短編 | ナノ

▼ 福士ミチルは策士らしい

彼がトイレに入って15分が経つ。扉の向こうからは枯れたような弱々しい悲鳴が聞こえてくるが、いつものことだと私はテレビから目線を外さない。しばらくしてやっと水が流れる音が聞こえ、心なしか顔がほっそりしたミチルが出てきた。

「ダメだ……まだ腹がぴーぴーいってやがる……」
「平気? あったかい飲み物でも作ろうか」
「うるへー! こんな暑い中、ンなもん飲んだら死ぬだろォーが!」
「大きい声出さないでよ」

だから言ったじゃん、アイス三個も食べたらお腹壊すよって。などとは言わない。言ったところで無駄なことは幼い頃から知っている。
確かに扇風機だけで凌いでいる今年の夏はどうにも暑すぎる。アイスも美味しくなる。だからといって馬鹿食いしたらお腹痛くなることを彼も知ってるはずなのに、それでも誘惑に負けて食べるのだからミチルはバカなのだ。
「うっうう、痛いよ……痛いよ……」と転がりながらべそをかき始めたミチルを横目で見て、内心息を吐く。福士家の台所からスポドリをコップに注ぎ、そしてタオルを温める。彼に持って行き、温タオルをお腹に当てた。

「あっつぅい! 何だよ急に! 暑いっつってんだろ!」
「そうかな、あったかいくらいにしたんだけど」
「タオルの温度はな! この蒸し暑い部屋で熱いモン当てとけってか!」
「だって、下痢はつらいでしょ。はい、ドリンクもお飲み」

再びべそをかきながら「つらい……あつい……」と繰り返すミチルにもう知らんとテレビに視線を戻す。扇風機からは緩やかに風が吹き、髪を揺らして汗ばんだ肌を撫でる。網戸の向こうからのセミの鳴き声が騒がしい。テレビからは好きなドラマのギャグシーン。そして横からミチルの唸り声。

「そのドラマ楽しいか?」
「うん、え、だからミチルも録画してるんでしょう」
「んー? まぁーーな」

私の家のテレビは録画容量がオーバーしているため、こうしてドラマを録画しているミチルの家によくお邪魔する。ミチルと趣味が合うのか、知らないタイトルも見てみるとハマるのだ。
何故かドヤ顔をかました彼に呆れた目を向ける。お腹の痛みが和らいできたのか、ミチルがお菓子に手を伸ばしてきたので叩き落とした。




福士ミチルとはご近所なため、小さい頃からの付き合いである。
幼い頃から彼は変わらず、アホなことをしたり言ったり妙にどでかいリアクションをとったりと、いろんな意味で目立っていた男だ。

そんな彼と腐れ縁を繋いできたからだろうか、私は妙に自分が冷静になったものだと思う。怖いものを見たときに自分以上に怖がっている人を見ると逆に落ち着くあれ。実際、肝試しでミチルとペアになった時、彼がガクガクに震えていたため私がしっかりしなきゃと勇気が出た。
とにもかくにもそんなわけで、私はミチルのご両親に「あの子をセーブしてやって」と懇願されるほどには、彼のお守役になっていた。


教室、授業が終わるとなに考えてるかわからない表情でミチルが私の前の席に座る。

「堂本のベルトが壊れてズボンが脱げてよ、パンツ一丁になった時笑いたきゃ笑えって言われたから笑ったら結構怒られたんだけどどう思う?」
「ミチルはバカだなと思う」
「ハア!? なんでだよあいつが笑えつったから笑ったんだよ俺ぁ! この世界には笑顔が足りない」
「そういうのは空気を読んで触れないものだよ。ミチルがもし同じことになって笑われたらどうさ」
「泣く……今後学校中の人間から軽蔑な目を向けられると思うと学校来たくなくなる……」
「さすがにそこまではいかないと思うけど……」
「まあ俺様のしもべであるなまえは俺様を裏切らないよな!」
「どうかな、ミチルのお気にのパンツはハート柄だって言いふらすかも」
「は!? ちっ……ちっげーし! お気には恐竜だし! ハートじゃねーし!」
「ちょっと声大きいって。なに自分で言いふらしてんの」
「はっ。……バカお前! そういうプライバシーに関わること言うな! デリカシーないやつ!」
「ごめんて」
「あーあなまえ冷めてるくせに近くにいても全然涼しくねーな」
「それはさすがに理不尽すぎる……。暑いなら今度かき氷でも食べに行く? 割引券あるんだ」
「あ、あん? なんだいみょうじくん、他に一緒に行くヤローがいないのかい? 困ったねえ、モテない子は」
「ヤローはいなくてもバカな幼馴染はいるから」
「てんめさっきから人をバカバカと! かき氷行こうぜ!!」
「そだね」
「俺いちごな」
「今言わなくてよくない?」
「なまえ真似するかと思って」
「別によくない?」
「チッチッチ、違う味頼んでこうかんこすんだよ。そしたら一石二鳥だろ? おつむが違うんだよなまえとは!」
「そうね、じゃあ私はブルーハワイにしよう」
「ちょっちょちょお前俺がそれ苦手って知って言ってんのかよ!」
「ふっふふ」
「なに笑ってんだよお前はぁ!」
「声うるさいよ。ほら、ノート貸すからもう席戻りな」
「おう」
「あんた頭いいのに、今回はどうしたの」
「ゴシック体に似せて板書してたら集中しすぎて黒板消された」

