あやかしあかし | ナノ
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十六

「某は、元々ただの犬であった。だが、あることがきっかけで妖となってしまったのだ」
多くの妖は人間を喰らって生きる。それは幸村も例外ではなく、生きながらえる為に人間を喰らっていた。初めて人を喰らった時はあまり覚えていない。ただ、血の臭いと肉や骨の感触はあまり良いものではなかった。
「某は抗った。人を喰らいたいという衝動に」
「どうして…?」
「某は、人の優しき心を知っていた。強き生き様を知っていた。人を、愛していた…」
なればこそ、喰らうなどとはしたくなかった。
妖怪が人を襲わずに済む方法を探し続け、時に人に化け、時に人に飼われた犬として生きてきた。他の動物の肉を喰らって凌いでいたが、衝動を抑えるどころか、日増しにそれは増すばかり。ある時ついに耐え切れず、人々の中で暴れてしまった。
散々暴れ尽くして、人々の怯えた目を見て我に帰った。他の妖と同じ事をしてしまったと気付いた。
悔しそうに眉を寄せる。握った拳が白くなっていた。
「それからは長らく人を避け、木の実や獣を喰って餓えを凌いでおった。だが、体はみるみるやせ細り、限界が来てしまった」
人の匂いに釣られるまま、街へと出向いた。朦朧とした意識でさ迷っていた時、
「そなたと出会ってしまったのだ」
幸村の目が、名前の目を射抜く。真っ直ぐな瞳は、切ない色に染まっていた。
強い衝動に襲われ、抑えることが出来なかった。久しぶりに味わった血は力を蘇らせ、我に帰った彼は逃げるようにその場を離れた。それから、幸村は罪の意識に苛まれ、傷付けてしまった名前のことを始終思っていた。悔やんでも悔やみきれず、ついにもう一度名前に会うことを決めたらしい。
せめてもの償いをするために。
「幸い、某は人の姿に化ける事を習得しておった故、こうして名前殿と人として合見えることが出来た。だが…某はまた…」
幸村の拳が震える。手の平の皮膚が破れ、血が滲んでいた。
「…私、幸村に会えて良かった」
名前は静かに告げた。
驚いて目を見開く幸村と、青年。
「幸村が妖だって信じるし、幸村が人を襲いたくないっていうのも信じる。だから私…幸村の力になれて良かった。私の血が幸村の衝動を抑えることになったのなら、それで良いって思う」
柔和な笑みを浮かべる名前に、幸村は驚愕する。
「しかし!そなたは傷を負ったのですぞ?!今もまた、こんなに深く…」
彼の手が首に触れる。熱を持ったそこは、じくじくと痛んだ。
「いいの、別に」
変わらない笑顔は、幸村を呆然とさせる。
「そなたは…」
「ちょっとーそろそろ俺様に喋らせてくんなーい?」
先程までの空気をぶち壊す声だった。片足で器用に立って、暇そうに頬杖を付いていた青年が喋ったのだ。
二人が注目したのに気をよくしたようで、体制を直すと二人の間に割り込んだ。
「先ずは自己紹介しとくぜ。俺様は猿飛佐助。神様のお使いってとこ」
よろしくなー?と片目をつむって見せた彼に、名前は軽そうな印象を受けた。
(神様っていたんだ…)
「で、此処からが本題。提案なんだけど、真田の旦那と名前ちゃん、結ばれてみない?」
「なっ」
幸村が固まった。
「え?」
名前は首を傾げて聞き返した。その揺れで一筋血が垂れ落ちる。
「血の契約ってやつ?簡単に言えば、名前ちゃんが旦那に血をあげるかわりに旦那が名前ちゃんを死ぬ気で守るってこと」
「契約…」
「そ。そいつをしとけば名前ちゃんはちょっと貧血気味になるけど、いちいち旦那に噛み付かれなくても血を分けてやれるようになるんだ。旦那をすごーく助ける事が出来るし、旦那もずっと名前ちゃんと一緒にいれる訳」
「な、何を言うか佐助ぇ!!」
再起動を果たした幸村が大声を出した。それに対し、ふわりと微笑みを向ける名前。
「私、幸村とずっと一緒だと嬉しい」
「う…そ、某は…その…そのような、破廉恥である!!」
