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▼ 花冠

私には幼い頃の記憶があまりない。余程衝撃的なことがあったのか、ある時期の記憶がすっかり抜け落ちているのだ。
それでも生活に支障はないし、そもそも思い出に浸る暇などない。
最近、海の向こうの陸地に蔓延る鬼共の動きが活発だ。小規模な争いが立て続けに起こり、我ら毛利軍の空気が張り詰めている。
そんな中、元就様は兵を纏め、ひたすら強固な軍を作り上げた。周囲には知れていないが今や毛利は何処にも勝る勢力を誇っている。元就様がそれを隠すのは、勿論お考えがあってのこと。
そんな織、ついに長曾我部が攻め入った。
「名前」
「はっ」
「機は熟した。…行くぞ」
魚が網に自ら飛び込んだのだ。
長曾我部元親。敵方の将の名だ。あの男とは幾度か刃を交えたことがある。その豪快な槍捌きは、あの男が海賊であり、豪気な様をよく表している。
私は、元就様を遮るあの男が憎い。
だが、流石鬼と呼ばれるだけはある。所詮元就様の駒である私にあの男を打ち倒すことは出来なかった。
長曾我部に合見える度、槍を振るった。それをあの男は軽々とかわし、私にその隻眼で睨みを寄越す。
その度、私の中で何かが呻く。
それが何かは分からない。だが、長曾我部と向き合う度、私の脳裏を何かが過ぎるのだ。そして警告する。それ以上はいけないと。長曾我部を見てはいけないと。
私は、元就様の忠実な駒だからと、呻くそれを押さえ付けるのだ。
厳島へと誘い込まれた長曾我部の兵達は、次々と船から降り、砦へ侵入する。
戦況を冷静に見る元就様の後ろに控え、長曾我部の姿を無感動に眺める。
長曾我部の兵は勢いづいている。次々と崩される陣形を見て、元就様は少し苛立っているようだ。
「…頃合いか。名前」
「はっ」
「長曾我部の力を削れ。…その後我自ら手を下す」
「…承知いたしました」
「行け。そなたに日輪の加護があろうぞ」
一歩、前へ出た。


* * *


「よォ、今日はやけに遅いお出ましだな」
私は一番槍だから、いつもは開戦して直ぐにこの男とぶつかり合う。
片手を短袴に突っ込み堂々と立つ姿は、相変わらずだ。
それと真正面から向き合った途端、いつもの警報が鳴り響く。それにも、疼く頭にも気付かないふりをして、私は槍を向けるのだ。
「今日こそは、お前を討つ」
「ハッ、出来るモンならやってみな!アンタにやられるようなタマじゃねぇぜ」
そんなことは知っている。私ではこの男に勝てない。
「今回は俺も引けないんでね、アンタを倒して、毛利を討つ」
「…させるものか」
私は元就様の捨て駒だ。死してでも、長曾我部の体力を大きく削ってみせる。せめて傷の一つは負わせてみせる。
それが何の証である訳でもないのに、私は躍起になっていた。今日はいつもより耳鳴りが酷い。予感が、する。
不安を無視して、槍を構えた。標的を睨むと、向こうもまた、大きなそれを肩から外した。
警報が鳴っている。
見てはいけない。あの男と目を合わせてはいけない。
互いに動かない。空気が張り詰める。
思い出しては、いけない。
「はあぁあ!!」
金属のぶつかり合う音。火花が散る。すかさず引いて、再びぶつかる。何度も、何度も。
鬼神のごとき気迫を受け、負けじと荒ぶる。
心の動揺など、悟られないように。
相手の繰り出す一撃が重い。このままだと押し負ける。分かっている。分かっているが…
「ッ!!」
弾かれた。無防備になった懐に、炎を纏った刃が叩き込まれる。
肺に溜まった空気が、一瞬にして吐き出された。くの字になった体が、飛ばされる。叩き付けられ、跳ね上がる。槍が手から離れた。体が麻痺したように動かない。視界がぐらぐらする。攻撃を受けた腹が熱い。
私は、負けるのか。
揺らぐ視界の端に、鬼の陰が映った。
肩に獲物を乗せ、大股で歩み寄る。
隻眼が私を見下ろした。
私が映っていた。私の瞳にも、その男が映っていた。
耳鳴りが止んだ。


