短編 | ナノ

▼ 観月のホワイトデー

「観月ー、バレンタインのお返しもらいに来ただーね」
「はい?」

3月14日の聖ルドルフ学院は、2月14日の比ではないけれど、例に漏れず朝から学生たちの様子がおかしい。そわそわとどこか落ち着きなく、まるで獲物に食らいつく機会を窺っているようだ。
男子テニス部も同様で、仕方なしに観月は本日の朝練を早めに切り上げた。叱りすぎて喉を痛めるまでいきそうだったのだ。

まったく情けない。ホワイトデーくらいでなんです。そんな調子で関東大会に出場できると思っているんですか?
観月の小言も今日この日ばかりは右から左にすり抜けられていくばかりである。
お前お返し持ってきた? バレンタインにもらえなかったんだけど、あげてもいいかなあ。こんなに持ってきたのかよ!?──部室内はいつも以上にボルテージ最高潮であった。
ああわかったよ、もういい。精々お返しに一日中気を揉んでいればいい。付き合いきれないとばかり、観月は盛り上がっている部室を一人抜け出た。

さて、観月だっていち中学生男子だ。しかも何を隠そう、意中の女の子がいる。他の男共と同じようにソワソワしていてもおかしくないのだが、薔薇の香りを纏い歩く彼はいつもの様子と変わらなかった。緊張をしていないからである。
なんたって、もうすでにみょうじとの約束を取り付けているのだ。抜かりはなかった。

バレンタインデーにチョコを貰えた時点で勝利は確信していた。
以前から彼女のデータを集め、「もしかして、みょうじさんも僕のことが好きなのではないか?」と結論を叩き出していたのだ。実際にチョコを贈られた日は、部屋に戻ってから高笑いが洩れてしまって、隣の部屋の寮生に心配された。
包装も上品で、チョコ自体も観月の舌を唸らせるほど美味であった。満足し、やはり貴女は僕の彼女にふさわしい、と決意を新たにした。
翌日お礼を伝えに行くと、照れながら「よかった」と安堵する姿にますます想いは強くなった。

「一ヶ月後、きちんとしたお返しをいたします。少しの時間で構いません、お時間を頂けますか?」

ここで終わらせては山形期待の星として名が廃る。観月がお誘いすると、みょうじはもちろんと頷いた。楽しみにしてます、とも。
観月は「んふっ。期待しておいて損はないですよ」と去り際に残し、その日の晩に感極まってやった! と部屋で叫んだ。さすがに連日だったので寮生から苦情がきた。

そこからが観月の本領発揮であった。
好みの味や好みの色など、元々彼女のデータは一通り集めている。あとはホワイトデーに贈る最適なプレゼントをネットや店舗で情報収集した。

マシュマロには「あなたのことが嫌いです」という意味があるんですか? 論外だ。絶対に渡さない。
なるほど。キャンディーは「あなたのことが好きです」となるのですね。無難ですが、少々味気がないかもしれない。
香水は「あなたと親密になりたい」……と。その通りですが中学生にとっては些かハードルが高いように思います。
あまり高価な物だと彼女が萎縮してしまうかもしれない。とはいえ安すぎても見栄えが悪く、本気度が伝わらない。
数も重要だ。数個入りの方が楽しんでいただけるのか、一個で質の良い物を味わってもらうか。

観月は数日に渡り有名な洋菓子店に入り浸った。おかげで店員にも顔を覚えられてしまったが、集中していた観月は気づくことがなかったし、店員たちはホワイトデーに悩む中学生男子を黙って温かく見守っていた。
ようやく観月がレジにお菓子を持ってきた日には、多くの店員にワッと綻ぶような笑顔を向けられて、観月の頭上で疑問符が飛んだ。

