庭球番外編 | ナノ

▼ あの時の少年は

※本編「一氏先輩の気づき」に記した過去とリンクした、本編前の時間軸。




光、と自分を呼ぶ声に嫌気が起こることはなかった。小さく息を吐いてうんざりげに振り返って、「なんですか」と重ったるく言葉を出しながらあの二人の中に入るのが、嫌いやなかった。俺がしゃべんなくても勝手に進むし、だる絡みうざいけどわりとおもろいし、なにを言うてもツッコミやボケで返して本気にせえへんから気軽っちゃ気軽で。
単品で見てもええ人たちやとは思う。せやけど、二人でいる時の破壊力というか、うるささというか、……楽しそうなところとか。俺は、二人でいるあの二人が、好きなんやと思う。

覗きこんだ8組、小春先輩の周りには男女関係なく人が集まっておった。楽しそうに談笑しているその光景には、暑苦しいくらいうっとい男はおらず。
いつからやったっけ、ユウジ先輩が小春先輩から少しずつ離れていくのがわかるようになったのは。興味ない俺にもわかるくらいや、目ざとい白石部長や本人である小春先輩がユウジ先輩の様子に気づかないわけがない。小春先輩から「ああんうっといわー!」と距離を置くのはわかる、が、あのユウジ先輩から離れるなんて。最初に気づいた時は我が目を疑った。

「光やないのー。なんや用?」

輪の中から外れて扉へと向かってきてくれた小春先輩に、一拍置いてから「はい」と言葉を洩らした。小春先輩の隣どころか、教室にすらユウジ先輩はおらんかった。
部活のことで用件を伝え終え、了解と指で丸を作った先輩の眼鏡の奥を覗きこむ。ふれてええのかと一瞬迷ったが、すぐに迷いを切った。なんでこの人らに気を遣わなあかんねん。

「最近なんなんすかユウジ先輩」
「ユウくん?」
「全然見ませんけど。腹でも下しました?」

それとも本格的にフったんすか? と笑みを込めて訊けば、先輩はきょとんとしたあとにすぐに笑みを零した。「光なりの優しさやねぇかわええわあ!」ほざかれて顔が固まる。

「ユウくんはね、反抗期」
「はあ?」
「気づいてくれるとええんやけどねえ」

頬に手を当てながら感慨深く息を吐いた小春先輩に、意味わからんと眉を寄せる。反抗期、てなんやそれ。喧嘩でもしたっちゅーんか。見るからに小春先輩の方が大人やから意固地になっとるのはあっちなんやろな。

「喧嘩なら早よ仲直りでもした方がええですよ。余計なお世話でしょうけど」
「そやねえ」

にこにこと笑む小春先輩の考えが俺にはさっぱりわからんかった。……わからなくてもええけど。
小春先輩と別れ、そろそろ予鈴が鳴る時間のため急ぎながら教室へ足を進める。途中、廊下の向こうからとぼとぼと歩いてくるユウジ先輩が見えた。覇気のないその姿に知らずと苛立ちが募った。なんやそのだっらしない顔。
「ユウジ先輩」声をかけるとギロリと睨まれた。いつもの目ではなく荒んだようなそれにぎくりと肩が強張る。

「なんやねん」
「……いや」

機嫌悪そうに俺の横を過ぎ去っていったユウジ先輩。その背中を見ながらはあと重い息を吐いた。夫婦喧嘩は犬も食わないゆう諺あるように、俺もあのホモ共には関わらへん方が身のためかもしれへん。吐いた分だけ息を吸いこんだつもりが、肺にはなにも満たされない感覚が襲った。なんやこれ。なん、この、虚無感。

「光くん、今日は一段と生気のない顔してますよ」

ぼんやりしていた意識がクリアになった時、視界で顔を引きつらせていたのはなまえやった。……あ? 生気ない? は? ざけんな。その腹立つ顔を崩すように頬を引っ張れば、「あたたたた!」と一気に歪んだ。

「普段から生気ないお前に言われたないわ」
「すみませんすみません! なんだか元気ないように見えたので!」

ぱっと手を放す。頬を擦りながら泣きそうな顔で見てきたなまえを放心しながらしばらく見たが、自嘲の笑みを零した。元気ないて、元気あるわ。こいつに心配されたことでちょお元気なくなったわ。
文句でも言いたそうななまえは俺の後ろの席に戻ると、「は、は、話なら聴きますよ」と背後から小声でつぶやいた。怖いわ。しゃあなしに振り返ると、俯き気味に笑いながら、小さく親指を立てている。ほんまこいつの内気でうじうじしとるとこ腹立つ。苛立ちのまま立っている親指を潰した。




