短編 | ナノ

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2月に入ってから街中がピンクになった。いかがわしい意味ではなく、物理的なそれだ。いわゆるバレンタインデー。デパートに入ればコーナーが組まれているため、端を通る男は少し肩身が狭い。なんとなく視線を向けることも憚れる。
一週間前ともなると、女子だけでなく男子もソワソワと落ち着きがなくなる。「チョコ、どんなのがいい?」と女子に聞かれるイケメン男子を睨む男子はやはりどのクラスにもいる。

睨まれる対象であるこの及川徹は、所詮、今年もバカなほど貰えるのだろう。
現に今だって女子に声をかけられ、「チョコ、どんなのがいい?」と聞かれているのだ。それを笑顔で「んー、マドレーヌ」と答える男。先ほど違う女子に聞かれた時は、ブラウニーだとかシフォンだとか言っていた。
こいつ女のことどう思ってんだ。お菓子製造機じゃねぇんだぞ。思っても岩泉はなにも口に出せなかった。及川に注文された女子は喜び、「美味しく作ってくるねっ」と言葉尻を弾ませながら去っていったからだ。

「お前、聞いてくる女子に片っ端からリクエストしてんじゃねえよ。苦労させんな」
「岩ちゃんはわかってないな、なんでもいいって言われる方が彼女たちは悩むんだよ」
「うーわ、腹立つ顔」
「彼女と別れたからかなー、去年よりか今年は数すごそう」

ニコニコと笑いながら弁当のおかずを食す及川に、岩泉は言葉もなくパンを食べ進める。「鼻血出ろー」同じく共に昼食を取っている花巻が、ぼやきながらトマトを口に含んだ。

「まあまあ僻むなよ諸君……お前らも1個はもらえるんじゃない? ほら、お母さん!」
「死ね」
「イィッッッダ!!」

調子に乗る及川がとうとううざったく感じたのか、岩泉が渾身の力を込めて彼の額にデコピンを入れた。頭が反り返り、反動で戻ってきた及川はそのまま伏せた。よほど痛かったらしい。それがいつもの日常なのか、花巻は何事もなかったかのように及川の後ろに視線をやって「お」と口を丸くした。
岩泉もそれを追って、二人の女子生徒が近づいてきたことにギクリと肩を張る。まさか俺や花巻がいる時に話しかけてくるとは、と。

「及川〜、もうすぐバレンタインじゃん、なにかリクエストある?」

その聞き慣れた言葉に、及川は起き上がって「えー、じゃあ」とまた要望を口に出そうとした。言葉が止まったのは、一人の女子の後ろに隠れるようにみょうじがいたからだ。
恥ずかしそうに俯きながらも及川の答えが気になるのだろう、みょうじがちらちら女子生徒の肩口から視線を向けてくる。

それを見た及川の心は計り知れないが、時が止まったことは確かだった。「あ……あ……」と目と口を丸くするばかりで単語が出ない。

「な、なんでも……いいデス……」
「はあ? それが一番困るじゃん、ねえなまえ」
「い、いや……でもそれだったらそんなに難しいものじゃなくてもいいかなーって……」

岩泉と花巻は及川の答えに「はあ?」と頬を引きつらせた。いやいやお前、なんでもいいって言われたら悩むと言っていたのはお前だろーが。別人のように動揺し始めた及川は、みょうじのはにかみに再びデコピンを打たれたかのごとく机に顔を伏せた。

「……なまえちゃんからなら、なにもらっても食べれなさそう……」
「えっ」
「は!? 喧嘩売ってんのあんた。いらないってこと!?」
「ほしい……」
「なにこいつ意味わかんない……」

引き顏でつぶやいた女子に、岩泉は完全同意だった。意味がわからなすぎて気持ちが悪い。そんな及川でも好きなのか、みょうじは「ほ、ほしいの、よかった」と嬉しそうに笑う。健気すぎて泣ける。未だに顔を伏せて一向に起き上がらない及川に業を煮やしたのか、女子生徒はみょうじを連れて去っていってしまった。そうしてやっと及川は起き上がる。

「はあ……また寿命が縮まった……」
「え、なに、及川あの子のこと嫌いなの?」

だったらほしいとは言わないとは思うが、花巻は及川のこの反応を見るのが初めてなので単純な疑問を訊いてみる。
「嫌い?」なにそれ食べれるの? のごとく不思議そうに首を傾げた彼を見て、花巻はスッと口を閉じた。

