小説 | ナノ


▼ 椿祈

長曾我部が我が領土へ攻め入った。だがそれは予定通りのことだった。
充分に蓄えた兵を速やかに展開し、迎え撃つ準備は万全だった。
勢いづく長曾我部の兵共は中々折れず、計算内であるとはいえ予定より崩れた陣形に苛立ちを覚える。
なればと繰り出したのは、我が最大の手駒。
「名前」
「はっ」
「長曾我部の力を削れ。…その後我自ら手を下す」
「…承知いたしました」
静やかに我の側で控えていた娘は、小さく頷いた。
「行け。そなたに日輪の加護があろうぞ」
この娘は、どんな状況にも応じて我が命を最大限の形で遂行する。
それは、我と名前の間にある暗黙の命、『生きて戻る』という事を前提としたものだ。
長曾我部と名前の力の差は歴然。なればこそ、危険を察知すればあやつは我の元へと戻って来る。そのはずだった。


* * *


長曾我部の一撃で、脆い体が吹き飛ばされる。
いつもならば回避するような重い傷を受け、名前は空を見たまま動かない。
「何をしておる…もうよい!退け!!」
我の声すら聞こえていないのか。長曾我部が名前に近付く。名前が頼りなく起き上がり、長曾我部を睨みつける。
何のつもりぞ。何故引かぬのだ。
何故我の元へ戻って来ぬ!
我の焦りなど届くはずもなく、長曾我部が長槍を振り上げた。


* * *


大股で歩く男が、我とある程度の距離を置いて立ち止まった。
「よォ毛利。アンタと決着を着けに来たぜ」
「…貴様、何故」
長曾我部に問うたところで、名前の心は分からぬというのに。
「…アンタがそんな顔をするとはな」
珍しそうに顎で示す男が忌ま忌ましい。
「あの女は、アンタを殺されたくなかったんだとよ。アンタを殺すなら、自分を殺せってな。見上げた忠誠心じゃねぇか…」
不服そうな顔付きだ。そうであろう、この男は犬死にを最も嫌う。我を屠ったとして、生きながらえた我が駒共をもその腕に抱くつもりだ。
「馬鹿な…」
名前が、殺せ等言うはずがない。
我の前で己が身を投げ出す等と…!
はた、と気付く。
名前の境遇は周知の事だ。あの娘を養っていた家はとうに滅んでいるが、勢力を誇っていた頃、長曾我部と繋がりがあったらしい。
もしや名前は、記憶を取り戻したのではないか。そして過去、あやつは長曾我部の子息に…
あの娘が我に向けるのは、我の抱くそれとは異なるのを知っていた。今はそれでも良かった。毛利の安泰を確実とした暁には、必ず我が手に収めようと思っていた。
だが、名前は最早咲いてしまっていたというのか。
「…許さぬ。許さぬぞ長曾我部」
「氷の面のアンタが、誰かに心を許していたとはな…安心しな、直ぐに送ってやるよ。あの女の元へな!」
「ぬかせ!貴様ごとき、我が采配の前では無力よ!」
長曾我部が動いた。
猪突猛進の攻撃は実に読みやすい。交わし、流し、いなせば、我の命通り名前が奴の体力を大きく削ったことが知れてくる。暫く打ち交わし、頃合いを見て伏兵を呼ぶ。
「来い!」
「チイッ!」
弓兵の放つ火矢が腕を貫くと、その体が刹那の間動きを止めた。
息をつく暇など与えぬ。奴の腹を真一文字に切り裂いた。
「ぐあっ!!」
その体躯が倒れ伏す。
あとは首を落とすのみ。
…だが。
長曾我部は苦しみか、悔しさなのか、顔を歪ませ空を睨んでいる。流れる血が我の爪先を汚す。
「貴様、あの娘の名は知らぬであろうな」
「…なにを、言っていやがる」
荒い息だが、まだ口を聞けるようだ。
「我は恐れていた。あやつの名が世に知れ、何時しかあやつの過去を知る者が現れるのではないかと」
「…?」
「貴様が斜陽であったわ」
長曾我部が赤黒い血を吐いた。
「冥土の土産にするが良い…あの娘の名は、名前ぞ」
「…ぁ、?」
一度、奴の右目が大きく開いた。
「まさか、名前、だとっ?アイツはあの時、死んだはずじゃ…」
縋るように見上げる男を、冷たい目で見下す。
愚かな男よ、長曾我部。貴様は何処までも愚鈍であった。
瞳が揺れる。手足が、起き上がろうともがいている。
「俺ぁ…名前、アンタはいったい、何を言おうと…」
「もう良いわ…貴様は、死しても名前に会えぬであろうな。己が罪悪に潰され逝くが良い」
輪刀を振り下ろすと、伸ばしていた腕が落ちた。その方向の先には、名前が眠っていた。


* * *


長曾我部の兵は全員伏兵に潰され、あまたの骸が旗や刃と共に転がっている。その中で一人だけ、娘が眠っていた。
「名前…何故逝った」
我には理解出来ぬ。そなたが死に急いだ理由が分からぬ。何故、我の手からこぼれ落ちたのだ。そなたがあの男に焦がれていようとも、命を散らす必要はなかったであろうに。
力の入らぬ躯は重く、冷たい。
固く閉ざされた瞳はもう二度と開くことはない。
だと言うのに、唇は淡い弧を描いていた。






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花冠の毛利視点ver.毛利視点難しい。
元就様と捨て駒ちゃんif話みたいな。もしも捨て駒ちゃんがアニキと古い知り合いでこっそりアニキに思いを寄せてたら。
ナリ様→敬愛
アニキ→恋慕
です。アニキが名前ちゃんに惚れてたかどうかは謎。
2012.2.13


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