毎週金曜の放課後に行われる四天宝寺華月での公演。この時ばかりは最近離れとる二人も普通に漫才を続けていた。休むことはプロやないとでも言うのだろう。ギャハハハと隣の謙也さんのバカ笑いが耳に障るが、確かにあの二人の漫才はめっちゃおもろかった。息もぴったりやし、喧嘩してるだとか離れとるだとかそんなん微塵も思わへん。俺の勘違いやったかもしれへんと、素直に笑いながらその時は楽しんだ。
公演が終わり、華月の裏で反省会を行っているだろう二人の様子を見に俺は謙也さんたちから離れた。

「小春先輩、ユウジ先輩お疲れっした。めっちゃ笑い取れてましたやん。相変わらずキモかったっすけど」

そう口にしようとした言葉は喉につかえて出てこなかった。背を向けながら着替える二人に会話はない。反省会がキモいくらいの惚気に行くこともない。魚のにがいところを食べた時のような、胸糞悪い感覚が渦巻いた。壁に隠れながら息を潜めるせいか、呼吸が苦しくなってきた。

「ユウくん、アタシに怒っとるのはわかるわ。せやけど、お笑いに影響したらあかんやろ」小春先輩の声が低く響く。全ての漫才ネタが完璧やったと思った俺にはわからん領域があるらしい。
早々に着替え終わったユウジ先輩が小春先輩の言葉を聞くに「怒ってへんわ」と声を出した。肩が上がっている。表情は背中を向けているためわからない。

「自分が楽しないのに、人を笑わせられるかい」
「ユウくん」
「なんで小春は笑えるんや。俺を置いていくのに、なんで」

テニバをひっ掴んだユウジ先輩はそのままこちらへと走ってきた。俺がいたことに気づかず、肩をぶつけて走り去っていったユウジ先輩に放心しながらその背中を見送る。「いやんもう光ってば見てたのん?」平然とした声におそるおそる振り返った。小春先輩の笑顔は普段と変わらなかった。その笑みに違和感しか感じなかった。

俺にとって二人は当たり前で。二人でおることで完成系で。でも、そうや、もう卒業すんねや。あの二人だけやない、謙也さんも師範も部長も、みんな卒業していく。俺を引き出してくれた、俺を呼んでくれた人らがいなくなる。バラバラになる。
行くあてもないまま俺は華月から走り出していた。いや、行くあてはあんねん。部活や。部活せな。まだうっさい先輩らが部活に参加してるから、正直相手すんのだるいけど行かなあかん。……その相手するんも、もう、残り少ないんや。

その日の部活にユウジ先輩は来なかった。「まあ引退しとるからとやかくは言えへんけどな」「小春のダブルスパートナーがいないんは困るんちゃう?」「ほんなら健ちゃんにやってもらおかしら」違和感のままこの人らはいなくなっていくんやろか。あー……また苦いものが溜まっていく。




「仲直り、とか、せえへんのですか」

ぽそりつぶやくと、廊下を歩く足が止まった。「はあ?」振り返ったオクラみたいな頭の先輩の眼光はただでさえ悪いんにもっと細められとるからさらに強い。恐怖よりも何をしてるんや自分という自己嫌悪が襲った。なに他人事に頭突っ込んどんねん。

「仲直りとか、喧嘩ちゃうし。ちゅーかお前には関係ないやろが」
「先輩ら、アホできるの後少しだけなんやから、いつまでもへそ曲げてへんで……」
「後少しちゃうわ! 関係ないやつはすっこんどれ!」

関係ないやつてなんやねん。散々人に付きまとっていたくせに。散々人で遊んどったくせに。散々、散々。関係なくないやろ。……だめや、言葉に出えへん。俺は捻くれた口しか叩かれへんから、同じく捻くれたこの人に届く言葉なんぞもってへん。
俺の顔を見たユウジ先輩は、少し気まずげに目をそらすと腕を伸ばしてきた。ぽすん、頭に手が乗りぐしゃぐしゃと雑に撫でられる。

