短編 | ナノ

▼ 3

 今日の月は丸くてとても綺麗である。グイッと一気にお猪口に入っていたお酒をあおると、次郎太刀から「いーい飲みっぷりだねぇ!」と野次が入った。
 縁側に並べられたおつまみと酒瓶。大太刀と槍の男士たちによる日常的な宴会は、審神者も快く受け入れてくれた。

「それでアイツら行かせたのか? なんつーか可哀想だなぁ」
「余計な世話だって。ほっときゃいいんだよ、本格的に女が欲しくなったら言われずとも買いに行くだろ」
「みんないいコだからさぁ、言いたくても言えないのかなと思うんだよ」

 俺らがいいコって、と爆笑するのは御手杵と日本号だ。わかっている、何年も前の刀の神様にする心配ではないことは。しかし数年一緒に過ごしてきた家族としては、心配もするのだ。

「……やっぱり間違えちゃったのかな」

 膝を抱えて、頭を伏せる。目をつむると、いってらっしゃいと言った後の清光の顔が浮かぶ。

 アダルトビデオ鑑賞部隊は花街に着いた頃だろうか。鶴丸や三日月あたりは初めての場所にソワソワして楽しんでいるかもしれない。彼らは顔も良いし気立てもいいから、きっと楽しい時間を過ごせると思う。そうしてストレス発散して、戦闘も張り切ったりして、今後のやる気にも繋がるかもしれない。いや知らんけど。

 清光だって、素敵な時間を。

 閉じているはずなのに滲んできた視界、目を開くとぽとりと雫が一滴落ちた。それを確認すると、ぐしゃぐしゃと頭を強引に撫でられる。慌てて袖で目を拭い、文句の一つでも言おうと顔を上げると、大太刀、槍のみんなが揃ってこちらを見ていた。みな笑みを携えて、心音はどことなく甘い。

「間違えることは必ずしも悪いことではありませんよ」
「ウンウン、アタシらは主が可愛くて可愛くて仕方ないよ」
「不器用だよなぁ、まあ俺も刺す以外能がないから言えないけど」
「気を溜めすぎてはいけないよ、君は抱えこみすぎるきらいがあるから」
「いやみんな優しくてびっくり……」

 ぐ、と再び緩んだ涙腺をどうにかこうにか下唇を噛むことで堪える。日本号と蜻蛉切がトドメのように頭と背中をぽんぽんと優しく叩いてきたので、いい加減にしてほしいとまた膝を抱えた。

 不甲斐なく、うだうだと悩んでしまう私にも、こうして言葉をかけてくれる男士たちがいる。それはきっとアダルトビデオ鑑賞部隊もそうだ。……清光だって、絶対そう。私が本心で向き合って、拒んだ者はいない。

 急に立ち上がると、頭に手を乗せていた日本号がひっくり返った。慌ててゴメンと謝り、そのまま一振り一振りの顔を見る。
「ありがとう、みんな大好きです」照れくさいながらも伝えれば、「知ってるよ」と多分私と同じだろう顔で返ってきた。

 宴会を抜け、私室に戻って外出用の衣服に着替える。草履を履き、裏門からこっそりと本丸を出た。
距離としては走っていけない場所ではない。お酒もそんなに入っていないからいけるはず。端末で地図を確認し、気合いを入れて足を出した。向かうは彼らが行った花街だ。
 お邪魔してしまう、確実に。いやでもあまりの繁盛に待ち時間になっているかもしれない。悪い方向につい考えてしまう頭を振り、ただひたすら道の先に目がけた。
 ぽつぽつと合間に光る電柱がどうにも心許ない。夜が更けていくことが不安を煽る。早くしないと、はやる気持ちが災いしたのか、ブチリと嫌な音が聞こえたと同時に地面へとスライディングしてしまった。

「あ痛ーーっ」

 慌てて足元を見ると草履の鼻緒が切れている。ついていない時はとことんついていないらしい。悪い予感しかしない。流れた冷や汗を拭い、切れた鼻緒の具合を見ようと草履に手を伸ばす、と、爪が視界に入った。

 清光が色づけてくれたネイルが月に照らされてキラキラと光る。合間に降られている桜の花びらのシールは、誇らしげに戦場から帰ってくる彼の顔を記憶に起こした。
 見たら力が湧いた、といってはおかしいだろうか。先ほどまで渦巻いていた不安が、指先で輝く色によってじわじわと消されていく。

 息をのみ、よしと気合いを入れ直した。役に立たなくなった草履を引っ掴んで、裸足で地面を踏む。縛られなくなった足はとても軽かった。




 花街に着く頃には髪も着物も足もボロボロであったが、アドレナリンが分泌している私にはそんなことは関係ない。ジロジロと見てくる綺麗なお姉さんたちの視線を振り切りながら、目的のお店を探した。
 連れ添って歩いている男士と遊女さんとすれ違うといちいち肩が跳ねた。当本丸の男士ではないとわかるとホッと息が洩れる。

