短編 | ナノ

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 ある日のことだ。
 編成した部隊の男士たちに声をかけると、各々が準備を終えて門へと集まってきた。難易度が高い戦場もこのメンツであれば安心して送り出せる。一振り一振りの心音を確認し、最後に清光の前に立つ。安定と話していた彼はこちらに気づくと、ひらひらと手を振って近寄ってきた。
 やっぱり、清光が一番激しいな。耳を澄まして心拍数を確認するも、こちらが緊張してしまうようなそれだった。
 これが、ベストテンション。そうだったかな、段々といつも通りを忘れてきてしまった。

「緊張してる?」
「え、俺が? してないよ、知ってるでしょ? 俺が強いの」
「うん、いつも信じてるよ」

 ズダダダダダダダ。突然のプロドラマーの演奏が清光の胸から聴こえる。唖然として彼をじっと見つめると、目線を泳がせながら細く長く息を吐いていた。これが、ベストテンショ──……いや、いやいやいや。

「や、やっぱりチェンジ! 清光と兼さん交代! 清光は医務室行こう!」
「ええ!? また!?」

 兼さんの準備が整った頃また戻ってくる、とみんなには告げて、清光の手を掴み早々に医務室へと向かう。
「主、俺 大丈夫だって!」焦ったように声を上げる清光の心音は先ほどのプロドラマーと変わらない。
 彼が嘘をついているとは思いたくないが、気づかないフリをして戦場へ出して、また血塗れになりながら無理して笑って帰ってくると思うと、もうどうにも見れそうになかった。

 プロドラマーがなりを潜め、今度は雑巾が絞られるような、ギュッとした音に変わる。振り返り、引いていた手の先を見上げると、清光が口を一文字にしてその場で足を止めた。
 伏せていた紅い目がゆっくりと合わせてきて背中に嫌な汗が伝う。ぽそりと小さく呟かれたはずなのに、周りのどの音よりもはっきりと聞こえた。

「俺、もう頼りない?」
「……え」
「頼りにならないから、俺を戦場に出したくなくなったってこと? ……心配した結果がそれ?」
「そ、ういうわけじゃないけど、でも、やっぱり戦場には万全の体調で行っ」
「だから大丈夫だって言ってんじゃん!」

 パッと手を離す。彼が寄せていた眉は瞬時に開かれ、次には気づいたように口を抑えていた。
 氷水をぶっかけられたかのような冷たい空気が肌を刺す。

「……ごめん、なんか冷静じゃないね。確かに今日は行かない方がいいかも」
「……」
「部屋でゆっくりしてるわ。……じゃ」

 ゆるりと手を上げてそのまま廊下を去っていく彼の背中を、ぼうっと見つめることしかできなかった。
 息を飲むにも喉の奥が熱くなって痛む。清光の心臓の痛みが私にも移ってしまったのか、自分の心音が聞こえるならば彼と同じそれなのだろう。

 感情を抑えるような彼の笑顔は見飽きてしまった。見たくないがために取った行動は、全て裏目に出たらしい。

 顔を両手で覆い、何度も深呼吸を繰り返す。落ち着きようもない心臓は、もう仕方ないのでそのままにして、鉛のようになってしまった足を引きずって門へと戻った。
 部隊を出陣させる際、みんながみんな何かを言いたそうな顔でこちらを見ていたが、みなまで言うなと笑顔で手を振ることに成功した。
 勇ましい背中たちを送り出し、ようやく、がっくりと膝を地面につけることができた。重く長い息を吐く。前のめりになってうずくまるように地面に頭をつけた。

 怒らせてしまった、初めてだ。
 当たり前だ、刀剣男士として戦ってくれている刀の神様に戦場に行くなだなんて、信用していないと言ったも同然だ。いつも私のやることなすこと、苦笑いしながらもなんだかんだ傍にいてくれていた清光に、私は。

