ゼノブレ | ナノ


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氷のように冷たい水が満ちた水槽の中に、横たわっているかのようだった。私は目を開けて、そこから逃げ出そうとする。大切な人たちの横顔が瞼の裏に焼き付いていた。けれども、瞼は重く、思っていた以上に水槽は深かった。絶望の一歩手前。光のない空間。それでも。目覚めれば、きっと隣に“彼”がいると信じていた。ただ、それだけが私の希望だった。


「フィオルン?」

名を呼ばれ、ハッとすると“彼”が心配そうな瞳をこちらに向けていた。柔らかそうな金の髪に、綺麗な硝子玉のような青い瞳。優しげな表情と声。私は彼に何でもないと微笑みかける。彼――シュルクはそんな私の顔を見て、少し安心したようだった。

――ここは、落ちた腕。
訳あって、私たちは此処へとやってきた。お兄ちゃんとラインは機神界人(マシーナ)の隠れ里で、機神界人の人々と何か話すことがあるのだと言っていた。メリアとカルナ、そしてリキの三人は機神界人にモンスター退治を依頼されていたから、落ちた腕のあちらこちらを走り回っているはずだ。私はシュルクとふたりきり、という事になる。ふたりきりなのはとても久しぶりのことだった。私とシュルクは、私たちが再会した浜辺にいる。海は青く、空も高く、風は優しい。孤独という水が満ちた水槽の中にいた時とは、全く違う。シュルクが助け出してくれたから。私は私の身体を動かし、私は私の瞳で色鮮やかな世界を見、私は私の耳で様々な音を聞く。私のなかにいる“誰か”はいま、眠りについているようだったから、本当にふたりきり、だ。

「疲れてない?大丈夫?フィオルン」

シュルクは優しい。私はそれを噛みしめて頷く。シュルクは私の答えを聞いても、心配そうな顔をしたままだった。私たちは暫く視線を絡ませあってから、ほぼ同時に海の方へとそれを投げた。青い、青い海。果てしなく広がっているそれを見ていると、様々なことが胸の中で芽生えていく。きっと、シュルクもそうなのだろう。海に似た色の瞳をした彼は、深い青を見たまま口を開く。

「…フィオルン」
「なに?シュルク」

名を呼ばれ、私は首を傾げた。穏やかな目は私を見てはいない。だが私は彼を見ていた。シュルクは次の言葉を探している。何か言いたいことがあって口を開いた訳ではないらしい。私は彼に聞きたいことが山ほどあった。彼もまたそうだと思う。しかし、それは今話すことでは無い。私も、シュルクも、それはわかっていた。私が“私”でなかった頃の話や、新しい仲間たちとの出会いのことや、これからのこと――。そんなたくさんの言葉が転がっているけれど、今は違う言葉で透明な空間を埋めたいと思った。だから、私は。

「また、あの公園で風に吹かれたいな…」

と、静かに言った。あの公園、とはコロニー9にある「見晴らしの丘公園」のことだ。私にとって、そして、おそらくシュルクにとっての、思い出の場所。離れ離れになる前――無数の機神兵がコロニーを襲った少し前、あの公園で私たちは語り合ったのだ。静かな日々がずっと続きますようにと願ったのだ。その願いは引き裂かれたものの、私はいま、こうしてシュルクやお兄ちゃん――大切な人たちとともに存在することが出来ている。だから、なのだろう。私にとって、見晴らしの丘公園がさらに特別な場所になったのは。機神兵の冷たく鋭い爪に貫かれた痛み。それもまた生々しく記憶と身体に焼き付いて離れないけれど、あの日が無ければ今という日はなかった。シュルクはモナドを手にして旅に出なかっただろうし、カルナ、リキ、メリアとも出会わなかっただろう、と。あの、平穏な日々が続いていれば――だがそれはすべて「if」の話。あの日、あの時は確かに存在しているのだから。

「そうだね」

シュルクがそう答える。その瞬間、私が沈められていた水槽が割れた。もう、私は冷たい水の底で貝のように生きなくてもいい。私はそっとシュルクの手をとり、指と指を絡めた。シュルクが「えっ」と声をもらし、目を丸くした。私はそんな彼を見る。彼の頬が赤いのは、きっと気のせいではないのだろう。もしかしたら、私も似た色をしているかもしれない。そう思った瞬間、彼は繋がれた手をぎゅっと握りしめた。固く、結ばれた私とシュルクの手。よみがえる声。もう絶対離さないよという、声。水槽の破片はあちらこちらに落ちている。だから、歩めば足に傷がつき血が流れるかもしれない。でも。でも、私は。私はそれを恐れずに、拾いもせずに、大切な人たちとともに歩み始める。そろそろマシーナの隠れ里に戻る時間だ。ぐさり、と足に破片が突き刺さる。走る痛みは、生きている証。そう思い、私は歩き出す。シュルクはそんな私を心配そうな目で見るけれど、彼はすべてを理解しているようだった。風が吹き抜ける。優しいそれはいつかの色を纏っていて。そして。


title:水葬


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