※それだけは〜の続き


ヴァリアー内でお二人の関係を知らない者はいない。ただ、俺達のような下っ端はボスにお目にかかる機会すらそうそうないので、そのお人柄どころかお心までお察しすることなど至難の技だった。故に、付き合いの長い幹部の方々とはその認識にやや語弊があったのは致し方ない。
というのも、俺達はなまえ様を、こう言ってはなんだがボスの一番の愛人だと思っていた。もちろんそこらの情婦達とは別格、それだけは解っていた。あの方は女の身でありながらスクアーロ隊長にも引けを取らないほどお強く、またお綺麗でいらっしゃる。ヴァリアーという組織をうまく潤滑させるために、その能力を惜しみ無く発揮する忠誠心は並々ならぬものがあり、もはや俺達にとって不可欠な存在だった。そんな彼女の働きに報いるため、ボスは『褒美』として時折彼女に良い夢を見させているのだと勝手に思いこんでいた。今思えばかなり失礼な想像だ。
なまえ様がそれをどう受け止めていたのかはわからない。ご自身のことはあまり話したがらない人だ。プライドは高いはずだが、決して「私はボスのお気に入りなのよ」と驕り高ぶることはしなかった。ただ自分に出来うる限りのことを黙々とこなし、ボスに求められたときにだけ応える。見返りを求めず誠心誠意尽くす、男の支配者にとっては理想だろう。だからこそボスは、数多の女達を使い捨てていく中でも、彼女だけはお側に置き続けたのであろう。
そう考えればあの方は賢明な女性と言えるが、反面、どうも淡白で冷めているようにも見えた。口で悪く言いながらも、なんだかんだボスのお側を離れなかったのは、やはり“愛”というものがあったからだろうか。それにしては、何もかもを諦めた、疲れたような眼でいつもボスを見ていらっしゃった。一体どんなおつもりでボスにお仕えしているのだろうと、よく俺達の話題にも登っていたものだ。誰にもわかるはずはない。唯一ご存じでいらしたのはスクアーロ隊長だけだ。付き合いの長い隊長だけは、なまえ様が内実情の濃い、激しいお方だと知っていた。意外だった。それ以上に、ボスが特定の女性を愛せるという事実は益々意外だったわけだが、あの一件以来ヴァリアーのぎすぎすした空気が無くなったので俺達にとっては万歳ものである。
これは一重にスクアーロ隊長の功績だろう。あの方はもっと報いられるべきだと俺は思うのだが、おいたわしや、隊長にはどこまでも苦労がつきまとう運命らしい。
事が落ち着いて、誰もが安堵していた矢先に送られてきた請求書。ボンゴレの赤い封蝋を開けた途端隊長は発狂なさった。
沢田綱吉様直々の筆跡にて、本部を半壊にした責任を追求し、修理費も兼ねて多額の賠償金をヴァリアーの経費から落としたという旨が綴られていたのだからそれも仕方がない。事は既に処理済みで、明らかに事後承諾だった。慌てた隊長が経理部にすっ飛んで行くと、うちの年間予算の約3分の2が本部にごっそり持っていかれていた。あまりのショックに隊長はしばらく経理部のデスクで頭を抱えていらっしゃった。そして鬼のような形相で、目を背けたくような額が記された請求書を元凶のお二人に突きつけた。が、お二人は特に悪びれる様子もなく平然と答えていた。


「ストレス溜まってたのよ」
「良い発散にはなったな」
「たまには思いっきり動かないとダメね」
「身体がなまる」
「トレーニングルーム欲しいよね。私達が暴れてもびくともしないような頑丈な場所」
「無けりゃ作るまでだ」


隊長の髪の毛がいっぺんに逆立った。言うまでもないが、うちは相当金遣いが荒い。特にボスとベルフェゴール様にかかる費用が半端ない。ルッスーリア様もあれで中々浪費家だ。節約という言葉にはまるで無縁の花形組織が、一転してジリ貧生活を強いられた。それだけでも胃が痛いのに、事態をまったく理解していないこの言葉。
隊長はゆうに三時間もの間、内臓が震え上がるようなあの声で散々雷を落とされていた。しかしさすがというべきか、ボスもなまえ様もびくともせず、悠々と聞き流していらっしゃった。きっと鼓膜と肝が特別仕立てに違いない。部屋の隅に控えていた俺達下っ端は、そのおっかなさとやかましさに終始耳を塞いで首を竦めていたというのに。
ボスはもともと誰かに『悪い』と思う感情など持ち合わせてはいないので、例のごとく優雅に座しながらのんびりとあくびをしていらっしゃった。なまえ様も結構なしたたかさをお持ちのようで、ボスの隣に座しながらあさっての方を向いて聞こえないふりをしていらっしゃる。お二人は寧ろ鬱陶しそうに、うるさいから早く終わってくれないかなと言わんばかりでそれはそれは面倒くさそうなお顔をされていた。まさに馬の耳に念仏だ。案外こういうところが似た者同士だと思う。

