ゼノブレ | ナノ


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いつもと同じ冷たく重い空気が満ちていく。それを掻き分けるように、ひとりの女性が奥へと歩んでくる。美しい銀の髪をした女性――メイナスだ。人柄も良く、優しく、その上しっかり者でもある彼女は、年上から好かれ、年下からは尊敬される人物である。金髪の研究員――クラウスは彼女をちらりと見てから、すぐにその視線をモニターへ戻した。クラウスはメイナスに若干の苦手意識を持っていた。何でもこなせる上に、誰からも好かれる彼女と、自分との差を感じるからなのかもしれない。そこまで考えてクラウスは首を横に振る。研究発表の日が近いのだ、そのようなどうでもいい事に気を取られている時間など無い。それに、自分とメイナスを比べて自分が劣っている、だなんて思ってどうするのだ、と。モニターに表示される数列がちかちかと目に痛い。前述の通り、発表の日が近いというのになかなか纏まらない。それもまたクラウスをいらいらとさせた。一度クラウスはコンピューターから離れ、珈琲でも飲もうとくるりと身体を回転させる。嫌でも視界に入ってくる彼女の姿。自分と同じように白衣を身に纏い、肩下まである銀髪は癖のないストレート。宝石をはめ込んだようなふたつの瞳は大型のモニターに向けられている。先程の「どうでもいい事」にクラウスは捕らえられていた。それはまるで蜘蛛の巣に絡め取られた蝶のように。再び首を横に振るクラウスを、首を動かしたメイナスが見る。絡まり合ってしまう視線。彼女は隣に立っていた若い女性研究員に一言告げて、クラウスの方へと歩み寄ってきた。かつん、こつん、という無機質な音がやけに響いた。

「クラウス。あなた――」

彼女の言いたいことはわかっている。クラウスははぁと息をついて、彼女を無視し歩き始める。メイナスはクラウスの研究内容と、それから繋がっているこれから行う実験が気に食わないらしいのだ。それはメイナスだけではなく、他の科学者からも同じような目を向けられているのだが、このように口に出すのは彼女――メイナスだけであった。メイナスは歩き始めたクラウスについてくる。若干目をつり上げて。

「僕についてこないでくれないか。メイナス」

彼は吐き捨てるように言う。それを耳にしたメイナスはいいえ、と口にして彼を追い抜いた。立ちはだかるようにクラウスの目の前に移動したメイナスはいつもの言葉を紡ぐ。それは毎日のように聞いていることなので、クラウスはまたため息をついた。ため息をすると幸せがひとつ逃げていく、と幼いころ誰かから教わったのだが歳を重ねるたびにそれを吐く回数は増えているような気がした。幸せとはそう簡単に逃げていくものなのだろうか。疑問は浮かんだが、誰かにそれを尋ねる日は来ないだろう。クラウスはそういう男だ。仕方なく足を止めたクラウスに、メイナスは言う。その淡い桃色の唇で。


いつもの台詞を口にして、クラウスが何も返事を返さないでいるとメイナスは呆れたような顔をしてモニターの前へと戻っていった。何故彼女は僕の反応がわかっていて、同じことを繰り返すのだろう――クラウスは考えた。だがすぐにその考えを溶かす。そんなくだらないことを考えている暇などないのだ。自分にはやるべき事がある――実験だ。神にしか為し得なかった奇跡をおこす為の。

ミルクも砂糖も入れていない珈琲を一杯飲み、そこへと戻ったクラウスはコンピューターと睨み合う。もうすぐだ。自分はこの「実験」で新しい世界を創生するのだ。人間が神へと近づくその日は近い。クラウスは難しい顔をしてそれと向かい合っている。数日後の発表を無事終えたら、遂にその実験をはじめる。その為にクラウスは努力してきた。自分以外の研究員に白い目で見られても、冷たい言葉を浴びせられたとしても、それは必ずや成功させてみせる――そう心で決めていた。メイナスに何を言われても揺らぎはしない。カチャカチャというタイピングの音が鳴り響く一室。時々エラー音が入るここでクラウスは「それ」を行おうとしている。そこにあるのは純粋な探究心だけであった。

時間が流れていく。いつの間にかここにいるのはクラウスとメイナスのふたりだけになっていた。メイナスは相変わらずのクラウスを見て、ため息をする。それは先程、クラウスがしたそれと酷似していた。彼女からも幸せは逃げていくのだろうか――クラウスはそこまで考えてから、胸の中で苦笑した。そんな事はどうでもよい、と。メイナスは今日のデータを保存し終えたようで、彼女の向かっていたコンピューターのモニターには何も映しだされていない。クラウスのコンピューターだけだ、煌々と光を放っているのは。メイナスは何かを言いたげだった。しかし、彼女の声帯は震えない。なかなか台詞が出てこない様子だった。クラウスはそれを無視し、キーボードで数字を打ち込む。メイナスの視線。それはとても冷たいものではなかったが、暖かなものでもなかった。流石のクラウスも無視しきれなくなったようで、ひと通り入力を終えてからメイナスを見た。彼女の豊かな銀の髪は宇宙で光を放つ星のようで、ふたつの大きな瞳は何故か故郷を思い出させるようなそんな色をしている。口を先に開いたのはクラウスだった。それに驚いたような目をするメイナスに、クラウスは苛立つ。「僕に何か用でもあるのか?」と問いかけると、メイナスは俯く。言いたいことはいつもと同じそれで、クラウスの返事もまたいつもと同様のものであろう――ふたりはそこだけ理解しあっていた。その他の部分は全くと言っていいほどかみ合わないというのに、皮肉である。コンピューターの処理音が耳に入っては抜けていく。クラウスは再びモニターへと視線を動かした。彼の背が、この場を離れろとメイナスに告げていた。それを察したようで、彼女は何も言わずに去っていく。クラウスの行おうとしている実験――「相転移実験」。それにより世界は新しく生まれ変わるのだ――。クラウスは"相棒のコンピューター"に語りかけた。重く分厚い扉の向こうへと消えた彼女――メイナスに目をやってから。クラウスのその視線は穏やかなものであった。ぬくもりを感じさせるほどに。


title:空想アリア

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