覚醒 | ナノ


fire emblem awakening

セレナが風邪をひいた。いつもはふたつに結い上げている髪は結わずにそのまま下ろし、ベッドに横たわっている。シーツの白と髪の黒のコントラストが美しい。カーテンは閉じられていたが、それの僅かな隙間から柔らかな光が顔を覗かせていた。多分、セレナは眠っているのだろう。我が子を気にして顔を見に行ったティアモは五分程度で階下へと戻ってきた。ものすごく熱が高いとか、何を食べても戻してしまうとか、そういった風邪ではないから大丈夫だと思う、とティアモは仲間たちに言った。それでも心配をするのが親である。あちこちを回っているティアモたちだが、これからすぐに街を発たねばならないという状況では無いので、それは不幸中の幸いと言えるだろう。宿屋の一階。ここにいるのはティアモと、彼女の親友であるスミアとその娘シンシア。そして踊り子であるオリヴィエに彼女の息子アズールの五人。皆、仲間であるセレナのことを気にしていた。他のメンバーはいろいろとやることがあり、この場を離れてはいるものの、セレナのことを気にかけているだろう。カチコチと壁掛け時計の針が時を正確に刻む。もうすぐ午後二時になる。椅子に腰をおろしたばかりのティアモが立ち上がった。そんな友を見て、スミアが首を傾げる。

「ティアモ?」

そう、名前を呼んで。シンシアもティアモを見、本に目を落としていたオリヴィエも同じようにし、アズールもまた彼女に視線を寄越した。

「女将さんにキッチンを借りるわ」

ティアモが微笑う。

「え、えっと…何か作るんですか……?」

オリヴィエが尋ねれば、彼女は答えを口にする。クッキーを作るのよ、と。そこでシンシアが「あ」と声を漏らした。首を捻る蒼い髪の少年、アズール。

「確か、小さいころから具合が悪くなるとお母さんがお菓子を作ってくれてた、って」
「そうなんだ?」
「うん。だいぶ前に聞いたんだけどね」

ティアモは頷いた。そして彼女はこの宿の女将の居る部屋へと向かう。その様子を三人は黙したまま見つめていた。彼女が扉の向こうへと消えると、少し悲しげな色を帯びた声でシンシアが言葉を紡ぐ。

「……セレナ、後悔してたの。一回も『ありがとう』って言えなかった、って」

オリヴィエが俯き、アズールが母へ視線をやりすぐに虚空へとスライドさせる。セレナやシンシア、アズールといった子供たちは、絶望に飲まれた滅びの未来からやってきた。その未来ではセレナの両親であるティアモとロンクーも、アズールの両親であるオリヴィエとクロムも、シンシアの両親も――皆、命を落としている。邪竜がよみがえった未来。セレナは風邪をひく度に母が菓子を作ってくれたことに対して、礼が言えぬまま永遠の別れを迎えてしまったのだ。素直になれない自分を責めていたのだろう、とシンシアは思う。シンシアとセレナは反発しあってきた。だが、それがあるからこその絆が存在している。この時代へとやってきて、ふたたびまみえた事を嬉しく思った。それは、彼女たちだけが抱いた感情ではない。アズールたちもまたその思いを胸に抱いた。そして、その絆はこの時代でより深まった。戦いの日々ではあるけれど、つらい日々ではあるけれど、仲間がいる。それは燃えるような勇気と光輝く希望を与えてくれているのだ。

その後、シンシアとアズールは用がある、と言ってその場を離れていった。アズールは一度二階へと上がり、姉であるルキナを連れて宿を出て行った。シンシアはそのまま宿から出、街へと溶け消えた。オリヴィエはそんなアズールたちを見送ってから、先程から読んでいた本に目をやる。踊りについて書かれた本だ。天才的な踊りの才能を持つ彼女は、努力家でもある。持って生まれた才能も充分あるのだろう。だが、こうやって本を読んで知識を吸収したり、過酷な練習をしたりもする。だがらこそ、仲間たちは彼女の美しい舞に励まされる。どんなに辛い戦いであっても、支えあうことでそれらを乗り越えてこれたのである。


「セレナ。入るわよ?」

ティアモがバスケットを左手に持ち、空いた方の手でノックをした。コンコン、というかわいた音はやけに高く響き渡る。セレナは起きていた。体を起こし、母を見る。大きな瞳が潤んでいるように見えるのは、微熱のせいだろうか。寝間着に一枚のカーディガンを羽織っている。それの色は薄いピンク。彼女のお気に入りのようで、ティアモもそれを羽織っている娘の姿をよく見かけていた。

