あれから半月が過ぎた。結局バイトもバレて強制的に辞めさせられた、言われなくてももう行く気はなかったけど。行けるはずない。どんな顔をして彼らに会えばいいのか。骸さんはもちろん柿本君と城島君もわたしを許さないだろう。そしてわたしも許せない。自分も、兄も。


「ご飯だよ」
「…………」
「冷めるんだけど」
「…………」
「ねえ、だから何度も言ってるでしょ。彼は」
「うるさい」
「泣かされてからじゃ遅いんだよ」
「関係ない。今度という今度は絶対に許さないから」
「……。テーブルに置いとくから」


あれから兄とはまともに口をきいていない。話しかけられても責めるか無視かだ。自分の携帯も逆に折り曲げて投げつけてやった。1時間後に新しいのを渡されたけどそれも目の前でぽっきり折った。もう縛られたくない。そんなものを持ってたらいつまでもつきまとわれる気がした。どうせ連絡を取りたい人なんていないし。


「ちょっといいですか」


学校の昼休みも応接室には行かなくなった。それが気にかかったのだろう、誰よりも兄に忠実で理解している草壁さんが人目を憚るように話しかけてきた。


「聞きにくいことなんですが…」
「わたしの好きな人を半殺しにしました」
「え…」
「別の質問でした?」
「いえ、当たってます。…またですか」


わたし達兄妹の事情に詳しい草壁さんは呑み込みも早い。


「なまえさん、恭さんは」
「聞きたくない」
「なまえさん…」
「あなたのことが心配なんです大事な妹さんなんですあの人なりの愛情表現なんです。どれも聞き飽きたしだから何ですか。それなら何しても許されるんですか。大事ならどうして邪魔ばかりするんですか。本当はわたしを苦しめたいだけじゃないんですか」


矢継ぎ早に言うわたしが一通り攻めたてるのを待って、草壁さんは言葉を選ぶようにゆっくりと言った。


「なまえさん。確かに恭さんは行きすぎてますし、いつまでたっても妹離れできませんが、それは束縛や独占欲だけではなくて、あなたへの愛情と責任感からくるものです。あなたは恭さんを敵視する人から何度も傷つけられてます。入院したこともあるし、裏切られて泣いたこともあるでしょう。恭さんはそれが一種のトラウマになっているんだと思います」
「全部自分が蒔いた種でしょ」
「あなたが、自分のせいで好きな人が殴られるのを見たくないように、恭さんも、自分のせいであなたが泣く姿を見たくないんです」
「…………」
「やり方は非難しても構いません。でも気持ちだけは否定しないであげてください」


だからといって即座にはいわかりました、なんて言えるはずがない。兄を弁護する草壁さんを鬱陶しいと思ったし、こうやっていつも時間や状況に流されて兄の非も流されていき、やがてなかったことにされていくのが嫌だった。なんでわたしが妥協しないといけないんだろう。そもそもわたしが巻き込まれて病院送りにされるのも泣かされるのも全部兄のせいで、それがトラウマと言われても自業自得としか言い様がない。考えれば考えるほど腹立たしいし、虚しくもある。わたしはずっとこうなんだろうか。彼氏もできず、結婚もできず、好きな人ができても叶わず、やがて時間に想いが流されて、好きという感情が薄れなくなっていく。今まで何人とこうなったか。いつか骸さんの名前もそのリストに組み込まれ、ただの記録になっていくのだろうか。


「なまえさん」


今はありありと思い出せる顔も仕草も、声も、いつかは忘れて消えていく。


「なまえさん」
「…………」
「もしもし」
「…………」
「雲雀さん。なまえさん。そこの可愛いお嬢さん」


お嬢さん?
回想の骸さんがなにやら変なことを言いだした。いい感じに浸っていた感傷がなんだか行く方向を間違えている。


「ああ、やっと顔を上げてくれましたね」
「え…」


目線を上げると、わたしの大好きなあの微笑があった。今はそれがとてもまぶしい。


「骸さん?」
「お久しぶりです」
「え…本物?」
「あなたに幻術は使いませんよ」
「げんじゅつ?」


ちょっと意味はわからなかったけどひとつだけわかること。回想の骸さんがいつの間にか本物になってしまっていたこと。でもなぜ。ここは並盛なのに。


「ちょっと話したいことがあるのですが」
「話…?」
「ここだといつ風紀委員に見つかるかわかりません。終わるまで邪魔をされたくないのですが、どこかいい場所を知りませんか」


そう言われても文字通りこの町は兄のテリトリーだ。定期的に風紀委員が巡回するし、しかも今は下校タイムだから一番多い時間帯。まとまった時間を一ヶ所で過ごすのはちょっと…。
難しい、と決めつけかけたとき、ぱっとある場所が思いついた。


