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▼ 孕みいづる

ああ、全くなんてことだ。
皮肉も言えない、笑うことも出来ない。怒ればいいのか喜べばいいのか泣けばいいのかも分からない。
私の眼前には茶色の頭。襟足だけ長く伸ばした髪を一つに纏め、赤い鉢巻きを額に巻いている。頭を下げているから表情は分からないが、耳まで真っ赤に染まっているので相当気張った顔をしているのだろう。
取り敢えず返事をするしかない。
「ふざけるなこの野郎」
そう言うとそいつは勢いよく頭を上げて今にも泣き出しそうに顔を歪めた。
ああ、泣きたいのはこっちだ馬鹿野郎。


* * *


その男の名は、真田幸村。武士のような古風な言葉遣いに、堅苦しく熱苦しい男。
真田と初めて出会ったのは、私が高校に入学したとき。同じクラスで席は前後。プリントが配布されたときは必然的に向かい合う位置。時々手が触れ合えば、そいつはあからさまに顔を真っ赤にして照れた。この男は女が苦手だったらしい。
それからだ。私が真田に近付いたのは。事あるごとに真田にちょっかいをかけ、昼食を共にし、部活の試合を見に行ったりもした。真田についての情報をかき集めた。趣味とか、好きなものとか、大切にしているものとか。成績は優秀。特に体育が優れている。が、英語だけはからきし。
友人やライバルに恵まれ、そいつらは私にも絡んできた。そいつらは、私を初めて見るとき、驚いたような顔をする。それから意味深な笑みを浮かべるのだ。特に猿飛なんて私と真田の仲を取り持とうと飛び回るのだ。
それは正直鬱陶しいものだったが、お陰で私の目論見は順調だった。
だが、同時に私の心に戸惑いも生まれてしまった。
私は徐々に、真田に心を許し始めていたのだ。
それはならない。この男がどんなに真面目に見えても、どんなに初に見えても、どんなに凛々しく見えても…私の生まれながらに抱いた闇を溶かしてしまう訳にはいかなかったのだ。
私は妙なところで頑固だし、何よりそれは忘れがたいものだった。普通なら忘れるものなのだろうけど、何故か私は覚えていて、そしてそれは真田に対する感情を強くするものだったのだ。
馬鹿な男だと冷めた目で見ていたはずが、今では真田を目で追う理由が変わっている。
私は二つの心で板挟みになっていた。苦しいともがいても、今更どちらかを捨てることも出来ず、私は徐々に己の首を絞めていた。
真田から呼び出されたのは、そんな折だった。がちがちに緊張して、無茶苦茶な笑みを作って、それも直ぐに壊れて、後は勢い任せに恋慕の告白。
ああ、嗚呼、そんなこと。
込み上げる想いが、私に喜べと言う。
だけども私は、私の中のどす黒いそれは――


