短編 | ナノ

▼ 真田くんは妬かない

真田くんと結婚を前提にお付き合いをしている。

正直なところ、そんな予定はまったくなかった。玉砕覚悟で自分の想いは真っ直ぐ伝えよう、そんな勝手なエゴで告白しただけだから、まさか真田くんから了承をいただくとは思ってなかった。
そこで出てきた「結婚」というパワーワードに、十年は予定していなかった私は間抜けな声を出すことになる。

「俺と交際するならば、結婚を前提として真剣に交際してほしい」

告白をされたようには見えない、引き締まった顔で真田くんは堂々と述べた。
ざざぁ、と風により揺れる葉の音がした。決闘のような空気を醸し出された私は、混乱極まりながらも「心得ました」と答えたのであった。

そうして、人生初めてできた彼氏が婚約者となりました。

これは他の女友達からすれば奇異なようで、何時代に生きてんのと笑われた時は憤ってしまった。
今の時代を真剣に生きてる真田くんを笑う資格はないはずだ、と思ったものの、言葉にできない私はじくじくと睨むしかできなかった。

こんな弱っちい私を真田くんはどこが気に入ったのか。本当に結婚しても大丈夫なのかと思う。
嫌になったら途中で別れてもいいんだよ、と言ったら嫌われてしまうだろうか。

真田くんはとても優しかった。知っていた。
彼の一日はルーチンがあるようで、規則正しい生活を送っている中にもお昼は私と一緒に食べてくれたし、たまの休日には映画を観たり公園へ散歩などを一緒にしてくれた。
付き合って一ヶ月の記念日に手紙を渡したら、書を返してくれたりもした。鳥語花香と書かれてあったので、どういう意味で書かれたのかわからなかったがとても嬉しかった。

そんな真田くんに釣り合う女になろうと私も積極的に家事や勉学に励み、料理はレパートリーが増えたし成績も少し上がった。真田くんさまさまだ!

「ええと、以上です」
「……」

締めくくると、幸村くんはなんとも言えない顔で口元を覆ってしまった。心なしか顔色が悪い。
具合でも悪くなってしまったのだろうか、と背中を支える体勢を取ったが「大丈夫だよ」と制されてしまった。

「そうか、真田は……そう」
「あの……?」
「いや、ごめん。君はとても幸せそうだね」
「はい! 真田くんと付き合ってからとても幸せだよ」
「……」

今度は顔を覆ってしまった。元気がないのかもしれない。
幸村くんは小学校からの同級生で、委員会などで同じになることも多く、廊下で会うと話しかけてくれていた。
観察力の鋭い人なのか、私が真田くんを好きというのもすぐに察し、こうしてたまに恋愛相談などに付き合ってくれる。交際することができたと報告した時は、私以上に安心したように微笑んでくれたのだった。
いつもはニコニコと聞いてくれていたというのに、交際してからというものの、幸村くんは私の話に段々と表情を曇らせていく。彼は真田くんと幼馴染なので、何か私に失態があるのかと慌てた。

「みょうじさんはそれで満足しているのかい?」
「え?」
「うーん、なんて言ったらいいんだろう。……もっと求めてもいいんじゃないなって」
「そんな!」

求めるだなんて! 真田くんと付き合えているだけで奇跡みたいなものなのに!
挨拶ができて、お昼休みに一緒にご飯食べて、休みの日にお出かけできる、そんな幸せを得ているのにこれ以上なにを求めるというのか!

「じゃあ満足してるんだね」
「は」

い、と続けて出るつもりが、何故か口が止まってしまった。
おかしい。満足してるかという問いにどうしても頷かない心がいる。
幸せという気持ちに嘘はない。これ以上求めることはないはずなのに、どうしてだろうか燻っていた火がじわじわと大きくなる。
ずっと疑問に思っていたことがあったのだ。それがここにきて顔を出してきた。
固まった私に、幸村くんは黙って促してきた。一つだけ、と前置きをする。

「真田くんは、本当に私が好きなのかな、と、思う時があります」

言ってすぐに「違うんです」と手を振った。
告白を受け入れて、結婚を前提に交際を始めてくれた真田くんを信じていないわけではない。軽々しい気持ちで了承する人ではないのはわかっている。

でも、私から告白したし、好きとも言われたことはないし、ハグどころか手を繋ぐこともない。

ないないばかり浮かべ、欲しがっている自分に気づき慌てて律した。
さっき言ったばかりじゃないか、求めるなんておこがましいと。付き合えているだけで奇跡なんだって。
「だよね」幸村くんは事もなげに呟いた。「真田は言葉にも態度にも出さないしね」

「妬かせようよ」
「え!? どうしたの急に」
「嫉妬は自身が露わになる。真田が君を好きなことを確かめよう」
「い、い、いいいいいいですそんな確かめ」
「彼は甘えてるんだよ。君が手中にあると思って満足している。それはよくないことだ」
「幸村くん?」