他愛もないことだ。毎日毎日他愛もないことを話して、それなのにこんなにも笑えるのは本当にミチルがバカだからだろう。
ツボに入って肩を震わす私に「センキュー!」と告げて私のノートを持ちながら自席に戻ったミチル。途端に周囲の男子生徒に囲まれ、またバカ騒ぎが始まった。いつも賑やかだ、このクラスは。
「なまえほんと福士と仲良いよね」「世話おつでーす」ケタケタ笑う女友達にもやはり私が彼の世話役だと認定されてるのだろう。腐れ縁だからね、と笑って返事をし、またミチルに視線を向けた。

ミチルは女の子よりも男の子に人気がある。逆に言えば、そんなに女の子から人気がない。いつもわりと言い争いをしているイメージだ。
「ちょっとぉー、女子ィー! ちゃんと掃除してって言ってんじゃん!」「うるさーい福士」そう、このように。

放課後の掃除時間、ホウキを使って溝に合わせながら綺麗に掃くミチルは意外と綺麗好きである。スマホをいじって掃除の手が止まっていた女の子を注意した彼は、うるさいと言われぐぬぬと口元を歪めた。うまい言い返しができないらしい。

「ていうかもう終わりじゃね? 帰ろ帰ろ」
「おいちょっと待てぃ! まだゴミ捨てがあんだろーが!」
「そんなん福士やってよー」
「お前らろくに掃除やってねーだろーが! んじゃ軽美やってくんね」
「え、オレ?」
「ちょっと軽美くんに頼むとか福士 何様!?」
「俺様〜」

女の子から人気はないとは言ったけれど、彼の性格上話しかけやすいのか、他愛もない言い合いが飛び交う。そして男の子からも意外や意外、人望があるのか、クラスでもイケメンと名高い軽美くんはにこやかに了承した。

「いいよ いいよ。福士ほとんどやってくれたし」
「はっ……笑顔でオーケーされると俺が悪者みてーじゃねーか」
「なんだよオレにどうしろって言うんだよ」
「じゃあ私も一緒に行くよ」

そっと手を挙げれば、ミチルが目を見開いてまあ不細工な顔で見てきた。帰り支度を始めていたみんなを見て思い出したが、確かミチルも今日は部活の日だったはずである。部長が遅れるというのは部員に示しがつかないだろう。
「みょうじさんも行ってくれるの? やりぃ」「重いしね」ゴミをまとめてよいしょと抱え上げる。女の子たちからは軽美くんとなんて羨ましいという声が上げられたが、自らゴミ捨てに行く気はないのか、とっとと帰ってしまった。

「ゴッゴミ捨てなら軽美だけでも行けんだろ!」
「私だけでも行けるけど……」
「いやいや女の子一人には任せられないからさ」
「はい! じゃあ俺が行く! なまえは待ってろ!」
「ミチルじゃあ部活頑張ってね」
「聞けよ!! 軽美一人で行けよ!!」

やいやいと一人でも騒がしいミチルを残し、私と軽美くんはゴミを抱えて教室を出る。
何故あんなに軽美くんだけに押しつけたがるのか、ちょっとよくわからないけれど、あれでも女の子には優しいミチルは多分力仕事を私にさせたくないのかもしれない。
こう見えて意外と力あるんだからね。たかがゴミくらい。片手で抱えてふふんと鼻を打って廊下を進む。

「みょうじさんさ、福士と付き合ってんの?」
「いいえ」

最早世間話よりも出現率の高いその話題、息をするように否定した。男女の幼馴染という距離感は、周りからすれば交際している男女と同じそれに思うのだろう。初対面の挨拶のようなお馴染みの定型文に、とんでもないと手を振った。

