短編 | ナノ

▼ 3

いやバカーーーーーーーーーー。
なんなの俺どれほどバカなのバカがどうしたらあんなにもバカになるの。
夕餉が終わり、震える足を叱咤しながら必死の思いで自室に戻った瞬間、俺の膝は畳につき打ち拉がれた。頭を抱えて地を這うほどの唸り声を上げる。
唐揚げあげようねって、おばあちゃんかって。俺なんかにやらずに自分で食べればいいのに。そんな主もかわいい。好き。せっかく、せっかく歩み寄ってくれたのに。
バカすぎる。本当最低、俺って嫌だな嫌な男だな、このまま畳と同化してしまいたい。

「清光、何してんの」後ろから付いてきていた安定が、障子を閉めながら訝しげに声を出す。可愛さの欠片もないだろう顔で振り返れば、案の定安定は「うっわ、ブス……」とひどく顔を歪めた。

「主に嫌われたかも……冷たくしちゃった……」
「はあ? 冷たくするなんていつもだろ。何を今更……」
「……。……、……主の好きなやつ、冷たいやつじゃないんだって」
「……え、だって清光、主の好きなやつが冷たくて"くーる"なやつだって、それこそ何年も前から──」
「違ったんだってよ!」

パアン。押し入れを思い切り開け、布団を取り出し、勢いよく敷き、助走をつけて飛び込む。
最悪だ。主が言ったあの日から、俺はどれだけ心を鬼にしながら彼女に淡白な態度を取ってきたと思っているんだ。
確かに、確かに俺の前にいる主は妙に笑顔が引きつっているなと思ってはいた。でもときめいてにやけないようにしてるのかなと思って疑わなかったからね、俺は。だって、主が、主が"くーる"なやつが好きって──。
泣きそうになったところを目頭を抑えることで堪えた。心は濁流だ。
主の気落ちした顔が瞼から離れない。ずっと傷ついてきたというのか。俺の言葉で、態度で、主の心をじわじわと蝕んでいったのか、俺が。

「え、好きじゃないって本当に主が言ってたの? ……レンタル彼士中に?」
「そーだよ。よりによって俺にさー……ウチの本丸の加州が塩対応で、嫌われてるんじゃないかって相談してきて……」

嫌いなわけないじゃん! 逆だよ、愛されるために塩対応にしてたっていうのに!
全否定だ。今までの彼女への努力が全て水の泡。
俺だってずっとずっと主を甘やかしたかったし、ぐにゃぐにゃに愛でたかった。
可愛さを褒められて「全部俺自身のためだよ、主に愛されたいんだもん」と思ってることも。
気配りを褒められて「いやいや俺はみんなを大切にする主には敵わないから」と思ってることも。
お疲れ様と労われて「汗くさいって嫌われたくないから離れて……」と思ってることも。
こんなことなら素直に伝えればよかった。

ぐうう、と唸る俺に同情しているのか、安定に何度も何度も注意されたことのある「うるさい」は今日に限ってはやってこない。
しばらく無言の空気が流れた後、安定は静かに俺の隣に腰を下ろした。

「でもさ、わかったならこれから優しくすればいいじゃん」
「それができたら苦労しないよね。長年染みついた塩対応が、主の顔を見ると発揮されるようになってる」
「バカだね」
「そーだよバカだよ! こんな俺愛されっこないってわかってるし!」
「レンタル彼士中は甘やかしてるんでしょ? それそのままやればいー話じゃん」
「彼士の時は主、俺だって気づいてないからできるんだよ。……ほんとなんで気づかないかな……間抜けでかわいい」
「あーはいはい」

