珍しくクラブが休みとなり、特にすることもなく家でのんびり寛いでいると、突然見知らぬ来訪者がやって来た。


「はい、どちらさ――」


ドアを開けた途端目についたのはやたらと派手な羽。視線を上げてようやくそれが装飾品なのだとわかり、あまり人相が良いとは言えない人が立っていた。
印象的な真紅の双眸と、野性的で端正な顔。俺は今まで父さん以上に綺麗な男の人を見たことなかったけど、この人も肩を並べる位に美男子だ。


「あの…」
「カス鮫の息子か」
「か、カス?」
「入るぞ」
「あ、ちょっと!」


無遠慮にずかずかと入り込んでくるその人は、俺を押しのける動作はまるで布を払うかの如く何気ないのに、とんでもない、誰にも有無を言わせるものかと物語るかのように揺るぎない力強さを感じた。なんだろうこの人、只者じゃない。たった一瞬触れただけなのに、立ちすくむような畏怖と身体の奥から奮い立つような敬意に胸を襲われた。


「他には誰もいねえのか」
「とうさ、…父と母は二人で街に出ています」


詳しく述べてしまえば、ここ最近徹夜続きでやっと貰えた休日に、念願のマイベッドへとインした父さんを、母さんがわずか2時間とちょっとで無理矢理叩き起こした。目がまだ夢現をさ迷っているにも関わらず、有無を言わさずショッピングの荷物持ちとして連行してしまった。
もちろん父さんだって抵抗はした。しかし哀しいかな、わが家はノット亭主関白。一番の強者は母さんであり、父さんは母さんに従う哀れな弱者。ちなみに俺は二人の中間らしく、父さんよりは何かと優遇されている。ありがたいことだ。
哀れなり父よ。本当ならば、一家の大黒柱として、一番の権力者であるはずなのに。毎日家族のためにその身を窶して一生懸命働いているにも関わらず、安眠すらも阻まれて。それでも父さんは母さんを怨まない、いや怨めないだろう。この家で母さんを敵に回す命知らずはいない――といっても俺と父さんだけなんだけど。代わりに父さんは、今日この日に、限定というオプションを兼ね備えた新作を堂々発売したブランド会社をさぞかし怨んでいることだろう。
そんな二人を他人事のように傍観していた報いなんだろうか、この、傍若無人で得体の知れない客人を前に冷や汗をかかなければならないのは。いやでもあれは仕方なかったんだ。母さんの買い物は半端ないし果てがない。正直付き合いたくない。だから一人家でのんびりしていたというのに。

っていうか、一体、この人は誰で何者なんだ。


「おい。客に茶の一つも出ねえのか?どうなってんだこの家は」


そして何故、この人は、我が物顔でソファに踏ん反り返って偉そうにしてるんだろう。そして何故、俺は素直に紅茶を煎れてるんだろう。


「ど…、どうぞ」


テーブルにどっかり乗せられた長い両足には見てみぬフリをしておいた。かちゃりと置いたカップは、テーブルに落ち着くまでに随分かたかたと震えていた。仕方ない。だって怖いんだから。
ちがう、怖いっていうか、なんだか緊張してしまう、そういうオーラを醸し出しているんだ、この人は。


「…不味い」
「す、すいません」


一口含んだだけで受け皿へとリバースされた可哀相なティーカップ。


「…あの」
「あ?」
「どちらさま、でしょうか。まだ御名前をお伺いしていませんが」
「てめえの父親の上司だ」
「上司…」


ああ、この人が。
父さんがぼやいているのをよく耳にする。時折、お酒を吹っ掛けられたーだの、椅子を投げられたーだの、結構法的処置が必要なんじゃないって内容ばかりなので、さすがにそれはないだろうと冗談として受け取ってたけど今納得した。この人なら有り得る。父さん、今まで信じてあげられなくてごめんなさい。


「…………」
「…………」


沈黙。
なんだろうこれ、すごく辛い。辛すぎる。
なにか、なにか会話はないのか!


「…あの」
「お前、今いくつになった」
「はい?」
「聞こえなかったのか。今いくつなんだと聞いている」


多少びくつきながらも素直に答えれば、その意志の強さが伺える唇から、もうそんなに経ったのか、とこぼれるような呟きが。抑揚ある声の中には、やけにしみじみとした調子が含まれていた。


「俺が初めてお前を見たときは、まだあいつの腹の中だったな」
「母さんを知っているんですか?」
「知ってるもなにも、あいつは俺の元部下だ」


部下?ってことは、母さんと父さんは同じ会社に勤めていたということになる。


「それじゃあ、母さんと父さんは職場恋愛だったんですか?」
「何も聞いてねえのか」
「はい。昔のことはちっとも教えてくれません」
「今カス鮫がどんな仕事をしているのかもか」


ああ、やっぱりカス鮫って父さんのことなんだな。


「はい。いつもはぐらかされます」
「ぶはっ!あの馬鹿が」


なんだろう、この、目の前で父親を堂々とカス馬鹿呼ばわりされるこの気持ち。


「…不器用が。案外上手くカテイとやらを築いてるな」


何が可笑しいのか、上司さんは肩を震わせながらくっくっと笑いを堪えているようだった。


「…そうか。上手くいってるならいい」
「え?」
「なんでもねえよ」


それから客人は、暇つぶしにと、寡黙で言葉少なではあったけれど興味深い話をしてくれた。しかし1時間経っても二人が帰ってこなかったため、仕事があるからこれ以上は待てないと帰ってしまった。
いつの間にかティーカップを空にして。


――――――――――


「ボスが来たぁ!?」
「うん。1時間くらい待ってたんだけど、痺れを切らして帰っちゃった」
「よくもまぁ、あいつがそんなに待ったもんだな。そもそもなんの用だったんだぁ?」
「提出が昨日までだった大事な書類を取りに来たんだって。何度電話しても出ないから直接家に」
「…あ゛」
「おかげで面白い話がたくさん聞けたよ。学生時代の父さんと母さんの話とか」
「ちょっと待て。変な話じゃねえだろうなぁ」
「さあ、どうかな」
「なんだその笑顔は。無茶苦茶妖しい」
「たいしたことないよ。例えば、あがりすぎて公衆の面前で母さんに『お前が好きだぁ!』って告白しちゃったこととか、陰で母さんのファンクラブをぎたぎたにして、巻き上げた隠し撮りをちゃっかり肌身離さず持ってたこととか」
「あ゛ぁぁあ!やめろ、ばか、あいつに聞こえる!」
「平気だよ。ぐっすり寝てるから」
「(くそっ、ちゃんと書類やっときゃよかったぜぇ…)お前、ぜってえあいつに言うなよ」
「青春してたんだね」
「うるせぇ!」
「あー面白かった。また来ないかな、あの人」
「俺は絶対に来てほしくねぇ」





譲れないものがある


最後に、母さんは幸せそうかと聞いたあの人の、憂いたような優しい顔が頭から離れなくて
もしかしたら、と思った
けど、年頃の恋する娘のように満足して眠る母さんと、その寝顔へ優しいキスを送る父さんを見たら、これでよかったんだ、と、思えて


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