 やっと該当の店にたどり着いたが、さすが有名店、とても大きく少なくともボロボロの小娘が簡単に入れる所ではなかった。唖然としてしばらく見上げていたが、意気込んで正面突破を試みる。
 受付の男性に声をかけると「こちらは審神者様はご利用できません」ピシャリ断られる。自分の男士がいるのだと説明するも、情報は厳守いたしますのでと店を追い出されてしまった。

 だ、だ、だよね。
 再び店を見上げるだけの時間に戻る。二階の窓から鈴のような笑い声が聞こえて、惨めな気持ちになってしまった。そうなると一気に冷静となる。アドレナリンも分泌が終了となった。
 帰らなければ、いけないな。こんな所で待たれても彼らにとっては嫌悪以外のなにものでもない。

「やぁ、どうしたこのような所で。迷子か?」
「みかづ……きさん」

 ひょっこりと顔を覗きこんできたのは三日月であった。なんとなく自分の本丸の彼ではないとわかる。
 突然近くに出現した綺麗な顔に半歩退がり、「む、迎えに」とつぶやく。彼が目を丸くしたため、より三日月が綺麗に表れた。

「迎え。ふむ、この店にか? 入れないだろう」
「……」

 その通りである。眉を寄せて口を開くも、何も返す答えが出なかったため閉じるしかなかった。
 彼はじっと私を見つめると、理解したと言いたげにやんわりと微笑んだ。さすが何千何百年前の刀だ、ちっぽけな人間の悩みなんてかわいいものなのかもしれない。

「どれどれ、一緒に入ってみるか」
「えっそんなことできるんですか」
「俺はここの常連だからなぁ、部屋を貸してくれと言えば貸してくれる」
「(随分イケイケなお爺さんもいるんだな)」

 刀剣男士には個体差があると聞いたことがあるが、なるほど確かに違う。当本丸のぽやぽやした三日月と比べている隙に、彼が連れ添うように背中を回してきた。密着度が高い。とにもかくにもこれで潜入して清光たちを探して──……。

「あのさ、その人俺の連れなんだよね」

 聞き慣れた声に動作が止まる。三日月さんの体に隠れて道の先が見えなかったため、おそるおそると頭を動かした。
 彼を目にとめた瞬間の気持ちといったら。

「悪いんだけど、返してくれる」
「おぉ。迎えに来た相手に間違いないか? ……はっは、どうやらそのようだ」

 私の顔を再び覗きこみ、満足した笑みを浮かべた三日月はガシガシと私の頭を撫でると店へと入っていった。
 先ほどまで街に響いていた賑やかな声が、しんと静かになった感覚。訊きたいこと、言いたいことはたくさんあったはずなのに、清光の顔を見た瞬間どこかへ飛んでいってしまった。彼は腕を組み、はあと重い息を吐く。

「いや、何してんの!?」
「えっ」
「こんな夜遅くにこんな場所で! 一人で来たとか言わないよね!?」
「そ、そうで」
「今の三日月みたいにさあ、変な雄に捕まったらどーしてたわけ!?」
「オスって」

 そんな心配はしていなかった。していたのは彼らや、清光のことだけだ。
「ていうか、なんでそんなボロボロになって!」夜にはふさわしくない声で荒げた彼は、今度は軽い息を吐いて肩を下げた。一歩一歩近づいてくるたびに、心臓の音が聴こえる。少しだけ懐かしいそれであった。
「聞こえたんだけど」溶けるようにつぶやかれる。

「迎えに来たって、ほんと?」

 半分だけ下げられた眉を見て、口が歪んだ。

「て、訂正したくって」
「訂正?」
「イヤだって」

 いけ、言うんだ。今しかない。
 清光の音をかき消すほど、自分の心臓が飛び出してきそうだ。近づかれた分退がりたい心地だが、それではだめだと裸足が言う。
『他の女を買っても、いいの?』その問いの答えは、笑顔なんかでは返せるものではない。

「他のひとのところにいっちゃイヤです」

 パァン!!!
 突如鳴り響いた銃声により飛び散る心臓の音がした。しかし目の前の清光は平然と、その答えを待っていたかのように、口角をにっと上げる。

「えー、都合良すぎない? 俺は別に行きたいって言ってないのにさ、主勝手に決めちゃって。俺に他の女のことを考えろって言ったも同然だよ? ちょっと意味わかんなくて傷ついたよね」
「ウッ……そ、そ」
「なのに今さら戻ってこい? 振り回しすぎ。こっちの身になって考えてよ」
「も、申し訳ありま」
「……私じゃなにもしてあげられない、とかさ、なんだよ。あんだけ愛してくれてるのに、それを、返してるつもりだったのに、何も伝わらなかったの?」

