庭球番外編 | ナノ

▼ 熱っ子

※糖度高め(当社比)




先日、朝の電車で忍足くんと会い、座れなかったので二人してつり革を掴んで小声で話していた時のこと。
最初のうちは人も少なかったが、進むにつれて電車内は人が多くなっていく。必然的に隣の人や忍足くんとの距離も近くなった。車両が同じの時、忍足くんは毎度毎度私を……なんというか、庇ってくれる。人の波に押されないようしてくれる彼の気遣いには、すごいなあと感心するばかりだ。
私も忍足くんに苦痛は与えないよう、ローファーに力を入れて踏ん張る。
その日もそんな朝だった。

「ふぇ〜っくちょおん!」

唾は飛んでいない。飛んでいないけれど、空気がブワッときた。うーわー萎えるなーもう。隣に立つおじさんが、前の座る人に向けないようにか横を向いてしたくしゃみ。丁度私にかかった。
勘弁してくれ。ちょっと面白いくしゃみだったから笑うのも堪えてるんだから。頭を軽く下げたおじさんに私も返しながら袖で少し顔を拭く。そんな時に駅に着き、人がパラパラ動いた。

「大丈夫かいな、なまえさん」
「平気平気」
「さっきからくしゃみばっかやんな。マスクぐらいしろっちゅー話や」

忍足くん聞こえちゃうよ、と慌てて首を振る。気にくわなそうな顔で私の体を引き寄せ、隣から少し遠ざけてくれた忍足くんに、内心手で拝みながら感謝した。
そういえば最近、風邪流行ってるなあ。おじさんも仕事あるのに大変だな。


なんて思っていたのが一昨日の話でして。

「……だ、大丈夫かよ」

目の前の向日がまるでゾンビを見るような顔で私を凝視する。うん、と頷いて机の中からノートを取り出した。これは昨日滝くんに借りたノートだ。昼休みの今返さねば。立ち上がると、向日は慌てて私の手首を掴む。

「なんかお前、目が据わってるぞ」
「昨日遅くまでマンガ読んでたからかな」
「体調悪いんだろ! 昨日から顔色悪いし、んな時にマンガ読んでんじゃねえよ! バカ!」
「……」

そ、そんな怒鳴らなくても。頭に響くよ。そしてちょっと傷つくよ。向日はいつもの向日なのにこんな言葉でちょっと気分が落ちるってことは、確かに具合悪いかもしれない。頭痛いし。
謝るのもなんだか面倒くさくなって、頭を少しだけ下げた。ぐらんと揺れる。そのままノートを持って教室の扉に近づいた。

「フラフラじゃねえか! どこ行くんだよ!」
「滝くんとこ」
「なんだよ、用事なら俺が代わりに……」
「向日くーん、原見が呼んでるけどー!」
「え、あ、おう」

止まった向日を放っといて、滝くんを探しにB組へと行く。いなかった。クラスの子に聞くと花壇に行ったらしい。その子にノートを渡しておけばよかったのに、その時の私はろくに考えずおぼつかない足取りでゆっくり外に向かったのだった。

「滝くん」花壇に行くと、彼はホースで水をやっていた。笑顔で迎えてくれた彼の水やりが終わるまで、ノートを抱えて待つことに。

「いやー綺麗になってきたね、みんな」
「だねー。みょうじちゃん、ノートどうだった?」
「とてもわかりやすかったよ、ありがとう。あ、少し訊きたい問題あってさ」

なに? と滝くんが花壇から私に視線を映した時。上から「あっ」と声がした。そして落ちてくる野球ボール。窓付近で遊んで、はずみで落としたのだろうか。その生徒たちは落ちそうになかったからよかったけれど、ボールを取ろうとした滝くんは少し手元を動かしたので。

バシャア。
「ぶわっ」
「みょうじちゃん!」

ホースの水が運悪くかかってしまった。
本気で心配して謝ってくる滝くんに大丈夫だと笑い、濡れた制服を替えるためジャージに着替えようと足を校舎に向ける。しかしまたもや腕を掴まれた。