それ以後、スクアーロ隊長の口癖は「節約しろ!」「無駄を省け!」「それは高いから駄目だ!」になってしまった。まったくもっておいたわしい限りだ。いつかそのご自慢の銀髪が抜けきってしまわないかとても心配である。

しかし、ボスと違いなまえ様は決して無責任な方ではない。女としての自信を取り戻したこともあってか、あれ以来精力的に仕事に打ち込んでおられる。俺達はもう万々歳だ。あの方が行方を眩ませた数日間、ヴァリアー隊内で仮眠を取れた者はいない。例外は、ボスに半殺しにされたまま意識を失っていたスクアーロ隊長だけである。
ただし、働き過ぎるのがあの方の悪い癖でもあった。特に最近は体調がすこぶるよろしくないようで、スクアーロ隊長とルッスーリア様に休息を勧められても、疲れたように笑んでごまかしていらっしゃる場面が多々見かけた。最初こそ、ボスとの仲が睦まじすぎて毎夜あっちのことに励んでいるせいだと、皆苦笑混じりに冗談を交わしあっていたものだ。ボスがあれ以後情婦を抱くことは一切なくなったからだ。当然その負担はすべてなまえ様にいく。30代といっても、まだまだお若く精力的なボスのお相手はさぞかし大変だろうが、それもまた幸せな悩みである。
最初は皆、特にそこまで気にしてはいなかった。しかしさすがに、なまえ様が任務中に倒れたという報告が入ったときは隊内に緊張の雷流が走った。自分よりも背の低いベルフェゴール様とフラン様に両脇から抱えられ、血の気のない顔と覚束ない足取りでからがら帰還なされたなまえ様。特に目立った外傷はないのに、今にも死にかけのようにぐったりしておられた。ルッスーリア様の匣兵器、絢爛な孔雀の光に当てられても、一向にお顔の色は良くならない。血相を変えたスクアーロ隊長はすぐに医務班を呼んだ。治療が済むまで治療室の前から一歩も離れなかった。
隊長はあれで中々情がお強い。なまえ様とは特別仲がよかったのでさして驚きはしないが、ボスが医師の胸ぐらを掴み、絶対に死なせるなと迫ったときの、あの鬼気迫るご様子には幹部の方々も口をあんぐりとさせていた。
治療を終えた医師がマスクを外しながら現れ、疲れた顔で頷いたときは、皆安堵して詰めていた息をゆっくりと吐き出した。
しかし話はそこで終わらない。
医師が汗を拭いながら、どこか晴れ晴れとした表情で言った内容は予想の範疇を越えすぎて、我々はまた、今度は顎が落っこちるほどに口をあんぐりさせられた。


「おめでとうございます。ザンザス様」
「生きてるんだろうな」
「勿論です。峠は越しました。母子共にご無事でいらっしゃいます。もう心配ありません」


ボスの紅い瞳が静止した。

ずいぶん奇妙な言葉を聞いたようで、すんなりと頭が受け付けられなかったようだ。訝しげに問い返された。


「…なんだと?」
「母子ってどういうことだぁ」
「お子さまでございます。なまえ様のお腹にいらっしゃる胎児。そうですね、5ヶ月といったところでしょうか」
「5ヶ月!?」


スクアーロ隊長が素っ頓狂な声を上げた。当然だ。なまえ様のお腹はスマートで、どう見ても妊娠5ヶ月目には見えない。
多少お疲れのご様子だったとはいえ、ものすごい勢いで仕事をさばいたり、銃をぶっ放して勇ましく敵と交戦していた姿をここにいる全員は見ていたのだ。ただでさえ人間離れした技なのに、腹に人間予備軍を一匹抱えながらだったなど到底信じられる話ではない。本来ならば妊婦とは慎重に扱われるはずであるべきだし、妊娠とは非常にデリケートな問題であるはずだ。しかしレントゲン写真を見せられれば信じないわけにいかない。
笑い話のようだが、日頃の無茶がたたったせいで今回は母子共に本当に危険な状態だったらしい。流産しかけた赤子を守ったのは、ボンゴレの高レベルな医術力もさることながら、なまえ様の強い生命力が生死を大きく左右したという。
なまえ様はご自身が妊娠されていることなど知らないはずだ。無意識にお腹のお子様を死神から守ってしまうのだから、女という生き物は本当に強い。

ところで、流産というものは母親の意思次第で食い止めることができたりするものなのだろうか。誰もがふと抱いた素朴な疑問を、代表するかのようにベルフェゴール様が医師に問われた。


「なあ、そんなことできんるもんなの?」
「いえ。普通はできませんね」
「でも実際そうなったろ?」
「そうですね」
「…………」
「…………」
「…………」


みんな何故か何も言えなくなった。


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