零れた最愛に涙を連ねて |
――機神兵。それは「殺意」が姿をなしたものであると言っていいだろう。氷のように冷たいその鉄の体で這い回り、尊い命を屠る。あの日、この街は耳をつんざくような悲鳴と絶叫で溢れた。巨神界下層にある、ホムスたちの街コロニー9は。機神兵はその爪や刃で沢山の人々を傷付け、喰らった。柔らかそうな金の髪をした少年、シュルクは街が見渡せる高台にある公園に立ち、その日のことを思い出していた。あの日シュルクは友であるラインとフィオルンと共にテフラ洞窟の先までエーテルシリンダーを取りに行っていた。用事を済ませ、街へ帰ろうとした時空を無数の機神兵が飛んで行くのが見えた。よみがえる恐怖。目を疑いたくなった。機神兵はいなくなった筈だ。大剣の渓谷での戦いでモナドを振るったダンバンとその戦友たちによって――。だが目の前に広がるすべては現実だった。街へ急ぐと、機神兵たちが人々を襲っている光景が飛び込んできた。目を覆いたくなるような惨劇。シュルクたちは抵抗した。だが顔のついた巨大な黒い機神兵に歯が立たず、地面に突っ伏した。別行動をしていたフィオルンが取ってきたばかりのエーテルシリンダーをセットし自走砲で顔のついた機神兵に立ち向かうも――彼女の身体を冷たく鋭いそれが貫き、血で世界が染まり、彼女は絶命した。たったひとりの家族であるダンバンの目の前で。時々衝突はするものの親しかったラインの目の前で。――彼女に淡い想いを抱いていたシュルクの目の前で。 そして少年たちは旅立ちを決意した。フィオルンの仇を討つ。必ずやこの手で。負傷していたダンバンはベッドの上から窓の向こうを見た。そこには今この街を発つシュルクとラインの姿が見えた。シュルクはかつて自分が振るっていた剣モナドを携え、ラインはシュルクの作った武器を持ち。長い旅になるであろう。いつ故郷に帰ってこれるか見当もつかない。しかしふたりは振り返らなかった。真っ直ぐ前を向き、復讐心を抱きながら、それでいて純粋な目で。ダンバンはその姿が見えなくなるまでそちらに視線をやっていた。じき、夜になる。今まではフィオルンが食事を作ってくれていた。けれどももう彼女はいない。最愛の妹は巨神の血肉へと還ったのだ。がらんとした部屋の中、ダンバンはいつも妹がかつこつと音を立てて上がってきていた階段まで移動した。階下で簡単な夕食をとらねば、と。ひとりで食べるパン。味もよくわからない。かりかりに焼いてあり、あたたかいのに、ひどく侘びしかった。ダンバンはそのままゆるゆると時に身を任せる。眠れないだろう。きっと。フィオルンのことばかりが頭のなかを走る。自分がある程度大きくなってから生まれた妹フィオルンを、ダンバンは兄でありながら父が持つ情を向けていた。ふたりでの生活は楽しかったし、シュルクやライン、それにディクソンなどを加えての会話もまた楽しいものであった。フィオルンはよく笑う娘だった。誰とでも仲良くなれる、そんな少女でもあった。彼女の死をコロニー9の人々は悲しんだ。勇敢な最期であったと兄であるダンバンは思うと同時に、何故こんなことになってしまったのだろうとも悩んだ。機神兵は全て倒したはずだった。傷付いた自分を支え、笑顔をくれていたフィオルン。まさか彼女をこの街で、こんなふうに失うとは思いもしなかった。いつか自分たちにも別れは来ると知っていたけれど、こんなに早くそれが訪れてしまうだなんて。胸が痛む。ダンバンは皿一枚を片付けると、家を出た。夜であってもこの街は比較的賑やかである。だが今日はそうでもない。皆、機神兵に襲撃され心が折れかかってしまっているのだろう。店はいくつかやっていたけれど、閉じている店も多い。少なくない犠牲が出たのだ。このようになってしまっていても、仕方はない。ダンバンはゆっくりと歩いた。一通りまわってから帰宅し、誰もいない家に寂しさを感じながら冷たいベッドへと倒れこんだ。視線が天井へと行く。ひとりの夜。静かすぎて不安になる。ダンバンは静かに目を閉じる。そこにはやはり、フィオルンがいた。金色の綺麗な髪を靡かせて、笑っている。自分とは全く違う髪の色を、彼はよく褒めた。フィオルンも満更でもない様子だったことを思い出す。外見は、あまり似ている兄妹ではなかった。しかしフィオルンが時々見せた大胆さは自分と通ずるものがあるなと今になって思う。ホムスの英雄と謳われたダンバンはそのまま浅い眠りへ落ちていった。 朝。あまりよく眠れた気はしないな――そんなことを考えつつ、ダンバンは身支度を終えて家を出た。朝食のパンを購入し、そろそろ帰宅するかと思い商業区を進む。するとフィオルンと然程変わらない年頃の少女が花を売っていることに気付いた。明るい茶髪の少女だ。モスグリーンの上着を羽織り、丸い瞳をダンバンに向け「お花は如何ですか?」と微笑んでいる。ダンバンはその少女のすぐ前まで移動した。どことなく、フィオルンに似ている。髪の色も瞳の色も異なっているがその真っ直ぐな眼差しと優しげな笑顔が。ダンバンは少し恥ずかしさを覚えながらも花を購入した。フィオルンに手向けたい、そう思ったからである。フィオルンは女性らしく花も好きだったことを思い出して。花売りの少女はダンバンのことを知っていた。この街では、というかホムスの間で彼は有名人なのである。一年前、大剣の渓谷でモナドを振るい平和をもたらした英雄である、と。しかしそれも揺らぎつつあることなのかもしれない。この街は襲撃されたのだから。また機神兵が動きつつあるのだ。少女は「おまけです」と言ってベビーピンクの花を三輪ほど追加してくれた。いつだったかフィオルンが買ってきてテーブルの上の花瓶に生けていたものとよく似ている。もしかしたら同じ種類かもしれない。彼は彼女に金を支払うと、自宅へと帰った。そしてその買ってきたばかりの花を生け、そっと置く。目を閉じて思い起こす妹の横顔。今はもう、彼女が安らかに眠れるようにと願うことしか出来ない。まだ戦うだけの力は戻ってきていない。でも、いつか。いつか必ず、シュルクとラインを追いかける。今度こそ未来と平和を掴むために。もうモナドは自分の手にはない。ダンバンは少し考えこみ、ディクソンに武器を作ってもらおう、という答えを導き出す。ディクソンはああ見えて器用だ。それに今この街で頼れるのは彼くらいだ。あの時一緒に機神兵と戦い、勝利をもたらした仲間である彼ぐらいなのだ。ダンバンはその答えを胸に、もう一度家の扉の向こう側へと向かった。 → |