「聞いた岩ちゃん! あれは手作りだよね!? 難しいものじゃないの作る気だよあれは!」
「うっせーな……」
「なまえちゃん不器用だからなあ……美味しいとは言えないもの作りそうだよね。うわー、絶対食べれない」
「え、やっぱり嫌いじゃ」
「祀りたい」
「ねえんだ……」

もらったチョコを祀りたいってなんなの。わけがわからないんだけど。え、好きってことでいいの? 花巻が動揺しながら無言で岩泉に視線を向ける。岩泉はゆっくり頷いた。どうやら歪んでいるが、及川はやはり彼女が好きなようだ。

「お前ー、本命がいるのにンなたくさん他の女子にも強請ってんのかよ。やめとけ、いつか刺されんべ」
「本命? なに言ってんのマッキー、彼女がいない今、俺は女の子皆平等だよ」

語尾に星がつきそうなほどのテンションで言った及川。花巻はゆっくり彼から視線を外し、もう一度岩泉を見た。今度は首を横に振る岩泉。どうやらこのアホは自覚がないらしい。
あまりに哀れなため、花巻もこめかみを抑えた。




ある日の休日。商店街に遊びに来ていた岩泉たちは、マックでシェイクを飲みながら一息ついていた。ここに来る前はバレーで汗を流していたため、冬だがシェイクがとても丁度いい。喉をひんやり潤していると、及川が「あ!」と声を上げた。話していた花巻と松川もその声に及川を向く。

「なんだよ人様に迷惑な声出すなよ」
「なんか俺の声自体が迷惑な言い方! ねえちょっとあれ、なまえちゃんじゃない!?」

及川の声と指につられ、岩泉ら3人は窓の外に視線を向ける。及川が間違えるはずもなく、やはりというかなんというか、みょうじが向かいの店の雑貨屋を覗いていた。
丁度見ている所がピンクで彩られたバレンタインコーナーである。ああ、買いにきたんだ、と誰もが察した。
休日に知り合いの女子に会うことが、しかもバレンタインの物を選んでいる光景を見ることが、少し気恥ずかしかったため岩泉と花巻は視線をつつとそらした。松川は「え、誰?」と知らない者なら当然の反応をしていたが、及川はというと立ち上がりコートを羽織った。

「あ? どこ行くんだよ」
「え、なまえちゃんを見に」
「声かけんの? やめとけって、気まずいってあっち」
「いやいや声かけたら邪魔しちゃうじゃん、ちょっと近くで見るだけ」

今度は岩泉と花巻だけではなく、松川も疑問に眉をひそめた。見るだけ、とは。ここ、窓側の席でも向かいの店は見えるというのに、近くで見るだけ、とは。
しかもその及川の笑顔がなんとも爽やかで下心がなさそうだからツッコミづらい。さしもの岩泉でさえツッコミに戸惑っていたため、花巻と松川が言葉に出せるわけがなかった。

「見てなにがしたいんだよ、心配しなくてもみょうじならお前にくれんだろ」
「別に心配してないよ、単純に見たいじゃん。なまえちゃんが俺になにをあげようか、どうやって作ろうか、選んでるこの今を逃すなんてもったいない! 今なまえちゃんの頭の中は全部俺で占めてるんだよ!? もうバレンタインは始まっていると言っても過言じゃないね!」

及川の勢いに圧された3人の男たちは言葉を発することもできない。そんな彼らを置いて、とっととマックから出て行く及川。花巻らが窓の外を見ていると、しばらくして視界に及川が映った。みょうじから5m離れて、陰に隠れて見守り始める。そんな男の姿に耐えきれなくなった花巻と松川はブハーーッと吹き出した。

「やばい! あいつやばい! 腹痛い!」
「わけわかんねえ、わけわかんなすぎて腹痛い」
「俺は頭が痛い」

なんて幼馴染を持ってしまったんだと岩泉は頭を抱える。早く気づいてほしい。みょうじが好きなんだと気づいてほしい。そして自分が今までしていたことは全て変態行為だと気づいてほしい。むしろ気づいてやってんじゃねえのか。それはそれで怖い。

「あー、面白ぇから俺も行こ」
「じゃあ俺も。岩泉も行こうぜ」
「あ? 俺らまで怪しまれんだろ」
「大丈夫だろ、みょうじって子も天然っぽいし。いざ見つかっても上手く誤魔化せそう」

それは、まあ、そうかもしれない。みょうじも絶対及川が好きなのだろうに、彼女の中では人間としての憧れに位置付けられてるのだから、岩泉からしたらどっちもどっちである。
しばらく逡巡し、ため息を吐きながら岩泉もコートを着た。