「大将!? どうした!」

 焦った薬研の声が聞こえ、慌てて身を起こす。なんでもないよ、と笑いかけたが予想以上に薬研の顔が怖かったため肩が跳ねた。
 駆け寄ってきた薬研に肩を掴まれ、「何かあったか」と問い詰められる。彼にしては珍しく、心臓がバクバクと跳ねていた。
 こうした心配は嬉しいけれど、清光に対して私はきっと度を越してしまった。もう、心配なんかしたらうざいと思われるかもしれない。怖すぎる。
 もう一度薬研になんでもないよ、と答えたが、聞く耳持たない彼は「よぉし医務室行くか」ととっとと私を立ち上がらせた。

 所変わって医務室。
 薬研が早々に口を開く前に、「あの」と手を上げた。眼鏡のブリッジを指先で上げて、「はい大将」と私を当てにかかる彼は、白衣も相まって先生に見える。いや今そういうおふざけしてる場合ではなく……。

「清光の様子が変だと思わない?」
「俺は大将の方がおかしく見えるがなぁ。まあ聞こうか」
「……他愛もないことで動揺するし、心臓抑える時もあるし、この間なんか一緒に歩いてたら庭に落ちたし……」

 おかずをあげたら箸ごと落としていたし、髪を結いたいと頼まれたため好きにさせたら指先震えていたし、それらにどれも"叩きつけるような心音で"と付く。数々の刀剣男士が増えたが、他の彼らはそのような行動はしないし、ましてや心臓なんて。

「清光は大丈夫だって言ってた。私もそれを信じてる。……信じてる、けど怖いよね。無理してたらどうしよう、どうして隠してるんだろう、って思う。不安なことは少しでも取り除いてあげたい」

 正座をした膝の上で拳を作る。ぼそぼそと自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
 男士たちがのびのびと戦えるように補佐するのも主の役目と思う。しかし審神者になってまだ浅い身、戦のことなど知らずのうのうと現代で生きていた私には、たとえ彼らの心音が聞こえたところで不安など想像できるはずがなかった。

「大将、ちーっとばかし考えすぎじゃないか? その心配性はたまにキズだな」
「じ、自分でもわかる」
「ま、大将が考えちまうのもわかるよ。加州、大将の前だと普通じゃいられないんだろ」
「うん、わか…………えっ」

 膝の上の拳に向けていた視線を、勢いよく上げた。平然とお茶を汲み始めた薬研は、私が呆気にとられているにも気づいてるのかいないのか、言葉を続けることなくお茶を私に差し出してきた。
 薬研の口ぶりだと、清光の様子がおかしいのは私の前だけということだ。……それは考えたことがなかった。なんせ私が清光の心音を聴いておかしいと思えるのは彼を間近で観察している時であり、リラックスしている時は別として、他の時間ももしかしてそうなのかなと思っていたからだ。

 私、私のせいで清光の心臓がうるさく……いやなんでだ?

 ショックを受けそうになった頭に、疑問符が飛ぶように浮かぶ。
 私に何か思うところあって速くなる心臓というのならば、正直今更感が強い。戦の指示が不安だとか、執務に文句があるだとか、生活様式が合わないだとか、そういったことを感じるなら、清光は初期刀なので最初から心音はうるさかったと思う。
 しかし彼の心臓がおかしいのはここ数ヶ月なのだ。今更清光が私のやり方に失望するとは思わない。そのぐらいの信頼は築いたつもりだ。

 私の前では普通ではいられない、会話をしただけで心拍数が多くなる。それだけを考えるとなんといいますか。

「それじゃあ私を好きみたいだね、清光」
「おっ」

 おってなんだ……。
 薬研は面白そうに目を爛々とさせた。途端に霧が晴れたように先ほどの重苦しい空気が消える。

 実際に口に出すと大変なことを言ってしまったようで、顔に熱が溜まってしまったのがわかった。ない、それはないと否定したいが、今までの清光の心臓が大変だった時を思い返すと、確かに私の言葉や胸が要因だったように思う。
 だって刀の神様が一介の娘に恋愛的な好意を抱くと思わないよ! と誰にともなく言い訳を重ねる。顕現した時から当たり前のように彼ら男士は主と慕ってくれていた。認めてもらえるだけでも光栄なことなのに、まさか、女としても意識されるなんて、しかも清光に。