「みょうじちゃん、もしかして風邪引いてる? 今のだけじゃないよね」
「引いてない」
「ごめんね、本当にごめん。ああ、そうだ、俺の制服で……」
「いやいや滝くん狼狽えすぎだよ! 脱がない脱がない!」

よほど人に水をぶっかけたことが彼の気に障ったのか、滝くんはホースを地に落としてワイシャツのボタンに手をかけた。その目は本気だったから慌てて止める。うっ、自分の声に頭痛くなったよ。
どうにかこうにか滝くんを宥めて逃げるように校舎に入る。とっさに庇ったノートは多分濡れなかったし、ちゃんと滝くんに返したし、今日のミッションは終了だ。授業は……えーと、ちょっと、くらくらするし集中できないから……机で休憩させてもらおうかな。また誰かにノート借りるのも、申し訳ないけど。

トイレでジャージに着替え、教室までの帰り道。ゼェハァと息を荒げながらよろよろと歩く。これは、まずいな。跡部くんとか、ジローくんとか、日吉くんに見つかったらまたなんか言われそう……。

「みょうじさん?」
「う、あ、鳳くん」

よかったー、このタイミングだから今言った上記の三人が出てくるかと。ほっと息を吐いたと同時にあいたたと頭を抑える。ぐらぐら、ちょっとしんどい。「どうかしましたか、なんだか具合悪そうですが」心配そうに覗き込んできた彼に、慌てて笑顔を作った。

「夜遅くまでマンガ読んでたらちょっとね。でも大丈夫。ありがとう」
「そうですか……あの、顔が赤いですよ、息苦しそうですし。熱があるんじゃないですか?」
「体育してきたからだよ」

たったいま着替えてきたばかりのジャージを見せるように胸を張る。しかしなんだかだるさが増したのか、身体がよろめいて廊下の壁に肩をつけた。鳳くんが訝しみながら「本当ですか?」と少し屈んで私の顔を覗き込む。う、意外と鳳くんも鋭いな。騙されてくれると思ったのだけど。
彼はしばらく私の目をじっと見続けた。誤魔化している私からしたらその純粋な目には耐えきれない。気まずく思いながらそらせば、くすりと小さな笑みが耳に届いた。

「保健室に行きましょう、ね」
「……い、やだ。出席したい」
「すごいなあみょうじさんは。でもそんなに頑張らなくてもいいんですよ。それに、先生やクラスメートの方々が心配してしまいます」

いいんですか? やんわり首を傾げた鳳くんに、熱に浮かされながらも「そっか、皆の迷惑になるんだ」と考えられた。優しいな鳳くんは。本当に天使に見える。
保健室行く、小さくつぶやくと彼は微笑みながら私の手を取った。




話し声に目を覚まし、視界に映ったのは一面の白。天井かと理解して隣を見る。向日と忍足くんがベッドの横に座ってなにか話していた。あっれ、いつの間に寝たんだっけ。確か鳳くんと保健室来て、ベッドに入れられて、それで。

「いまなんじ……?」
「うおっみょうじ起きたのかよ」
「おはようなまえさん、調子はどない?」

寝たら幾分かスッキリした気がする。まだ熱いし頭はくらくらするが、先ほどの比ではない。むくりと上半身を起き上がらせながら「平気」と笑う。そこで向日がなにか言おうと口を開いたが、言葉をなくしたのか黙ってつぐんだ。

「やっぱりなまえさん風邪移されたんやな。散々やったなあ」
「だねー。まあマスクしてない私が言うことじゃないけど……」

そうだ、二人にも風邪を移してしまうかもしれない。幸いなことに咳は出てないが、いつ移すかわからないし私は早々に家に帰ろう。
「授業のノートは俺が書いといてやったからよう。つか、いつでも聞いていいし」なんとも言い表しづらい顔でもごもごとつぶやいた向日を見上げる。

「だからさっさと治してこいよ」
「うーわがっくんかっこええわー。ほんま敵わんわー」
「向日っ感動して涙が出そうだよっ素直じゃないなっ」
「絶好調じゃねぇか。俺帰るわもう」
「まあまあ照れへん照れへん」
「感動したのはほんとだよ。ありがとう、二人とも」