マックを出て、向かいの店の雑貨屋に近づくと、及川が雑貨を手に取りつつ、みょうじの隣に立っていたものだから、岩泉らはずっこけた。いやいやいや、いくらなんでも近すぎだろ。一人分の距離を空けているとはいえ、ここはバレンタインコーナー。一人男がそこに混ざっているというだけで目立っているし、現に女子は訝しげな視線を及川に向けている。彼の顔を見るに、頬を赤らめるものだから腹立たしいことこの上ないが。

岩泉は及川の後頭部を叩き、花巻は尻を蹴り、とりあえず離れた距離に及川を誘導した。攻撃されても悲鳴をなんとか抑えた及川が、三人を睨む。

「ちょっと! なに!」
「なにじゃねーよ なにしてんだよ」
「だってなまえちゃん気づかないんだもん! 真剣にどんなチョコにしようか悩んでるから! もっと近くで見たいって思うじゃん!」
「頭冷やせ?」
「むしろそんなにチョコに気を取られて俺に気づかないのがなんか悔しい」
「雪に頭突っ込んでこいよもう」

トリュフのキットとガトーショコラのキットを両手に持ちながら、みょうじの顏は行ったり来たり。そして棚にあるクランチチョコのキットを見ては、また行ったり来たり。確かにこれが全て及川のためを想う行動だと思うと、好きな人のこんな光景を見れば嬉しく思うかもしれない。花巻は「かわいいな」と一般的男子としての感想を洩らした。瞬間、及川にデショ? と微笑まれ、苛立ちが浮かぶ。お前のものじゃねーだろ。

「よし」

ぼそり、つぶやいたみょうじがガトーショコラのキットを胸に抱える。とうとう決めたか、と男子たちは揃ってみょうじを見守った。しかし彼女は今度はラッピングを選び始めたものだから、岩泉は女子という生き物はなんて大変なんだと感心した。クソ川にこんなにも時間をかけて。

「あっ……アア……心臓が……心臓が痛い……っ」

胸を抑え、悶え苦しみ今にものたうち回りそうな及川を見て、みょうじにもこのクソ川を見せて引いてほしいと、岩泉は深く深く思うのだった。




バレンタイン当日。
及川はふうと頬杖をつきながら息を吐いた。彼の机の横に掛けてある紙袋の中には既に何個かのチョコがあるのに、とても憂鬱である。もちろん、女の子たちからもらえたのは嬉しい。さすがに「チョコいる?」と訊ねてきた女の子たちに要望しすぎたのか、数が膨大で1日2日で食べられるかどうか甚だ疑問だが、それでも嬉しいっちゃ嬉しい。
しかし満足しないのは何故か。

そういえばなまえちゃんからもらえてないなあ、と思えば放課後。そろそろ部活の時間である。今日は早めに向かわないと、合間合間で女の子たちに止められるだろうから、遅れてしまう。岩泉から叱られることは目に見える。
及川がエナメルバッグを肩にかけ重い紙袋を手に持ち、廊下に出れば案の定一年の女子に声をかけられた。微笑んでチョコを受け取り、そうして先に進めば今度は二年の女子に声をかけられる。これは、思った以上に進めない。

悪い気は当然しないが、それでもまだなにか求めている自分がいて及川は困った。困って、そして二年の女子たちの後ろに並ぶみょうじを見てぎょっとした。
二年の女子がチョコを渡し終えると、みょうじの番になる。驚いて止まる及川の顏は、俯いているみょうじには見えていない。「あ、あの、部活前にごめんね」焦ったように髪を耳にかける彼女は、なんら他の女の子と変わらない。他の女の子も同様にこうした表情で、緊張した仕草で、渡すのに。なぜ及川の目には光って見えるのか。

自分でも知らず知らずのうちに、及川はチョコをもらう両手を用意していた。
そしてみょうじは、及川にチョコを差し出す。綺麗に包装され、明らかに購入品であるチョコを。

「……え、手作りじゃないんデスカ」
「えっ」

目が点になった。受け取ったはいいものの、あの日みょうじが選んだラッピングでもなかったため、あの日のみょうじは見間違えかと思うほどに別物だった。
衝撃で半笑いで止まる及川の内心を知らず、みょうじは照れを浮かべながら苦笑いを零した。

「こ、焦げちゃって。やっぱり及川くんの口に合うものは私に作れないというか」

誰でも作れそうなキットを買って、そうして失敗して、仕方なく新しく既製品を買って。そこまでのみょうじの心境を考えて、考えてしまって、及川は血が滲むほど下唇を噛み締め眉を思いきり寄せた。

「失敗作も全部ちょうだい……!」

焦げたガトーショコラでも食べなければこの衝動は抑えきれそうにもなかった。



160228

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