そうして彼のシナリオによるホワイトデーの舞台は幕を開けた。
すでにみょうじと会う確約は得ている。あとは昼休みに彼女へ連絡し、静かな教会や屋上に呼び出してお返しを渡せばいいだけだ。欲を言えば告白もしたい。薔薇の花束はないけれど、薔薇の形のマカロンにした。相当といっても良いはずだ。

朝のHR前。彼女への連絡の最終確認をしようと、観月が自席で前髪を弄っている時であった。柳沢がひょこひょことやってきて、冒頭のおねだりをかましてきた。
思わず顔をしかめてしまう。その台詞は──おそらく言わないだろうが──みょうじに言ってもらいたかったのだ。

「なんの話ですか?」
「とぼけても無駄だーね。バレンタインに俺と淳でチョコ棒渡したやつ。あれをチョコじゃないとは言わせないだーね」
「はぁ? まったく、ただの駄菓子じゃないですか」

「お返しは3倍返しって相場が決まってるだーね」と楽しげに口を尖らす柳沢に眉間の皺が寄る。そんなこと、彼女からチョコを貰った時点で知っているんだよ。だから値段だって3倍相当な物を選んだ。予想以上の出費になってしまったので、しばらくは貯金しなくてはいけない。
観月は適当に流そうと思ったが、そういえばと気づいた。糖分補給として常備しているチョコが確かあったはずだ。
一粒渡してとっとと帰ってもらおう。観月が鞄を覗き、目当てのチョコを探した時だった。視界に入るはずの紙袋がなくて一瞬で肝が冷えた。

「えっ!?」
「ど、どうしたんだーね、観月」

観月の大きな声は珍しく、柳沢だけではなくクラス中から視線を浴びた。なにより、観月の特技は歌である。ちなみにオペラ。腹から出てしまったため、隣のクラスにまで響いた。
周囲から驚愕を集めてもなお、観月は我に返ることができなかった。おそるおそると鞄の中を手当たり次第に探す。机の中も、横も、床もだ。ない、ない……ない!

「僕のマカロンがない!」

立ち上がったそのまま、机に両手をつく。「なんでないんだ!」観月は明らかに狼狽した。だって、ないのだ。あんなに練って練って用意した贈り物が。跡形もなく消えていた。
あれがないとシナリオがパアだ。今までの努力だって、なんの意味もない。唇を力強く噛んでしまったのか、血の味がした。
思い出せ。鞄は自室から出ていつ開けたのか。落としたとしたら部室が怪しい、タオルを取り出した記憶がある。
観月は部室へと扉を向いたが、ちょうど始業のベルが鳴り、教師が教室に入ってきてしまった。
くそ! なんてタイミングの悪い! わなわなと震える観月を見て、柳沢は触らぬ神に祟りなし、といった表情で慌てて1組を出ていった。

授業時間も気が気ではなかった。平時であれば積極的に挙手をして回答を叩き出していた観月が両手を口元の前で組み、射殺さん勢いで時計を睨んでいる。教師は触らぬ神に祟りなし、といった様子で観月以外の生徒を指名し授業を進めた。
ようやく休憩時間になったが、タイムリミットは短い。走ってはいけないので観月は早歩きで部室に向かった。
探す。ない。休憩時間が終わる。
次の休憩時間も部室を探した。ない。休憩時間が終わる。

とうとう昼休みになってしまい、観月は前髪の弄りに力が入ってしまった。もう一方の指は、トントンと一定のリズムで腕を叩く。苛立ちを抑え込もうと必死であった。
適当に昼食を済ませた後、校舎内の心当たりのある場所を一通り探したがやはり見つからなかった。冷や汗が滲む。
このままではみょうじに渡せない。どころか呼び出すことすらできない。告白なんてもっての外だ。手ぶらでしてみろ、引かれるに違いない。

頭を抱えて、そこで観月は急に閃いた。
そういえば朝から寮内が騒がしかった。登校準備をしている最中、一旦手を止め、ホワイトデーで浮かれる者たちに叱咤したことを覚えている。
その後、時間がないと急いで部屋を出た時に例のブツを鞄に入れただろうか。大事に大事に机の上に置いていた、彼女へ贈るマカロンを。

