ゼノブレ | ナノ


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私たちはコロニー6の宿屋に泊まっていた。もう真夜中と呼べる時間帯に入っていたけれど、睡魔が襲ってこないのだ。明日、というか今日はこの街を回って皆で買い物をする予定が入っている。だから出来るだけ早く眠った方がいい。頭では分かっているのに、からだは眠ることを拒むかのようで。私は時計の針を見てからはあ、と重いため息をつき、これまた重い扉を開けて廊下に出た。ひんやりとした空気が肺を満たし、体を包み込む。静寂。数時間前の賑やかさが嘘のようだ。私は手摺に掴まりながら階段をおりていく。同室のカルナはよく眠っていた。別室のメリア、そして男性陣もまた彼女のようによく眠っていることだろう――そんな風に考えながら足を動かす。窓の向こうをちらりと見やれば、ぼんやりとした街の灯りが私を見つめていた。そう、本来ならばメリアも私とカルナと一緒に眠る。だが今回は三人部屋がとれず、仕方なく女性三人のために二部屋とったのだ。
階下へついた私を待っていたのは、凍りついた冷たい沈黙では無かった。一人部屋で眠っているはずの彼女が――ハイエンターの皇女であるメリア・エンシェントが柔らかなソファに腰を下ろし、こちら側を見ていたのだ。最低限におさえられた照明が彼女の輪郭をなぞる。高価な宝石のような碧い瞳が私をとらえ、その眼差しは優しいものの驚きと困惑を孕んでいる。古種族ハイエンターの証と言える白い翼が暗い世界でやたらと目立っていた。

「フィオルン?」

彼女は確認するかのように私の名前を呼んだ。いつもとさほど変わらない声色で。私はそれを耳にしながらゆっくりと彼女に近寄った。白のテーブルクロスのかかったテーブルには飲みかけの水が半分ほど入ったコップが置かれている。中央には赤い花が生けられた花瓶があった。花瓶は昼と同じようにあった。メリアは目が覚めて、喉が渇いたので下におりてきたのだろう、そんな風に私は解釈し彼女の隣に座った。彼女は先ほどからずっと私を見ている。何故起きているのか。問いかけたいけれどうまく言葉に出来ない――そんな感じなのだろう。私はメリアの表情を見て、それから笑ってみせる。

「ちょっと目が覚めちゃっただけよ、メリア」

それは、小さな嘘。私は目が覚めた訳ではなく、眠れなかったのだ。嘘は室内を漂ってから、ハイエンターの少女の耳に届く。

「そうなのか。ならば私と同じだな」

彼女も笑った。私が小さな嘘をついたことに気付いているのかいないのか。それ以上追求してこないメリアに、私はこれまた小さな罪悪感を抱く。メリア・エンシェントは賢く、真っ直ぐな少女だ。そんな彼女に嘘をついたこと。それが、胸に突き刺さって抜けない。眠れなかったのだ、と言えば済む話だった。けれど今になって訂正するのもどうかと思った。私は赤い花を見、それからメリアを見て、最後に冷たい水の入ったコップを見る。メリアはそれに気付いたらしく、一度目を丸くし、口を開いた。ベビーピンクの唇から発せられる言葉はいつもと変わらない優しい音をしていた。喉が渇いただろう?と言う彼女の眼差しも、また。

それから私たちは一時間ほど話をした。深夜であるから、大きく笑ったり歓声をあげたりは出来ないけれど、私とメリアの間に交わされた言の葉は様々な色をしていて、美しい世界を作り出す。ひとつのコップをふたりで使うのも初めてだった。自然な関係になったなあと思うと、先ほど私がついた小さな嘘がそれに穴をあけてしまう。今ならその嘘を消して、穴を塞ぐことも出来た。だが私は言わなかった。なんとなく目が覚めてしまった。そういう嘘をついてでも、彼女と同じ理由が欲しかったのだ。言葉が描いた一枚の絵。メリアと私が共同製作した作品。嘘がひとつ紛れ込んでいたから、一部分が黒くなってしまっていたけれど、私は満足だった。メリアももしかしたら、それに気付いているのかもしれない。疑うことを知らない無垢な少女だけれど、彼女は勘が鋭かったりするから。

――静かな夜。
私とメリアはその絵をテーブルに置いて、階段をあがった。廊下で別れを告げて、私は自分とカルナの眠るための部屋へと入る。すっかり冷え切ったベッドの中で、一部始終を見ていたあの花の名前をなんとなく知りたくなった。そんな夜だった。


title:不在証明


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