xenoblade
夢の中で彼女が微笑っている。きらきらと輝く金髪を揺らして。宝石のような瞳をこちらに向けて。少年は彼女に手を差し伸べる。けれども、彼女はその手を握ってはくれない。ただ微笑むだけで、少年の持つ体温を感じてはくれない。少年は縋るような目を少女に向ける。視線は絡む。彼女の優しげな眼差しが。だが、それだけだ。彼女の桜色の唇は開かれない。少年の求める声は生まれない。
――それでも。
長い夢だった。そして、酷く甘い夢だった。目を覚まし、少年は残酷な現実に押し潰される。自分が、"彼女"のいない世界で生きているということを。
「――シュルク!」
名前を呼ばれて、体を起こした少年――シュルクはその声の主に視線をやる。ラインだ。彼はシュルクの親友だ。刈り上げた髪は燃えるような赤で、がっちりとした体をしている彼はコロニーの防衛隊に所属している。そんな彼とは何もかもが違うが、ふたりの友情は本物だった。
「またうなされてたぜ」
大丈夫か?とラインが言う。シュルクは大丈夫だ、と答えて立ち上がる。シュルクとラインは"彼女"の仇を討つために故郷コロニー9を発ち、もうひとつのホムスのコロニーであるコロニー6を目指しているところだった。ここはテフラ洞窟。この洞窟に入って二日。地図は持っているのだが、テフラ洞窟は複雑でそして広い。抜けられるのは明日か、明後日か。薄暗いのにも慣れたが、明るい空が恋しい。シュルクは金の髪を整えて、ラインに体を休めるよう言う。しかしラインは頷かない。ぱちぱちと爆ぜる真っ赤な炎を、複雑な表情で見つめているだけだ。
「……ライン?」
シュルクは友の名を呼んだ。すると彼は目も体もシュルクに向けず、つぶやくように言う。ふたりの上を蝙蝠が飛ぶ。
「お前、フィオルンの夢を見たんだろ?」
フィオルン。シュルクは心の中でその名を呼んだ。フィオルン――もうひとりの幼馴染み。ホムスの英雄と呼ばれるダンバンの実妹。あの日、巨大な機神兵に立ち向かい、命を落とした少女。あの日のことは今でも鮮明に覚えている。燃える自分たちの街。機神兵に喰われる人々。自走砲で顔のついた巨大な機神兵を攻撃した彼女は、それの鋭く冷たい爪に貫かれた。フィオルンの絶叫も、耳に残っている。彼女の血で真っ赤に染まったその爪のことも。シュルクはぎゅっと拳を握る。痛いほどに、強く。暖かで穏やかな日々が突然がらがらと音をたてて崩れ落ちた、あの日以降だ、その日々がどれだけ幸せだったかを知ったのは。フィオルンの存在が自分にとってどれだけ大きかったか。何故、失ってから気付くのだろう。当たり前に彼女がいた日々は遠く、もう、戻ることはない。シュルクはラインの問いかけに頷きながら、フィオルンを想った。彼女は幼くして両親を失ったためか、年の割に大人びていて、たったひとりの家族である兄ダンバンと力を合わせて生活していた。シュルクのために食事を作ってくれることもあった。それがどれだけ恵まれた日々だったか――。ラインはそれ以上何かを言ってくることはなかった。シュルクと似た感情を抱いているのだろう。ふたりの表情はよく似ていた。
ラインが体を休めている間も、シュルクは彼女のことを考えていた。ダンバンの台詞がよみがえる。フィオルンがくれた命を大切にしてくれ、と。シュルクはその命の使い道を、復讐へ向けた。フィオルンという大切な存在を奪った機神兵への復讐。それはダンバンの願いと真逆に位置しているように思う反面、どこかそれと近い場所にあるようにも思う。ぐるぐると螺旋を描いていく思考。足元が抜け落ちてしまいそうだった。それでも、自分は立って、戦わなくてはならない。そう強く思ってシュルクは力を込める。自分にはラインという背中を預けられる仲間がいる。彼と一緒ならば、彼女の仇だって討てる筈だ、いや、討たなくてはならない。この怒りをすべて向けて。この悲しみをすべて抱えて。
ラインは半刻ほどで目を覚ました。ふたりは立ち上がって、自らの得物を手にする。薄暗い洞窟内をふたりで進んでいく。襲い掛かってくるモンスターを倒しながら。シュルクは蜘蛛のようなモンスターをモナドで斬りつける。ラインは敵の攻撃を引き付けながら戦う。いつもの戦い方だ。モンスターを全部倒して、ふたりはふうと息をつく。心臓はばくばくいっている。モンスターとは言え、それも同じ世界に生きる、尊い命のひとつ。敵対する存在だから仕方ないとはいえ、その感覚には慣れそうもなかった。人々を無差別に殺める機神兵に心はない。しかし、シュルクらにはそれがある。それは美しく、なによりも大切なものだけれども、弱点でもある。心が揺れれば、剣にも迷いが生まれてしまう。その迷いを振り払えるか。それが戦いの鍵だ。シュルクはモナドをおさめると、友の顔を見た。ラインもまた武器をおさめて、肩を回している。それから地図を見、シュルクに言う。こっちだからついて来いよ、と。シュルクは絡まる思考を丁寧に解きながら、頷く。まだ空は遠く、緑にも手は届かない。
その日の夜もまた、彼女の夢を見た。前に見たものとは似ているようで、違う。フィオルンがいなくなった世界で、彼女の幻を追いかける夢ではなく――彼女が自分と共にいた過去を紐解く夢だった。フィオルンとともに、丘の上の公園で語り合った日。ちょっとした言い争いをした日。ラインと、自分と、フィオルンの三人でテフラ洞窟へ入った日――などなど。そこには確かにフィオルンがいた。目覚めたら彼女は消えてしまう。それを理解している自分が嫌だった。夢の中でぐらい笑っていたいのに。彼女に笑顔を見せていたいのに。
そしてまたラインの声で目を覚ます。今度はうなされていなかったらしく、彼は何も尋ねてはこなかった。しかしその目には心配の色が滲んでいた。ラインは燃える炎を消すと、行こうぜ、とシュルクに微笑ってみせる。シュルクもまたそれに首を縦に振って微笑する。ほんの少しだけ、無理をして作った笑み。ラインはすべてを理解した上で、親友の姿を見て、歩き始めた。それに続いたシュルクは、一度はっとして背後に顔を向けた。そこには何もない。誰もいない。しかしほんのりと甘い過去の記憶が漂っているように感じた。それはフィオルンへの想いを断ち切れないでいる自分が望んだ、儚いまぼろしなのかもしれない。手を伸ばしたとしても、掴めるのはひんやりとした空気だけだろう。シュルクは靄のようにはっきりとしないまぼろしに別れを告げて、強く大地を踏みしめた。
title:告別