灯台元暮らしという言葉を借りて、わたしは骸さんを自宅に招いた。かなり危ないけど考えようによっては絶対に見つからないし盲点だと思う。わたしの部屋へは兄もノックなしには入らないし、その兄は夜まで帰ってこないし。予想外に早く帰ってきても骸さんが隠れる場所はたくさんあるし。


「まさか雲雀恭弥の家へ上がる日が来ようとは」
「…ごめんなさい」
「責めたわけではないですよ。ただ不思議に思っただけで」
「そうじゃなくて」


この間のこと。口にするのも申し訳ないくらい迷惑をかけた。思い出しただけで胸が苦しくなる。
骸さんは、ああ、と言って苦笑した。


「あなたが謝ることではありません。あなたがいてもいなくても、どうせ彼は僕の顔を見る度に喧嘩を売ってくるのですから」
「でも…」
「それにしても、彼があんなに過保護だとは意外でした。てっきり自分以外の人間には興味がないのかと」


それは誰もが思うこと、らしい。会う人みんなに言われる。生まれたときから今の状態だったわたしには、普通の人達からわたし達兄妹の関係がどう見えるのかがわからない。
自分の敵から妹を守るためです、数時間前草壁さんに言われたことを今度はそっくりそのままわたしが骸さんに言うはめになった。なんだか兄を弁護しているみたいで嫌だけど、かといって言わずにもいられず。
一通り聞き終えると、骸さんはわたしの部屋の一角に飾ってある写真――わたし達兄妹の写真に目を遣りながら言った。


「それなら、なおさら僕を警戒するでしょうね。自分で言うのも何ですが、あまり素行がよろしくないので。彼のブラックリストの頂点に君臨している自信があるくらいです」
「…骸さんが喧嘩してるところ、想像できないですね」
「喧嘩というよりは戦闘と言う方が正しい気がしますが」


なんかちょっと物騒な方にランクアップしたな。怖いから深く突っ込むのはやめておこう。


「骸さん、強いですか」
「自分で言うのもなんですが、かなり強いですね」
「じゃあどうして」
「抵抗しなかったか?」
「…はい」
「あなたの前でお兄さんに暴力を振るうのはよくないかと」
「…わたしに気を遣ったんですか?」
「あなたのためではなく自分のためです。嫌われたくなかったので」
「誰に?」
「あなたに」


すっと真正面から見据えられたオッドアイ。赤と青の色みがいつもより深い気がした。


「彼の親類だということは名札を見た瞬間に気がつきました。正直それがきっかけで興味を持ちました。だから店長を脅して…ああ失礼、店長に頼んできみとの時間帯を合わせてもらったんです」


今脅しとかなんとか聞こえたような気がしたが、先を聞きたいのでスルーした。


「ですがそれ以降の僕の態度に彼はまったく関係ありません。あの時は面倒だったのでああ言いましたが、本当は彼を貶めるつもりもきみを弄ぶつもりもない。そもそも彼は僕を敵視していますが、僕は別に彼のことなどどうでもよいのです。この間誘ったのも、純粋にあなたに会いたかったからです」
「…………」
「本音を言えば、あなたと二人だけで行きたかった。でもいきなり二人きりではあなたが警戒するかもしれない。彼らもいると思えば来てくれるんじゃないかと思ったので、あの二人も連れて行ったのです」
「…………」
「今までお兄さんのとばっちりで痛い目に遭わされてきたのなら、こんなことを言われてもすぐには信じられないかもしれませんね」
「そ、そんなことない!」
「本当に?」
「信じます」


よかった、とほっとしたように骸さんは笑った。何度見ても惹かれる笑顔だ。心臓がどくんどくん鳴る音がよけい気になった。ひょっとしたら骸さんにも聞こえているんじゃないかと思うくらい。
会話が途切れて、微妙な間があいた。骸さんがコンと小さな咳払いをする。


「…あの」
「本題に」
「え」
「入ります」
「…え、あ、はい」
「今までの流れでもうお気づきかもしれませんが」
「…はい」
「僕はあなたに興味があります」
「興味?」
「いえ、こういう言い方は正しくないですね。つまり、なんと言えばいいのか…」


