ゼノブレ | ナノ


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巨神界下層コロニー9。冷たい風が吹いている中を、少女がひとり歩いている。金色の髪は肩の辺りまでの長さ。ふたつの瞳は新緑に似た色。買い物帰りなのだろう、彼女はいろいろな食材の入ったバスケットを手にしている。彼女の名はフィオルン。ホムスの英雄ダンバンの実妹である。そして、そのダンバンやモナドを受け継いだ少年シュルク、その親友であるライン、コロニー6衛生兵のカルナ、ノポン族の勇者リキ、そしてハイエンター皇女のメリアと共に長い旅をした人物でもある。少女は空を仰ぐ。空は高く、澄み渡っている。そこに線を引くかのように純白の翼を持った鳥が飛んでいった。フィオルンは目を細めた。そして数秒後、ふたたび歩き始める。もうすぐ自宅へ着く。たったひとりの家族である兄が待っている家へと。


「ただいま、お兄ちゃん」

フィオルンが笑って挨拶をすると、ダンバンもまた微笑をし妹を出迎える。ダンバンは一階にいた。椅子に腰掛けて、顔をフィオルンの方へ向けている。買ってきたものをフィオルンはテーブルに置き始めた。野菜や肉、魚まで様々なものを買ってきたようで、テーブルはあっという間にもので溢れる。しかしフィオルンは買ってきたもの全てを出したわけではないらしい。バスケットにはまだ"何か"が入っているようだ。ダンバンに買ってきたものをひとつひとつ見せると、フィオルンはそれらをまたバスケットに戻し、キッチンへと運んでいく。

「俺はちょっと出かけるけど、フィオルン。お前は家にいるだろう?」
「え?う、うん。何か用でもあるの?」

妹の問いにダンバンは特に何も答えなかった。ただ穏やかな目でフィオルンを見つめて。フィオルンの方もこれからあることをはじめる。それは出来ればひとりでやりたい。なのでそれ以上何も問い掛けなかった。もしかしたらダンバンは全てを察した上で外出をするのかもしれない。フィオルンはひらひらと手を振る。兄の背中を見つめる瞳は優しい。ふたりの絆は海よりも深いようだ。

フィオルンはエプロンし、キッチンへと戻った。先程買ってきたもの――菓子作りの材料を広げる。そう、フィオルンは菓子を作ろうとしているのだ。カチコチと時計の秒針の音が走る。手を綺麗に洗うと、フィオルンは真剣な目つきでそれを始めた。少女は彼――シュルクの為に何か作りたい、と思ったのだ。フィオルンは家庭的で昼食をしょっちゅう届けている。シュルクはそれをいつでも美味しいと言って食べてくれる。その笑顔がフィオルンは好きだったし、何度でも見たいと願っていた。戦いの日々が終わって数ヶ月。平穏な日々が戻ってきた。旅は楽しいことばかりではなかった。むしろ、辛いこと、悲しいことのほうが多いくらいだ。それでもフィオルンは仲間と共に戦い抜いたあの日々を宝物のように思っている。今こうやって生きているのも全てシュルクやダンバンたちのおかげだとも、よく理解していた。フィオルンは身体を機械によって作り替えられたという壮絶な過去を持つ。そういった痛みを乗り越え、フィオルンはごくふつうのホムスの少女として生きている。今でもシュルクたちと引き裂かれたあの日を思うと苦しくなるけれど、それを思い出すと同時に得た仲間の微笑みもまたよみがえってくるのだ。フィオルンは手を動かしながら思い出のページを捲っていく。カルナは、リキは、――そしてメリアは、元気だろうか。フィオルンは窓の向こう側の青を見る。皆、同じ青の下で――この広く美しい世界で生きている。そう思うと懐かしさや愛しさ、また会いたいといった気持ちが満ちていく。近いうちにまた会おう、シュルクにそうやって提案しよう。フィオルンはそんな事を思いながら菓子作りを続ける。甘い香りが漂う中で。


見晴らしの丘公園は、コロニー9の片隅にある。フィオルンはそこでシュルクのことを待っていた。買い物に行くときに使うバスケットより小さなバスケットをひとつ抱えて、ベンチに腰掛けている。気付けば夕刻で、青かった空は茜色と交じり合い、綺麗なグラデーションを描いていた。フィオルンはそわそわしながら彼を待つ。久し振りに作ったチョコレートクッキー。彼は喜んでくれるだろうか。自分では結構上手く作れたように思うけれど、少しだけドキドキする。好みに合わなかったらどうしよう、とか、ちょっと甘すぎたかな、など。そういった気持ちをいだきつつ。


「――フィオルン!」

階段を上がってきた少年が、少女の名を呼ぶ。少年――シュルクは穏やかな目でフィオルンを見ると、小走りで寄り、ベンチに腰を下ろす。フィオルンは彼を見た。いつも思うけれど、彼の瞳は澄み切った青空のようで綺麗だ。まるで高価な宝石のよう。きらきらとした金髪は風に少しだけ揺れている。

「突然呼びだしちゃってごめんね、シュルク」

フィオルンがそう言えば、シュルクは首を横に振る。優しい彼。フィオルンは随分と前から彼のことを想っている。彼はそれにきっと気付いていない。微妙な距離感。フィオルンはそれが嫌ではなかった。もどかしく思うこともあるけれど、今の自分達はこれがベストなのだろう、と。

「これ、シュルクの為に作ったの。よかったら食べて」

バスケットの中身を見せつつフィオルンが言う。少し肩が震えているのは気のせいだろうか。

「ありがとう、フィオルン。すっごく美味しそうだよ」

彼は笑った。そして指でそれをつまみ、「いただきます」と言って口へと運ぶ。その様子を見るフィオルンの鼓動が少しずつ早まっていく。この音が聞こえてしまうのではないか、と心配になってしまうほどに。

「美味しい…すごく美味しいよ」
「ほんとに?」
「うん。優しい味がする。本当にありがとう」

シュルクはまた笑う。先程のものより、もっと明るく。フィオルンはほっとしながらシュルクの言葉を噛みしめる。ざあっと風が吹き抜けていった。夜の足音もそろそろ聞こえてくるだろう。フィオルンもまた薄暗くなりつつ空の下で笑む。確かにそこには柔らかな光を放つ想いがふたつ、存在していた。しばらく会話を交わすと、ふたりは手を繋いで公園から出て行った。それを見ているのは夜空になりつつある高きものだけだっただろう。


title:夜途

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