「ウッ」
「なんだ、どうした大将、様子がおかしいんじゃないか?」

 心臓を抑えてうずくまると、頭の上から楽しそうな声が降ってくる。見なくても薬研がニヤニヤしていることはわかる。しかししばらくは顔の赤みが消えないだろうので、上げられそうになかった。




 翌日に加州を隊に入れて出陣させれば、帰還した時に謝ってきた。そんな彼の心音はドキドキと緊張していたようなので、思わず笑みがこぼれる。むしろ勘違いしていた私が全面的に悪い。私もと謝れば、「じゃあ仲直りね」と安堵したように笑ってくれた。
 これで元通りの生活に戻った。
 清光が私の一挙一動に胸を高鳴らせるも、表情を変えないことが救いで、私も倣うように平然を装うことができた。なんだか彼の顔を見ると私の方が恥ずかしくなってしまうのは秘密だ。

 これにて一件落着、と安心したのは数時間であった。

 その日の夜、戦の状況で気になることがあったため、出陣した男士を探して本丸をうろついていた時のことだ。廊下を歩いていると、突如爆音が耳をつんざいた。
 こんな夜中になんだ、短刀が起きてしまう、と心配したが、よくよく聴くとこれは心音である。しかも不特定多数。さらに心配は重なる。
 敵襲か、それとも喧嘩? 慌てて音の鳴る方へそろそろと向かった。足を進めると離れにたどり着く。

 人気のないこんなところで何を、と該当する部屋を覗くと、心音でかき消されていたが男士たちの興奮した声が部屋に響いていた。道理で私の足音にも反応していないのかな。
 先ほど出陣していた部隊の男士がおり、他には太刀以上の男士たちが多かった。その中にも清光や安定など、少数であるが打刀もいる。テレビを囲んでいるようで、男士たちだけで映画鑑賞でもしているのかと凝視して、目を疑った。

「待って、止めて!」
「えっ主!?」

 沖田組の動揺が響いた瞬間、男士たちの反応は速かった。
 あなたたちそんなにも息が合っていたのかい、と驚愕するほど阿吽の呼吸で、テレビを消すもの、パッケージを投げ飛ばすもの、雑誌を隠すもの、と無駄のない動きで私の視界からそのブツを外した。
 しかしその華麗なる動きに拍手をする気力がない。彼らが見ていたものはアダルトビデオだったからである。

 しん、と現場は静まったが、私は彼らの裂けんばかりの鼓動が聴こえる。あまりにも多数の騒音により気持ちが悪くなってきた。みな、襖の隙間から覗く私を座りながら見上げ、兼さんや鶴丸あたりは自然と正座を始めた。

「やあ主、こんなところまでどうした? 夢見でも悪かったか?」
「そうやって誤魔化されても……見ましたけど……」

 彼らからすれば、アダルトビデオを見ていた時に親が乱入してきたものだろうに、三日月や鶯丸あたりは通常運転でのほほんとしていた。ホームビデオでも見ていたわけではないでしょ。

 とにもかくにもそうだよね、と納得する。男士たちも男の身体を持っているのだ。そういう欲を持っていてもおかしくはない。審神者御用達掲示板でも情報として見たことがある。
 気まずい以外のなにものでもないため、あらゆる方向へ視線を泳がし、こめかみを掻いた。

「ごめんなんか邪魔して。あの、全然良いから。そういう、発散? 大切だと思う」
「さすが主、理解が早いねぇ」
「兄者! 今そういう空気では」

 のほほん組には髭切もいたようだ。言い知れぬ感情を抱きながらも、もう一度部屋にいる男士たちを確認する。私以上に気まずい顔をしている男士たちに申し訳なさを抱き、最後に清光に視線を合わせた。肩が跳ねていた。

「えーっと……じゃあごゆっくり……」

 パタン。襖を閉じる。瞬時に脱兎のごとく飛び出した。
 自室に向かってバタバタと走れば、「誰だこんな時間に喧しい音を立てているのは!」と遠くから長谷部の声が聴こえて慌てて競歩に変えた。