やれやれ、とかぶりを振った幸村くんは突然に私を抱きしめてきた。わあ! と声が洩れる。
ここは廊下で、放課後とはいえ人もまばらにいて……いや人の目関係なしに私には恋人がいるのだ。真田くんともハグをしていないのに大人しく幸村くんの腕の中にいていいわけがない。
申し訳ないが倒させてもらいます! と両手で精一杯彼の胸板を押したが微動だにしなかった。さ、さすがテニス部部長である。

「幸村、何をしている」
「ぎゃあ! 真田くん!」

真田くんの登場にやっと幸村くんの腕が解かれた。
すぐさま離れて真田くんへと勢いよく振り返ったが、彼は幸村くんをじっと見ていた。いつもの落ち着いた、厳格な様子でだ。
……私と幸村くんがハグをしていたことなどなかったかのように、だ。

「委員会が終わった。部活へ行くぞ」
「迎えに来てくれたのかい?」
「通りすがりにお前が見えたのだ」
「じゃあ今のも見ていたね」

ここでやっと真田くんが私を見た。
やましいことをしていたつもりはないが、結果的にやましいことに見えてしまうだろうので目をそらす。幸村くんは私のためにやってくれたことだろうので、彼のせいにするわけにもいかない。
何て言われるだろう、とぐるぐる回る頭の中。
真田くんは声色を変えず、いつもの調子で私に言った。

「下校時間は過ぎているぞ。部活のない者は早く帰るんだ」




塾が終わって帰路につく。この時期になると帰り道も暗さを増していた。
相乗効果というべきか、気持ちまで暗くなっていくようであった。励むべき勉学も途中でペンが止まっては講師に指摘された。

妬くまではいかずとも、追求はされるかなと思っていた。何をしていたんだって、不純だとも言うんじゃないかと思った。
怒ることすらなかったな。私に真田くんの感情を動かすことはできないのだ。そりゃそうか。
じわりと滲んできた涙を、上を向くことでどうにかとどめた。
拭わないのは、衝動で目を擦って赤くして、彼に相応しくない女にならないようにというエゴだ。
ここにきてまだ交際は続けたいという自分に嘲笑した。真田くんは私をなんとも思っていないというのに。

どうして交際を了承したのかな。
あの時はこれから好きになってみようと、思ってくれたのかな。
──それならば失敗だ、私は彼を惚れさせることなどできなかった。

自分で首を締めれば締めるほど、ぼろぼろと涙が溢れてとうとう頬を伝った。
もうだめだ、もういいや、擦ってしまおう。ぐしゃぐしゃになってしまおう。

両手で顔を覆う、その時だった。腕を取られて動きが制される。
ヒュッとか細く息を吸って、驚きで声が出ないままに顔を上げた。
いつの間にいたのか、肩から蒸気が上がっている真田くんがそこにいた。私の両腕を掴み、睨みを効かして見下ろしてくる。

「何があった!?」
「……、え」
「何故泣いている! おまえを泣かしたのは誰だ!」

興奮気味に叫ぶ真田くんは走ってきたのだろうか、彼らしくなく制服も少しよれている。
驚愕により涙も止まった。しかし結構泣いてしまったので残ったものが頬を落ちていく。腕を掴まれているのでそれを拭うことはできなかった。

「不審者か? 何をされた」
「ち、違う」
「言え!」

あまりの迫力に肩が縮こまった。
真田くんからこのように圧を感じたことはなかったし、乱暴な言葉遣いをされたこともなかったので、驚きで声が出ない。どころか少し恐怖を感じてしまった。
表情を強張らす私に気づいたのか、真田くんはハッと目を瞬くと、ゆっくりと腕を放してくれた。
そして鞄から手ぬぐいを取り出し差し出してくれる。いつもの真田くんだ、と気づかれないように小さく息をつく。優しさに甘えて受け取った。

「すまん。きつい物言いだった。怖がらせたな」
「……いえ」
「改めて訊ねてもいいか。何故泣いている? 教えてくれ。誰かに何かされたのか?」
「本当に、違うんです。思い出し泣きというか……」

女の子には、たまに泣きたくなる夜があるんだよ、笑って誤魔化したが真田くんは探るように私をじっと見てきていたので、すぐに笑みを消した。
自分で自分の首を締めて泣いていたのだ。自分にも他人にも厳しくて、真っ直ぐ生きている彼に言うことなんてできない。

彼は少し思案した後、「思い出し、か」と呟いた。続けて「やはり」とも言う。

「幸村に抱擁されたことが泣くほどに嫌だったのだな」
「え?」
「すぐに止めてやれなくてすまなかった。言い訳になるが、俺も驚いていた。あいつが好いてもいない女子にするとはどうしても思えんのでな……」
「……」
「おまえを励ましたり慰めたりしているものだと思ったんだが、違うのか?」

何も疑っていない目で見つめられる。
私はといえばパチクリと瞬きを繰り返し、ええとと視線を彷徨わせた。

「違うよ、そういうのじゃなくて……ハグが嫌で泣いていたわけでは……どこから言えばいいか」
「嫌ではなかった? 好ましく思ったというのか? おまえは俺が好きではなかったのか、みょうじ」
「え!?」

