短編 | ナノ

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 日曜、◯◯駅前、9時30分。みょうじはまだ来ない。
 さすがに一時間も経つと散歩も飽き、ようやく足を止める。ドデカイ広告に背中を預け、組んだ腕の中で指を小刻みに揺らした。

 心配や。いくら小春の選んだ男といえど、心配は心配や。
 デートという名目を振りかざし、強引に手を繋ぐヤツやったらどないする。抱きついたりとか。いやいや、怖すぎるやろ。死んでも止めるで。

「謙也くん?」
「おわ!」

 急に声をかけられ、跳ねた肩を抑えながら振り返る。俺が待ち合わせ場所にいることに驚いたのか、目を見開き固まった様子のみょうじがいた。俺はみょうじよりも百倍驚く。

「な、なんやそのめっちゃかわええ格好!」
「え? ありがとう」
「俺と出かける時はそない格好しとらんやんけ!」

 いや、何を言うてんねや俺は。
 みょうじはデートしに来たのだ。オシャレするんも当然っちゅー話や。俺と朝6時に待ち合わせて競技場行ってタイムを測ってもらって12時に解散するやつは、デートやない。そらそうや。遊園地とかやないと。
 自分が自分でよくわからずぐしゃぐしゃに頭を掻く。みょうじは奇異なものを見るような目を俺に向けていたが、しばらくして一つ頷き、吹き出すように笑った。

「じゃあ、今度謙也くんと遊ぶ時はこういう格好しようかな」

 久しぶりに嬉しそうな顔を見た。ほっと安堵が募る。同時に、俺も嬉しくなった。今度みょうじと遊ぶ時はこないかわええ格好して来てくれるんやと思うと、むず痒くなった。その痒さは全然嫌ではない。
「で、なんで謙也くんここにいるの」気を取り直すようにトーンを変えたみょうじは訝しみながら訊ねてきた。なんでて、そらおまえ。

「待ち合わせここやろ、◯◯駅」
「……まあ、そうだね。速いね、来るの」
「フハハ当たり前や! 誰に言うてんね……ハッ!」

 アカン! 俺がここにおるのおかしい! 衝撃の事実に腹から咆哮が飛び出てしまった。
 確かに俺はみょうじに今日のことを伝えた張本人やから、待ち合わせを知っててもおかしくはない。せやけどみょうじからしたらデートの待ち合わせに友達が先にいるのてアホほどおかしい! 三人でデートか? そら謎や! なにを堂々と待ち合わせ場所に立っとるんや俺は!
 ……落ち着け、まだ大丈夫や、相手の男は来てへん。ふーと細く長い息を吐く。みょうじにも落ち着いてもらうよう、手のひらを向けてとどまらせた。

「ちゃう。あれや、散歩や。走ってたらここまで辿り着いたっちゅーわけや」
「それはまた随分遠くまで……」

 しみじみと呟かれ、まるで残念なものを見るような顔をされた。みょうじ、表情豊かというわけやないけど意外とわかりやすいよな。失態の手前、言い返す言葉もないが。
 彼女は影に目を落とすと、それから顎に手を当て、閃いたように何度も頷いた。「わかったよ」と呆れた声色で俺の腕を小突く。

「謙也くん、ちゃんと私がここに来るか見張りに来たんでしょ」
「え?」
「心配しなくても大丈夫だよ。彼氏とまではいかなくても、友達にはなってくる」

 任せて、と口角を上げたみょうじに、二の句が継げなくなってしまった。
 心配はした。今もしている。でもそれは『みょうじが彼と友達になれるやろか』なんて生優しいものではないことは確かであった。
 俺が上手い言葉を脳内の端から探していく間にも、時間はあっという間に流れていくらしい。「あ」と俺の後ろに視線をやり、会釈をしたみょうじにつられて振り返る。小春に紹介してもらった写真の男が、離れた場所から近づいてきていた。爽やかなイケメンが微笑みながらみょうじと俺に向かって手を振る。