幸村の中で何がどのように至ったのかは不明だが、真っ赤な顔を左右に強く振った。
「あはー、名前ちゃんも罪な女だねー。ま、契約しとくといいんじゃない?二人ならいい感じだと思うぜ」
「私はそれでも良いよ」
名前がなんの躊躇いも見せないので、幸村はうろたえてしまう。
「しかしっ」
口ごもる幸村。
その時、佐助の耳がピクリと動いた。何かを感じ取ったようだ。
「旦那、名前ちゃん、お館様から一言あるって」
「なんと!もしやこれはお館様の御提案なのか?!」
「お館様?」
「そ。こっちに来るって…うぉあ!!」
佐助の台詞が悲鳴に変わり、彼の姿が消える。瞬間、そこから力強い光が生まれ、名前は思わず目を閉じた。すると、瞼の向こうで光が弱まったのを感じ、そろりと目を開ける。
飛び込んで来た光景に、絶句。
「この未熟者があああぁぁぁああ!!!」
とてもがたいの良い、頭に角の付いたモフモフしたものを被った壮年の男が、その太い腕から放たれた拳を、幸村の頬にクリーンヒットさせていた。
「ぐおおぉぁああああ!!!」
全開にしていた障子と硝子戸を過ぎ、宿の庭まで吹き飛んだ彼。
いつの間にか名前の隣にいた佐助がやれやれと肩を竦め、対して何も反応出来ない名前。
しかし戻ってきた幸村はピンピンしていた。
「お館様ァ!!何故この幸村を未熟と申されるのですか?!!確かに某、決定を下すことは出来ませぬが、名前殿のお気持ちと負担を考慮しての…」
「馬鹿者がぁぁああああ!!」
再び火を噴く鉄拳。再び吹き飛ばされた幸村。
「分からんか幸村ァ!!名前の目を見よ!!」
「名前殿の…目でございますか?」
再び戻ってきた幸村は、言われるままに名前の瞳を覗き込む。
名前の目は、曇り一つなく幸村を映していた。
息を飲んで瞳に魅入られる。幸村はやがて小さく息を吐いた。
「そなたの心は、もはや決まっておったのだな…」
そして、頭を下げる。
「名前殿…妖と繋がれば、危険も増すであろう。だが某が全力でお守りいたす。どうか、よろしゅうお頼み申す」
「…うん」
満足そうに頷いたのは、先程の男。
「ふむ、挨拶が遅れたな。ワシの名は武田信玄。おぬしらが神と呼ぶ者の一人じゃ」
「神様…?」
「そ、俺様のご主人様。詳しく説明すると時間掛かるから、今はそれでよろしくな」
信玄の風体は、全体的にがっちりしていて、さらに威厳がある。全身から漲る覇気と共に、神々しいものも感じる。
確かに神様なのかもしれない。名前は信じることにした。
大きく頷いたのを見て、信玄が息を吸い込む。
「では、これより儀を始める!」
高らかに宣言すると、幸村は名前と向かい合って跪いた。名前の差し出した手に彼のそれを重ね、頭を垂れる。触れ合う手の平から、交わる鼓動が耳に心地好い。二人の血が、混ざろうとしているかのようだった。
「ちょいと失敬」
佐助が名前の首元の傷に触れる。まだ固まらない血が指に付いたが、その手を除けた時には、傷が綺麗に癒えていた。
佐助が翳した手に向けて、信玄が何か唱えながら手の平を翳す。佐助もまた、熱心に呟いていた。空気が震える。心音が大きくなる。
名前は深く息を吸って、静かに目を閉じた。
光が遮られた視界で、何かが動く。やがて一匹の犬が現れた。名前はそっと屈み込むと、左手を犬の頭に乗せる。心地良さそうに目を細める犬。
――おいで。
その胸に抱き寄せて、二人の鼓動を感じる。鼓動が赤い糸を紡ぎ、それが二人を包み込む。脈打つ度に響く音が重なって、まるで一つの大きな心臓のようだ。
そして、二人の姿が溶けてゆく。暗闇の中、何もかもが一つに。

佐助の指先の血が、ゆらりと浮き上がり、細い輪のように形を変えていく。それは、重ね合った二人の手に向かって行く。
名前が手首に淡い熱を感じた瞬間目を開けると、幸村もまた顔を上げていた。
そして、ゆるりと笑んだ。


名前殿、某は感謝してもしきれませぬ。もしもこうして出会ったことが運命というのならば、某は、一生を懸けてそなたを守ろう。
何があろうとも、必ず。



2012.2.7