「ミチルとは幼馴染だからお世話してるというか」
「そうなんだー、じゃ、みょうじさんはフリーってことだよね」
「うーん」

曖昧な返事を持って返す。確かにお付き合いしている人はおりませんが、まあミチルのことは好きだよね。

「じゃあ俺と付き合おうよ」
「うーん……」

なんとなく話の流れからそういうことにはなるかなと心の準備はしていた。軽美くんは好青年だけど何人もの元カノがいると聞いたことがあるし、お付き合いに抵抗がないのだろう。ミチルの影にいる私にもこうやって言ってくるのだから。

いつかは誰かと付き合うとか、一緒に暮らすとか、そういう未来が来るのかもしれない。軽美くんだってミチルよりイケメンだし優しいし気配り上手だし、きっと付き合ったら楽しいかもしれない。しかし、私が誰かと付き合うということは、ミチルを一番には考えられなくなるということだ。ミチルのバカを一番傍で見られなくなるかもしれないということだ。それは、まだ、イヤだな。

「ごめんなさい」

せめてミチルが好きな人を作るまでは、あのふざけたうるさい声にツッコミを入れていたいし、下したお腹に温かいタオルを当てていたい。
軽美くんは「あっそー」と苦笑いして、それっきり黙ってしまった。




鞄も一緒に持ってきていた軽美くんは、ゴミ捨てが終わるととっとと帰っていった。
廊下からテニスコートを見下ろしたが、練習している部員はいない。不思議に思いながら教室に戻ると、ミチルが携帯を弄っていたのでずっこけた。ちょ、部活行くんじゃなかったんかい。なんでまだいるの。
むっつりとした顔が私を迎える。「おせーよ、イチャイチャしてたんじゃねーだろーな」といちゃもんをつけてきた彼の言葉を流し、部活はと訊ねた。

「今日は休みなんだよ。コート整備の日」
「あそうなの。じゃあどうしているの?」
「フフン、かき氷食いに行くっつったろ?」
「えっ今日だったの」
「有言早めに実行が俺のポリシーよ」
「そう言って夏休みの宿題が終わらなかったことは数知れず……」
「今そんな話してねーだろ! 今年もよろしくお願いします!」
「手伝いませんよ」
「なんでだよぉ! なまえ様ぁ! かき氷奢りますからぁ!」
「あなた本当はできる子なのにどうしてそうなのかなぁ……」

テニス部の部長を張っていることもあり、こう見えて彼の運動神経は良い。テスト期間もテニスの練習はしているのに成績が落ちないのだから、要領が良いのだろう。やればできる子なのだ。おちゃらけた彼の人格が、それを周囲に忘れさせる。

ジワジワと蝉の声がさらに体感温度を上げるもので、夕方ともいうのに滲み汗が首にふつふつと浮かぶ。
隣を歩くミチルとの下校はなんだかんだ久しぶりだ。周囲からの「付き合ってるの?」の話題を避けるためというわけでもなく、お互いの友人や部活があるのでこうして重なる帰り道は滅多になかった。
しかしこうして帰ってると、またその話題が上るかもしれない。「とうとう!?」なんて。影の薄い私でさえお天気の話のようなメジャー話題になるくらいだ、人に囲まれるミチルなんてそれこそ埋もれるくらいに訊かれてるのではないだろうか。

彼の私への態度は、出会った頃から少したりとも変わらない。私と同じく「腐れ縁だ」と通してきてるのだろう。大丈夫かな、と時々心配になる。
大丈夫かな、ミチル、ちゃんと好きな人できるかな。私が近くにいるせいで、彼と運命の人のチャンスを逃してないかな。

「お前さ、軽美が好きなのか?」
「え? 恋バナ?」
「友だちの少ないなまえちゃんの相談相手になってあげようと思ってぇ! ウフッ」
「声上げれてないし掠れてるし……無理しなくていいよ」
「好きなのかよって聞いてんだよ!」
「可もなく不可もなく……」

タイムリーな話題に少し焦ったが、気取らせないようにずり下がってきた鞄を肩にかけ直し、先ほどの告白を思い浮かべる。付き合う気は毛頭ないが、好きか嫌いかと問われれば、上記の返答だ。
「な、なんだよ。お前に彼氏を作らせてやろうと考えてたのにな」何故か腕を組みドヤ顔で見下ろしてきたミチルにうろんな目を向ける。

「今は付き合うとかいいんだ。それよりも私はミチルが心配ですよ」
「はっ……はあ? どういう意味だよ」
「ちゃんと彼女できるのかなって」
「余計なお世話だっての! 俺だってな、青春の1ページや2ページや3ページくらい」
「お互いどんな人と付き合うんだろうね。いつか、……」