 部屋に飛び込み、敷いていた布団に潜り込む。
 熱気が凄かったなあの部屋。あれほど心臓がうるさかったのだから、よほど興奮していたのだろう。高校生男子みたいだ。そりゃ顕現してヒトの身体を得て数年なんだから、当然といっちゃ当然だ。
 清光が私に対してたまに起こる、心臓の高鳴りと一緒だったな。あれだけ聴けば、みんな異常なんじゃないかと心配したから、アダルトビデオが要因だと気付いて良かった……。

 そこまで考えてふと気づく。

 短刀であればいざ知らず、他の男士たちは、全然女人に慣れていないのだと。
 男士たちの身近な女は主の私だけだ。ヒトという自分の身体にも慣れていないのに、女(私)との違いに気づけば、未知なるものに緊張してしまうのもわかる。

 ……清光が、私に恋愛意識を持っているわけではなく、女に慣れていないからああいう反応だったとしたら──……。

 ありうる、と枕に顔を押しつけた。
 アダルトビデオを顔を赤くしながら見ていた清光の顔が、瞼の裏から離れない。他の男士たちよりも清光の心臓の方がよく聴こえてしまった、わかってしまった。

「恥ずかしい……」

 清光が私に恋愛的意識を抱いてるだなんて、よくも考えたよ! 女として意識してるだなんて、そりゃ身近に私しかいないもの!
 今まで彼が私の前で心臓がうるさかった理由が、ストンと整理されてしまった。他の男士よりも激しいのは、人一倍緊張しいだからなのか? 初期刀として長くいた分、感じることが多いのか?……それとも、私が清光の音だけ意識していたとか。

 すっかり火照ってしまった頬を枕に押しつけたまま、深く長い息を吐く。よかった、勘違いしたままではなくて。そういうことならば、対処法は考えつく。
 端末を手に取り、ネットを開く。その日の夜は、しばらく眠れそうになかった。




「ねえ主、どういうこと」

 翌日、執務室で筆を走らせていると、清光と安定が揃って顔を出しに来た。本日の近侍である鳴狐が一瞬で悟ったのか、音もなく立ち上がり部屋を去っていく。それを見送り、彼らは不貞腐れたような顔で私の前に座り込んだ。

「なに? 花街へ行けって」

 まあそりゃそうである。
 昨日あの部屋でアダルトビデオを見ていた男士たちに、花街へ行く許可とお金を渡した。戸惑う男士半々、喜ぶ男士半々。目の前の彼らは前者だろう。
 これしか思いつかなかった。色を望んでいるというのなら、叶えてあげたいし、それで女に慣れるのならそれでいいと思った。
 掲示板では欲をある程度満たせば力になる男士もいるという審神者もいたし、賛否両論はあったが、実行している本丸は少なくはなかった。

 清光も、私といる時にいちいち心臓をけたたましくさせることも、なくなるかもしれない。

「命じてるわけじゃないよ、行ってきたらという提案で。男のヒトはそういうの求めるってよく聞くし。あの、刀剣男士専用のお店があるんだって。昨日調べたら結構評判良いし、他の本丸も活用してるらしくって。お金も今までみんなが貯めてくれた分があるし、お礼というのは変な話だけどこれで」
「主」

 書類に目を落としたままぺらぺらと続けた言葉は静かな音により止まる。ゆっくり、顔を上げると、何の感情も乗せていない顔で清光が私を真っ直ぐ見ていた。思わず口元を歪めてしまい、それを見た彼は困ったように眉を下げる。

「いいの?」
「え?」
「俺が、他の女を買っても、いいの?」

 例えるならば鷲に心臓を抉り取られたような痛みであった。
「清光」咎めるように声を出した安定にも気を取らず、じっと、静かに清光は背筋を伸ばして私を見やる。彼の心音は、重い足を引きずるようなそれであった。

「私じゃなにもしてあげられないから、いってらっしゃい」

 頑張って細めた目と上げた頬は、どうにかこうにか笑顔に成っていただろうか。
 安定の肩が脱力する。清光の膝の上に乗っていた拳に力が込められる。それと同時に、握り潰されて泣いた心臓の音が聴こえた。


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