俺は父さんのことをよく知らない。

父さんの名前はスペルビ・スクアーロ。俺が言うのもなんだけど、顔は稀に見る美形だと思う。絹糸の如く流れる銀髪などは男の目から見ても感嘆するほどだ。いつぞやか、母さんが売ったらさぞかし高いんでしょうね、なんて何気なく笑いながらも本気の目をして言っていたものだから、父さんは一時期真剣に警戒していた。母さんは時々冗談めかしながらとんでもないことを仕出かす人だから、俺と父さんは日々神経を使っている。わが家では軽率やうっかりは禁物なのだ。
見た目ばっちり、仕事でも高いポジションにいるらしく有能で、口は悪いけど根は優しい自慢の父。しかし何故か口調が濁音気味で、他はともかくそこだけは父さん似じゃなくて良かったと幼心によく思ったものだ。でも全体的に俺は父親似らしい。特に顔はうりふたつだと嬉しそうに母さんは言う。


「おかえりスクアーロ」
「おかえりなさい」
「お゛お」


朝、寝起き全開でリビングに入ると、ちょうど仕事から帰宅したらしい父さんもリビングに現れた。真っ黒の暑苦しいコート(それが仕事着だというのをこの間初めて知った)を無造作に脱ぎ、ソファに投げ捨てる。
父さんはいつも朝方に帰ってくる。出勤するのは夜。何の仕事をしているのかは知らないが、わが家は余所の家より大分裕福らしい。だから余計気になって、昔から父さんの職業ってなに、と事あるごとに尋ねてみるけれども、言葉を濁したり子供にはまだ早いとごまかしたり。そっちの話題には夫婦共々極力口が固いので、もしや怪しい職業なのだろうかとよく疑ったものだ。でも夜間の高級取りなんてあまりいいものを想像しない。まさかホストとかその系統なんかじゃないよねと迫ったら、お前は馬鹿かと言われた。


「そうよ。お父さんが接客なんてできるはずないじゃない」
「う゛おぉい、そりゃどういう意味だ」


すかさず口を挟んできた母さんの言葉に納得。確かに。父さんが興味もない女性に気を配ったり、歯の浮くような台詞を並べ立てたりするなんて無理だ。なるほどと頷いていたら、父さんに違うだろぉと怒られた。


「んなことしたら、俺はこいつに殺される」


立てた親指を母さんに向けた父さんと、再び納得した俺。確かに。父さんが他の女に愛想振り撒いた日には、きっとこの家の中がひっくり返って1日も経たないうちに崩壊するだろう。前に一度だけ、父さんに浮気疑惑が発生したときはそりゃあもうひどかった。何がひどいって、とにかくひどかった。俺は母さんが本気で怒ったのを生まれて初めて見たけれど、出来ればあれが最初で最後にしてほしい。切実に。もちろん疑惑はまごうことなき誤解だったけれど、事が納まった後の父さんは、この世でやるべきことはやりました、みたいな途方もない疲労感を漂わせていた。


「ご飯にする、お風呂にする。それとも私?」
「それ本気で言うやつ初めて見たぜぇ」
「夫婦のルールブックにもある基本中の基本よ」
「疲れて帰って来た旦那を労いましょうとか書いてねえのか」
「うーんないなぁ。可愛い奥さんにジュエリーをあげましょう、とは書いてあるけど」
「ぜんっぜん役に立たねえな。もう突っ込むのもめんどくせえからとりあえず飯」
「もう少しかかるから先にお風呂入って」
「なら始めからそう言え」


毎度のことながら朝っぱらから漫才のような会話だ。俺がのんびりと顔を洗って歯を磨き、制服に着替えた頃には既に父さんはテーブルについていた。俺は父さんの正面に腰をおろしていただきます、とジャッポーネ式の食事の挨拶を。
俺がナイフとフォークを握ると、読んでいた新聞を綺麗に畳んで父さんも食べ始める。俺のは軽い朝食に対して、父さんのは夕飯並のそれなりに手が込んだ料理。昼夜逆転生活の父さんにとってはこれが夕飯なのだ。
でも父さんはいつも食べるペースが遅い。眠そうに目をしばたきながら、たまに欠伸。見兼ねた母さんがよくベッドへ行くように促すけど、結果はいつも同じだ。


「眠いなら先に寝ちゃえばいいのに」
「空腹の方が勝ってる」


絶対嘘だ。本当はそんなにお腹が空いてるわけじゃないくせに、父さんはわざわざ寝る前に食べようとする。俺の朝食に合わせて。


「ごちそうさま」
「もう食べたの?」
「うん。おいしかったよ」
「あら嬉しい。スクアーロからは絶対に聞けない台詞ね」
「悪かったなぁ」
「スクアーロは照れ屋さんだもんね」
「照れ屋さんとか言うな」
「性格は私に似て良かった」
「お゛い、どうやらお前は母親似らしいぜぇ」


俺はその冗談に乾いた笑いでごまかした。確かに、俺は顔こそ似れど性格は父さん寄りではない。けれど母さん似でもないと思う。俺はあんなに破天荒にはなれない。


「行ってきます」
「もう行くのかぁ?」
「朝練があるから」
「試合もうすぐよね。頑張ってね」
「うん」
「行ってかましてこい」
「あはは。かますってなに」
「いじめられたらすぐお母さんに言うのよ。お父さんと一緒にぶっ殺しに行ってあげるからね」
「…そうならないよう努力するよ」


朗らかに物騒なことを言いながら、二人揃ってわざわざ玄関まで見送りに来る。俺はもう一度行ってきます、と今度はやや元気に告げて家を出た。

きっと、その後父さんは迷わず寝室に向かってベッドへダイブするのだろう。疲れているくせに無理して俺と一緒にご飯を食べる、学校へ行く俺を必ず行ってこいと送り出す。正直すごく嬉しいよ。例えいつも仕事が忙しくてほとんど家に居ない、遊んでもらった記憶もなければ直接愛していると言われたこともない。でも父さんは確かに俺に愛情を注いでくれている。よしんばそれが表立った行動に表れていなくとも、すべてがその通りというわけではないだろう。そして母さんは、爆睡している父さんの寝顔に苦笑を漏らし、そっと毛布とキスを送るのだ。



子どもが産まれた日に俺は誓った、こいつには明るい陽の下での幸せを与えようと
穏やかでささやかな日常がどれだけ俺を潤しているかなど、きっとお前達は知りもしないのだろう


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