いつか離れる時が来るのかね。
そう浮かんだ台詞は最後まで音になることはなく、蝉の声で消えていった。しんみりとした空気は、福士ミチルには向いていない。彼のバカさがなくなることは、私の本意ではないのだ。
ミチルは急に黙った私に構わず、鼻の下を擦りながら「8ページ辺りでやっと想いが通じあってな、いつもよりも近い距離感にドキドキが加速し……」と妄想に拍車をかけていた。彼の人の話を聞かない所に救われている。




レモンのかき氷をぱくりと口に含む。茹だるような暑さにはちょうどよい冷えが口内を充満し、喉の奥に流された。目の前に座るミチルはもちろんいちご味をガツガツと頬張っている。そんなにかきこめばいつものお腹が痛くなる未来がくるというに。

「よっしゃお前のも〜らい」
「はいはい。って多。遠慮というものを知らないのか」
「こうかんこだから良いだろ。ほら、しゃーねぇからやるよ」
「いや……もうほぼ水じゃん。なにを交換するつもりだったの、その笑顔?」
「えっ価値あります?」
「ないです」
「オイオイよく言うぜ……こんなにもいい男捕まえといて、よ」
「野放しするから生きてくれ」

仕方なしにいちご水を飲む。レモンのかき氷を美味い美味いと頬張るミチルの頭には最初からこうかんこの文字はなかったのだろう、私のかき氷は既に彼の手に握られている。

「というかミチルさ、聞いたよ。都大会準決前に中一の男女イジメたんだって? それはね、最低です」
「出たお前もそれ言うー!! 結果的には俺らがイジメられたからなあれ」
「知ってるよ、中一の男の子一人に返り討ちにされたんだってね。ぷ」
「ぷじゃねーよ笑うならちゃんと笑えよ顔が哀れんでんだよ」
「私も見たかったな。正義のヒーローにやられる悪役ミチル」
「違うからなあれは。天才少年がコーチとしてテニスを教えてくれただけだから。別に俺らが悪いことしてやられたわけではなくてね」

その話を聞いた時はお腹を抱えて笑ったものだが、彼は一人の天才少年にコテンパンにやられてから心を入れ替えて練習に精を出しているらしい。正直都大会準決勝出場で調子に乗っていたところもあったのでいい薬になったと思う。昔もそうだったが、今のミチルのテニスの方が断然好きだ。どこかの天才少年にはお礼をしなくてはいけない。

「あー、涼し。お前味なににする?」
「それよりも賭けの結果だよ! 軽美、どうだったんだよ。みょうじは落ちたわけ?」

途端に店の入り口が騒がしくなったと思ったら、見ると銀華中の制服の男の子たちが入ってきた所だった。認識してすぐにミチルとの会話に戻るつもりであったが、自分の名字が聞こえて二度見する。軽美くんも遅れて入ってきていた。

「落ちなかった〜。やっぱアイツ福士のこと好きなんだよ。どこがいいんだよな、あの小賢しいやつ」
「僻み乙〜。なにげ人気あんじゃん福士、いい奴だしよ」

か、賭け。罰ゲームか何かで告白されたのだろうか、私は。咄嗟に俯き、前髪を指先で弄り顔を隠す。気まずい、軽美くんたちにとっても聞いていいものじゃないだろこれは。
ミチルが男子たちにも好感を得ているのは安心だが、陰口を聞くのは耳が痛い。
早く話題変わらないかな、と前に座るミチルに目をやり、「あ」と小さい声が漏れた。眉間を寄せて今にも立ち上がりそうな顔。

「アイツさ、福士のこと世話してるって言ってて。いや何様だよってな。どうせ捨てられるんだからさっさと俺にOK出しときゃいいのに」
「つってお前もOK貰えたらすぐ捨てんじゃん」
「いやいや賭けの賞金貰ったらよ?」
「テメェ!!」

ミチルが音を立てて椅子をひっくり返し、軽美くんたちの前に大股を開いて近づく。
同様に立ち上がれた私とミチルが腕を振り上げたのは同じタイミングであった。しかしミチルは私を見やって一瞬動きを止める。
その時間で私は、咄嗟に、パチンと、ミチルの頬を叩くことができたのであった。

「……」
「……」
「……え、っと、福士」
「……ウッ……」

顔を歪め、短い唸り声を発して背中を曲げながら店を走り出ていったミチル。
彼を殴った自分の手のひらが震えている。ぎゅっと握るものの、それが止むことはなかった。当事者がいたことと、目の前でビンタが起きたことに動揺したのか、軽美くんたち男子は声すら出さずに私の動向を窺っていた。

