FF12 | ナノ


final fantasy xii

強い怒りと深い悲しみの中で彼女は生きている。そこは暗く、冷たく、無機質な空間で、怒りと悲しみが支配していた。まるで冬の湖の底のよう。彼女はそこで苦しみ、そしてもがく。何もかもが自分を嘲笑っているようだった。醜い感情のひとつである「怒り」はおさまるどころか日々大きく膨らんでいく。「悲しみ」は消えること無く存在し続け、彼女はそれの螺旋に囚われる。グレイの瞳に光はなく、ただただ、そのふたつの感情が宿っていた。


彼女――アーシェ・バナルガン・ダルマスカは瞼をゆっくりと開く。亡国の王女であるアーシェは解放軍の一員として地下での生活を送っている。屈辱と、憎悪が胸の中に横たわり続ける日々。そこでは哀哭の声が鳴り響いていた。現実というものは、膠も無く彼女を見やる。アーシェという名を重たく分厚い扉の向こうに仕舞い込み、彼女は「アマリア」と名乗り、本当の自分を隠して同胞とともに活動をしているのだ。そんな彼女の真実を知っている人物はウォースラ・ヨーク・アズラス。彼一人である。ウォースラはナルビナ戦役の後、彼女を保護し、居場所を与えた。王家に代々仕える名家の生まれである彼は怒りに震え、悲しみに凍える彼女を支えており、アーシェにとって最も信頼出来る人物と言えた。いや、他に信じられる人物がいないとも言えよう。ダルマスカ王国の将軍であったバッシュの裏切りは、アーシェの心に深い傷を負わせた。バッシュ・フォン・ローゼンバーグはランディスの生まれで、民から絶大な人気を誇っていた。しかしあの日――運命の日、彼はアーシェの最愛の父であるダルマスカ国王ラミナス・バナルガン・ダルマスカを暗殺した。バッシュは国王殺しの重罪人として処刑され、砂の王国ダルマスカは滅び、空中都市ビュエルバを統治するハルム・オンドール4世はアーシェ王女の自害を発表。アーシェ・バナルガン・ダルマスカの存在はイヴァリースから消され――彼女は覇王レイスウォールの血をひく王女ではなく、解放軍の一員「アマリア」となった。

アーシェは今日もまた悪い夢を見た。大切な人たちが皆消えてしまう夢を。彼女にとって大切な仲間である解放軍のメンバーが命を落とす夢を。彼女は目をこすり、体を起こした。季節は春だった。花の咲き乱れる優しい季節であるが、その優しさに触れる余裕などはない。幸せだった頃のように花を愛でたりする事も出来ない。彼女がいるのは薄暗い部屋で、隣では解放軍のメンバーである金髪の少女が寝ていた。時計の針を見ればまだ早朝と呼べる時間帯。アーシェは彼女を起こさないように気を付けながら部屋の扉に手をかける。それからふり見いて、眠る少女に視線を向けた。彼女は戦災孤児で、年はアーシェよりひとつかふたつ下である。まだ幼さの残る寝顔を見て、アーシェはため息を吐く。自分もまだ大人と呼べる年齢ではないが、子供を戦いに出させるだなんて、と。戦争とは恐ろしく、そして何よりも愚かで、大切なものを奪うだけの惨たらしいものでしかない。少女もまたアーシェのように大切なものを失い、それを取り戻すか、或いは新しい何かを得る為に、剣を振るい、魔法を唱える。それは他者を傷つける行為である。そして戦いの輪はだんだんと、確実に大きくなっていくのだ。気付くとアーシェは二回目のため息を吐いていた。視線に気づいたのか、少女が目を覚ました。綺麗なブルーアイ。そこにアーシェの複雑な表情が映し出されている。