「じゃあ、またね謙也くん」
「お、おう、……」

 俺の横をすり抜けみょうじは駆けていく。横切る直前、腕を伸ばしそうになって慌てて己の手と握手した。
 ドクドクと血が忙しなく巡る。テニスしている時と同じくらい速く鼓動は打っているというのに、興奮するどころか指先が冷えていくのがわかった。
 なんなんや俺は。ようわからん。せや、散歩も終わったし、帰るか!
 弾かれたように走り出す。後ろを振り返らず、ただ前を見てひたすらに走るのは得意であった。




「例のイケメンとどやった?」

 昼休み。放送室からの帰りに見つけたみょうじへ突っ込んだ。
 やっと話せる。気になりすぎて昨夜は6時間43分しか眠れへんかった。辺りを見回して誰も聞こえないことを確認し、コソコソと内緒話に花を咲かせる。
 みょうじは「よかったよ」と事もなげに返してきた。

「紳士というか、気配り上手で」
「へ、へえ……まあ俺も配りすぎて気がなくなることあるな」
「メールも優しいし、楽しいし」
「へえ……全然関係ないけど俺もよく優しい言われんねん。人を楽しませることに命かけとる所もあってな」
「……」
「え、なに?」

 うろんな目を向けてくるみょうじに、しもた! と内心頭を抱えた。つい張り合ってしもた。ユーシと電話でバトる癖がここに来てまでも。
 すまん続けてくれと口を開く前に、背中をバシンと叩かれた。手を出すみょうじが珍しくて感嘆符と疑問符を飛ばしてしまう。みょうじは恨めしそうに「ずるいなあ」と唸った。

「そりゃあ謙也くん以上のいい人なんていないよ」

 あ、それは、"いい人"いうんは、みょうじだけには言われたなかったやつや。

 とは思いつつも、自分で投げかけた種やしなと落とし込む。みょうじはすぐに「叩いてごめんね」と気まずそうに背中を大雑把に撫でさすってきた。全然ええよ、むしろもっとぶつけてきや! そう、心から思ったので口を開いた。

「ほなら俺でもええやろ」

 沈黙が広がる。お互いに驚愕した顔を見合わせる。次には、サアッと血の気が引いた。

 今俺はなにを言うた? 考えとった言葉と全然ちゃう。こんなん、まるで俺が彼氏になりたいみたいや。なんで急に。どないしたん。

「いや、ええと、ちゃうねん、その」上手い誤魔化しが思いつかず、天井や床などあらゆる方向へ視線を飛ばす。こんな、みょうじの気持ちも考えず一方的な自我が出てくるなど、思いもしなかったのだ。
 ははは、といつものみょうじの笑い声が耳に届き、おそるおそる伺い見た。

「励まし方、かっこいいな」
「……」
「謙也くんはやさしいね」

 呆れたように眉を下げながらみょうじは微笑んでいた。ぎゅうと雑巾みたく心臓が絞られる感覚。聞き飽きることはあっても嫌ではなかったその褒め言葉は、今や重荷に感じた。

 俺は、優しない。みょうじにええ男見つけたるとか豪語しといて、上手くいくなと思ってしもてる。気を抜くと「俺で我慢しや」なんて喉から出そうや。
 こんなんもう好きやん。めっちゃ好きなやつやん。
 優しくなりたいのに優しくなれない。ドロドロとした靄で息が苦しくなる。どうして今まで気づかなかったのかと下唇を噛んだ。速さを自負しておいて、なんで俺は今更。

──せやけど、俺のことを優しいと言ってくれるみょうじの期待には応えたらんと。

 肩を落とし、額を抑える。大きく息を吸って鼻から吐いた。
 しゃんとしや、俺。みょうじとの思い出が後悔で埋め尽くされたくはない。好きに気づく前も今も、変わらんことはたくさんあるやろ──みょうじのことを一番に応援する、これだけは誰にも譲れへん。