低く追い詰められるような声色もそうだが、言われた言葉に驚いて、そして羞恥が募り顔をボボッと赤く染めてしまった。
そんな私の反応は彼の中では答えになっていなかったのか、真田くんは解いた腕を再び掴んでくる。
逃がさないぞとばかりぐんと顔を近づけられた。「幸村が好きだというのか」し、視線で殺されてしまう。

「幸村は俺たちが交際をすることを応援すると言っていた。おまえが好きではないのだ。おまえがやつを好きになったと今更言っても俺は応援できないぞ。傷つくおまえや傷つける幸村を見たくない」
「ゆ、幸村くんは妬かせようとしてくれたの」
「そもそもおまえは俺の婚……なに?」
「わ、私が、真田くんが私のこと本当に好きなのか、疑っちゃったから」

またじわりと涙が滲んできた。涙腺が壊れてしまったようだ。
真田くんからの強い想いに耐える術を私は知らない。
ぎらぎらとした圧が消えていく。真田くんは目を丸くすると、手の力を緩ませた。

ああ、そうか、そうだったんだ。
私が告白したことを、真田くんはそのまま丸ごと受け止めていたんだ。
私が彼のことを好きだと、疑っていなかった。私が好きだと言ったからだ。
だから幸村くんとハグをしてもそれに恋愛の意識はないと思ったのだろう、幸村くんに励まされていると認識してあの普通な態度だったのだ。

妬くなんてことはしないのだ、彼は。
幸村くんのことを、……私のことを信じているから。
これ以上の『好き』という言葉があるだろうか。

「私が好きなのは今までもこれからもずっと真田くん」

それなのに私は彼の好意を感じ取れず疑って。好きという単純な言葉でもってしか彼に伝えられない。
情けなくて恥ずかしくて、顔を覆って俯くと、そっと肩に重みが乗った。見ると両肩に真田くんの手が乗っている。ぎゅっと力を込められた。

「俺にはいまいち妬くという感情がわからん。幸村はおまえを好きではなく、おまえは俺が好きなのだ。何も案じてなどいない」
「そう、そうだね。ごめんね」
「……みょうじ、おまえが幸村との抱擁を嫌ではなかったと言うまではだ」

え、と洩れた声は覆われた衣服にくぐもって消える。
渋い汗の匂い、背中に回された固い感触、身動きが制され、心臓だけがけたたましく動くこととなった。
真田くんに抱きしめられている。
わかったのは耳元で彼の静かな声が聞こえてからであった。

「嫉妬という感情は、嫌な気持ちになるものだな。出来れば抱きたくないものだ。律しきれん」

ぎゅう、と肩に、背中に、力が込められる。真田くんの身体と一体化してしまうと思うほどだ。
あまりに熱くて足に力が入らないが、真田くんの支えによりようやっと立てていた。

妬いて、くれたんだ。
真田くんのヤキモチ、ちょっと怖いんですね。
言葉にはできず胸ばかり騒ぐ。
とはいえ、嫌な気持ちにさせてしまったことは事実。ごめんなさい、と謝れば、「む、謝らせるつもりで言ったわけではない」といつもの真田くんの調子で返ってきた。

とても愛らしく思う。これ以上好きになってしまったら、私の愛で真田くんが潰されてしまうのではないかと思うほどだ。
そろそろと真田くんの大きな背中に腕を伸ばすと、バッと身体を引き剥がされた。真っ赤な顔の真田くんと目が合う。ごきゅり、と唾を飲む音が私にまで届いた。

「す、すまなかった! 俺はまだ汗をかいていた! 俺としたことが我を忘れてしまった、殴ってもらって構わん」
「な、殴りません! 汗をかいていたって、私はもっと……」
「……」
「……」

焦る真田くんにつられ、私も興奮気味に言葉を続けようとして我に返った。
しん、と広がった沈黙。互いに顔を赤らめながら目をそらすしかなかった。
しかし、思うと、一歩踏み出すならばここかもしれない。
そっと手を差し伸べる。真田くんが訝しげにその手を見た。

「手を繋ぐ、くらいはいいでしょうか」

真田くんといるだけで満足なはずが、もっとと求めてしまう。
いけないと思っていた。私にはすでに奇跡が降り注いでいるし、こうして付き合えているだけで幸せなのだ。欲張るとバチが当たる。
それでも、それでもだ。

「繋いでくれ。送ろう」

そうしてガッチリと握ってきた真田くんの手の力が強く、恋人繋ぎに変えることは叶わなかったけれど頬が緩んでしまった。
眉を寄せ、少し悔しそうな表情を浮かべた真田くん。その表情が意味するものは、今の私はまだわからないけれど、この先も彼だけを見るのだ。きっとわかってくるだろう。

「す!」と突然大きな声を上げ、少しして「いや、なんでもない……」と意気が消えていく真田くんの謎も、いつかわかる日がくるだろう。



20.03.13

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