事務所の窓からそっと外を見上げると、霧のような糸雨が降り続いていた。今の季節にしては珍しい空模様かもしれない、と気だるげにメアはモップの柄に顎をつく。
床の掃除を終えたら夕飯の買い物に行こうかなと思っていたのだが、余った食材で凌げなくもないし、微妙な天気に外出が億劫になり始めていた。室内の湿度も高まっていて不快指数の体感メーターもぐんぐんと上昇中である。厚手のトレーナーを着ていたので、服装を間違えたなとは朝から思っていた。
ロックを吐き出していたジュークボックスがふいに止まった。おや、と振り返ると音飛びだったようでまた暫くして復活する。年代物のこの子も天気に滅入っているのかもしれないな、と思いながらメアは自然とダンテの方を見た。
彼はいつも通り、上半身裸のままソファーで仰向けに寝っ転がって娯楽雑誌を被って寝ている。その姿を横目にちらりと見て、メアは額を押さえながらゆるくため息を吐いた。
先日の舞踏会での記憶が曖昧で、あれ以降ダンテの態度が幾許かよそよそしくなっている気がしたし、絶対何かやらかしたんだな、という確信だけはあるのだが"何"をやらかしたのか尋ねる勇気が出せずにここ二、三日の間メアはぐるぐると悩んでばかりいた。屋敷で車に乗せられた辺りまでは覚えているのだが、そこから翌日の夕方目覚めるまでの記憶が不鮮明だった。起きた場所もダンテの部屋のベッドだったし、下着姿だったこともなかなかの衝撃だった。当の本人はソファーで眠っていたようで、薬の抜けたメアに安心した表情を見せてくれたので深く突っ込む気にはますますなれなかった。
気を紛らわせるような仕事の依頼もタイミング悪く途絶えてしまったし、閉塞感を感じているのは否めない。ましてや今日はこの天気である。屋上で気分転換する事も出来ないので気がつかぬ間にため息の回数も増えてしまっていたらしい。
「頭でも痛いのか?」
「わっ、」
いつの間にか近くにいたダンテにメアは思わず声を上げてモップを取り落とした。カラン、と木製の棒が乾いた音を立てて床を打つ。ダンテはどうやら冷蔵庫に飲み物を取りに来たらしくその手にはトマトジュースの瓶が握られていた。
「そんな幽霊でも見たようなリアクションされると傷つくぞ」
「ごめん、考え事してたの」
そっか、とくしゃくしゃと犬を撫でるようにメアの前髪をかき回してダンテはソファーに戻って行く。私が勝手に居心地悪くなっているだけなの?あの浮かれた舞踏会との落差が激しすぎただけ?とメアはまた額に拳を当てて思考の海に沈んでしまう。
正直、考えることや調べたいことは山積みだった。あの後のベラルディの動向も掴めていなかったし、オークション会場でダンテに投げかけられた"半人半魔"という呼び方、それからベラルディが口走った"レッド・ラム"のキーワードーー
すぐに考えがまとまるはずもなく、本当に頭が痛くなって来そうだ、とこめかみを指でぐりぐりと揉みながらメアがモップ掃除に戻った時だった。
事務所のドアが開いてパタパタと駆け込むように人が入ってきた。
「ダンテ?いる?」
メアはその客人とばったりと目が合った。左右で色の違う宝石のように美しい瞳、黒檀色の髪に整った顔立ち、それを損なわずにワイルドさをプラスする鼻頭の古傷。素直に綺麗な人だ、と思った。腰のマガジンポーチと背中の銃器類から、ダンテの"同業者"の人かなと見当をつける。
「いらっしゃいませ……っ」
「あら、初めまして、でいいわよね?」
薔薇色の唇がゆったりと弧を描き笑みを作る。
「急にどうしたんだレディ」
生あくびを噛み殺しながらダンテがソファーから起き出した。レディ、と呼ばれたその美しい女性はやはりダンテと既知の仲であるようだった。
「ねえ、いつの間にこんな可愛い子連れ込んだの?彼女さん?」
「……ちげぇよ……長期的な案件の依頼人だ。少し仕事を手伝ってもらってはいるが」
仏頂面でそう言い切られたことにじわりと胸が痛んだが、何も間違ってはいなかったので表情には一ミリも出さずメアはレディに握手を求めた。
「初めまして、メアです」
「よろしくね。私のことはレディって呼んで」
「んで、何の用だよ」
どうせロクな用じゃねえだろ、と苦笑気味にダンテは椅子に腰を落ち着け机上に足を投げ出した。レディもそうかもしれないわね、と同調しながら左腕をすっと持ち上げる。視界から外れていたので気がつかなかったが、その腕は痛々しい石膏で固められていた。
「道で転んで折った、って話でもないよな」
「そしたらわざわざこんなところに来るはずないでしょ?」
レディは忌々しげにため息を吐きながらソファーに腰かけた。
「"塞ぎ込んでる"時に生憎なんだけど、手伝ってほしい仕事があるの」
その言葉に違和感を抱きながらも、メアは静かにレディの話に耳を傾けた。
……"ノスフェラトゥの再来"とその村では畏怖されていた。村民では手に負いきれない化け物が出たので退治して欲しいとの依頼を情報屋から引き受け、レディはいつも通り現場に行ったのだという。災厄だの最凶だの、と誇張して恐れられる悪魔はそう珍しくもないので、油断していた節も否めないのだが。
「うっかり崖から落ちて腕をやっちゃったのよね。だから引き継ぐ人手が必要で」
「それお前結局、道で転んだようなもんじゃねえか。……俺に尻拭いしろってか」
「まともな悪魔だったらそこらへんの狩人に頼んだ方が貴方を説得するより早いじゃない?」
「俺に頼むだけの相手だったと?」
「そうかもしれない」
レディは肩を竦めて笑いながら膝の上で頬杖をついた。
善処はした。だが片腕を封じられていなくても立ち回りには苦労しただろう、と彼女は冷静に分析していた。
「お陰様で早く諦めがついて命拾いしたわね。もう私で狩人は五人目だって依頼主の村長が嘆いてたわ。ぜーんぶ悪魔に食べられちゃった、って」
その悪魔は吸血鬼を指すノスフェラトゥと呼ばれるだけあってか夜にしか徘徊せず、闇に紛れて次々と民家に立ち入っては村民を食い荒らして回っているのだと言う。
歯応えはほどほどなんじゃない?とレディは歩み寄ると懐から現金の厚い束を出して机の上に置いた。
「これが前金。私と情報屋の分の仲介料と手間賃は引かせてもらった。私たちはこの依頼を降りるから残りは全部貴方一人が貰えばいいわ」
こっちが依頼主の電話番号と住所、とレディは紙切れを差し出す。
「ちょっと待て、引き受けるとは一言も言ってないぞ」
レディは涼しい目で微笑んで、ダンテをついと指さした。
「私からしたら、貴方はもうちょっと"気晴らし"をした方がいいように思えるのよね」
チッ、と舌打ちをしてダンテは紙切れを掴んだ。田舎だな、と呆れつつ気だるげに手を振る。
「判った、受けるよ。ここんとこ依頼も来なくて暇してたからな」
「決まり。じゃあよろしくね。依頼主には私からも連絡を入れておくから、明日にでも向かってあげて」
猫のようにしなやかな動きでレディは踵を返した。そこではたと動きを止めて、メアの方を振り返る。
「そうだ、メアはいつまでここにいるの?」
話しかけられると思っていなくて油断していたメアはおっかなびっくり肩を揺らしながら、えーと、と指折り数えた。
「あと二週間?くらいの予定……」
「そう。良かったら近いうちにお茶でもどう?」
「えっ」
ふわりと少しビターで甘いミモザのような香りを漂わせながら、レディはメアの耳元にこっそりと囁く。
「ダンテといるとストレス溜まるでしょ?愚痴なら聞くわよ」
つい笑い声をあげるとダンテが怪訝そうに眉を潜めた。
「喜んで」
「やった。じゃあまたね」
ひらひらと手を振りレディは雨の中も臆せず足早に去って行った。花嵐のような人だ、と思った。
ダンテは盛大にため息を吐いて、住所のメモ紙を照明に透かすように見上げる。
メアはその様子を見ながら、もしやと一つの可能性が頭に過ぎった。
「レディってダンテの元カノ?」
椅子の後ろ足に重心を寄せて体を揺らしていたダンテがはぁ?と立ち上がる。
「今のやり取り見てたよな?……金を押しつけて人を死地に平気で送り込むような女だぞ」
「それはダンテが信頼されてるからでしょ?」
椅子から離れて机に腰かけながら、どうだかなとダンテは自嘲気味に笑う。
「もし本当に昔の女だったらどうする?」
「え?」
銀髪に隠れて感情が上手く見えないアイスブルーの瞳をじっと見つめながら、思わずメアはゴクリと音が聞こえそうな勢いで唾を飲み込む。
どうもしない、と直ぐに答えるべきなのに胸の片隅がヒリヒリと痛む感触があって何よりもそれに戸惑いを覚えてしまった。
あと二週間くらいの予定、と自分で言った唇も痺れている。この感覚は、何なんだろう。
ぽかんと虚ろな表情になってしまったメアにダンテは苦笑いを浮かべて、
「そんな顔すんなよ。レディとは狩人仲間でただの腐れ縁だ」
「……そっか」
ダンテの言葉にも生返事をしてメアはモップ掛けの作業に戻った。今は何も考えない方が良いのかもしれない、そんな気がした。
メアのリアクションにダンテは僅かに下唇を噛むと、そうだ、と声を上げる。
「今回の依頼、メアにも手伝ってもらいたいんだが」
その提案にパッと顔を上げてメアは目を見開く。
「行っていいの?」
「"気晴らし"にはなるだろ」
レディの言葉を不服げになぞりながら、ダンテは机の抽斗から地図を出した。
「ここから車で……二時間くらいだ。海が近い村らしい」
海、の単語に胸が踊ってしまった。母が死んでから海にはゆっくり行ったことがなかったように思う。季節柄海水浴は出来ないが、それでもあの遠い水平線を久しぶりに見てみたい。
サインペンのフタを噛みながら開けると、ダンテは目的地にバツマークをつける。
「留守番したいってんなら止めないけどな?」
「行く!」
遊びにいくテンションじゃねえか、と笑ってダンテは受話器を取り上げた。
「エンツォに車借りるわ」




次の日の朝、と言ってもダンテが寝坊をしたのでもう正午も近かったのだが、エンツォの愛車である中古のチョコレートカラーのベンツ230に乗って二人は依頼主の待つ村へと向かった。幸い天気は晴れている。
眠たそうなダンテを助手席にむりやり押し込み、ハンドルはメアが握った。手伝えることは少ない。車の運転ならいくらでもしようと思っていた。
チェリー味のロリポップをくわえながら、ラジオから流れるヒットチャートを口ずさむ。メアは久しぶりのドライブに浮かれている自覚があった。
「車の運転、好きなのか?」
座席を倒し気味にして微睡んでいたはずのダンテが寝息混じりに尋ねてくる。
「わりと、かな。高校に通うのにも車使ってたし、好きな音楽かけて一人になれる時間が好きだったのかも」
車は生活必需品だったから仕方なく乗っていた節もあったが、いざ乗らなくなると恋しくなるものなんだなと実感した。
「今は平気だけど、前は自分以外の気配がない空間って貴重だったから」
「へえ」
父のプレッシャーや学校の細々とした友人関係、今思うと人間関係にも疲れていたのかもしれない。学校の友達はいい子が多かったが、それ故に自分の後暗さをふとした瞬間に思い出して虚しさが込み上げるのが辛かった。
「今が人生で一番楽しいのかもしれない」
「そりゃ良かったな」
ぽつりと呟いたメアの言葉に、そう返事をしてまたダンテは腕を組んで寝入ってしまう。
しばらく車を走らせるとガードレールの向こう側が木々の緑から海の青へと移り変わって行った。
「ダンテ、海だよ」
つい浮かれ声で腕を揺さぶると、気だるげに生返事をしながらもダンテがハンドルを回して窓を開けてくれた。
流れ込んできた潮風はあまり懐かしいとは思えず、新鮮さの方が強かった。海ってこんなんだったっけ、とメアが言うとこんなんだよ、とやる気のない答えが返ってくる。
「もうすぐだね」
「そうだな」
どこかで鳴いている海鳥の声を聞きながら、メアはゆるくアクセルを踏み込んだ。




辿り着いたのは和やかな空気が漂う漁村だった。想像していたよりも大きな漁村で、村の端の灯台は観光スポットとして公開され無料で観覧が出来るようだった。
夜な夜な残酷劇が繰り広げられているとは思いたくなかったが、行き交う人々から滲み出る疲労感から察せざるを得ない。ダンテが魚をくわえた猫を目で追う傍ら、メアは通りすがりの女性から村長の家を聞き出した。
小高い丘の上の森の茂みの中にひっそりと建ったコテージ風の一軒家だった。ガレージの脇に車を停め、メアが先行してドアベルを鳴らす。レディからの連絡は行き届いていたようで、すぐに中へと招き入れられた。
村長、と聞いてメアは勝手に腰の曲がった老人を想像していたのだが出てきたのは四十代半ば程の体格の良い日焼けした男性だった。お互いに自己紹介をすると彼はトム・ワーフと名乗った。普段は漁師として海に出ているという。
「レディさんからお話は伺っています。ダンテさんはとても腕が立つと聞いて大変期待しているんですよ」
穏やかに笑ってはいたが、睡眠不足を伺わせる目の下の陰が痛ましかった。メアは出されたホットコーヒーを啜りながら、眠たげなダンテの代わりに尋ねる。
「出没する悪魔は一匹だけですか?」
「そうです。我々が確認出来ている範囲で、ですが」
そして連日連夜、という訳でもなく気まぐれなタイミングで異なった場所に現れるのだという。前髪をかき混ぜながら、ダンテが呟くく。
「そりゃ厄介だな」
「ただ初めの頃は出歩いている村民がよく襲われていました。今は日暮れと共に自衛をするようになってしまったので、家の中まで入って来てしまうのですが……」
「なるほど。夜の散歩でもしてれば会えるのかもな」
どっちにしろ見廻りはするよ、とダンテはコーヒーに角砂糖を追加しながら頷いた。
「ありがとうございます。しばらくの宿はこちらを使ってください」
渡された赤いモーテル風のキーホルダーがついた鍵はワーフが経営している村の入口近くのホテルの部屋のものだという。
「あまり豪勢なおもてなしは出来ませんが、ゆっくりしていってください」
「お気遣いありがとうございます」
何か困ったことがあればいつでも電話を、とワーフは苦笑した。
「たぶん夜も起きていますので」
その言葉にメアは胸がズキンと痛んだ。本当に困っているのがよく伝わって来て、村の人たちがゆっくり眠れる村を取り戻してあげないといけない、という意志が固くなる。
ワーフの家を後にし、ホテルに向かう車でメアは鍵を手の中で弄んでいるダンテを横目に見た。彼ならきっと大丈夫だ、という確信があるがそれでも心がザワついてしまう。
「そんなネコちゃんみたいに毛逆立てんなって」
メアの視線に気がついたのかダンテが明るい声で冗談を飛ばす。別にビビってないよ、と唇を尖らせながら、辿り着いたホテルの駐車場に車を停めた。
荷物を持って受付に向かい鍵を差し出すと、フロントマンが一瞬きょとんとした顔をする。二人共武器を入れたギターケースを背負っているので傍から見るとバンドマンにしか見えなかったのだろう。ワーフから話が通っていたようですぐに部屋へと案内された。
白を基調とした地中海風の小綺麗な建物で、華やかさには欠けるが清潔感がありメアは好印象を抱いた。辿り着いたのは離れの部屋でどうやらスイートルームらしい。
部屋数は三部屋ほどだったが、都会のホテルとは違う趣きがあり、メアは海に面した寝室の一つに飛び込むと思わず感嘆の声を上げた。
大きなガラスの向こうで、海面が太陽をうけてキラキラと光を跳ね返している。波も穏やかで潮の音を聞いていると自然と眠りに誘われてしまいそうだった。
じっと見入っているとダンテがぽん、と頭に手を置いて来た。
「メアはこっちの部屋でいいか?」
俺はあっちを使おうかなと、と反対側の部屋を示したのでメアはいいの?と小首を傾げる。
「海見えないけど」
「俺は別に。綺麗な青色ならしょっちゅう見てるしな」
どういう意味?と反応が遅れたメアの頬をむにり、とつまんでからダンテは部屋を出ていく。
「夕方まで寝るよ」
しょっちゅう見てる青色、とメアは眉を潜めながら傍らにあった鏡台を振り返って小さくうわっ、と声をあげた。自分の目の色を忘れていて、ダンテの言葉を反芻して頬が熱くなってしまう。そういう意味なの?と考え込みながら、メアは荷物に手を掛けた。気ままに振り回してくるダンテの感情が読めない。一喜一憂してバカみたいだ、って判っているのに。
じんわりと脳裏に浮かんだ"好き"という文字を掻き消すようにメアはやけくそ気味にトランクをひっくり返して夜用の着替えを引っ張り出した。そしてそのまま広々としたクイーンサイズのベッドにダイブする。私も夜に備えてお昼寝をしておこう、とメアはそこで考えるのをぱたりと止めて目蓋を下ろした。




暮れ出した窓の外を見ながらシャワーを浴び終えて着替えると、メアは先にシャワーを浴びたはずのダンテが未だタオルを被ったままリビングに置いてあったゴシップ雑誌を読んでいるのを見咎めて息を吐いた。
「ダンテ、もう夜になっちゃうよ」
もうすぐ見廻りの時間だ。ゴシゴシとついタオルで髪を拭いてやるとパラパラと毛先から滴った水の粒が誌面に落ちる。ああ、と心ここに在らずの返事をしながらダンテは食い入るように雑誌を読んでいた。
そこに"ベラルディ"の文字を見つけてメアも目を止めると、"有名投資家、逮捕"の見出しが踊っていた。
「あの人ちゃんと逮捕されたんだね」
「あの後、自分んとこの会社に逃亡してたらしいんだが流石の警察もそこまで無能じゃなかったみたいだ」
パタリ、と雑誌を閉じてダンテは髪の毛を拭き始めた。
「よくあの状態で逃げたもんだ」
片脚の関節外したのにな、と独りごちながらダンテはいつもの赤いコートに腕を通した。メアもギターケースから装備を取り出して身につけていく。
「本当に行くのか。運転もしてもらって充分手伝ってもらったと思ってんだけど」
ダンテはギターケースから愛剣のリベリオンを取り出して背負いながら、マガジンポーチをデニムのハーフパンツの上から巻き付けていたメアに声をかける。
「邪魔だったりする?」
「いいや、お前一人くらいならもし何かあってもどうってことない」
「じゃあ行く」
即答したメアにダンテはもうちょっと考えろよ、と笑いながらまたメアの片方の頬をやんわりとつまんだ。
「ダンテが居るから大丈夫だよ」
「はいはい」
ローテーブルの上に置いてあった昨夜メンテナンスしたばかりの双子の拳銃をホルスターに差して、ダンテは準備を終えたようだった。メアもブルゾンの上からアサルトライフルのスリングを肩に掛けて長さを調節したところで、身支度が整う。
「さて、夜遊びと洒落込むか」
ホテルのロビーを抜けると、フロントマンが二人の姿を認めて硬い声でお気をつけて、と頭を下げた。今まで食われてしまった狩人たちもこうやって見送ってきたのかもしれない。
水平線に夕焼けが沈んでいくのを目を細めて眺めながらダンテがそういえば、と呟く。
「腹減ったな」
寝坊してブランチをとってからは何も食べていなかった。そう言われるとメアも急にお腹が空いてきて、腹の虫が騒ぎだしてきそうだった。
「ハンバーガー屋さんのフードトラックなら来た時見かけたよ」
「ちなみにピザ屋はないのか」
「ありそうだけど、誰かに聞いてみる?」
いやハンバーガーがいい、とダンテも同意したので歩いて五分くらいの位置だった店に向かうとちょうど店仕舞いをしようとしている時だった。確かにもう夜になってしまうからさっさと帰った方が賢明である。通り過ぎてきた飲食店も閉店準備をしているところが多かった。
トラックの横に掛けられた「トミーズ・バーガー」のネオンサインをタオルで拭いていた女性にメアはパタパタと駆け寄りダメ元で声を掛けてみた。
「すみません、もうお店閉めちゃいましたか?」
女性は振り返ると、メアたちの出で立ちを見ておやっと目を丸くする。五十代ほどのふくよかで優しそうなブロンドの女性だった。油で汚れたエプロンで手を拭くと、
「もしかしてあなたたち、新しいハンターさんかい?」
「ええ、そうです」
「今日はもう閉めちゃおうと思ってたけど、食べてくれるなら喜んで作るよ」
「いいんですか?ありがとうございます」
少し後ろを歩いていたダンテに親指を立ててオッケーサインを出すと、ダンテも淡く微笑んで肩を竦めた。
「やったな」
ラミネート加工された手書きのメニュー表を二人で覗き込んでいると、
「私のおごりだから何でも好きな物食べなさいね」
「そこまでしていただかなくても…!」
「食べたからには頑張って悪魔狩ってもらいたいからさ」
そう思えば安いもんさ、と店主はニコニコと笑った。その厚意に甘えて、ダンテはオリジナルバーガーとストロベリーシェイク、メアはロブスターサンドとチェリーコークを持ち帰りで注文した。店主が厨房に回っている間にダンテがレジ横のチップ入れのガラス瓶に20ドル札を突っ込んだのでメアはあっ、と声をあげそうになる。
「……これはあの人へのチップであって代金じゃないからな」
まあ足りるだろ、とぼやいてダンテはカウンターにもたれかかる。
空は暮れてきて橙色は息を潜め、もうほとんど夜の景色だった。ダンテの隣に並んでその景色を眺めながら、メアはほおっと息を吐く。
「悪魔、出るかな」
「気長に待つしかないだろ」
左手の灯台の方に目を向けると、じんわりと光が灯り始めるのが見えた。白い煉瓦の積み上げられた比較的背の高い灯台で、天辺のフレネルレンズがおだやかに明滅し始める。
「はい、お待たせ。こっちが坊やの分ね」
後ろから差し出された紙袋を受け取りながらダンテが坊や、とびっくり顔でオウム返しするのが可笑しくてメアは盛大に吹き出しそうになってしまった。
「ありがとうございます。気をつけて帰ってくださいね」
「はいよ、じゃあね。頑張ってね」
メアは店主にひらひらと手を振って、先を行くダンテの後を追いかけた。一応パトロールの名目でホテルを出てきたのだし悪魔を探さねばならない。のだが、歩きながらガサガサと紙包みを開きハンバーガーを一口かじったダンテがぴたりと足を止める。
「……うまっ」
メアが頼んだロブスターサンドも海が近いだけあってか鮮度もよく、スパイスの塩梅やパンの香ばしさもピカイチだった。
「こっちも美味しいよ」
食べる?と包みを差し出すとダンテは無言で頷いてかぶりつく。
「こっちも超美味いじゃん」
ハンバーガーも分けてもらうと、確かに牛肉のパテがジューシーで濃厚なチーズとソースの相性が抜群だった。
ふらふらと埠頭沿いの道を歩きながら、潮風に当たって食べるのも美味しく感じる理由の一つなのかもしれない。
「こりゃ、あのおばちゃんの為にも真面目にやるしかなくなったな」
早くもハンバーガーを四口程で平らげてストロベリーシェイクを啜りながら、ダンテはふうむと唸る。
「もうちょいヒントがあればな」
レディも押し付けるならちゃんと引き継げよな、と文句を漏らすダンテにメアはサンドイッチをかじりながら、
「崖で怪我したって言ってたね、レディ」
「崖か……」
咀嚼していた最後の一口をチェリーコークで流し込み、通り沿いのゴミ箱に袋を捨てる。ダンテは辺りを見回すと灯台の方に目を留めた。
「怪しそうなのはあっちか」
灯台は岩場の崖沿いに建てられている。行ってみるか、と二人は歩を進めた。
灯台の足元に来ると観光客向けの案内板が立っており、入口に向かってなだらかに石造りの階段が続いている。
そちらの道には従わず、裏に回り込もうとダンテたちが岩場に足を掛けて登り始めた時だった。切り立った崖の上から不気味な呻き声と鋭く空を切り裂く音が聞こえた。その黒い塊は一直線にダンテとメア目掛けて隕石のように落ちてくる。メアは頭を庇ってしゃがみ込むのが精一杯だったが、ダンテはリベリオンを抜き払ってその塊の一撃を受け止めていた。
「こいつは、」
いきなり大当たりなんじゃないか?とダンテは歯を食いしばりながらニヤリと笑った。鋭い爪とリベリオンとの間で摩擦が起き、赤褐色の火花が散る。
それは二メートルは優に超える人型の魔物だった。赤い目と獅子のような闇色のたてがみに、乾いた血のついた長い爪、灰色の肌に纏ったボロボロの布切れの下には無数の縫い目があった。その影から覗いた右脇腹の意匠にメアは息を呑んだ。
ダンテは片腕の力だけでリベリオンを薙ぎ、巨大な魔物の体を押し返すと、
「ノスフェラトゥ、って言うからてっきりあの映画のひょろっちい吸血鬼を想像してたんだが、だいぶ禍々しいやつが出て来ちまったな」
ノスフェラトゥは前傾姿勢でダンテに向かって威嚇するように牙を剥くと、大きく発達した足の腱を隆起させて高く跳躍した。
「逃がすかよ」
村の中心地に向かって駆け出したダンテの後を、ワンテンポ遅れてメアも追い掛ける。
建物の屋根の上を渡り歩くノスフェラトゥを目で追いながらダンテは先行してブリキ製のゴミ箱を足場に壁をかけ昇った。辺りを素早く見回してなるべく被害の少なそうなエリアを絞り込む。
「この先の広場を目指す!」
判った、と返してメアも並走しながらアサルトライフルのトリガーを引いた。面で銃弾をばら撒き敵の進行方向を減らしながら、目的地まで追い詰めていく。着弾するたび赤い飛沫が散るのだが、さほどダメージは受けていないようだった。クソ、と罵りたくなるのを堪えて石畳を蹴り上げる。
数百メートル走って広場が近付いたところでダンテは踵を返し屋根の上に踏みとどまった。そのまま突進してくる魔物に向かって走ると勢いをそのままに左足を振り抜き、回転蹴りを食らわせる。
道の先は円形の広場だった。中央には小さな噴水があり、昼間は村民たちの憩いの場であろうその場所にノスフェラトゥの巨体がめり込み、石畳が砕け散る。巻き上がった砂埃の中を睨みながらメアは銃を構えるが、2倍率の照準器でも敵影は捕らえることがまだ出来ない。
軽やかな音を立てて地面に降りてきたダンテがメアの背中をぽん、と叩いた。
「ナイス援護射撃」
構えを解かぬまま、ありがと、とメアは静かに礼を言う。
リベリオンを引きずりながら、ダンテは物怖じせずに見えない魔物へと近づいて行った。
「もうオネンネしちまったのか、吸血鬼さんよぉ」
その声に反応を示した魔物が腕を大きく振り抜いた。ダンテは短いステップで避け、空を切ったその腕に切っ先を叩きつける。反射で避けられノスフェラトゥの皮膚は浅く切れるに留まった。小さく口笛を吹きながら、やるじゃねえかとダンテは嬉しそうに笑みを湛えている。
その剣撃の応酬を目の当たりにしメアはじっとりと手の平が汗ばむのを感じていた。目では追えているが自分ではあの動きは到底出来まい、と思い知らされてしまう。震えそうになる膝を叱咤してメアは前へと歩みを進めた。
大きく開かれた顎による攻撃をダンテは剣で受け流し、蹴りと拳銃の掃射で間合いを稼ぐ。その隙を狙ってメアはノスフェラトゥの心臓部分に狙いをつけてトリガーを引いた。空になったマガジンを振り落として交換し、少しよろめいて怯んだノスフェラトゥが今度はターゲットをメアに変えて大きく飛んだ。血肉に飢えているのだろう。結局のところ食えれば誰でもいいのだ。
降ってきた巨体を前転の受け身で回避しながら銃を構えるも、避けきれていなかったのか左の太ももに浅い裂傷が走った。間髪入れずにダンテのリベリオンがその横っ腹に深く突き込まれる。口から血を撒き散らしながらノスフェラトゥは不協和音の咆哮を上げた。その喉元目掛けて銃弾を撃ち込む。
だいぶ弱って来たがしぶといな、と改めてメアは悪魔という存在を意識していた。そして同時に人間の脆さも、だ。
闇雲に暴れだしたノスフェラトゥの爪が、ダンテの左脇腹を抉り抜いた。赤い飛沫が散り、ダンテの体が後方に派手に吹き飛ぶのを見てメアは背筋が凍りつくのを感じた。
「ダンテ!」
片膝を付き、銃を固定しながらワンマガジンをあっという間に撃ち切る。敵が怯んだ隙にダンテに駆け寄ると、
「悪い、ちょっと考え事してたわ」
よっ、と勢いをつけて瓦礫の中から体を起こしぷるぷると頭を振った。犬のように撒き散らされた砂粒にうええっ、と顔をしかめつつダンテの傷の状態を確認するも、不思議なことに別段異常はなかった。見間違い、にしては出来すぎた光景を目にした気がするが今はそんな事を気にしている場合ではないのか、とメアは銃のストックを抱えなおす。
「悪魔ってあんなに硬いんだね」
「まずまずの歯応えだな」
少し楽しくなってきた、と首の骨を鳴らしながらダンテは魔物に向かって手をかざした。深々と刺さっていたリベリオンが血の糸を引きながら自我を持ったようにダンテの手の平に飛び込んで行く。手品にしては血なまぐさいそれにメアは呆気に取られそうになった。さっきから度々人知を超越した何かを見てしまっている気がする。疲れているのは確かだったが夢を見るにはまだ早いはずだ。
そろそろ体力の限界なのか、覚束無い足取りをしながらもノスフェラトゥは再び地面を蹴った。ダンテも両手で柄を握り込みながら渾身の力で切っ先を魔物の胴体に捩じ込む。噴き出した大量の悪魔の血でダンテの銀髪が染まっていく光景に、メアは美しさを見出していた。日頃気だるげなダンテが生き生きしているせいもあっただろう。
ノスフェラトゥはガタガタと体を震わせながら最後の力を振り絞って腕を振り上げた。
「もう諦めろよ」
と嘲笑うダンテの眼前で、魔物の爪から黒いコールタール状の液体がぼたり、と怪しく滴り落ちた。そのまま切っ先がダンテの右胸を抉り去る。コートを貫通して振り抜かれた斬撃はメアの目にも明らかだ。反射的にメアは魔物の脳天目掛けて弾を撃ち込むと、ようやくどう、と重い音を立ててノスフェラトゥの体が地に倒れ伏した。
カラン、と澄んだ音を立ててリベリオンを取りこぼしたダンテが地面に片膝をついた。覗き込むとコートの上から胸を押さえているが、やはりそれほど重傷ではないのかもしれない。
「かすった、だけだ」
「本当に?」
「ああ」
そうこうしているうちに騒ぎを聞きつけたのか隠れて見守っていたのか、何処から村人たちがぽつりぽつりと姿を現した。漁師らしき青年がダンテに怖々と尋ねる。
「悪魔は死んだのか…?!」
「だと思うぜ」
メアはノスフェラトゥの亡骸に近寄ると、血に汚れた右脇腹に目を落とした。
ああやっぱり見間違いじゃなかった、とメアは目を細めた。そこにはスカルと血の滴るハートが絡み合った意匠のタトゥーが入っていた。このデザインは、父の腕にも入っていたものだ。それから……、とメアは自分の脇腹を押さえてふるふると頭を振った。
ここで考え込み出したら埒が明かない、と立ち上がるとダンテにぐいと肩を掴まれた。
「ごめん、俺先にホテルに帰るから、村長のおっさんの対応任せるわ」
その顔がいつもより青白い気がして不安になったが、メアは判ったと頷いてその背中を見送る。
ワーフには既に野次馬の村民が連絡を入れてくれていたようで、さほど待たずに話が出来た。
ありがとうございます、と人々から泣きながらお礼を言われたが本来この賛美を浴びるべきなのは私ではなくダンテなのに、とメアは困ったように笑う事しかできなかった。
ノスフェラトゥの死骸は即刻焼却処分される事になり、力自慢の漁師たちの手で使われていない波止場へと運び込まれた。多くの村民たちが見守る前でオイルがかけられ、火が放たれる。魔物はあっという間に灰になって跡形もなく海へと散っていった。メアもその様子を最後まで見送り、火に照らされた人々の安心した顔や祈る横顔をぐるりと眺めた。
放心しているワーフにメアは微笑みかける。
「今夜はゆっくり眠ってくださいね」
ワーフの鳶色の瞳から涙が溢れ出した。




依頼完了に際しての詳しい事は明日のお昼、お互いにゆっくり休んでからと話をつけてメアはホテルに戻った。
部屋の鍵は開けっ放しで、ぼんやりと取手を掴むとぬるりとした感触があり、メアは小さく喉を引き攣らせて一歩後ずさってしまった。
赤い血糊がベッタリとついているのを見て、メアは転がるようにダンテの名前を呼びながら部屋に飛び込む。ソファーの上にはダンテのコートが脱ぎ捨てられていた。その脇にハンドガンだけ残して装備と上着を放り投げながら、耳をそばだてると、浴室でシャワーの栓が開いている水音が響いていた。
「ダンテ……?大丈夫……?」
返事らしい返事はない。入るよ、と声を掛けてからシャワールームのドアを開けると、そこには頭から水をかぶってずぶ濡れのダンテがぐったりとバスタブに寄りかかって床に座り込んでいた。
強い水流に押し出されるように赤い血が右胸からとめどなく流れ落ちているのを認めてメアは強い目眩を覚える。濡れるのも構わずダンテの頭を持ち上げて頬を軽く叩きながら名前を呼ぶが、その目蓋は重たく落ちたままだった。
とりあえず救急車を呼ぼうと、シャワーの栓を閉めてから慌ててシャワールームを飛び出そうとすると、ふいにぐっと腕を掴まれメアは足を滑らせて尻餅をついてしまう。
「あいたっ!」
「……っ、と、悪い。ちょっと、疲れて寝てた」
意識を取り戻したらしきダンテに四つん這いで近寄って、メアはその顔を険しい表情で覗き込む。
「寝てたんじゃなくて気絶してたんじゃないの?! こんな怪我してたら病院行かなきゃダメでしょうっ……止血もしないで放置して、馬鹿じゃないのっ」
「……いや、いつもより治りが悪くてさ」
「意味がわかんないっ……」
鎖骨の少し下を斜めに四本ほど抉られて、その傷は背中側にまで達していた。常人なら痛みで発狂しても可笑しくない状態だったがダンテは至って平静だ。その様子に不安と混乱が押し寄せてきてメアは思わずうわあっ、と声を上げて泣いた。その泣き声にようやく目が覚めたのかダンテがおい、とメアの腕を掴む。
「死んじゃやだよぉ……っ」
「判った、判ったって、死なないから。大丈夫だから泣くな。すぐに治すからちょっと待てろ……」
ダンテはげほり、と咳き込んで血の混じった唾を排水溝に吐き捨てると、はあと息を吐いた。
「目、閉じててくれないか」
「なんで」
「どうしても。プライバシーってやつ?」
瞑っている間にダンテが消えていなくなってしまったらどうしよう、という不安に駆られてメアは鼻をすんすんと啜りながらダンテの左手をきゅっと握った。それをダンテは少し不服そうに見やっていたが、まあいいかと諦めたらしい。
メアが目蓋を閉じてしばらくすると、空気が震えてざらりと肌を撫でた。ああこれは、と懐かしい気持ちになった。初めてダンテに会った時にも感じた"気配"だ。あの時と大きく違うのは、握った手の感触だった。
メアは目を瞑ったままダンテの指先をゆっくりと撫でた。鋭く尖った爪と鎧のように硬くなった指の節と手の甲、そのまま上に辿ると艶やかな鱗のような質感があった。これも手品の一環だろうか、と不思議に思いながらふわりとメアは涙で濡れた睫毛を持ち上げる。
そこにいつものダンテの姿はなかった。アイスブルーの瞳は黄金色に光り、銀髪はナイフのような曲線を描く角に変わっていた。口元から覗いた鋭く光る牙は、やはり悪魔のそれだった。それでも怖い、とは思えなかった。ダンテが人と少し違うのは何となく判ってはいたことだった。超人的な戦闘能力と身体能力、それから"半人半魔"というキーワードーー
じわじわと塞がっていく胸の傷痕を息を飲んで見つめてから、良かった、とメアはそっとダンテの首に腕を回して頬に唇を寄せた。
「どんな姿になってもね、私は、ダンテのことが、」
ぼんやりとしていて耳元で漏らしかけた本音をメアは慌てて飲み下した。ざらりとした空気が再び肌を撫でて、ダンテの姿が人の形に戻る。
すっかり塞がった胸の傷痕を誤魔化すように撫でていると、ダンテがずいっと覗き込んできた。
「俺のことが、何だって?」
カアッ、と耳まで熱が昇るのがよく判った。ニヤリと笑うダンテの表情でなんだ!もう全部バレてるじゃないか!とメアは唇を尖らせる。
「絶っっ対に言わない」
「あんなに泣いてたのにか?」
腰を手繰り寄せられて耳元で囁かれ、メアは思わず顔を背ける。お腹の辺りがずくりと重たく疼く感触がして居心地が悪い。
「泣いてない」
「そうか」
そこでひょいっと体が宙を浮いて両手足が空をかいた。何事かと目を瞬かせていると、いつの間にか体がベッドの上に放り出されており、ぽかんとして横を見ると海の見える自分の部屋に居た。
「えっと、ダンテ……?」
「本当にお前はさ、目開けるなって言ったのに開けるし、」
眉を潜めたダンテがギシリ、とベッドを軋ませながらゆっくりと覆いかぶさってきて、メアは思わず驚きで目を見開いた。
「嘘はつくし、ガキみたいに泣くし」
「ガキじゃないもん」
「そういうとこがガキだろ」
「うう……」
水に濡れたダンテの髪の毛からぽたぽたと水滴が滴り落ちてきて、メアの火照った頬を濡らした。まるで泣いているみたいだ、とメアはダンテのアイスブルーの瞳を見上げる。
「ビビりかと思えば意外と強情だし、」
するりと髪を結んでいたゴムを抜かれて、ダンテが手ぐしで濡れたメアの髪を梳く。
「人の気も知らないで振り回しやがってさ」
「それはっ……ダンテにだけは言われたくない……!」
ムッとメアが眉をしかめるとふはっ、とダンテが笑い声を上げてそうかもな、と肯定する。
そこからこつん、とメアの額に自分の額を寄せるとダンテは静かに囁いた。
「俺はそんなメアのことがいつの間にか好きになってたんだけど……お前はどうだ?」
柔らかく優しい声で告げられたダンテの言葉が一瞬理解出来なくて頭が真っ白になった。それからじんわりと染み込んできたその意味にメアは下唇をぎゅっと噛みしめながら、ぽろぽろと涙を流した。
ダンテが、私のことを好き?
てっきり片思いだとばかり、思っていたのに。
「またからかってたりしない?」
「しない」
「本当に?」
「本当」
こんなに優しい声が出せたのか、と驚くような甘い声だった。メアは近すぎてぼやけるダンテの銀色の睫毛に縁取られた瞳を覗き込みながらすう、と息を吸った。
「私もね、ダンテのことが好き」




どちらから求め始めたのかも判らない啄むようなキスをしながら、ダンテの手でゆっくりと濡れた服を脱がされていくのは堪らなくこそばゆかった。肩から背中、お尻の辺りまでするすると撫でられてお腹の底がむずむずとしてしまう。セットアップの青いレースの下着姿になったメアを見て、ダンテもズボンを脱いで下着一枚になりながらふっと笑う。
「服を脱がせたのは二回目だ」
がっくりと項垂れてメアはやっぱり、と呻いた。舞踏会の夜の醜態も何となく判ってはいたことだ。
「お前が脱がせって言ったんだからな」
「だよね……」
メアの体を膝の上に抱き寄せて頬を撫でながら、ダンテが吐息混じりにメアの唇を舌で割り開く。ぬるりと口蓋を舐め上げられてメアはふあ、と情けない声を漏らした。体のラインをなぞられながら舌を絡め取られて苦い血の味が広がったが、それにもまた背筋がぞくぞくと疼いてしまう。その頭の芯が蕩けるような感覚に、ダンテの腕に掴まりながら舌を夢中で追いかけていると、
「……ディープキスも二回目だ」
「うそ、でしょ……?」
「悪い、あれは俺からした」
ごめん、と手の平に顔を埋めて赤くなった頬を隠そうとしているダンテが可愛くてメアは物珍しさにしばらくじっと眺めてから、するりと首に抱きついた。別にダンテからのキスなら嫌じゃなかったはずだ、その時の私だって。
「許すよ。……覚えてないし」
「それはそれでな、」
少し寂しいんだけど、とベッドに押し倒されてまたちゅっ、と唇を吸われる。無骨なダンテの右手がメアの首筋から鎖骨を撫でて胸の膨らみに行き着いた。温かな手の平がしっとりと湿ったブラを下から押し上げ、ふるりと零れ落ちた白い乳房をやんわりと包み込む。
「っ、ふ……」
「こうやって触るのは、初めてだな」
脚を割り開きそこにダンテは体を滑り込ませると、メアのブラを左右とも押し上げて両の手でゆっくりと揉みしだく。軽い疼きが皮膚の下深くに染み込んでいくようだった。手の平で掴んでも指の隙間からふにり、と余る膨らみにダンテは満足げにそっと舌を這わせた。
「ひあっ」
思わず上がってしまった声を堪えるように唇を引き結ぶと、ダンテはペロリとその唇に舌を這わせてそのまま首筋から鎖骨をなぶった。熱い濡れた舌の感触にぞわぞわと腰が震えてしまう。
「そういえば、まって、ダンテ、私ちゃんとおふろはいってないの」
既に呂律が怪しくなっていることに恥ずかしさを覚えながら、メアは汗ばんだ体を縮こまらせた。夕方に浴びたっきりで汗と砂埃と血に塗れているはずだ。
「気にしない」
脚を持ち上げられてキスをされたのは魔物に切られた浅い裂傷だった。秘所に近い内腿の、腫れた生乾きの傷をざらざらとした舌でなぶられた後に歯を立てられて「ふあっ」と声が漏れてしまう。
メアは恥ずかしさともどかしさで小さく震えながら、眉根を寄せてくしゃりとシーツを握りしめた。その反応におや、とダンテはメアの耳元に口を寄せ、
「なあ、もしかして"したこと"ないのか?」
メアは観念したように大きく息を吐くと、手の平に顔を埋めてこくこくと頷いた。
「……ごめんなさい」
処女は嫌われると学校の友達から聞いたことがあって必死に隠そうと頑張ってはみたがやっぱりダメだった。ダンテはあー、と少し気まずそうに声を上げてから、
「謝んなくていいっていうか、俺もちゃんと好きなやつとはしたことないし……」
「そうなの……?」
「そう。……お前の初めてが、俺でいいのか?」
そのたどたどしい告白にメアはとろん、と笑みを浮かべると、銀色の前髪の下で赤くなっている頬をむにり、とつまんだ。
「すごくうれしい」
やべえ恥ずかしいなこれ、と呟くダンテの頭を抱き寄せてメアの方からそっとキスをした。お互いの体を擦り寄せると、密着した素肌の上にいっそう熱が宿るのが判った。とくん、とくん、と脈打つ互いの心臓の音が判って、二人の体からふわりと強張りが抜けていく。
くちゅ、と音を立てて舌を絡ませると溢れた唾液が顎を伝い落ちていく。それを辿るようにダンテの舌の先がメアの赤くさくらんぼのように色づいた胸の頂点を擦り上げた。そのままちゅぷちゅぷ、と吸いつかれてひくりと腰が反り返ってしまう。
「っ、あっ、う」
固く立ち上がりはじめた尖りを執拗になぶる赤い舌を見つめながら、自分の体がこんな風に反応することをメアは初めて知った。
じわり、と下腹部から押し寄せる得体の知れない波のようなものが怖くて、空いた手でダンテの腕を掴むとそっと指が繋がれた。その絡まる温かさにまたお腹の辺りがきゅう、と切なくなる。
ダンテは体をずらしてメアの脚を更に開くと、ぽろぽろと零れてしまう生理的な涙を舌で舐めとってからやわい下腹部を空いた方の手でするりと撫でた。
「触っても平気か?メア」
耳元で低く囁かれて頭の芯がどろりと溶けるような感覚にメアは声も出せずにこくこくと頷いた。ダンテの指がショーツを器用に脱がしていく。露わになった下半身がひどく頼りなかったが膝を閉じたくても間に挟まったダンテの体がそれを許してはくれない。
繋いだ手をぎゅっと握られてから、ダンテの無骨な指が薄く柔らかい恥毛の生えたメアの丘をなぞる。
唾液を絡ませた指で尖った萌芽をぐにぐにと擦られ、背中がしなり体の奥から何かが零れ落ちるような感触があった。節くれ立ったダンテの指がつぷりと体の中に埋まっていく。メアの中心は既に熱くどろどろに溶けきっていた。
「メア、力抜けるか」
ダンテに名前を呼ばれるたびにきつく締まってしまう下腹部から、メアは短く息を吐きながらどうにか力を抜いていく。
上気したメアの頬にキスを落としながら、ダンテはもう一本指を増やしてやわやわと薄桃色の秘所をかき混ぜた。ちゅぷ、ぬちゅ、と濡れた音を響かせながら時折萌芽をくすぐられ、メアは顔から火が出るのではという思いに駆られる。
「痛くないか?」
「へい、き……っ」
ダンテが少し困ったような顔をしているのでメアは繋いでいた手に頬を擦り寄せてから、
「どした、の?」
「いや……俺の入れたら痛いんじゃねえかなって」
腿の付け根に目を向けると下着の中で大きく張り詰めたダンテの陰茎が見えた。確かに一際大きいそれを受け入れられるのかは判らなかったが、メアはダンテの指をそっと甘噛みしてから、
「痛くても、いいよ。ダンテの、私の中に入れて欲しい……」
ぐっと奥歯を噛みしめる音が聞こえた。眉をしかめてダンテは苦笑すると、
「お前、そうやって煽るの止めろよな」
「? 煽ってないよ……?」
そうかよ、と投げやりに答えながらダンテは下着を脱ぎ捨てると唾液で濡らした手で自身の芯を軽く扱き、ベッドサイドに用意してあった避妊具をつけた。熱い先端が入口に宛てがわれ思わずメアはひゅう、と息を呑む。
「息ゆっくり吐いて」
おでこにちゅ、とキスをされてふわりと体の力が抜けた。ぐちゅり、と濡れた音を立てて内側に押し進んで来たダンテの芯の硬さと熱さに目の前でパチパチと鮮やかな火花が散る。
「んっ……あっつい……」
「きっつ……」
痛みも出血もあったがそれを上回る多幸感に先程までの恐怖が押し流されて行く。ぐりっ、とお腹の最奥を持ち上げられるような感触にビリビリと甘い疼きが体の真ん中を走り抜けていった。
「ん、やあっ、ダン、テ…ぇ…っ」
ピクン、と体を震わせてメアは目の前が白く染まるのを感じた。
ダンテは額の汗を拭いながら苦しげに顔をしかめる。
「今のでイッたのか?」
「なん、か、白くなった」
ぼんやりと息を切らしているとダンテに腰を掴まれてごりっ、と恥骨を押し当てられる。
「全部入った」
お腹の中が苦しくて息をするのにも精一杯だったが、ダンテのそれを受け入れられたことが何よりも嬉しかった。メアはひゅう、ひゅう、と胸を揺らしながらダンテの首に手を回す。
「動いても、平気……だよっ」
耳元で囁くと、ダンテはメアの体を抱えてゆっくりと腰を動かし始めた。お互いの体液が混ざりあった液体に濡れ、ダンテの分厚い胸板に乳房の尖端がすりすりと擦られてそれがまた甘い快感につながってしまう。
頭がどうにかなってしまいそうだ、とメアはか細い嬌声を上げながらダンテの背中に爪を立てた。
「ダ、ンテっ……ダンテェ……っ、」
段々と激しくなる腰の動きと高まる快楽の熱に思考がオーバーヒート寸前でメアは名前を呼ぶことしか出来なくなっていた。
ギリギリまで抜かれた杭でぱちゅん、と最奥を抉られるたびにお腹の奥が甘く締めつけられる。その度にハッ、とダンテが短く息を吐いて切ない顔をするのが堪らなくセクシーで愛おしくて全てが連動して熱が高まっていく。
ダンテは律動を早くしながら切羽詰まった表情でメアの体をぎゅうと抱きしめた。
「メア、俺、そろそろ……く、ぅっ」
「あっ……あああっ……!」
二人で達する瞬間、呼吸を奪い取るようにダンテにキスをされて、メアはさらにきゅう、と自分の中がダンテの雄を締めつけるのを感じた。最奥で吐き出された熱い精の感触と、弓なりにしならせた爪先、真っ白に染まった世界。あまりにも幸せすぎて、このまま死んでもいいやと思えた。
お互いの吐く息の熱さを唇で感じ、異なる青色の瞳を見つめあいながら、メアは掠れた喉で呟いた。
「好きだよ、ダンテ。大好き」




悪魔との戦闘と3ラウンドのセックス、それから連日の睡眠不足の結果、昼頃まで泥のように眠っていたダンテはざわつく波の音で目を覚ました。
いけね、村長と話し合わなきゃいけない予定だったな、とまだ開き切らない目蓋をこじ開けながら、予定を思い出してダンテはベッドから体を起こした。
シーツ上はひどい有様だった。汗と精液と愛液、それからメアの破瓜の血がゼンエイゲイジュツのような染みを描き出している。ベットメイキング担当のスタッフが見たら呆れ返るに違いない。
そこまで眺めてから傍らに抱いて眠っていたはずのメアの姿がなく、シーツが冷たい事に気がついた。
部屋を見回すと彼女のスーツケースがなくなっていた。裸のままベッドを抜け出してリビングに向かうも、浴室も他の部屋にも気配はない。装備品の入ったギターケースもなくなっていた。
メアの荷物だけがごっそりと消えている。
他に変わった場所は、と視線を彷徨わせてローテーブル上のゴシップ誌がなくなっていることに気がついた。
それからホテルのメモ用紙に走り書きされたメッセージを見つける。
『どうしても一人で解決したい事が出来ました。どうか私のことは探さないで。今までありがとう、便利屋さん。』
丸っこくて子供っぽい字だと鼻で笑ってから、ダンテは苦々しくその置き手紙を見つめて額に拳を強く押し当てた。
「あんのバカメア」

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