final fantasy xii
フランはカップに注がれていた紅茶を飲み干した。月の美しい夜。星が控えめに輝く夜。ここは空中都市ビュエルバ。空に憧れる者は引き寄せられるようにこの都市を訪れる。プルヴァマと呼ばれる浮遊大陸群で、最も大きな大陸ドルストニス。ガルテア連邦時代に侯爵となりこの地を得たオンドール家が代々統治を行うその場所は、飛空艇の動力源である魔石の産地でもある。機工に優れるモーグリたちが多く生活するビュエルバは、ダルマスカが侵攻されたとき、帝国に有利な情報を発表したため現在はアルケイディア帝国寄りと見られている。フランたちがそんなビュエルバを訪れたのは、シュトラールのメンテナンスをするためだった。どの国のターミナルでもそれは行うことが出来るが、バルフレアとノノが言ったのだ、飛空艇についてはビュエルバで――と。バルフレアがそう言うのなら、それ以上フランがどうこう言う必要はない。ノノもああみえて立派な機工士である。ビュエルバには彼の仲間のモーグリも多々いる。ノノと彼の仲間のモーグリたちはシュトラールにいる。バルフレアは浮き雲亭で酒を飲んでいる。宿屋にいるのはヴィエラ族であるフランだけだった。人間(ヒュム)族のバルフレア、モーグリ族のノノ、そしてヴィエラ族のフラン。種族はバラバラで、まるで小さなパッチワークのようだが三人の間にある絆はなによりも固かった。フランはカップをテーブルに置く。かたん、という音を響かせながら。宿屋のロビーにいるのはフランと人間族の女性二人とモーグリ族ひとりの四人だけだった。女性たちはフランと同じように紅茶か何かを飲んでいる。モーグリは地図をみている。モーグリは明日にでも飛空艇でビュエルバを発つのだろうか、そのまなざしは酷く真剣だった。
フランは立ち上がり、宿を出る。ビュエルバは夜になっても賑やかさが薄れない街。あちこちに酒に酔った者たちがいる。皆気分が良いようで、今すれ違った人間の男は鼻歌なんかを歌っていた。彼が飲んだのは十中八九ビュエルバ魂だろう。ビュエルバの名を冠したその酒は美味く、そして強いことで有名だ。おそらく今浮き雲亭にいるバルフレアもそれを飲んでいることだろう。酒に酔った者たちが沢山いると言っても、彼らが暴れだしたりして事件に及ぶことは稀である。なぜならこの街には警備兵が沢山いるからだ。彼らの目が光っているのでそのようなことになることはほとんど無いのだ。何だかんだ言いながらも、今イヴァリースで一番治安がよく、住みやすい都市である――ガイドから聞いたそんな話をフランは思い出しながら歩いていく。帝国との微妙な関係については、訝しい目で見る者も少なくない、というのはまた別の人間から聞いた話だが。空の街ビュエルバで、ヴィエラはとても珍しい存在らしく、行き交う人々はフランを不思議そうな目で見た。人間の生活に混じって生きているので、そんな目で見られるのはもう慣れっこになってしまったな、とフランは思う。坂を上ったり下りたりを繰り返しているうちに、ヴィエラの女性は相棒のいる浮き雲亭の前に辿り着いた。浮き雲亭周辺にも酒を呷る人間やバンガの姿が当たり前のようにあった。モーグリの姿まである。モーグリは外見上子供のように見えるが、人間やバンガやシークと同じように酒を嗜む者も少なくないのだ。浮き雲亭は酒に酔ったものを吐き出しては、新しく訪れたものを吸い込んでいく。フランもその流れに続いた。飲むつもりはない。相棒を宿屋に連れて行くために来たのだ。
浮き雲亭の中に入ると、酒と食べ物の混じった匂いがした。聴覚だけでなく、嗅覚にも優れるヴィエラであるフランは目を顰める。ガチャガチャという食器類の音と、ざわざわとした話し声の海。それに足を踏み入れたフランは相棒バルフレアを探す。自由を愛し、束縛を嫌うその男を。彼はすぐ見つかった。人間族の女と酒を飲んでいる。女のほうは酒に酔っているのか、それともバルフレアという男に酔っているのかよくわからない。フランは静かにバルフレアの隣に座った。運よくそこが空席だったからだ、もし空席でなかったら背後に回るしかなかったな、と彼女は思う。女はフランの登場に動揺する。突然女が、しかもヴィエラという異種族の女が現れたのだから仕方ない。空のような青い瞳が潤み、短い金髪に手をやって、それから彼女は口を開く。バルフレアに訊ねるのだ、そのヴィエラは何者だ、と。
「相棒だ、空賊バルフレアの、な」
バルフレアは悪びれもせず言う。相棒という言葉に女はどう反応したらわからない様子だった。
「――行きましょう。明日も早いのよ」
「ん…そうだな」
女のことを無視して椅子から尻を離し、フランはバルフレアに言った。彼も壁に掛けられた時計を見て時間を確認し立ち上がる。バルフレアが浮き雲亭に来てかなりの時間が流れていた。
「ちょっと!あたしの相手してくれるって言ったじゃない!」
先ほどまで狼狽えていた女が叫ぶように言う。あたりの客たちが何事だという顔をする。何の相手を、とフランはあえて聞かない。すべてわかっているからだ。それでいて彼を信じている。それほどまでにフランとバルフレアの間にあるものは固くそして強い。
「悪いな。俺を酔わせられる女はフランだけなんだ」
そう言ってバルフレアは店員にギルを支払う。随分と多く、だ。そして彼は女にウインクをしてみせ、店を出ていく。フランは女に目をやってから、それからバルフレアに続いた。女はバルフレアの台詞に戸惑っている。あの程度の台詞で戸惑っていては到底彼の相手は務まらない、そんな風にフランは思ったが何も言わなかった。今日もフランはバルフレアに全てを捧げる。彼には自分を任せられる――。バルフレアが振り返り、フランの方を見た。緑の瞳に鋭い銀が走った。明日も早い、とフランは言ったが彼女と彼が早く眠ることはないように思われた。そんな夜の話。
title:不在証明