「すまんな、当たってしもて。俺の問題なんや。……わかっとる」

そして離れていったユウジ先輩は、しばらく歩いて保健室に入っていった。長く長く息を吐いたあとに踵を返す。きっと俺がどうこうできる問題やない、あの二人にしかわからないことで。ずっと、それこそ一年から見てきた俺でも……いや、見てきたからこそなにもできないのだと。

「あれ、光くん」

足元に向けていた視線を上げれば、なまえが驚いた顔でそこにいた。手には可愛らしい包みがある。それに俺が疑問を持ったことに気づいたのか、なまえははにかみながら包みを少し上げた。

「これ、須志先生にあげるんです」
「すし……ああ、保健室の」
「はい、あの、よ、よく話を聴いてくださっているので。えっと、そのお礼です」

余計なお世話かもしれませんが、と恥じるように頬を掻くなまえを見て「今は」と零れた。今は、ユウジ先輩が保健室にいて。……その言葉は出なかったのだが。

「……ええんちゃう、行ってきいや」
「あ、はい。じゃあ光くん、また」

へこへこと頭を下げて保健室に入っていったなまえを見届け、再び俺は教室へと足を向けた。すぐどもるし噛むし泣くし内気やし面倒な性格しとるし厄介な女やけど、そんな女が何故か俺の友だちで。なんでやっけ、と歩を進めながら考えに耽る。
ああ、そういや一年の頃、言葉が足りなかったせいで女子を怒らせた時に確かあいつが、俺の代わりに……。
ちっ。一年の頃から成長できてへんとでも言うんか俺は。せやかていちいち詳しく自分の気持ち言うんも恥ずいやんか。なまえには言わんでも伝わっとるし……。
足を止めて振り返る。今やもう遠くになった保健室、きっと中にはユウジ先輩となまえがいるのだろう。先生は職員会議で今はいないだろうから、他に生徒がいなければ二人だけだ。なまえは俺らテニス部の事情を全く知らん。それどころか人見知りやし華月もめったに行かへんからユウジ先輩のこともそこまで知らんやろうし。でも、きっと、俺よりか上手く伝えられるはずや。俺よりか、俺の代わりに。




その日の放課後、ユウジ先輩が部活に来た。再び小春ー!と叫びながら当たっていく様子に、周りからは笑いが起こる。今までの分を取り戻すような勢いでくっつく先輩に、小春先輩は「暑苦しいんじゃコラァ!」と怒鳴りながらも嬉しそうで。ほっ、と洩れた息は重さなど感じるわけもなく。
心配しとった白石さんや師範、小石川先輩が良かったなあ、と笑う。なんにも知らなかったがとりあえず笑う千歳先輩に金太郎。ホモ漫才に巻き込まれながらも笑う謙也さん。いつものくっそふざけたうっとい光景に、頬を少しだけ緩めた。

「なんなんユウくん、えらい機嫌ええやん」
「そら小春にくっついてられるからなあ。我慢した分喜びでかいわ!」
「あらん嬉しい」
「……あー、あと、保健室でぼやかれてなあ」
「ん? 須志先生に?」
「んー……や、知らんけど」

凝視しながら止まる俺と目が合ったラブルスコンビ。二人は肩を組みながらニヤリと笑うと手を招いた。

「「光!」」

まただる絡みされなあかんのか、とばかり息を吐きながら二人に近づく。イヤホンのように左右から聞こえるその呼び声は、嫌いではないのだ。

「ほんま、しゃーないっすわ」




次の日。朝練が終わって教室に着けば、後ろの席の女からチラチラと視界をうろつかれる。なんやねん、苦々しげになまえの頭を掴めば「痛い痛い」と泣き言を洩らしつつ飴が入っとる袋を差し出された。

「……なん、これ」
「あ、飴ちゃんです」
「見りゃわかるわ」
「わかったんです、光くんが生気なかったわけ。糖分が足りなかったんですよ!」

甘党ですしねえ、なんてしみじみ言いながら果物の味のする飴玉一つを俺の手に強引に握らせたなまえ。なんや癪やけどせっかくやからそれを口の中に放り入れる。すぐに口内に広がっていく飴の味。きっと身体中を満たしていくのだろう。

「……甘い」

もう魚のにがいところのような、苦々しさは感じない。



140427



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