「あの、あんまりそういう賭けみたいなこと、しない方がいいと思う」

なんて言ったらいいかわからず、それだけ呟いて私はミチルと自身の鞄を持ってかき氷屋を出た。道を走って進むが彼の姿は見えない。

やってしまった、叩いてしまった。ミチルの顔を思いきり。
驚いていた、そりゃそうだ。人に手なんか出したことないし、それをミチルも知っている。声を出せばよかったのだ、やめなって、──……それで彼が止まらないと思ったから、多分私は手を出した。

なんだかんだミチルは幼馴染である私を大事にしてくれている。小さい頃からミチルと一緒にいたのだ、人が集まる彼とは違い隅っこにいる私を、軽美くんたちのように嘲笑う子はたくさんいた。その度にミチルは怒ってくれて、それに対して言い過ぎだと怒る私と喧嘩する。
全部、全部私のために怒ってくれているとわかったから、喧嘩の後は必ずありがとうと言っていた。私をかばってくれてありがとう、それを聞く度へへんと笑うミチルが嬉しそうだから、甘んじていたけれど、それじゃダメだ。
私がミチルから離れないと、好きな子が出来ないことはおろか面倒をかけてしまう。お世話していたのは私じゃない、私が世話になっていた。

一目散に帰路を駆け、ミチルの家にお邪魔する。「ミチル帰ってきてるわよ、大慌てで。どうしたの?」心配そうに家へと上げてくれたミチルママにお礼を言いながらも、彼の部屋へと向かう。
ノックをした。返事はない。

「……ミチル、ごめん、叩いて。あの、痛かったよね」

「軽美くんを庇ったわけじゃないんだ。あれは……い、言い訳になるから言わないけど」

「怒ってるよね、ごめんね、ありがとう。ミチルが怒ってくれて、……うれしかったよ」
「なに俺の部屋の前でブツブツ言ってんだよ怖ぇーな」

扉につけていた手を下ろす。横を見ると、お腹を摩りながらスッキリとした顔でミチルが立っていた。

「…………どこにいたの」
「トイレ」
「またお腹下したんですか。もうトイレに住めば」
「怖ぇーなって!」

私は一人で無人の部屋に話しかけていたらしい。羞恥による八つ当たりを彼に向ける。いいタイミングで気を削いでいく男だな。
叩いた後の唸り声も、きっとかき氷によりお腹が冷えたからだろう。私と鞄を置いて家のトイレまで走ったと。なるほど。
眉間を揉み、小さく息を吐く。ミチルのバカさで先ほどの出来事なんてなかったことのような空気だけど、それに甘えてはいけないのだ。

「さっきはごめん、叩いて。痛かったでしょ」ほんの少し赤くなっているミチルの頬に触れる。カッコつけるように、彼は肩をすくめた。

「はんっ。お前のビンタなんぞ蚊に刺されたも同然よ」
「……あれはね、あれは」
「わかってるよ、俺のためだろ。あそこで俺が手ぇ出しちゃ、停部になるもんな」

頬から伝わってきていた温度が、彼の手に握られることにより深まった。
いつもはバカだバカだと揶揄しているけれど、こうした時の彼はとても聡い。口ごもる私の代わりに、私の声として述べた彼は続けて礼を言ってきた。

「わりぃな、面倒かけちまってよ」
「それは」

私の台詞だよ。

「……いつものことだし」
「どういう意味だよ!」
「ミチルの面倒見るのが私の日課になっているところはある」
「ほーおそりゃご苦労さん。んじゃこれからもよろしく」
「よろしくじゃないよ、早く彼女作って彼女によろしくされなさいよ」
「はっは」
「なにがおかしい……」
「変わんねーよと思ってよ」

全開の笑顔を持って私の背中を叩いてきたミチルに、なんとも言えない視線を向ける。こいつ、彼女ができたとしても私に面倒見させるつもりか。私は別にいいが、彼女の立場からしたらつまらないことこの上ない。そんなこともまだわからない鈍いミチルには、当分彼女はできないかもしれない。ほっと安堵した自分を、気づかないふりして端へと追いやった。

「ミチルはまず女心を学ばないとだめかも……」
「誰に物申しているのかな? なまえの好みは網羅してんだよ、来季のラブコメドラマも録画済みだぜ」
「いや私のことじゃなくて……ってほんと? やった、また見に来よう」
「おう、来い来い」

ドヤ顔をかましふふんと笑うミチルを見ていれば、悩んでいるこちらの気が抜けてしまう。
お互いどんな人と付き合うんだろうね。いつか離れてしまう時が来るのかね。その時までは、傍にいてもいいだろうか。
バカなミチルのことだ、私が録画ドラマを口実にして会いに行っていることも、気づいてないのだろうけど。



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