの一員である俺が、ほんの一歳児に恨めしそうに見つめられて冷や汗を掻いてしまうとは何事だ。昨今の赤ん坊っつーのは本当におっかねえ。だがまあ、赤ん坊は赤ん坊でも、こいつはピストルぶっ放したりコラコラ喚いたり、金を請求したりなどしないからまだ可愛いもんだ。そんなことしたら俺は泣くぞ。
それに、他の誰でもない自分の子だ。この一年というもの、なまえはほとんどの時間をこいつに捧げていた。今日一日くらい自由にさせてやろう。
そうして頭を切り替えてみたものの、さて、まず子守りとは何だ。何をどうしたらいい?眠ってくれれば一番良いのだが、どう見ても今のこいつにそんな気配はない。無茶苦茶元気だ。いっそ睡眠薬を…という考えが一瞬よぎったが、それはさすがにいかんだろうとすぐに打ち消した。子供に薬盛る親なんていねえよ。そんな事したらなまえに離婚される。
仕方ないので、むすこを小脇に抱えてリビングへ移動した。ソファーの前には、こいつが動き回れるようにと十分なスペースを設けてある。コーヒーでも飲みながら、玩具与えて一人で遊ばせとこうという結論に至り、放り出してはみたものの。


「おい、ちびすけ。足にまとわりつくな。動けねえだろぉ」
「…んま、まんまー」
「ママは今いねえ。…ん?お前いつの間に喋れるようになった」
「まー!あー!」
「…あ゛あ、気のせいか」


キッチンでコーヒーを淹れようとしたら、いつの間にか追いかけて足にすがりついてくる。一応綺麗に片付いてはいるものの、包丁やら鍋やらがあるここにはあまり近付いてほしくないので、もう一度リビングへ放り出したらまた追いかけてきた。何なんだこいつ。変な生き物だな。
また戻すのも面倒くさいので、しょうがなく用が済むまで小脇に抱えていることにした。これは余談だが、後でなまえの前でこの抱き方をしたらちゃんと抱いてやれと怒られてしまった。
しかし俺は生まれてこの方、こいつを含め、ガキなど抱いたことがない。可笑しな事に、自分の子は特に抱けなかった。生まれたばかりの時は看護師に散々勧められたが、ひたすら首を横に振り続けた。ちょっと力加減を間違えれば捻り潰してしまいそうなそのひ弱さが怖かったのだが、今触ってみると大分作りがしっかりしてきたようだ。まるで荷物のように扱われているにも関わらず、それがまた新鮮なのか、きゃっきゃと手足をばたつかせてはしゃいでいる。たくましい奴だ。

そうして、今度はソファーからちゃんと見ていようとしたのだが、周りに転がる様々な玩具には目もくれず、やはり真っ直ぐに俺の足元にやってくる。
何でだ、俺は玩具じゃねえぞ。
不思議に思い、脛にすがり付いてくるむすこを足先で軽くつついた。


「…う゛お゛ぉい」
「うあぁい」
「そりゃ俺の真似かぁ?」
「うあーい!うあーい!」
「あ゛ー分かった分かった。よく似てんな。だからあっちで遊んでこい」
「うあーい!うあーい!うあーい!」
「だからそれはもういい。悪いが俺は良い遊び相手にはなんねえぞぉ」
「…うっ」
「……は?」
「うあああああ!」
「ななななん何だぁ、どうしたぁ!なんで泣く!?」


柔らかそうな頬が引きつったと思ったら、みるみるうちに歪んでしまった。一体どうしたというのか。訳が分からず、泣くな泣くなと宥めてみるも、そもそも知能の発達していない一歳児がそれを聞ける訳もなく。
不思議なもので、他のガキが泣き喚くと舌打ちが漏れそうになるのに、いざ自分の息子がそうなると本気で狼狽してしまう。こういう時はどうしたらいいのか。マジでわかんねえ。なまえなまえ頼むから早く帰ってきてくれと、呪文のように唱えても届くはずがない。途方に暮れたが、とにかく今は俺が何とかしなければ。俺は父親。そう父親だ。時々忘れそうになるが父親なのだと暗示をかける。
とりあえず両脇に手を入れて、そのまま持ち上げてみた。目線の高さを合わせ、不器用に上下左右に揺する。俺なりに高い高いのつもりだったのだが、後に知人の前でやった時は「まるでいたいけな赤ん坊を脅している極悪人みたいだ」と評された。黙れ。
しかしそこは流石俺の息子。父親の苦心を解ってくれたのか、だとしたら本当に情けねえが、とりあえず泣き止んでまたきゃいきゃいと笑い始めた。何て話のわかるいい奴だ。なまえはむすこを出来た子だと散々褒めちぎっていたが、正直むすこの発育具合についてとんと無知だった俺は、それは親の贔屓だろうと、だがそれを言うとなまえに怒られるだろうと思い黙っていた。だがこいつはそれが事実でむすこ自力で証明してみせた訳だ。全く大した奴だ。
もう一度床に下ろすと、しばらく俺を見上げてじっと考え込んだ後、何を思ったかむすこは服を掴んでよじ登り始めた。大分時間がかかったが、まだ立てもしねえ弱い足腰と腕の力だけで、ちゃんと膝まで到達したのだから見上げるべきガッツだ。その様子が面白かったので、再び床に下ろすと、今度はさっきの二倍の早さで登ってきた。また引き剥がし、また登るを繰り返していく。どうやら物で遊ぶよりもこっちの方が好みらしい。