珍しく骸さんが困っていた。比例してわたしには希望が湧いた。自惚れかもしれないが、わたしの予想が当たっているならばこの局面で彼の口からでる言葉はかなりシンプルで簡単なはずだ。でも骸さんはかなり長いこと詰まっていた。頭中探しても言いたいことが見つからない、といった感じ。単に言いにくいとかプライドが邪魔するとかそういう次元ではなく、自分でもよくわかっていない不可思議な気持ちをどう表現したらいいのかわからない。意外だった。てっきり慣れているのかと思ったけど、もしかしたらこの人は、今までそういうこととは無縁に生きてきたのかもしれない。
端正な顔を曇らせ、形の良い眉の根を寄せて、一生懸命答えを見つけようとする骸さんをわたしはひたすら待った。骸さんはとにかく思い当たることを手当り次第に羅列していく。


「つまり僕は」
「はい」
「またあなたと働きたいのです」
「はい」
「休みでも会いたいと思います」
「はい」
「でもただのバイト仲間というわけではなくて」
「ええ」
「友達という表現もしっくりこなくて」
「そうですね」
「もっと近くというか、深くというか、ぴったりした感じに」
「ぴったり?」
「すみません。言葉が浮かばない」
「付き合う?」
「それです!」
「彼氏彼女的な?」
「そうです」
「…わたしでいいんでしょうか」
「もちろんです」
「でも、お兄ちゃんが…」
「僕は強いので大丈夫です」
「それでも、あんなのと戦う面倒をかけてまで、わざわざわたしなんかと付き合ったって…」
「確かにリスクは大きいですが」
「…………」
「そのぶんリターンも大きいので」
「リターン?」
「見返りというか、戦利品ですね」
「…戦利品」
「あなたですよ」


欲しいものは奪います。
障害があるなら壊します。なまえさんが欲しいので、必要ならば雲雀恭弥とも戦います。


「今まで猫を被っていましたが実は僕かなり乱暴なのであなたに拒否されてもおかしくな…、あの、すみません。泣くほど嫌でしたか?」
「ちが、…」


目元に手の甲を当てながら、うええんと子供みたいに情けない泣き声を上げた。だって嬉しかった。今までそんなこと言ってくれる人は一人もいなかったから。あの雲雀恭弥を敵に回してまでわたしと付き合いたいなどという、奇特で根性のある人なんて。


「最近の男共は意気地がありませんねえ」
「むぐろざん…」
「なんでしょう?その前にハンカチどうぞ」
「不束者なんでずが」
「ええ」
「どうが、よろじぐお願いしまず…」
「こちらこそ、どうぞよろしく」


こうしてわたしは念願叶い、好きな人と無事結ばれることができたのでした。
たいていの小説や物語は結ばれるまでが肝心なのだけど、わたしの場合結ばれてからが肝心である。しかし骸さんは今までの男の子達とは違った。「兄妹は仲良くしたほうがいい」という彼の薦めに従い、わたしは兄への反抗をやめた。あんなに険悪だった妹の機嫌がやっと治ったと兄が喜んだのもつかの間、今度はにっくき天敵と付き合うと言い出したからさあ大変。ものすごい剣幕ですぐさま骸さんのもとへ殴り込みに行ったけど、今度は骸さんも兄の好きにはさせなかった。しっかりと自分の身を守りつつ、かつ兄にも怪我を負わせないよう加減しながら相手をしたようだ。強いというのは本当だったらしくそれを知ってますます惚れた。一方兄は今までのパターンが使えず、つまり気のすむまで相手を叩きのめしたのち「二度と妹に近づくな」という捨て台詞が言えなくなりかなりお冠である。


「絶対に認めない」
「諦め悪いよお兄ちゃん」
「百万歩譲ってなまえに彼氏ができるのはいいとしても六道だけは絶対にだめ」
「骸さんじゃないと意味ない」
「ありがとうございます。僕もあなたではなくては意味がない」
「きゃー!」
「消えろよ」
「だめだよ」
「なまえは騙されてる」
「ひどいですねえ。もしかしてまだ昔のことを根に持っているのですか?」
「骸さんお兄ちゃんに何かされたんですか?」
「迷惑被ったのは僕の方だよ」
「お兄ちゃんには聞いてない」
「差別をするな」
「大丈夫ですよ。過去は過去です。もう気にしてなどいません」
「よかった…」
「なんで僕の言うことは信じないのにこいつの言うことは信じるの」
「彼氏ですから」
「認めない」
「彼氏だもん」
「僕は兄だよ」
「骸さんのほうがかっこいい」
「…………」
「クハハ!どうやら今回きみに勝ち目はないようですね雲雀恭弥」
「咬み殺す」
「まあそう言わずに。仲良くしましょう恭弥くん」
「なれなれしく呼ぶな」
「ではお義兄さん」
「虫酸が走る」


どうやら、頑固な兄に認めてもらえる日がくるのはまだまだ先のようです。

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