誤算だった。確かにそういう危惧の可能性は考えてはいたものの、実際に主がレンタル彼士を利用するなんて仰天以外のなにものでもない。主からしたら、自分の刀剣男士がレンタル彼士としてバイトをしているなんて泡吹いて倒れるぐらい驚くだろうけど。
いい気持ちはしないよね、自分の刀が他の審神者に連れ立つなんて。そりゃそうだ、俺だって主が他の刀とカレシごっこしてたら野郎を斬り裂きたくなる。しかし、"くーるに女性と接する"を学ぶには最適だった。今までカレシとして接したアルジには冷たい清光も珍しくて好き、と好評をもらっていた。
誤算だった。主が俺をカレシとして指名してきたことは。とにかく普通の加州清光をとメールで依頼された時は、主だとは思わなかったから、たまには"くーる"を演じずに普通で適当にやればいいかと思っていたのに。
まさか主が待ち合わせ場所に来ると思わないじゃん。確かにそこで疑問に思うべきではあった、何故"くーる"ではなく普通の加州清光で依頼したのかと。……動揺でそれどころじゃなかったっての。
誤算だった、けど同時についてるとさえ思った。だって思う存分、主をカノジョとして甘やかすことができるのだから。
心を鬼にする必要もなしに、ただ主を愛でる日は幸せだった。それを補うように、本丸に帰った後は嫌われないよう"くーる"で努めたけれど。それが悪かったってわけ、はいはいはいはい。

カレシに浮かれすぎて、主が何故『加州清光』を選択したのかを考えていなかった。
思い返すは初めの初め、彼女が俺という刀を手に取った時。主はいつだって俺を見て、選んでくれていた。
また選んでくれたというのなら、主も俺と、仲良くなろうとしてくれてるって、考えてもいいよね。

揺れていた瞳が止まったことを察したのか、今の今まで黙って座っていた安定がふっと笑みを零した。それを見て俺も肩の力を抜かす。

「主が俺に嫌われてるって思えなくなるほど、たくさん好きを伝えてやらぁ……」
「ん、清光にしてはいい考えじゃない? 僕もそれがいーと思う」

飛び込んだ布団の皺を整え、立ち上がって主の部屋へと向かおうとした足は、背後から聞こえた端末の振動音により止まった。
慌てて再び飛び込むように店から配布された端末を掴み上げ、訪れたメールを見る。期待通り、主からのそれであった。




休みの日、町の外れの橋の欄干に腕をついて川を覗き込む。手汗が滲むや滲む。今日一日で半年分の心臓の鼓動数を稼げるのではないかと思うほど緊張していた。平然を装うのは、悲しいかな、この数年で慣れた。
町の方から主がやって来るのが見える。遠目で俺を見つけたのか、主はほんの少しだけ歩幅をくるくると速く回し、こちらへ向かってきた。
ああ、せっかくおめかししてるんだから、転んだら元も子もないよ。彼女の走る距離が短くなるように俺も駆け寄る。

「ご、ごめん清光くん、いつも遅くなって」
「ぜーんぜん。待つのもでーとの一つでしょ」
「それはわからない……」
「えー?」

また主は清光としてあげた紅を塗ってくれている。加州くんとしては、あげられなかったものだ。嬉しいけど、ちょっと複雑。
懐に入れた指にカツンと固い感触が当たる。前回の逢い引きの時に渡せ損なった髪飾り、今度は清光くんとしてではない、俺としてあげなければいけない。あげたい。

緊張を落ち着かせるため、彼女に気づかれないようにそっと息を吐く。ふと、主も心なしか表情に明るさが足りないように思えた。
そりゃそーか、きっと主は先日の俺の態度で、さらに嫌われたと思っているだろう。舌が苦い。誤解を解こうにも、レンタル彼士である今の俺の口から言うことは憚られる。彼女への好意は、彼女の刀である加州清光から言わないと、きっと伝わらない。
ならば、あえてその話題は触れずに、今日は元気付けることを優先として──……。

「いきなりで申し訳ないんですけど、今日でレンタル彼士やめようと思いまして」
「えっ!」
「今日は……その、メールでもう会わないですって言うのも失礼かなといいますか……愛着も抱いてしまったのでお別れはちゃんと言いたかったというか」
「ちょっ」

唐突! 主って突拍子もないところあるよね! そういうとこだよ! 他の本丸の刀剣にふらふらついていったり、酒飲んでる男共の中にお猪口持って入ってきたり、花畑で転んだり! そういうとこ!
嫌いではないしむしろ好きである。しかしこうなった主は頑として、大抵人の話は聞かない。いつも歌仙や宗三に怒られた後は、涼しい顔してへそを曲げていることを知っている。
俯きがちの彼女の視線に合わせるように、少しだけ膝を折って顔を覗き込んだ。