* * *


長曾我部元親。思えば私はその名を呼んだことがない。軍議や報告で名を出すことはあれど、面と向かって名を呼んだことはないのだ。
けれど私は、あの男の名を呼んだことがある。
元親、ではなく、弥三郎、と。
幼い頃、私がまだ戦など知らなかったとき、私の世話をしてくれた家が海向こうで大きな勢力を持っていた氏と対面したことがある。それが長曾我部氏だった。
幼子である私は蚊帳の外、庭で遊んでいたところに、同じく暇を持て余していた弥三郎がやってきたのだ。
細い手足に白い肌。まるで少女のような見た目で、しかし中身はわんぱくな少年だった。
私は同じ年頃の遊び相手に喜んだ。
鞠で遊んだり、花を摘んで冠を作ったり、庭の木に二人で登ったり、二人一緒にこっぴどく叱られたりして。
弥三郎と呼ぶ度、彼は嬉しそうに名前と呼んでくれるから、私も嬉しくなった。幼子ながら、その胸に一輪の花を抱いたのだ。
事あるごとに二人でつるみ、歳を重ねても交流は続いた。ずっと、二人でいられるような気さえしていた。
けれど、事件が起こった。
私は一瞬にして全てを失い、それから苦しい生活を始めることとなる。
あまりに衝撃的で、それ以前の記憶が曖昧になってしまった。
私は弥三郎を忘れていた。
そして弥三郎と再会したとき、いや、初めて長曾我部元親と出会ったとき、違和感を覚えた。重なる毎に耳鳴りがして、記憶の鍵が開こうとする。長曾我部の姿が、すっかり大男に変わっていたのにも関わらず、昔の華奢な姿に見えそうになった。
私はそれを必死に遮った。今は元就様に仕える身。ずっと忘れたままでいたかった。
否、本当は初めから思い出していたのだ。それを、知らぬふりをしてずっと逃げ続けていた。
憎んでしまったから。
元就様が、誰よりも、己よりも大事だったから。
弥三郎も、私を忘れてしまっていたから。
だから私も、忘れたままで…


* * *


声が私を呼ぶ。けれど私は、もう戻れない。
「アンタの負けだ。観念しな」
長曾我部が、しゃがみ込んで私の顔を覗き込む。翡翠色の左目は一点の曇りもなく、昔と変わりなかった。
「…殺せ」
「……」
「あの方の命令を守れないなら、私の命など必要ない!」
「死に急ぐこたぁねえはずだ。アンタはまだ、いくらでも歩める」
力を振り絞り、上体を起こした。少し驚きを見せた長曾我部に向かって吠え立てる。
「私には、元就様しかいない。元就様が全てだ…お前が元就様を殺すと言うなら、その前に私を屠れ!!」
言い切った。長曾我部は口を閉ざし、私の目をじっと見る。私は精一杯睨み返してやった。
やがて納得したのか観念したのか長曾我部は腰を上げる。
「…最期に言いたいことはあるかい」
「…長曾我部、元親」
名を呼んだ。本当はこの愛しさを吐き出したかった。けれど私は、声に憎しみを纏わせるだけだった。
それが酷く哀しく思えたなら、私はやはり女なのだろう。
「いつかまた………」
言いかけて、一度、目を伏せる。
いいや、もう花など、遠い昔に崩れ落ちている。
けれど、せめて、せめて私を切るときは、どうかその瞳に私の最期を映してほしい。
花であった私を、朽ちるまで見ていて。
瞳を上げて、長曾我部を真っ直ぐに見やる。
一瞬目を見開いた彼は、直ぐにそれを鋭くし、槍を大きく振りかぶった。


咲いた淡い恋慕は私が持って逝くから、どうかあなたは忘れたままで。
…元親。
その名を、そして、私の名を。






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イメージソング:花冠/天野月子
2012.2.13


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