あやかしあかし | ナノ
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それはいつの時代だろうか。ある人里の近くに繁る林に、一人の人影があった。端正な顔立ちと、細く指通りの良さそうな髪を持った彼は、小さな村に住む青年だった。
雪の積もるこの時期は、薪の消費が著しい。山と積んでも直ぐに無くなるそれを集めに林に来ていた。
だが、彼は薪ではないものを見付けた。
足跡を掻き消すように雪が降る中、半分埋もれたくすんだ黄色。まだ体の小さいそれは、子狐だ。すっかり冷たくなってしまった体は、まだ僅かに呼吸に合わせて上下している。
親とはぐれてしまったのだろうか。この寒い中、巣に帰れずに彷徨っていたのか。
青年は、集めた枝を片腕で抱えると、子狐の体をそっと持ち上げた。
とても小さな体だった。


* * *


子狐が目覚めたのは三日後のことだった。
「目が覚めたか?」
青年の住む小さな小屋。その隅で、古ぼけた布切れを掛けて寝かされていたようだ。体を起こした子狐は青年を見つめたまま動かない。唸り声一つあげないが、警戒しているのは明らかだった。
子狐のためにと用意していた木の実をちらつかせても、子狐は青年を睨んだまま動こうとしない。試しに一粒放ってみるが、ちらりと一瞥しただけで、直ぐに視線を戻す。
野生の狐ならば当然かと、頬を掻く青年。
「何か食わないと元気にならないぞ。ほら」
もう一粒放って、さらに一粒、安全だと見せ付けるように自分で食べてみせる。その様子を全く目を逸らさず見て、青年が食べ終わって暫くしてから、ようやく口に入れた。
おっ、と声を漏らし、青年は顔を綻ばせる。
木の実を咀嚼する姿を見て、妙に嬉しくなった。


* * *


青年が取ってきた餌を食べ、子狐は徐々に体力を回復させていった。完全に元気になるまではと、火を焚き、餌をやり、青年は子狐を甲斐甲斐しく世話してやった。青年が何かしら作業をしているとき、ふと視線を感じれば、子狐に見つめられていることが多かった。子狐のつぶらな瞳と視線が合わさると、なんだか嬉しくなった。
やがて雪が溶け、暖かな春の気候が訪れた頃、青年は狐を林へ帰してやることにした。
林まで抱いて歩いた。青年の腕から離れた子狐は、真っ直ぐに歩いていく。
見つめられることはあったけれど、結局懐かれることはなかったと寂しそうに背中を見送る青年。
しかし、子狐がピタリと足を止める。
目を丸める青年の前で、首だけで振り返った。青年を見詰めて、再び前を向く。
「…また会いに来るからな!元気でいろよ!」
大きく手を振る青年を背に、子狐は林の奥へ消えた。
それからは、青年が林へ足を運ぶ度、子狐は何処からともなく姿を現した。
にこにこと笑う青年をじっと見詰めて、相変わらず一定の距離は保ったままだったが、それでも青年は喜んだ。ご機嫌な青年の後ろで、木の実を採るのを見詰め、食用の葉をちぎるのを眺めていた。
子狐は媚びを売るようなことはしなかったが、それでも青年は、子狐との時間が堪らなく好きになっていた。
しかし時が経ち、青年の村も変化し、青年にも村での役柄が出来た。
中々自由な時間を取れなくなった彼は、林へ赴く事が出来なかった。
子狐の素っ気ない姿を思い出しては作業する手を止めてしまい、他の人間に起こられた。
そんなある日、村に訪問者が現れた。
弓を携えた立派な体躯の人物は、自らを狩人と名乗った。
林に狩りに来たらしく、重そうな弓を軽々と持ち上げ、いかに素晴らしいか自慢していた。
捕った獲物は分けてやる、と揚々と林へ入った姿を見て、青年は嫌な予感に顔色を悪くしていた。
もしかしたら、あの子狐が射られてしまうかもしれない。
冷たくなった子狐を、あの男が抱えて帰って来たならば、きっと己は卒倒する。一度浮かんだ考えは、中々消えてくれなかった。不安で仕事が手につかなくなり、ついに青年は飛び出した。
一直線に林へ駆け、あてどなく走り回る。しかし、狩人にも、子狐にも出会わなかった。
青年は地面に落ちた赤い跡を見付けてしまった。誰のものかは分からない。けれど、もうあの子狐には会えない、そう思ってしまった。
夜になっても狩人は村に帰って来なかった。村人達は、大した獲物も捕れなかったからそのまま去ったのではないかとさして興味もなさそうに言い合ったが、青年はその会話に混ざることが出来なかった。
浮かない顔の青年を置き去りに、村の時は流れていく。
春が過ぎ、冬が過ぎ、また幾度目かの春が訪れ、やがて村で新たな噂話が広がった。
“林に化け狐が出る”
村から林へ木の実を取りに行った男が、血相を変えて飛んで帰ってくると、息も切れ切れにそう言った。
狩人に殺された狐の霊だとか、ただの見間違いだとか、様々な説が飛び交う中、次の目撃者が現れた。
否、目撃者というよりは、被害者だった。
腕の肉を食いちぎられ、必死の思いで村に帰ってきた男を見て、村人達は騒然とした。その傷痕は狐にしては大きい。しかし、熊ならまず生きて帰って来れないはずだ。
議論が交わされる中、被害者は次々と増えていく。そんな中、始めに食いちぎられた男が、ぽっくり死んでしまった。傷口が熱を生んでいたが、死に至るほど重症でもなかった。それなのに、まるで生気を吸い取られるように衰弱してしまったのだ。
村人達は怯え、狐にかじられた者達は次は自分だと思うと狂ったように暴れた。
そしてついに、狐狩りが決行された。
若い男が数人、各々が武器を持って林へと向かった。その中に、青年の姿もあった。
顔色から乗り気ではないことが伺える彼は、後ろめたそうに林へ消えた。
結論から言えば、狐狩りは失敗に終わった。誰一人として帰ってきた者はいなかった。