「謙也くんには悪いけど、紹介してくれた人とはお付き合いしないよ」
「えっ!?」

 気合いを入れたそばからみょうじがしれっと言ってのけた。驚いて二度見をかましてしまう。
 気に入らなかったのだろうか。白石ほどではないが優良な男子だ、彼で適わないならば自分など土俵にも立てないのではないかと息を呑んだ。いや、今は俺のことはええねん。
 みょうじが俯いていた顔を上げる。なにか決意したようにスッキリとしていた。

「好きな人に頑張ってみる。私頑張ってなかった」
「……好」
「ちゃんと言うから、待ってて」

 そういえば言っていたな、フラれたと。納得して、そして嫉妬心がむくむくと沸き上がる。誰やその幸運をむざむざと捨てた男は。般若が浮き上がりそうになったがどうにか収めた。
 好きなヤツを想うみょうじがこんなにも眩しい。悔しいが、ほんの少し、見惚れてしまった。

「おう、頑張れ。みょうじが頑張ってオチひん男はおらん」

 拳を突き出すとみょうじも合わせてきた。予鈴が鳴る。




 部活が終わり、間もなく最終下校時刻となる。駄弁りながら着替えるので部室内はひっちゃかめっちゃかだ。これなら俺の問いかけも喧騒に紛れるだろうと、清涼スプレーを振っている小春に近づく。

「なあ、みょうじの好きなヤツ知っとる?」
「はい?」

 素っ頓狂な声を出された。おかげでユウジに「小春になにを近づいとんねん」とやっかまれる。
 みょうじの紹介の件で相談した時のラブルスの反応は気になっていた。まるでみょうじの好きなヤツを知っているかのように小声で話しとった気がする。
 みょうじのことだ、絶対に好きなヤツなんて教えてくれない。本来ならば俺が気づかなければならないところだが、前述した通り俺はあれだけ近くにいても気付いてやれなかった。もう時間をかけるのも惜しい。聞くは一時の恥だと思い、小春に頭を下げる。

「頼む、教えてくれ!」
「なんやのん急に。あれやないの、紹介した子……」
「ちゃう。知っとるんやろ。みょうじにずっと想われとる羨ましいやっちゃ」
「ああ、アホな男な」
「アホなん!?」
「なにぃ? そない気になるってコトはぁ、謙也きゅんみょうじちゃんのコト好きちゃうのぉ?」

 小春はからかって訊いているのだとわかったが、自覚したばかりの俺は耐性がついておらず顔が熱を帯びていく。
 ここで止まるとハイそうですと言うようなもんやないか、なんか返せ俺! なんやかんやで優しいこいつらのことや、俺がみょうじを好きだと知ると同情するかもしれへん。どうにか誤魔化す。

「俺の話はええねん」
「ほな終わり」
「なんでやねん!」
「謙也、知ってどないするん?」

 隣から声をかけられ振り向く。白石が制服のボタンをとめながら話に乗っていた。
 どないするて、そら応援や。相手を知っておいた方がなにかと協力もしやすいやろ。本気出すみょうじに俺の手は要らんかもしれんけど、でも、俺は。
 言い淀む俺を見て白石は眉を下げて笑う。視界の端でラブルスがじっと俺の答えを待つ。急かされているような気がした。

「"ええヤツ"で止まるなよ、謙也。先に行くんがお前やろ」

 息を呑む。頭を金槌でガンと殴られたような衝撃が襲ってきた。部室内の喧騒が聞こえなくなり、代わりに下校放送が流れてくる。
 今日はみょうじの当番の日やった。俺とは違ってゆったりと聴かせるように帰りを促すみょうじの声がする。俺は、いつも放送が終わる前には走り出していた。それは今日もや。これからも変えたくない。

「おおきになお前ら! 俺行くわ!」
「気ぃつけて帰りや」
「ちゃんと送ってあげるんよ」

 弾かれたように部室を飛び出し、目にも止まらぬ速さで校舎へと向かう。昇降口で靴をほっぽり脱ぎ、靴下で廊下を進んだ。
 摩擦で足の裏が熱くなってくる。心臓は足よりも速く動いとる。もっと、もっとや。もっと速くなりたい。
 放送室に辿り着き、勢いよく開く。室内にはみょうじ一人だけであった。もう何度となく登場しているが、みょうじは相変わらず肩が跳ねるほど驚いていた。