照れくさそうにそっぽを向いた向日、小さく口角を上げた忍足くんにつくづく良い友人を持ったと。
「二人とも部活は?」カーテンを開けて保健室の窓の外を見ればすでに暮れていた。「終わったよ」言う向日の横で忍足くんがケータイをいじる。

「堪忍な、なまえさん。送ってこうかと思ったんやけど、歩かせるのもつらいと思て」
「いやいや大丈夫……ん?」
「跡部が送ってくれるってよ」
「えっありがたいけど遠慮するよ」
「無駄だと思うでぇ。ほら、樺地おるし」
「ウス」
「いつの間に」

忍足くんがもう片側のカーテンを開ければ、そこには樺地くんが立っていた。なんてSPのような立ち姿と存在感。中に入ってくれてもよかったのに。風邪移さなくていいけど。
そんな彼は私を横抱きで抱え上げると保健室を出た。相変わらずの安定感である。されるがままに運ばれ、門を出ると高級車が一台とまっていた。その窓が開き、跡部くんのお目見えである。

「樺地、ご苦労だった。おいみょうじ、今日は一段と死にそうな面してんじゃねぇか。アーン?」
「やだ……跡部くんに小言言われながら帰りたくない……」
「人の厚意に失礼なヤツだ。入れな樺地」
「ウス」

車の中に優しく入れられると、すでに柔らかそうな座席にはジローくんが寝ていたものだから脱力する。

「ついでにジローも送っていく。お前を心配しながら寝たからな」
「(跡部くんほんとジローくんに甘いよな……)」
「どうしてもって言うならお前らも乗せてやって構わねぇぜ」
「くそくそ跡部、偉そうに! いいんだよ俺らはみょうじ抜きで飯焼き鳥食いに行くから!」
「私つくねで」
「買わねーよ!」
「ほななまえさん、お大事にな」

向日と軽口を交わせば、忍足くんが鞄と濡れた制服を入れた袋を手渡してくれた。うわ、忘れていたよ。礼を言いながら受け取る。
二人に手を振ると車は発進した。ふう、一息つきながらフカフカな背もたれに背中を沈める。近くにあった氷の入れ物の中からボトルを取り出した跡部くんはそれを私に投げ差し出してきた。急なことだったため受け取り損じれば、転がったボトルを私とは違う腕が取り上げる。

「お疲れなまえ、ちょっと良くなってきたね〜」
「ジローくん、おはよう」
「さっきはなまえが寝てたんだC」
「えっ保健室来たの」
「つらそうだったね〜。大丈夫?」

ん、と差し出してきてくれたボトルを受け取り、ありがたく口をつけさせてもらう。美味しい。冷たい。「体調管理もできねぇのか」笑い気味で言った跡部くんに半目になりながらも頷く。全面的に不甲斐なかったのは私だ。

「素直じゃねーの、まだ熱があるみたいだな」

少しだけ笑い方が変わった彼は、私の額に手を伸ばしてきた。ひんやりとしている彼の手が、額から全身に冷たさを送っていくような錯覚。さすが氷の王様とでも言うべきか。熱にはちょうどいいよ。感じるままに目をつむり、「気持ちいい」と感嘆の息を吐いた。額に乗っていた大きな手が顔を滑る。頬をむぎっと抓まれた。

「俺も俺もー!」
「うっ……ジローくんはなんか……子ども体温だね……あったかいね」
「なまえあっちーね。寝る? Eーよ、おいで」

ぽんぽんと自身の膝を叩くジローくんに、まさかの膝枕かとぎょっとした。さすがにそれは恥ずかしい。「やめろ、ジローお前も寝るだろ」諌める跡部くんはもうお父さんみたいだ。

「はあ……いろいろ迷惑かけちゃったな。みんなにお礼しなきゃ」
「そう思うなら早く治しな。なぁ樺地」
「ウス」
「そーそ。なまえの元気な姿がお礼になるって」

また熱が上がるような優しいことを言うんだもんな。振動が少ない車に乗り心地を感じつつ、おとなしく目を閉じた。



140419



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