* * *


狐狩り。その単語は青年の心に重くのしかかった。
もう昔の思い出となってしまったが、彼が子狐と触れ合った期間は、確実に彼の心に刻まれている。動物には言葉が通じない。しかし、意思疎通は出来ていたのではないかと思っている。そんな彼が、狐を殺めることは出来そうにもなかった。
「おい、早く来い!」
年長者の男が、ぼんやりしていた青年を怒鳴る。我に返って顔を上げると、青年と他の者達との間に距離が出来てしまっていた。
急ぎ向かおうと、青年は足を前に出す。
刹那、一番前を歩いていた男の胴より上が飛んだ。
風の如く空を切った丸いそれは、道端に生い茂る木の幹にぶちあたり、鈍い音を立てる。地面に落ちると緩やかに回転をしながら青年の元へ転がった。
光の消えた眼と目が合った途端、青年の思考が再開される。
「う、うわあああああ!!」
彼の足元にあるのは、紛れも無い村人の首。
前方に残された胴体は派手に紅を吹き出しながら地に沈んだ。
残った男達は金切り声を上げ飛び退く。
血飛沫の壁の向こう、木々の間から、小さな頭が見えた。
狐だ。
その場にいた全員がその存在に気付くと、狐は悠然と姿を現した。
全体的に線の細い姿は、美しくも見える。しかし、その体は異様に大きい。
そして何より、尻尾の数がおかしい。
青年の前に立つ男が喉を引き攣らせたのを感じた。
立派な毛並みの尾が、九も付いているのだ。
怯えきった村人の一人が、手にした鎌を投げ付ける。存外、上手い具合に狐に向かって飛んでいった鎌は、しかし途中で不自然に向きを変え、太い幹に突き刺さる。
まるで見えない力でも働いたかのようで、それは不安を煽るには十分な要素だった。
「ば…化け狐だぁ!!」
誰かが叫ぶやいなや、一目散に逃げ出した。だが、太い尾が彼等を捕らえる。普通の尾なら有り得ない固さと力強さで男達を締め上げ、悲痛な声にも聞く耳持たず、狐の元へ引きずり込んだ。
腰が抜けて動けない青年の目の前で、狐が大きな口を開ける。
顔を逸らす青年。
「――ッ!」
身の毛のよだつ音がした。
誰かの断末魔と相まって、ここが地獄なのかと錯覚する程に。
耳を塞いでも防ぎきれないその音に、青年の顔面は蒼白になる。
込み上げるものを止めることも出来ず、その場に嘔吐する。胃酸の辛さと耳の地獄で、彼は心身ともにボロボロになっていた。
ふと、音が止んでいることに気付いた。
気配は変わらず前方にある。ゆるりと顔を上げると、鋭い双眸と目が合った。
「……」
声を出そうとして、出なかった。
返り血一つ浴びていないその姿はかなり変化を遂げていたが、彼に面影を思い起こさせる。
あの、子狐の。
生きていたのか、昔よりずっと苛烈になった、村人を襲ったのはお前だったのか、尾が沢山になった、こんな鋭い目をするのか。数多の感情が浮かび、どれも言葉に出来ないまま青年の中で渦巻く。
狐はただ彼を見下ろす。
ぐちゃぐちゃの顔面を曝して呆然と見上げる姿は、狐にどう映ったのだろう。
「な…んで」
かろうじて声になったのは、漠然とした疑問だった。
それに対し、狐は冷笑を漏らした。
「我は最初から何一つ変わっておらぬ。貴様に懐柔された覚えも、人間を敬した覚えもない」
狐の姿をした生き物が、人の言葉を話した。動物の喉を無理矢理人間に合わせた、嗄れた声。
その光景は異様で、不気味だった。
異端者を排するのは、止めようとしても中々出来ないことだ。
青年も畏怖と嫌悪の感情のまま、槍の先を狐に向けた。
震える穂先と、青年の目を順番に見る狐は、変わらず悠然としている。対する青年は顔面蒼白、失神寸前といった状態だった。
「虫の子一匹殺さぬような顔で、よもや可愛がっていた狐を狩りに来るとはな」
狐の瞳に冷たい光が宿る。
「あ…ば、化け物!!」
畏怖の念に圧され、青年は槍を投げた。存外真っ直ぐに飛んだそれは、かつて青年があんなにも心を注いでいた狐に向かっていく。その動きはやけにゆっくりと見えた。
避けないのか?当たる――。
刃が届こうかという時、狐の体が膨張した。狐の形を容易く捨て、霧のように広がり、瞬く間に青年を飲み込む。訳も分からずもがいても、実体がないのか抜け出せない。
見開いた目に映るのは渦巻く闇。何かが彼の体内に侵入した。それが青年を追い出そうとする。異物に押しやられる不快感が押し寄せる。しかし、あっという間に全ての感覚が消えていく。まるで体から魂が剥がされるようだった。録な抵抗も出来ず薄れゆく意識の中、自分の記憶にはない映像が流れ込む。
低い視界、草木に囲まれた場所、狐の親子…
それが何か理解する前に、青年の意識は途切れた。






ーーー
長いので一旦切ります。
2013.4.3