あやかしあかし | ナノ
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十六

「旦那ァ!!」
佐助の眼前に立つ幸村。
その背中には、迷いがない。
「無事か佐助!」
「無事ってか、まあ生きてるけど…それより今まで何処にいたのさ!俺様あんなに探し回ったってのに」
幸村は眉を寄せ表情を固くする。
「すまぬ…今まで、がむしゃらに鍛練をしておった」
心に靄がかかっていた。名前の傍にいながら何も出来ないもどかしさ。守ると言っておきながら、名前を危険から遠ざけることも出来ず。
自分が何をすればいいのか、分からなくなったのだ。
名前から離れてからは、野山を駆け、ひたすら槍を振った。それでも胸の内の曇りは晴れなかった。頭の中を占める、名前と元就のこと。
もっと力があれば、きっとこんな風にはならなかった。もっと強ければ。もっと強くならねば、名前を守れない。
そう思っていた。
だが、鍛練の疲れで仰向けに転がっていた時、不意に左手首を見た。
紅いミサンガ。そこから伝わる名前の血。
名前の穏やかな笑顔。元就を庇って微笑む彼女。
その時、胸がズキリと痛んだ。
ハッとした。
元就のために己の身を疲弊させて、なお笑う名前が見たく無かったのだ。
自分は、嫉妬していたのかと気付いた。なんと醜いことだと。愚かな想いだと。暗い感情に囚われては、見えるものも見えなくなるというのに。
それから幸村は、初心に返ることに専念した。
何故強くなりたいのか。それは名前を守りたいから。守るとは何か。ただ武力を持って全ての危険を退けることではない。自分は決めたはずだ。名前のしようとしていることを見守ろうと。彼女を信じようと。
守るとは、名前のやりたいことを汲み取った上で、全力で後押しすることだ。
「くだらぬ想いに囚われ、忘れてしまうところであった。某は、名前殿を信じましょう」
元就を通して、名前を見る。名前はいると信じているその目には、一点の曇りもない。
「貴様とこの娘を繋ぐ血の絆、まだ切れておらぬか」
その目を憎々しいとばかりに睨み返す。
「名前殿…そなたの望みはこうなのか?違いましょう。某は見とうござる、そなたの描いた結末を。なれば目覚めて下され!」
叫びが元就を貫く。その胸の奥。凍り付いた彼女に届けと。
ミサンガが脈を打つ。
「…ッ、何処までも我の邪魔を!たかが犬畜生が!」
右腕を伸ばすと、そこに光の球が生まれた。ぎらぎらと輝くそれが弾け飛ぼうとした瞬間、左手首に違和感が生じた。
「ぐっ!」
ビキリ、とひびの入る音がした。冷たい氷に覆われた彼女の、その左手首。紅いミサンガが脈を打つ。
「貴様ごときがぁ!!」
狐の咆哮が空を裂く。その波動が幸村と佐助を襲う。皮膚が切れ、血が流れても幸村は引かない。
「名前殿ぉ!!」

犬の咆哮が氷を震わす。
瞬く間にひびが広がり、名前を覆っていた透明な結晶が四散した。
床の水は全て凍り付いているが、彼女の全身は解放された。そっと降り立った名前が、真っ直ぐ見据えるのは、美しい顔を歪めた元就。
「貴様と犬の絆…想う力だとでも言うのか?我は認めぬ、そのような馴れ合いに圧されるなど!」
「元就」
名前は変わらず穏やかに歩む。しかしその表情は悲しみを湛えていた。
「君と私は、少し似てる」
「なん…だと?有り得ぬ!我は妖にして神の力を宿す者ぞ!貴様とは違う!」
「ううん」
近付いた名前は、元就の胸にそっと手を当てた。
「ここは、私と同じ」
名前が示す物が何か理解した元就は、目を見開いて激昂する。
「馬鹿を申すな…我に心など無い!」
それでも名前は淡々と語る。
「心があるから、神様も妖も生まれるんだよ。皆が想うから神様がいて、皆が畏れるから妖がいる。それにね、神様や妖自身も心を持ってる。元就の心は、私達と同じくらい沢山詰まってて、とても複雑」
何度も見た、元就の厳しい表情。怒りの表情。驚いた顔も、呆気に取られた顔も、それは全て感情が起因している。
顔を上げた名前の透き通った大きな瞳に元就が映る。
「君の眼が冷たいのも、悲しい心があるから。君の面が痛いのも、寂しい心があるからなんだよ」
息を飲む元就。目が合ったまま、互いに逸らさない。
「君の心は、自分で気付かない程沢山詰まってる」
足場を覆う氷より、ずっと澄んだ瞳が青く染まっている。
まるで、鏡のようだ。
「寂しいのなら、私をあげる。だからもう苦しまないで」
腕を回し、元就を抱きしめた。
彼は動かない。呆然と空を見詰めたまま。

「毛利の動きが止まった…?」
そう言った佐助の前に立つ幸村も、その様子に驚いた。
「名前殿…!」
「旦那、どいてくれ!」
「なっ佐助!」
好機と放った炎が元就を貫く。一瞬、ふわりと浮いた体が、重力に従って倒れていく。

「元就…?」
力無く寄り掛かった彼に声を掛ける。
「我は…自身の事さえ理解出来ていなかったのか」
震えるその声は、不思議と柔らかい響きだった。
「これから気付けばいいよ」
「…やはり分からぬ、貴様の考え方は」
「これから知って行けばいい」
名前はいつもの、穏やかな笑みを浮かべた。
音を立てて足元の氷が割れる。それだけでなく、暗闇にひびが走った。ビキビキと広がり、終には世界が割れた。
暗い暗い空間が、一気に光で溢れる。
二人の輪郭が溶けていく中、元就も、笑ったような気がした。



2012.9.28