「具合はどう?」
「……大丈夫よ、ただの風邪だもの」
「…そう。よかった」

母は穏やかな眼差しで娘を見た。そして愛娘に歩み寄り、バスケットをベッドサイドテーブルへと置く。

「これ……」

セレナがバスケットへ目をやってから、ティアモを見る。

「クッキーよ。あんまり上手には焼けなかったけど」
「母さん……」

父譲りの黒い髪をした少女の目から、何かが溢れだした。熱いそれは白い肌を伝う。ティアモは娘の頬を伝っていく雫を細い指で拭ってやる。ティアモは問わない。何故、セレナが涙を零したかを。問い掛けなくとも、なんとなくわかっているのだろう。いや、わかっている。セレナの瞳に映るティアモの表情は全てを物語っていたから。

「風邪をひいた時は、果物とかゼリーとか買ってくるのが正解なんだろうけど」

ティアモが言えば、セレナは首を横に振った。何も言わずに。そしてバスケットへと手を伸ばす。掴んだクッキーにはナッツが入っていて、口に運べば優しい甘さがそこに広がる。何をやらせても並以上にこなせる母。それは料理だとかお菓子作りにも言えたことで。セレナはそんな母に比較されてきた為に、少し捻くれた性格になってしまった。だが本当は何よりも母と父を愛しており、両親から受け継いだ優しさや強さを持っている。素直になることが少しだけ苦手なだけで。母の焼き菓子は何よりも美味しい。街で噂の菓子店で購入したものなんかより、数倍も。セレナは小さな声で、母に言った。ずっとずっと、言えなかった言葉を。ずっとずっと、言いたかった言葉を。――ありがとう、と。


部屋を出て下へとおりてきたティアモと、ちょうど今帰ってきたばかりのロンクーの視線が混ざり合った。ロンクーはクロムとソール、フレデリクと共に街の周辺を見まわってきたらしい。屍兵の姿はなかった、とクロムが言い、ロンクーを残して三人は上へと消えた。

「…セレナはどうだ?」
「眠っていますよ。だいぶ、良いみたいです」
「そうか」

ロンクーはアズールの座っていた椅子に腰をおろした。いつの間にかそこにいた仲間たちのが消えている。この部屋にいるのはロンクーとティアモのふたりだけであった。ティアモは思う。彼とふたりきりになるなんて、久しぶりだと。

「ロンクーさん」

ティアモは彼を呼んだ。彼は顔を上げ、彼女を見る。綺麗な瞳だ、とロンクーは毎度のことながら思った。

「セレナに作ったクッキーがちょっと余ってるんです。よかったら――ってロンクーさんはこういうの苦手でしたっけ」
「いや……頂こう…」

ロンクーがそう答えれば、ティアモの表情はぱっと明るくなる。それじゃあ取ってきます、と言って立ち上がりその場を離れる彼女。彼女のいた空間に残る温もり。僅かな間だけの孤独。それらが入り混じり、なんとも言えない感覚がロンクーをとらえる。ロンクーにとってティアモという女性は大切な妻だ。彼女との間には、セレナという最愛の娘もいる。そんなロンクーは、女性が苦手だった。けれども、女性を愛する事ができた。大切な家族を得た。すべて、彼女のお陰だ。戻ってきた彼女を見る。彼女はクッキーがのせられた皿をテーブルへと置いた。かたん、という音を伴わせて。彼はそっとそれに手を伸ばす。口に運んで、咀嚼する。甘いだけではない、深い味がする。それでいて、繊細で。大人に受けそうな味だとロンクーは思った。ティアモもまたクッキーを口に運んだ。ふたりを照らす優しい灯り。いつの間にか絡まり合っていた視線。それをゆっくりと解く。もう、夕暮れ時だ。仲間たちで集まって明日のことを話しあう時間が近づいてきている。それにセレナは参加できるだろうか。ティアモがそう思った時だった、足音が耳に届いたのは。階段を降りてくる少女の姿をふたりは見た。少女は長い黒髪をふたつに結っている。少しだけ、気怠そうな表情をしているものの、その眼差しはいつもと変わらない。ロンクーとティアモは顔を見合わせてから、彼女を――愛娘、セレナの姿を見た。家族の愛が、そこには確かに存在していた。言葉だけではなく心の底からも繋がり合う赤い糸が、セレナの指先から伸びていた。


title:夜途

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