「急だね。俺、友だちとしてでもいいんだけど? あんたのこと気に入っちゃったしさ。ほら、加州清光の相談に乗れるし」
「願ってもないですがだめです」
「だめかー。好きなやつでもできたとか?」
「お、おふ……」
「え! まじで!? ちょっと、本丸の俺で悩んでいたのはどこいったわけ!?」
「どこもいってないよ最初から最後まで加州くんたっぷりだよ」

咄嗟に彼女の両肩を掴んだけれど、主の言っていることがよくわからなくて、しばらく瞬きを繰り返したまま顔を合わせる。
少しして主はじわじわと頬を染め、ぎぎぎと音を立てるかのごとくゆっくりと俺から目をそらした。

口を開けても音が出ずに、空気だけを吸い込んで、ごくりと生唾と共に飲み込む。さっき引いたはずの手汗がまた滲んできて、彼女の綺麗な着物を汚さないか心配になった。けれど、離せない。

「も、もしかして……主、俺のこと、っ……好き、とか……?」

声が震える。瞳が揺れる。疑問の色は、懇願となって聞こえてやいないだろうか。
俺の問いに主は視線を戻すと、認めたいけど認めたくないような、矛盾した顔で頬を固くした。

「や、清光くんじゃないよ。加州くんなんですけどもね」
「そっ……それは、わかっ……」

バカじゃないの。
どうしようもなくバカでバカが飛び抜けているほんとバカな俺を、好きって、主も相当なバカだ。
そこは甘くて優しいレンタル彼士の俺じゃないの? 淡白で冷たい本丸の俺が、別に好みなわけじゃないんでしょ? ヒトというものが未だに刀の俺にはわからないのだ、女心は最高難易度の謎だ。
それに比べて俺のなんとわかりやすいこと。長年培った無表情が形無しだ。口元を抑えないと頬が緩んでたまらない。

「というわけで、このまま清光くんに加州くんを重ねるのは悪いから、今日でやめるね」
「なっ……なんでそーなるかな……別に俺は重ねられてもいいんだけど? 」
「……罪悪感もあるけど、正直、加州くんに見えてドキドキして、私の心が追いつかないんです」
「……っ! っ!」

金魚のように顔を真っ赤にして、つぶやくようにぽつりと零した主を見れば、そりゃ俺も金魚のように赤面して口をパクパクと動かすしかできない。
こんなにも好きだと伝えたいのに、今の俺は『加州くん』ではないから、呪いにかかったように喉から声が発せられない。
俺がここで明かせば彼女に嘘をついてきたことがバレてしまう。騙してるつもりなんて微塵もないけど、主に誑かしの疑念因子は抱かせたくない。……なんて、単に俺が嘘つきだって嫌われたくないだけなんだよね。失望は、させたくないんだ。
ああ、レンタル彼士を始めてこれほど後悔した日はない、本末転倒だ。主に好きになってもらいたくて始めたものが、主に好きを伝えるこの時に弊害となっている。

「いいよ、わかった。って言っても、お金貰ってる俺がとやかく言える立ち場じゃないしね」
「とはいえ激安だけどね! キャンペーン期間こんなに続いて赤字にならないのかな」
「(キャンペーン期間とかあるわけないじゃん……) そーね、俺も心配だわ」
「よし、では、最後の思い出作りさせてくださいな」
「……うん」

告う。絶対告う。今日という『清光くん』を終えたら、『俺』の口で主に告白する。初期刀だからとか、主従関係だからとか、刀と人間だからとか、そーいう厄介なものは一旦置いて、俺の気持ちを伝えるんだ。そうして少しでも彼女の表情が晴れるといい。
一先ずはこの時間を楽しもう。レンタル彼士中、今まで繋いでいた手に視線をやったけれど、今日はやめようと首を振った。その手を取るのは、お前じゃない。次は『俺』だ。

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