final fantasy xii
ケルオン大陸北東部ヤクト・ラムーダ。年間通して雪と氷に閉ざされた不毛の地ではあるが、キルティア教の総本山である神都ブルオミシェイスがあるため救いを求める者が後を絶たない。それほど標高は高くないのだが、気温は非常に低くそれはミストの影響だとする意見が有力だった。キルティア教とは光の女神ファーラムを中心とした多神教で、今からおよそ二千年前に預言者キルティアによって開かれた。旧ダルマスカの王家も熱心な信徒であったと知られている。その旧ダルマスカ王国の王女であるアーシェ・バナルガン・ダルマスカは宿から出て、外を歩いていた。吐く息は白い。月を探したが、それは見つからない。ブルオミシェイスは信仰と難民の地だ。国家間の対立が激しい近年、キルティア教に縋る難民は驚くほどのスピードで増えている。ブルオミシェイスはそれを受け入れるが、最近は限界が見えてきたとキルティア教信者の女性がアーシェたちにこぼしていた。アーシェの胸が痛む。自分に力があったのなら、迷い、困り果てる民を救うことができたかもしれないのに――と。
アーシェたちがブルオミシェイスに来たのは、ラーサーの提案によるものだった。ヴェイン・ソリドールの実弟である彼はダルマスカとの友好を訴え、対戦を防ごう、と言ったのだ。その言葉は攻め込まれた王国の王女であるアーシェを激怒させた。すべてを奪った帝国と友好だなんて、という思いが波となって押し寄せ、それはまだ幼い彼を襲った。しかし冷静になり、バッシュとの会話を経てアーシェはその提案を受け入れた。屈辱的だったが、対戦を防ぎたいという思いは同じだったからだ。ロザリア帝国とアルケイディア帝国の狭間のダルマスカが戦場になる――それだけは避けたいと亡国の王女アーシェは思ったのである。
だがそれは上手くいかなかった。ラーサーとヴェインの父、即ちグラミス・ガンナ・ソリドール皇帝が暗殺されたのである。自分の即位が大戦回避の手段にならないと理解したアーシェは大僧正アナスタシスの「ミリアム遺跡にある覇王の剣を求めよ」という御告げを受けた。必要なのはなによりも力であると、人間(ヒュム)らしい言葉を口にしたアーシェにアナスタシスはこうも言った。破魔石を砕く刃「覇王の剣」を子孫でなくキルティア教に覇王レイスウォールが委ねた理由を考えよ、と。飢えるアーシェはその意味を理解できずにいた。明日の早朝、ここブルオミシェイスを出てミリアム遺跡へ向かうというのに。ミリアム遺跡は剣と力を司る古代神ミリアムを祀った遺跡である。神都からそこに行くには、ふたたび極寒の地パラミナを進まねばならない。溶けることのない氷河。吹き荒ぶ風。アーシェたちの前にある道はひどく険しかった。
アーシェは神都ブルオミシェイスを歩いていた。時々、父を亡くしたばかりのラーサーのことなどを考えながら。彼は賢い。政治のこともよくわかっている。天才児と呼ばれているのにも頷ける。だが彼はまだ十二の子供だ。グラミス皇帝を失ったことは大きな傷になっているに違いなかった。実際彼はその報を受けると、アナスタシスとともに奥へと行ってしまった。泣いているのかもしれない。宿屋で同じ部屋で眠る予定のパンネロがそんな彼を追いかけていったのはその直後だ。アーシェが宿屋を出た時点で、彼女は帰ってきていなかった。つまりかなり長い時間が経過したことになる。パンネロは優しく、まだ若いのに母性すら目覚めている。姉のように、母のように、そして友として彼を慰めているに違いない。フランはバルフレアと一緒に階下で地図を広げていた。ミリアム遺跡までの道を調べているようだった。イヴァリース中を飛び回っていたふたりでも、ヤクト・ラムーダはあまり来たことのない土地らしかった。彼らの目は真剣そのもので、アーシェは迷い戸惑う自分を責めたくなった。ヴァンとバッシュの姿は無かった。ヴァンは買い物でもしているのかもしれない。おたからが集まったと言っていたから、それを売りに行った可能性もある。バッシュはどうしているのだろう。アーシェは考えた。二年前まで「ダルマスカにその人あり」と謳われていた国民的英雄は、裏切者と呼ばれ長い時を牢に繋がれて過ごしていた。いろいろなことがあり、アーシェはバッシュの無実を知り、今に至る。バッシュはすべてを失ったアーシェにとって一番頼りになる存在だった。ヴァンやパンネロは年が近いがそれもあって頼り切ることはできなかったし、バルフレアとフランは空賊という気儘な職に就いているからだ。バッシュは違う。ウォースラ・ヨーク・アズラスと対峙したアーシェの力にもなってくれた。あの日彼が口にした「だからこそあがくのだ」という台詞は今でも少女の胸に残っている。ウォースラのことを思い出すと、いまだに痛むこの胸に。
