xenoblade
彼女の手は酷く冷たく、同時にとても小さかった。
少し力を入れれば折れてしまいそうなほど細い手首。
この手に乗せられているものは、恐ろしいほどに重い。
そのことを知り、彼は身を震わせた。
*
――エルト海。巨神界の上層部に広がる、広大な海。そこにメリアたちはいた。この蒼い海の上に浮かぶ都市――アカモートは今やテレシアの巣窟となってしまっていた。巨神の復活によって大量のエーテルが放出されたことによって。皇都アカモートはメリアの故郷でもある。多くの同胞がテレシアと化し、それを免れたホムスの血が混ざった者たちは悲しみに溺れそうになりながらあの浮遊都市から脱出したという。エルト海にも多くのテレシアが闊歩していた。メリアは心が張り裂ける思いで戦う日々を送っている。弱音も吐かない。涙も見せない。けれど仲間たちは知っていた。夜、ひとりになるとメリアが熱い涙で頬を濡らしているということを。彼女が想うのはあの日巨神の血肉へと還った者たちと、監獄島で命を散らした実父と、そして大好きだった兄のこと。それにテレシア化という運命を背負っていたたくさんの同胞たち――。彼らの為にも、とメリアは前を見ている。自分は歩まねばならない。膝をつくことは許されない。シュルクやライン、フィオルン、ダンバン、そしてカルナにリキ。大切な仲間と共に戦わねばならない。――この世界に本当の意味での平穏が訪れる日までは。
そのメリアであるが、彼女は柔らかい草の上に腰を下ろして遠くを見ていた。その目はこの海の色にも、空の色にも似た色をしている。銀色の髪は肩の上あたりでくるりと円を描き、潮風と戯れていた。今日はこの辺りのモンスターを数体倒すことになっている。もうすぐ正午。メリアは視線を動かした。少し離れた場所でカルナとフィオルンが昼食の準備をしている。モナドを振るう少年シュルクは、親友であるラインと話し込んでおり、そのすぐ側でリキがぴょんぴょんと跳ねている。ダンバンの姿は見つからない。彼は一体どこへ行ったのだろう?疑問がふわりと浮かび上がってきた。メリアは立ち上がる。彼は「ホムスの英雄」である。嘗ての戦いでホムスに勝利を齎した男だ。ずっと一緒に旅をしているのだ、彼の強さはよく知っている。けれども、とメリアの顔に心配の色が帯びてくる。メリアは錫杖を手に駆け出した。
*
少し離れた小島に、彼はいた。彼の周りにテレシアなどモンスターの姿はない。ダンバンは遠くに目を向けている。その為、メリアのことには気付いていない様子だ。メリアはゆっくりと、そして静かに歩み寄る。ざあっと吹き抜けていく海風。メリアの髪を、衣服を揺らす。彼女の目に映っている彼の髪もまた、同様に揺れている。青い空を引き裂くかのように白い海鳥が飛んだ。長い翼を持ったあの鳥は、どこを目指しているのだろうか。メリアはちらりとそんな事を思いながら、また一歩、ダンバンに近づいていく。あと少しで手が届く。少女がそう思った時、彼は「メリア」と名を口にしながら振り返った。いつの間にか気付かれていたようだ、少女は目を少しだけ丸くして、それから「ダンバン」と名を呼んだ。
「探しに来てくれたのか?」
ダンバンは手を頭にやりつつ言う。メリアが静かに頷くと、彼は「すまない」と言葉を付け足す。少女の顔にある、心配などといった色を優しく拭うように。メリアはもう一歩だけ彼に近づいた。狭まる距離。何故だろうか、少女の鼓動が早くなる。彼にこの音が聞こえてしまう気がして、メリアは次の言葉を探す。けれども、なかなか見つからない。彼と話したい事はたくさんあるはずなのに、こういう時に限って言葉にならない。ダンバンは「ん?」と首を傾げてハイエンターの少女を見る。彼の優しげな目に、自分の姿が映し出されているという当たり前の事に、メリアは頬を赤らめる。
「どうした?メリ――」
彼が少女の名を口にしようとした、その時であった。突如、巨大なテレシアがふたりの側に現れた。ダンバンとメリアの周りについさっきまであった甘い空気などはとっくに消え失せていた。ダンバンは刀を、メリアは錫杖を握る。
「メリア!少し離れてサポートしてくれ!」
「わかった!」
メリアは彼にそう答えると、水のエレメントを召喚した。メリアだけではなく、ダンバンの身体の周りにぽおっと水色の光が出現する。これは、少しずつ体力を回復するものである。治癒エーテルを専門とするカルナがここにいない以上、こういった方法で体力を回復するしかなかった。自分の体力を他者に分け与える術もメリアは覚えているが、今はそれを使う余裕はない。ダンバンがテレシアに斬りかかる。メリアは状況を見つつエレメントを召喚、時に発射した。だが、テレシアはそう簡単に斃せるモンスターではない。テレシアはヒトの思考を読む事が出来るのだ。触角を斬り落とすことでその能力を奪うことは出来る。今、ダンバンがそうしたように。しかし、テレシアは再生能力も高い。先程斬り落としたばかりだというのに、もう触角が再生している。ダンバンはもう一度それを刀で斬り飛ばした。その隙を見て、メリアが雷のエレメントを発射した。激しい光。テレシアが怯んだところで、彼は全力で斬りかかる。
「――ッ!」
テレシアは光の粒子となって、霧散した。ダンバンの少し後ろで、メリアは荒い息をしていた。そして、瞳はやや潤んでいる。このテレシアも恐らくは元ハイエンター。嘗ての同胞を討たねばならない悲しい運命。それを彼女はまた直視することとなったのだ。ダンバンはそんな彼女に近付く。それから、彼女の小さな手を取った。
「……」
メリアがダンバンを見る。その涙で濡れた青い瞳に、自らの姿が映されている。ダンバンは華奢な少女をそっと抱きしめてやった。言葉はない。だが、全て彼女に届いている。ずっとそばにいる、と。お前は独りではない、と。シュルクも、ラインも。フィオルン、カルナ、リキも――お前には仲間がいる、と。メリアは彼の腕の中で何度も頷く。伝わるのは体温だけではなかった。そういった想いもまた同時に伝わっている。ふたたびの風が彼と彼女の世界を揺らす。この小さな少女を守る。ダンバンの真っ直ぐで揺らぐことのない誓いは青空によく映えた。
title:as far as I know