「お前、こんなんで本当に楽しいのかぁ?」
「あう!」


もちろん!とでも言いたげに片手を上げ、またもや危なっかしい動きで一生懸命よじ登ってくる姿を見ていると、何か胸の奥にたまらなくくるものがある。それは愛しいと言うのよと、後に俺の愛妻は教えてくれた。
もっと何かしてやりたいのに、こういう事がからきし駄目な俺は、何もしてれないのが歯痒い。それなのにこいつは、高い玩具よりも滅多に家にいない父親になついてくる。相手にされなければ泣いてしまう。そう思うと急に可愛く思えてきた。
何度繰り返したか分からない父親攻略作戦の締めに、頑張った褒美として膝に乗せてでこにキスを贈ってやった。なまえには何度もしているというのに、むすこにはこれが初めてで何となく気恥ずかしかった。


「う゛おぉい。んな不思議そうな顔で見るな。子供なら普通喜ぶべきとこだろうが」
「……、ぱー」
「あん?」
「んぱー」
「……。ちょ、待て。今何つった?」
「ぱんぱー」
「……パパ?」
「ぱんぱー!ぱんぱー!」
「なん、…な、う゛おぉいマジかぁ!?」





リトルリトルリトル

あまりにも感動したので、直ぐ様なまえの携帯に20件以上着信を残した。21件目でようやく繋がったなまえはどうやら俺が音を上げて泣きついてきたと思ったらしい。しかしむすこが口を利くことを覚えたと聞くや、映画の途中だったにも関わらずすっ飛んで帰ってきた。
むすこは、期待に満ちた顔で自分を見つめてくる両親を交互に見、俺の顔を見てパパと、なまえの顔を見てママと確かに呼んだ。なまえは歓喜して息子を抱きしめ、俺は既にその境地を通りすぎていたのであからさまに喜びはしなかったが、じんわりと胸に温かな何かを感じて、反対側から二人丸ごと抱きしめた。大人二人に挟まれたむすこはものすごく苦しそうにうーうー訴えていたが、残念ながらこいつの両親はそういう都合の悪い部分は聞き流す主義なのだった。


―――――――――


「母さーん。父さんがリビング散らかして寝てるよー」
「本当…――ああ、これ昔のあなたの写真よ。懐かしいわね」
「うわ、俺ちいさいな」
「あなた、毎日一緒に居た私よりパパにばっかりなついてたのよ」
「そうなの?」
「そうよぉ。初めて喋った日もパパと居た時だったもの。物凄いお父さん子だったの」
「へえ…。全然覚えてないや」
「しかもね、何故かスクアーロったらあなたの言いたいことが全部わかるのよ。あなたはまだ唸る事しかできないのに、ちゃんと会話が成立してるの。見てる方は凄くおかしかったわ」
「すごいね。野生の勘かな。…あ、いい匂いがする」
「もうすぐ晩御飯だからそれまでは寝かせといてあげてね。ケット持ってくるわ」
「ああ、いいよ。俺持ってくる」


とても懐かしい夢を見たのは、ふと目についたアルバムを久しぶりに引っ張り出したせいかもしれない。眺めているうちにいつの間にか眠ってしまっていた。そういえば、あの日俺は初めてむすこを風呂に入れ、そのまま家族三人で眠ったのだったっけか。あんなに触れるのを恐れていた小さくて柔らかい身体をつつくのが楽しくなったのは、あの時からだったような気がする。
パパママと呼んでいたあの小さい子供が、今では父さん母さんと呼ぶようになった。かなり下から俺を見上げていたりんごのような顔は、今では涼しい目元と凛々しい口元を携えた見目麗しい少年へと成長した。もうどこへ出しても恥ずかしくない自慢の息子。いつの間にここまで来たのだろう。いつの間に、こいつは、大人びた優しい顔で父親に毛布をかけられるほど、立派に育っていたというのだろうか。


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -