迷路 | ナノ

ハッピーエンドに言葉はいらない



※"甘酸っぱい贅沢"の数日後の時間軸。




ふに、と自身の唇を触る。弾力があるそれは触っただけじゃなにも感じないはずなのに、あの時の光景が思い出されて熱くなる。
あの時、そう、高尾くんがこの唇に触れた時だ。雨が降っていて、相合傘で、横断歩道を渡ろうとして、腕を引かれて、それで。
数日が経った今でもすぐに思い出せる感触。むしろ高尾くんの顔を見ると浮かんでしまうから、戸惑いが隠せない。

手鏡の中の自分の唇は少し荒れていた。……キス、する前にリップ塗っておきたかったな。すっかり忘れていたし、まだ早いと思って気を遣ってなかった。意識が低すぎる。かさかさだったよね、一瞬だったから何もわからなかったけど、高尾くんはどう思っただろう。
彼はあれ以来特になにも変わってない。だからこそ少しもやもやする。もうしたくないのかな。

……あれ、私、そんなに高尾くんとキスしたいのか。
そこまで考えてぼぼっと顔が熱くなる。わ、私いつからそんなに積極的に考えるようになったんだ。ついこの間まで高尾くんをじっくりゆっくり好きになっていったのに、いきなりキスしたいだなんてぶっ飛びすぎでしょ。欲求不満とか、そんな、ことはないと思いたい。
もうやだなー、高尾くんはほんと私の心を乱しすぎだ。熱くなった顔を冷ますようにパタパタと手で扇いでいれば、「みょうじちゃん体育頑張ってたね」後ろから声をかけられて心臓が跳ねる。

「高尾くん、おかえり。……見てたの?」
「ただいまー。見えたの。俺目はいい方でさ」

「空振り三振してたね」プククと笑いながら机に腰掛けた高尾くんに口が尖る。やっと男子の体育が終わったのか、ぞろぞろと教室に男子が帰ってきた。女子は先に終わっていたのだ。ちなみにソフトボールだった。

「男子のテニス、私もちょっと見たよ。緑間くんかっこよかったね」
「俺は!?」
「高尾くんの審判姿もかっこよかった」
「審判姿かよ! まあ今日は調子悪かったから見てもらわなくてよかったけどさ」
「調子良かったら見ていいの?」

私としては調子良くても悪くても体育姿を見られるのは嫌だけどな。彼の考えは私みたいなやつにはたまに理解できないものが多い。そういうところを理解しようとしたいんだけど、そのためにはもっともっと高尾くんを知らなきゃなあと。ずい、と疑問に近づけば、隣の席の高尾くんは一瞬言い詰まった顔をした。しかしすぐにへらりと笑う。

「そりゃ、好きな子にはかっこいいとこ見せたいっていう男心、ありますし?」

近づきすぎた。視界いっぱいに映る高尾くんの笑顔。すぐに離れる。う、くそう、かっこいい。また好きが重なる。というか高尾くんはそうやってすぐ甘い言葉でたぶらかすんだから。

「……好きな子のかっこ悪いところも見たい女心もあると思う……ます」

机に視線を泳がしながらもごもごとつぶやく。あー、恥ずかしい。でも高尾くんと一緒にいると自分の気持ちを言いたくなっちゃうんだから不思議だ。
ちらり、反応を窺えば、高尾くんは一拍置くと笑顔で机にダアンと拳を振り下げた。肩が跳ねる。

「……あんさ、みょうじちゃん。今日ちょっと昼飯教室出て食わね?」
「外? でも今日は雨だよ?」

高尾くんとは昼ご飯を共にするようになった。彼が部活で忙しく、一緒に帰りたいけど遅くまで残らせるのは悪いとのことで、せめてお昼ご飯は一緒にと私から無理を言ったのだ。頑張った、私超頑張った。高尾くんはものすごい笑顔で全力で縦に首を振ってくれたけど、なんだか優しさに甘えた気がする。しかし彼女だからいいよねと、少し棚に上げることにした。
それはともかく、今日は雨。教室を出て食べようにも生憎の天気だ。しかし高尾くんは「いいの」と何かを耐え忍んでいるような表情だったから私も頷くしかない。

「思い出はいつも雨だから!」

ううーん、ちょっとよくわからないですけど。




雨はやはり室内でおとなしくしておくに限る。それに気づいたのは、昼食を持って屋上に続く階段に着いた時だ。
屋上の扉の前、屋上が立ち入り禁止でしかも雨の日のそこは人がいないスポットである。ひと気がないということは、そこを利用して人目を忍んだ行為をするには最適ということだ。私たち二人で昼食を食べること然り、……キスをすること然り。

踊り場を曲がり、屋上の扉へと見上げればそこの前には一組のカップルがいた。そしてとても熱い口づけをかわしていた。
びっくりして目が点になる。あちらは私たちに気づいていないのか、いまだに舌を絡ませあっていた。把握した瞬間、頭に血が上る。ドラマでさえ、家族とキスシーンを見ることは気まずいのに、他人のキスを生で見るなんて。しかも高尾くんと。どうしよう、どうしよう、ここは邪魔しちゃだめな場所でしょ。でも衝撃的すぎて視線も足も動かない。ここまでたった数秒のことなのに、とても長く感じた。

腕を引かれ、踵を返す。引っ張る高尾くんの顔は見えず、そのままその場を後にした。階段を下り、廊下を歩く私たちに会話はない。気まずすぎるって。これ超絶気まずい。
少し足が迷いつつ、高尾くんは資料室に入った。人はいない。う、うわあ、てっきり教室に戻ると思ったのに。こんな状態で二人きりなんて。立ち止まった彼がゆっくり振り返る。どくどくと心臓が高鳴った。

「おっし、昼飯食おーぜ!」
「……え、あ、うん」

普通だ。いつもの高尾くんだ。「あんなとこでベタベタすんなってな」苦々しげにつぶやいた彼は笑いに変えているのだとすぐに気づいた。す、すごいな高尾くん。後腐れないようにするなんて並大抵の人物じゃそうできないよ。
しかし気持ちは随分軽くなった。うん、気にしないのが一番だしね。私もコンビニで買ったパンを開ける。今日は菓子パンとカレーパンだ。
いつものようにバスケ部の話を聴いたり、学校の先生のことを話したり、他愛もない話で昼食を進めた。高尾くんは授業中に早弁をする人なので、すぐに昼食を終える。菓子パンを高尾くんに少し分け与えると、親鳥から餌をもらう雛のように喜んだ。可愛いな、まったく。
私もカレーパンを頬張る。美味しい。「みょうじちゃんはウマそうに食うから見ててマジで好き」喉につまりそうになった。好きって、ちょっと!

「そんな恥ずかしいことよくさらりと……」
「えー? 照れてんの?」
「てっ照れてな」
「プッ、ブハッ! みょうじちゃ、カスついてるって!」

私の顔を見た高尾くんは吹き出すように笑うと、すっと手を伸ばしてきた。きっと生まれもっての癖なんだと思う。彼はスキンシップを取りやすい人なんだ。
運動部ならではの少し固い指先で、私の口の端についたカスを取った彼。そこでお互いぴたりと止まった。距離が、顔が、近い。
ふと高尾くんの眼が変わったことに気づいた。優しげだった彼のそれが、まるで鷹のような眼に変わる。ゆっくりと細められ、顔を近づけてきた彼に私もつられて目を薄めそうに……なって、浮かんだ。先ほどのカップルのキスシーン。少し大人な情熱のあるアレ。

私、いまカレーパン食べたばかりで、唇は油がついてるしカレーの味しかしないし、パサパサしてる。だめだ、恥ずかしい。
気づいたら顔をそらしていた。私も高尾くんも目を見開く。静まった空間、窓の向こうの雨音だけがザアザア響いていた。




……拒否られた。
いや、拒否られたっつか、がっついてると思われた? やべ、タイミング間違ったっぽい、よな。これは。
顔をそらしたみょうじちゃんの目は揺れている。きっと心情と繋がってんだろーね。俺も俺でバクバクと心臓が痛いくらいに脈打った。やべ、泣きそう。いや、うん、俺が悪いんだけどね。
つーかそりゃそうだわ! あんな他人の生チューなんて見せられて、「じゃあ俺らもしようぜ!」とかなるわけないじゃん! 少なくともみょうじちゃんはそういう子じゃねーじゃん! バカかっつの俺は! なに当てられてんだよ恥っず!

さて、こっからどうしよーかね。何事もなかったかのように装う? 冗談でしたーって誤魔化す? なんでさせてくれないのって問い詰める? どれもハズレとしか思えねー。
自分の愚かさに吐き出したい息を体内に留め、みょうじちゃんに顔だけでなく身体も向ける。一瞬肩を揺らして俺をおずおずと見てきた彼女に苦笑いが浮かんだ。怖がらせたくは、ないんだけどね。みょうじちゃんに合わせようってずっと思ってたってのに、俺ってやつは。

「ごめんね、みょうじちゃん。もう無理やりしないからさ」
「……え」
「する時はしますっつーから」

そういう問題じゃねえことは薄々わかってる。けどさ、俺だってしたいんだよ。キス。無理やりはしないから、キス自体を拒まないでほしい。拒まないでくださいマジで。
正座の心持ちで懇願するように声を出せば、みょうじちゃんは自身の口元を手で覆いながらつぶやいた。聞き取れなかったから少しだけ耳を寄せる。

「……して、くれるの?」

すぐ離れた。
え、うわ、ちょ、やべ。あ、だめだ。いや、わかってる。キスのことだってのはわかってんだけど、ちょっと違う意味に捉えたわ。ってそうじゃなくて、え? していいの? マジで?
信じられなくて目を丸くしながら凝視すれば、みょうじちゃんはすっげー赤くなりながら目を泳がす。かわいい。

「私も、ごめん、あの、嫌じゃなかったんだけど、かっ」
「か?」
「カレーが……カレーパンがね……!」

そうして口元を抑えながらものすごく恥ずかしそうに目をぎゅっとつぶったみょうじちゃんに、俺は終わったと思いました。終わってまた始まったっつーか、もういいよ、自分でもなに言ってるかわかんね。でもこれだけは確かに言える。みょうじちゃんが可愛くてつらい。
彼女の口を塞いでいる手を掴み、強引にあける。驚いた拍子で開いた唇の間から舌がちらりと見えた。思わず生唾を飲み込む。
カレーパンとか、そんなんで止められたら俺も苦労しないんだわ。つか俺もカレーパン好きだよ。はは、そゆことじゃねーわな。
まずは唇を合わせて、感触を楽しんで、ぺろりと舐めてそうして中まで入って。逃がさないように舌を捕まえて、濡れたそれに酔って全部を味わって。

……ってしたいけどやめとく。みょうじちゃんも同じ気持ちじゃなきゃ嫌だ。だからもう少し待つから。それに、キスはそれだけじゃねえし。
動揺した彼女の隙をついて頬に口づける。ぱちくりと驚いた様子のみょうじちゃんに吹き出した。

「わり、"します"っつってねーわ」

赤くなって目を回した彼女は言葉にならない声を上げながら頬を抑えた。キャパオーバーってやつ?
あーもう、合わせるとは思ってるけど俺も一端の男だしさ。

だから早く、早く。俺を求めてよみょうじちゃん。



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