「寮の部屋だ……!」

観月は立ち上がり、寮へと足を向けた。時間の余裕はない。
ひとたび部活が始まってしまうと下校時間は遅くなる。女性をそんな時間まで待たせてしまうのは忍びないし、それにみょうじは寮を使用していない。渡せるタイミングは部活が始まる前までなのだ。
廊下をさっさか歩く観月は、向こうからやって来るみょうじに気づいてギクリと頬を固まらせた。

まずい。本人に会ってしまった。期待している彼女に「用意していないんです」と告げるのだけは避けたい。がっかりさせたくないし、脈がないと思われたくない。
ここは正直に忘れてきてしまったと白状した方がいいのだろう。なんて格好がつかない。こんなはずではなかったのに……!

「あ、観月くんこんにちは」
「え、ええ、こんにちは」
「じゃあ」
「はい、では……」

軽い会釈をし、みょうじは横を過ぎていく。観月はしばらく止まり、そして唖然と振り返った。彼女の背中は遠ざかってとっとと角を曲がってしまった。

何も、触れられなかった。ホワイトデーとは思えない、普段通りの挨拶で終わった。

どういうことですか。「観月くん連絡まだ?」の一言もないんですか。そうでなくても、何か言いたそうにソワソワしたりとか、窺ってくるとかないんですか。
彼女にとって僕は好きな人のはずだ。普通、お返しを喉から手が出るほど欲しがるのではないのか? 自分は渡したんだぞ、催促する名目もあるはずだ。なんで訊かない。なんで。

僕は貴女からのチョコを心待ちにして、もらえた時は飛び上がるほど嬉しかったんだぞ。

メンタルがブレた観月はしばらくその場で放心していた。いや、シナリオを練り直していたのだが、どうにもみょうじの反応が塩でしか考えられなくなったので動けなかった。
通りすがった赤澤に背中を押されてようやく教室に戻る頃には昼休みが終わり、おかげで寮へは探しに行くことができなかった。

その後の休憩時間でも、足に根が生えたように動かない。そもそも最初からデータが間違っている可能性に気づいたからだ。
みょうじは自分のことが好きだと思っていたが、本当は違うのではないか? そうなるともう暗中模索で、最悪なシナリオに思い至っては頭を抱えた。

時は過ぎ、とうとう放課後を迎えてしまった。その頃になると観月はいっそ皮肉屋に成り、みょうじから連絡がないことに「僕からのお返しは要らないということですね」と開き直った。
自分から連絡しなければと思うのに、求められないことが歯がゆい。こんな状態でもちろん部活に身が入るわけもなく、野村にまで心配されてしまった。野村の練習量を2倍に増やして誤魔化した。

部員たちも各々ホワイトデーを満喫したようだ。部活が終わり、一喜一憂な部室を早々に抜け出た観月は寮へ戻る。
道中、みょうじはいなかった。
まあ、こんなに遅い時間にいてもらっては困りますけどね。内心で言い訳をして、観月はさらに足を早くする。

自室に入るとやはりというべきか、品の良い紙袋が机の上に置いてあった。間違いない。何日も頭を悩ませて購入した、彼女への贈り物である。
観月は勢いよくそれを掴んで、振りかぶり──手を放せなくてゆっくりと下ろした。

こんなもの。ホワイトデーに渡さなきゃ意味がないじゃないか。

彼女とすれ違ってからすぐ取りに戻れば良かった。連絡して、「置き忘れていました。この後お時間いただけますか?」と部活前に呼び出せば良かった。どれも後の祭りだ。もうホワイトデーは終わる。

机の前で立ち尽くしていると、可愛らしい箱が視界に入った。みょうじからバレンタインデーにもらったチョコの空箱だ。観月は雑貨入れにちょうどいいですと誤魔化していたが、本当は捨てられなかっただけだった。
とても嬉しかったから。