結局アーシェはブルオミシェイスの入り口の方まで歩いてきてしまった。灰色の瞳は夜が支配する世界を映しだす。分厚いローブを羽織ってきたが、寒い。入り口付近にはアイテムを売る人間の姿があったが、ヴァンはいなかった。戻ろう。そう思ってアーシェは歩き出した。短い髪が躍る。びゅうびゅうと吹く風とともに。難民のテントが無数にある場所まで来た彼女は、ふたたび空を仰いだ。先ほどは見つからなかった月がこちらを見下ろしているのが見えた。鋭い光を放っている。氷のような美しさを孕みながら。凛とした空気の中にアーシェは立っている。月と星が輝く空の下。アーシェは思った。イヴァリースは美しい、だが、醜い、と。争いばかりのイヴァリース。ブルオミシェイスならばそれから逃れられる、と押し寄せる難民たち。神都は彼らを受け入れるが、今日の昼に信者の女性が言ったように限界も近い。もし限界に達したら、あふれ出た難民たちはどこへ行けばいいのか。ロザリアとアルケイディアの大戦を避けるために即位を決意していたアーシェがそれをあきらめた今、彼女が破魔石以上の力を得るまでそれは待ってくれるのだろうか。覇王の剣を求め、明日自分たちは神都ブルオミシェイスを発つ。覇王の剣を手にし、ここに戻った時、大僧正アナスタシスはアーシェ・バナルガン・ダルマスカというレイスウォールの末裔に何を言うのだろうか――。
明日早朝。アーシェたちはここを出る。そろそろ眠って、体を休めなくてはならない。どこかに行っていたヴァンも、ラーサーを慰めに行ったパンネロもそろそろ宿屋に戻っているだろう。バルフレアとフランはまだ眠らないだろうけど。バッシュはどうしたのだろうか。彼女がふたたび元将軍で今はだれよりも頼れる男を思い描いた、その時だった。
「――アーシェ殿下」
聞きなれた声に振り返る。現在、アーシェをそう呼ぶのは一人しかいない。
「バッシュ…!?」
思い描いていたそれが姿を成したかのようだった。彼の声は穏やかだったが、表情はそうではなかった。心配気な顔をしている。こんなところで、こんな時間に一体何をしているのです、とでも言いたげだった。アーシェは申し訳なさそうに項垂れた。
「顔を上げてください、アーシェ殿下」
辺りに人影がないので、バッシュはアーシェの本名を出したうえでそう発言する。アーシェは純白のローブの袖口をぎゅっと握った。また、風が吹く。凍てついたように冷たい風が。バッシュは先ほどの影ある表情をしてはいなかった。彼女が無事ならそれでよかった、という気持ちが露わになっている。彼女は顔を上げ、その顔を見る。アーシェよりずっと長い時間をこのイヴァリースで生きてきた彼。
「考えていたの。いろいろなことを」
「……」
「私は力に飢えている――フランの妹が言ったように。でもそれは悪いことじゃないと思っているわ」
アーシェは静かに語る。バッシュはそれを黙って聞いていた。ふたりを月が照らす。
「私には国を取り戻す義務があるの」
叫ぶように言う。ラスラ、お父様、お母様、お兄様――そして戦って散って行った国民。アーシェは心の中で名をリストアップする。自分はダルマスカのすべての民のために戦う。それはヴァンやパンネロ、もちろん王国将軍だったバッシュ・フォン・ローゼンバーグも例外ではない。力を得て、取り戻さなくてはならない。誇り高きダルマスカを。自分の手で。
「私はその手伝いをしたいと、ずっと思っています」
バッシュがアーシェの言葉に頷きながら言う。まだ少女と呼べる年の彼女は、頑なだった蕾を開かせる。頬に赤みが差す。彼女はその言葉を待っていたようだった。差し出された手をアーシェは取った。彼の手は驚くほど温かかった。ずっと大きな手のひら。剣を握って、戦ってきたごつごつとした手。彼と――仲間たちと共にあれるのなら、義務をはたせる気がした。二人の真上で星が流れた。アーシェもバッシュも、それには気付かなかったけれど。
title:不在証明