ゼノブレ | ナノ


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白い雲の隙間から光が差している。それは穏やかな目でこの世界全体を見つめており、それと視線を絡ませる青い海もまたそれと似た表情を浮かべていた。エルト海。巨神界上層部に広がる、広き海原。鬱蒼と木々が生い茂るマクナ原生林の上に位置しており、森の奥にあるノポンの村、サイハテ村から水流に乗ることによってここまで上がることが出来る。とは言え、ここまでホムスが上がってくることは殆ど無い。この地を統べているのは、ホムスからは「伝説」とさえ呼ばれる古代種ハイエンター族だ。彼らの都アカモートは空中に浮かぶ浮遊都市。外界からの侵入を防ぐ防衛機構によって守られ、眩しいほどの青に囲まれ、ハイエンターは暮らしている。そのハイエンターの皇女であるメリア・エンシェントはいつものように目を覚まし、体を起こし、それから身支度を整えて中庭へと出た。皇女である彼女は、純血のハイエンターではなかった。ハイエンターである証とも言える頭部の翼が極端に小さい。それがすべてを物語っている。メリアの亡き実母である影妃はホムスだった。その母が好きだった中庭に、娘がひとりで立っている。色鮮やかな花々が咲き誇る庭。メリアもまたここが好きだった。巨神界は広い。だが、彼女の見える世界はひどく狭く、そして小さい。それでも――。


「メリア?」

名を呼ばれて、ハイエンターの少女は現実へと引き戻された。この声は毎日聞いている声。優しげで、それでいて少し心配そうな色を帯びている。メリアははっとして顔を上げた。いつの間にか俯いて、過去へと落ちていたらしい。メリアはその声の主を見る。柔らかな金髪に、青い瞳がふたつ。シュルク。モナドを振るい、未来を視る。今、彼女が共に旅する仲間のひとりだ。

「すまない、少し考え事をしていた」

今彼女たちがいるここは、アカモートではない。巨神界下層部にあるコロニー9だ。シュルクやラインたちの故郷でもある。メリアは僅かな笑みを浮かべて、シュルクにそう言った。あの日々はもう戻っては来ない。自分にそれを言い聞かせながら。

「大丈夫?」

シュルクはそう言った。メリアは浮かべていた笑みをそっと剥がす。彼には隠せない。ただ考え事をしていたわけではなく、過去を思い起こして心が揺れていたという事実を。もうあの場所へは帰れない。もう二度と会えない大切な人々。そういったものが心の中に広がっていたという残酷な真実を。

「……昔のことを、思い出していた」
「メリア……」
「私にとって、アカモートの離宮は世界のすべてだった」

マクナで巨神の血肉へと還ったアイゼルたちとの記憶。家族との記憶。それらは色褪せることなく焼き付いている。シュルクは黙した。メリアは少しずつその記憶を言葉にした。綴られる言葉がコロニーを吹き抜けていく風によって、花弁の如くひらひらと舞う。シュルクは思う。この少女は自分たちが思っていた以上の悲しみと苦痛と戦っているのではないかと。事実、そうなのだろう。彼女は大切なものをことごとく失った。それでも膝をつくことなく、立って、戦っている。それは失われていった生命の為であり、自らの為であり――そして仲間の為である。シュルクはメリアの横顔を見た。高い空のような色をした瞳が少しだけ潤んでいる。そして、メリアはそれを隠すかのように笑む。悲しい時は泣いたっていい。シュルクが言えば、彼女は目を見開いて、それから一筋の涙を落とした。頬を白い肌を伝うそれを、少年が拭う。指先から彼女の抱えるものの冷たさを、重さを、僅かでも削れたら。そんな事を願いながら。

それからふたりは暫く黙っていた。メリアは言葉を探し、シュルクもまたそうだったが、ふたりともそれが見つからなかったようで。青い空に雲が浮かぶ。千切った綿のようなそれがゆっくりと動いている。鳥が飛んで行く。その翼で空を切りながら。メリアの涙が乾く頃、ひとりの少女が公園へとやってきた。見晴らしの丘公園。シュルクのお気に入りのこの場所へ。

「メリア、シュルク!」

やっぱりここに居たんだ、と少女が笑う。金色のショートカット。風に揺れる木々を思わせるグリーンの瞳。そして、機械の身体。白銀の鎧は冷たく光る。

「フィオルン!」

シュルクが名を呼び、メリアが微笑んだ。そこには先程とは違う空気が流れている。

「そろそろお昼でしょ?みんな、探してたよ」

フィオルンと呼ばれた少女が言うと、ふたりは一度顔を見合わせてから立ち上がった。彼女の傍らへと寄るシュルクと、そんなふたりの少し後ろへと移動するメリア。「行きましょ!」と言うフィオルンにシュルクは「うん」と答え、メリアも頷いた。階段を三人で降りていく。メリアが少し離れて歩むのには、複雑な想いが胸にあるからだ。それでも彼女は自分の立ち位置はそこだという結論を随分と前に見つけていたし、フィオルンとは友として強い絆で結ばれていた。だから、それでいいのだ――メリアは一度だけ振り返って、それからまたすぐに前を見た。雲の切れ目から光が降っている。いつか見たものと酷似している。胸の傷が少しだけ痛んだ。今とあの頃は違う。あの頃と今は、違うのだ。課せられた使命も、共にあるべき仲間も、掴むべきものも、これから先に待ち受ける何かも――。


title:シンガロン

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