──待ってください。ホワイトデーが終わるだなんて、どうしてそうなるんですか。まだ時間はあるだろう。

もうすぐ夕食の時間だ。しかし彼女の自宅はここからそう遠くはない。驚かせてしまうかもしれないが、今から急いでいけば渡すくらいはできるだろう。
厨房の方には謝罪して、今日の夕飯は欠食としよう。ああそうだ、寮母さんに外出届を出さなくては。いや、先に彼女への連絡だ。今度こそアポイントを取って……。

観月は端末で彼女とのトーク画面を開いた。文章に迷っていると、控えめなノック音が三度して、観月の指を止める。
扉の向こうから「あのー、観月さん」呼びかけられた。裕太の声であった。

「寮の前で観月さんを呼んでいる人がいて」
「……すみませんが、今忙しいんです。代わりにお断りしていただいてもよろしいですか」
「いや、でも……」
「行った方が良いだーね、観月」
「クスクス、そうだよ。人生変わるかもよ」

裕太だけでなく野次馬もいるらしい。顔を見なくてもわかるニヤけ声に、観月は眉を跳ねさせた。正直それどころではないというか、おふざけに付き合っている場合ではない。一刻も争うのだ。
言い返そうとして、ふと、観月の頭脳がそれを止めた。もしかして、と思った。
慌てて扉を勢いよく開ける。まさか観月がこんなにも乱暴に開けると思っていなかったのだろう、裕太も柳沢も淳も、目をぱちくりと瞬かせた。

「失礼します!」

なりふり構わず、観月は廊下を早歩きで進んだ。行き交う寮生が普段と違う勢いの観月を二度見する。それすら気にもできずに彼は玄関口まで辿り着き、何度か咳払いをして、前髪を整え、ふうと一息ついてから扉を開けた。

「あ、観月くん」

彼女がそこにいた。

「おや、奇遇ですねみょうじさん。僕も今、貴女の所へ行こうとしていたんですよ」

想像通りの人物に観月は目尻を下げた。とはいえ、自分の情けなさには内心で叱咤した。「おや」じゃあない。奇遇ではない。
みょうじも思うところがあったのだろう。「奇遇?」と観月をねめつけた。慌てて取り繕うことを止める。

「ご、ご連絡できなくて申し訳ありませんでした。けして忘れていたわけでは……」
「わかってますよ、観月さんて忘れなさそう。……だからこそ、連絡が来ないってことはお返ししたくないのかなと思ったんですけど」

笑いながら言う彼女は段々と頬が固くなる。次第に視線まで下がり、足元に落ちた。
ここで観月は合点がいった。ああ、なるほど、懸念していたのは僕だけではなかったのか。

「私がもらいたくて来ちゃいました」

覚悟を決めたように、されどいつもより不器用に微笑むみょうじに観月は息を呑んだ。指先が震え始める。

ええ、ええ、そうでしょうとも。僕からのお返しが喉から手が出るほど欲しかったはずだ。今日という日を心待ちにしていたに違いない。僕のアクションがなくてさぞ不安で堪らなかったでしょう。結果、貴女は僕の所へ来た。これもシナリオ通りです。

観月は引っ提げていた紙袋を掲げる。握ったため少し皺が増えたそれ。震えが伝染していた。

「……すっ、すきです」

裏返ったふにゃふにゃな声が出た。変に顔が熱い。
いや、待て、ここでこの台詞を言う手筈だったか? もっと人心掌握できるような言葉を何通りも考えていただろう。そんな、子どもみたいな渡し方をして!
観月が混乱している間にみょうじが動く。マカロンの入った紙袋にそっと手を伸ばし、嬉しそうに破顔した。
そうして彼女は観月のシナリオ通りな言葉を告げてくれたのだった。



23.04.01

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