「アマリアさん……?」

甘い声だった。目覚めたばかりである為か、少しこもった声でもあった。

「まだ、寝ていて」

アーシェは微笑んでみせる。偽りの笑みを作るのは簡単だ。青い瞳の少女はまだ半分眠りの国にいるらしい、そのまま頷いて瞼を閉じてしまった。少女が再び眠りに落ちたのを確認すると、アーシェは扉を開け、部屋を出る。隣の部屋にはウォースラの姿があった。彼はテーブルに地図を広げており、難しい顔をしていた。その部屋にいるのは彼と、入ってきたばかりのアーシェだけである。アーシェに気付くと、ウォースラは少しだけ目を大きくし、それから朝の挨拶をする。アーシェも彼に挨拶し、彼の向かい側の椅子に腰を下ろした。アーシェは白魔法の使い手が身に纏うローブを着ていた。外に出る時はフードを深くかぶる。顔は知られていないとはいえ、それくらいのことはしなくてはならないのだ。アーシェ・バナルガン・ダルマスカという人物はこの世に居ない筈の人物なのだから――。
ウォースラとアーシェは暫くの間沈黙していた。それを破ったのはウォースラの方で、次の作戦について簡単に説明し、アーシェの考えを求めた。彼女は彼の話を受け入れ、頷く。すべては自分から――自分たちから何もかもを奪った憎きアルケイディア帝国への復讐の為。帝国はアーシェから国を、父を、夫を、居場所を――ありとあらゆるものを奪い去った。アーシェは怒りと、悲しみに揺れる。ふたつの感情が膨らみ続ける。その他のものはそれに押し潰されてしまっているのだ。怒りと悲しみには裏切り者であるバッシュへ対するものもまた存在している。自然に笑えなくなっていた。本当の笑顔を忘れてしまっていた。こんなだから、悪い夢をみるのだ。そしてそれは妙に現実的で、彼女をただただ苦しめる。夢の話をしたわけでもないのに、ウォースラはすべてを理解しているような目をしていた。地図にでかでかと書かれた「アルケイディア帝国」という。アーシェはペンでそれをぐちゃぐちゃに消してしまいたい、そんな風に思った。ウォースラはアーシェに言う。まだ早いから体を休めてはどうか、と。しかしアーシェは首を横に振る。もう、眠れそうもない。煮え滾る感情。おさまることを知らぬ、醜い感情。ずっと、この螺旋に囚われているのだ。過去の自分はもう別人のように思える。大聖堂でラスラ――ラスラ・ヘイオス・ナブラディアと永遠の愛を誓ったあの頃の自分と、現在の自分はかけ離れている。今の「自分」でもラスラは愛してくれるのだろうか。そんなことを考えても無意味であるのに、考えてしまった。ウォースラは心配そうな目でアーシェを見た。その視線を感じて、やっと「今」に戻ることが出来た。怒りと悲しみ。それに埋もれている「今」へと。


その日の活動を終え、アーシェは布団に潜る。静かな夜。今夜はウォースラと、彼を慕う女性が見張りをする事となっている。隣の布団で眠る金髪の少女を見れば、剥きだしの腕に痛々しい傷があった。どうやら、戦いで怪我をしたらしい。応急処置はしたようであるが、赤いそれはとても痛そうで、アーシェはそっと彼女に寄り、ケアルを唱えた。この少女はあまり白魔法が得意ではない。アーシェたちを心配させない為に、痛いのを我慢し続けていたのだろう。淡い光が腕を包み、傷が少しだけ癒えていった。それからアーシェは自らの布団に戻り、瞼を閉じ、祈った。彼女や、仲間を。ウォースラを。守れる力をください、そう祈った。醜い感情ばかりが支配する迷宮で彷徨う自分にも救いがあるのかわからないけれども。絶望の淵にいる自分へ、優しい光が降る日など来ないかもしれないけれど。むしろ、そっちの可能性のほうが高いけれども――それでも、もう誰も、失いたくないのだ。この時は、そう思っていた。


title:水葬

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