「ちょ、まだ放送中……」
「みょうじ、待っとれ言うたな! すまん、待たれへん!」
「え、え?」

 ずかずかと彼女に近づくと、みょうじは慌てて椅子ごと退がった。手元にあったスイッチは音量がオフになっている。それを確認し、彼女が座る椅子の手すりを掴んでしゃがみこんだ。これで俯くみょうじの顔もよく見える。

「みょうじが頑張ったらなんでも叶う。俺はそう信じとるし、俺が叶えさせたいとも思う」
「……」
「せやから、その前に、俺にも頑張らせてくれ」

 言う、言うと決めたら目に力が入ってしまった。頬も強張る。みょうじ、怖がってくれるなよ。これが俺の本気や。聞くだけ聞いてくれ。

「好きや、みょうじ。お前がどんな男好きなんか知らんが、そいつより俺の方が好きや。誰にも負けへんからな」

 告った。顔をそらし、プハァと息を吐く。一気に脱力した。走り終わった後のようにドクドクと血が巡る。告った。告ってしもた。不思議と悔いはなかった。ただ伝えるだけでもこんなにもスッキリするなんて知らなかった。
 ハッと顔を戻す。アカン、自己満足してしもた。みょうじの反応を見ていなかった。視界に入ったみょうじの手の甲に雫がポタリと落ちる。

 みょうじは目に涙を溜めていた。堪えきれなかったそれがまた一つ落ちる。きっとしゃがみこんでいないと見れなかった顔や。俺は、愕然として声も出ない。

 そんなに嫌だったのか。好きやと言われて嫌に思うヤツもおるんか。まあ、そらそうか、確かに、同じ想いを返せへんと思うと、心苦しいから嫌にも思うか。みょうじ、ええヤツやな。
 どこか他人事のようにそこまで考え、いやいやいや! とかぶりを振る。

「みょうじー!? すまん! どないした! 何故泣く!」
「……いや……」
「タオルタオル……あ、ラケバの中や」

 立ち上がり、放送室に入ってすぐほっぽってしまったラケバに向かおうと踵を返す。ぐ、と制服の裾に重心がかかり動きが止まってしまった。なに? と見ると、みょうじに引っ張られている。
 涙に濡れた目で見上げられ、あれだけ騒がしかった心臓がぐしゃりと握り潰されてしまった。

「今度は私が、頑張る番ね」
「お、おお……せやな。……え?」
「好きだよ、ずっと。謙也くんで、いいんじゃない、謙也くんが、いいよ。謙也くん以上の、好きな人は、いないんだよ」

 立て続けに告げられ、みょうじ以外の何もかもがぼやける。ボロボロと堰を切ったように嗚咽混じりで本心を話すみょうじは、息を呑むほど可愛かった。
 裾が放され、その手がゴシゴシと顔を拭う。鼻をすんと啜り、みょうじは姿勢を正して「はい」と一呼吸置いた。

「お付き合いすること、叶えてくれますか」

 目元や鼻や首や頬や、あらゆるところを赤くしてみょうじは言う。多分、俺は張り合う癖があるもんやから、きっとみょうじ以上に真っ赤になっとると思う。
 よろよろと足がもつれ、慌てて近場の──放送の操作パネルに手がついた。マイクの音量がMAXになったことにも気づかんくらい、俺は思考回路を回すことに必死やった。

「えっ!!!』

 後から聞いた話によると、校舎内だけでなく四天宝寺中敷地内、どころか学校外にも俺の声は響いたらしい。
 戸締り役の先生が放送室に殴り込みに来るまで、みょうじはいつものように、いやいつもよりか嬉しそうに、「ははは」と笑っていたのだった。



21.06.25

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