 ズケズケと棘のある言葉により段々と下がっていた頭は、ふと止まった。清光が私の手を掬い取り、眼前まで上げ、爪に向けて目を細めたからだ。

「込めたんだけどな」

 彼の視線の先で光っているだろう、清光が塗ってくれた爪。
 私もそれを見て同じ顔をしたんだよ。あなたが込めてくれたおかげで、私はあなたの元に来れたよ。
 そう教えてあげたいけれど、胸が詰まってどうにも言葉にならない。なんて役に立たない口だろう、心臓の方がよっぽど正直だ。
 なんとか、かろうじて、掴まれていた指先に力を入れることができた。握られた手の持ち主は、一瞬だけ目を丸くすると、その紅を緩める。

「うそだよ」
「……え」
「伝わってるんでしょ、じゃなきゃこうしてここまで来てくれないよね」

 指先だけ繋がれていたものは、彼が組み直したことにより手のひら同士が触れた。
 手を、繋いでしまった。バクバクとサンドバッグを殴る心音は私のものかと思ったが、この耳は清光から拾っている。しかしそんな心臓など関係ないように、彼の笑顔はなんとも綺麗に表れる。

「他のやつのとこに行くわけないじゃん! こんなに愛されてるのにさ、俺」

 そうか、なるほど、清光の心臓がうるさいのは、嬉しいと言っているのかな。

 気づいてあげられなくてごめん。心配にしてしまってごめんね。
 私の心臓の音は残念ながら彼に聞こえないので、言葉をもって伝えることしかできない。いや、他にも考えれば伝え方は山のようにあるのだろうけれど、そういえば私はずっとこうして伝えてきた。言葉という音で伝えてきたのだ。

「うん、愛してるよ清光」

 次の瞬間、ちょっとは予想していたけれど、そんな予想を遥かに超えるような、とてつもない特玉の花火の音がした。




 心臓による花火大会もようやく終幕となった頃、清光は高速で顔を扇ぐのを止め、「じゃあそろそろアイツらの所行こうか」と往来の先を見やった。

「アイツらって……みんな? え、お店じゃないの?」
「……言っとくけど、全員買ってないからね。主に変なものを見せてしまったって、結構反省してるよ」
「(生理的なものだろうから別にいいんだけどな……とは迎えにきた私が言うことではない)」
「今回の店行けっていうのも、変に気遣ったんだろーなって、わかってるんだから」

 だてに一緒にいないでしょ、と何故か自慢気に言う清光に笑う。私よりも私のことをわかっている刀が多いなと感心した。
「まあわかってたとしても傷つくよねー」とすぐに不貞腐れた彼に居た堪れず、あさっての方向を見る。

「アイツら今、外れにある蕎麦屋にいるよ。俺はね、主がすごい勢いで走っていくのが見え──……いやいやいやちょっと待って主、裸足じゃん!!」
「あ、そう、鼻緒切れちゃってさ」
「ごめん気づかなくて! あー、ボロボロ……痛かったよね」
「いややっぱり足速くなるよね。鼻緒が切れて良かったかも。裸足の発想なかったし」
「ええ……? まあ、厄が落ちるっていうしね……いや、裸足って、っはは、すっげ」

 しゃがみこんで私の足の状態を確認した清光は、そのまま翻って背中を見せてきた。疑問符を浮かべて頭を傾げる私に、首だけひねって振り返った彼は「おぶるよ」と平然と告げる。
 とんでもない、無理、こんな綺麗な人に背負わせるとかできない。ボロボロだし、重いし、汗くさいだろうし。「じゃあ俺のヒール履く?」それこそ無理、まず歩けないだろうし、そもそも清光を裸足で歩かせるわけにいかないし。

「じゃあつべこべ言ってないでおぶさる!」
「ウワ!」

 強引に腕を引かれて背中に突撃してしまった。するとすぐに視界が高くなるので、慌てて彼の首に腕を回す。
 草履が落ちないように抱えると、それを確認した清光が歩き出した。花街を通る小綺麗な人たちの視線は相変わらず痛いが、先ほどよりか気にもしなくなった。

 背中意外と大きい。足が腰を挟んでしまっている、細い。清光の襟足こんなに近くで初めて見た。私という重荷があるのにしっかりと揺れることなく歩いている。
 段々と火照ってきてしまった顔は、清光に見られることはない。それだけが幸いだとほっと息をついた。

「主、言ってなかったけどさ」
「は、はい。はいなんでしょ」
「俺も愛してるよ。一緒だね」

 ドッドッドッドッド、三日三晩の宴が続きそうな太鼓の音。彼の背中と私の胸が密着しているため、いつもよりもずっと傍で聞こえる気がする。清光の心音は様々な音色を奏で、私の思考をも吹っ飛ばしていった。

 そうだねと、軽く相槌を打てばいいだけなのに、それすらも伝えられない。照れてしまってどうしようもない。先ほど言葉で伝えるんだと決意したばかりというのに。
 代わりにその背中に身を寄せると、清光は嬉しさを混ぜた声でハハッと笑った。

「主の心臓の音、うるさいよ」

 あなたには言われたくないよ、なんて、かっこ悪いところを見せたくない彼には黙っておこうと思う。



18.05.09

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