* * *


その男と初めて出会ったのは、“俺”が戦場に出ていたとき。
俺はある地方を治める家の傭兵として雇われていた。戦に出ることは幾度とあり、その度戦果を記しては雇い主に賞賛を受けていた。だが俺に取ってそんなことはどうでもよく、城に帰った後の少ない癒しの時間が遥かに大事だった。
その城に住んでいた、一人の姫君。
春の花のような笑顔を俺に向けてくれる。鈴のような声で俺を労ってくれる。太陽のような眼差しで俺を包んでくれる。
俺は、姫の為だけに、この家に仕えていた。
だが姫の心が俺に向くことはなかった。
分かっていたことだ。
俺は一介の傭兵。相手は姫君。元々結ばれることなど有り得ない話だ。
そして姫は、一人の名のある武将に恋をした。
それは武田に仕える若き虎、真田幸村。雇い主と武田は争っていたが、一時休戦と成った時、協定を結ぶため城に訪れた甲斐の虎と、側に控える若虎を雇い主の護衛として共に迎えたことがある。
その時だ。姫は若虎を一目見て、その真っ直ぐな眼差しに惹かれてしまった。
相手が己のことなど眼中にないと知っていても、純情な姫は想い続けた。
俺にとっては身を貫く衝撃だった。一時的に休戦したとはいえ、敵対している軍の男に姫の心が奪われるなんて。
狂いそうだった。いっそ姫を犯し、殺し、己も死んでしまおうかとさえ思った。
だが、もし若虎と姫が結ばれるなら、それは何よりも姫の幸せとなるのではないかとも思った。このまま休戦が続けば、そうなる可能性も膨らむ。
己は身を引こう。傭兵ならば、死のうとも姫を守ろう。
そう、思ったのに。
武田と雇い主が袂を分かったのは、それからたった一年後のことだった。
雇い主が武田に宣戦布告すると直ぐに兵を集め武田領に侵略を始めた。だが、武田と宿敵である上杉が武田に加勢し、あっという間に追い返され、更には逆に領地を削られていった。
正に風に煽られた火の如く侵攻した武田は、ついに雇い主と姫の居城を取り囲んだ。
火の手が上がったのは何時だったか。にわかに騒ぎ出した城の者達を纏めることも出来ずうろたえるばかりの雇い主と、反対に驚く程落ち着いた様子の、ある種のはかなげな恐ろしさを放つ姫を守るため、天守閣の最上階で敵を迎え撃つ準備をしていた。
最早これまでとは分かっていても、雇い主と姫を守るのが俺の指命だ。
けたたましい足音と共に階段を登ってきたのは、やはり武田の一番槍、真田だった。
俺は結局、真田のように純粋な男にはなれなかった。
己の中に渦巻く薄汚い感情を纏い真田に切り掛かる。だが、真田は配下の忍と共に俺を打ち倒した。
雇い主は狂って喉を掻き切って死んだ。炎が俺を取り囲む。姫が、真田と対面した。
何を言っているのかはもう分からなかった。だが、意識が消える直前、姫の体から赤が飛んだのを、見た。
真田が、姫を。奪い、殺した。
真田が、姫を。姫を。姫を。
死ぬ間際見開いた目が、黒に覆われるのを感じた。


* * *


強い怨念は、輪廻を巡っても消えることがなかった。この平成の世に女として生まれた私は、皮肉にも姫にうりふたつな見目だった。愛らしい容姿から誰からも愛され、女として大事に育てられ、女として生きた。だが、どうしても忘れられなかった。
真田と出会った時、これが運命なのかと思った。相手は私を姫の生まれ変わりとでも思ったのかもしれない。私を何かと気遣うのを利用して、真田に復讐してやろうと考えていた。
真田が姫を愛していたとは思えない。だから私も色に及ぶ心配などなくして真田に近付いた。
真田は真面目な男だった。私が適当な事を言っても返答をし、唐突な約束事をしてもきちんと予定に組み込んでくれた。
何より、その眼差しが真っ直ぐだ。姫が惹かれたのも頷ける程に。
私は、女として惹かれつつあった。それからずっと目を逸らし続け、傭兵の消せない憎悪を燃やし続けた。
この男は、姫を殺した。俺も殺した。
だが私は、今や姫とうりふたつとなり、俺も姫もいなくなった。
心の葛藤は幾度も繰り返され、だが答えは出ないまま。
真田をおとしめることも愛することも出来ないまま、季節は巡り、そして。


* * *


私は結局泣いてしまった。
すると真田は慌て出し、様子を見守っていたらしい猿飛が飛んできた。お前は保護者か。
真田は、私の事を好きになんてなりはしない。
そう思っていたから、諦めと安心を得られたのに。憎しみを持ち続けていられたのに。
今更捨てるにも、いびつに肥大化してしまったこれは何処にも置けるはずがない。それに、これを捨ててしまえば、私が虚無になってしまう。
私はもう、お前を赦せない。
だから、お前も私を責めてくれ。
そう告げると、二人とも困惑の表情をする。
全部話してしまおうか。
きっと、私が私でなくなるけれど。
いっそ、嫌ってくれたならどれだけ楽に憎めるだろう。



2012.3.6


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