短編 | ナノ

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思えばなまえちゃんは中学の時から視界の端にいた。とは言ったものの、結構俺はついつい人となりを知るためによく人を見ちゃう方だし(それがバレーとはまったく関係ないことでも)(けして弱みを握りたいとかそういうわけではなく)、彼女が特別だからとかそんな理由ではなかった。その証拠に、なまえちゃんに焦点が合ったことはない。
おぼろげな記憶の中の彼女は、後ろというイメージだ。中学で同じクラスになった時、真後ろだったり斜め後ろだったり、三つあけた後方だったり、とにかく彼女の席が俺の前の席になることはなかった。だからだろうか、視界に入れることはまずなかったし、プリントを回す時にちらりと見える程度だった。

高校の入学式。教室移動。体育祭に文化祭。三年で同じクラスになった時は朝、教室に入った時。練習試合に一回だけ見学に来た時。……ぜんぶ、全部、なまえちゃんは違和感なく視界の端に溶け込んでいた。俺が彼女を目で追っていた、どうしても視界の中に入れておきたかった、なんてまさか思うわけもなく、ただ出現頻度の高い子だなあとぼんやり思っていたんだけど。

『人を惹きつける天才だなあ、なんて。思うわけです』

カチリと。なまえちゃんに焦点を合ててしまった。

おかげでどうすんのさ、不用意になまえちゃんを視界に入れることはできなくなったというわけだ。だってあの子チカチカするんだもん。眩しいんだもん! 人って発光するんだ、ってびっくりしたね。でも俺だけなんでしょ? 岩ちゃんがあの子見ても、別に彼女はチカチカしてないんでしょ? なんか不思議だね。なまえちゃん以外は別に変わらないんだけどなー。まあともかく、でもさ、やっぱり人と話すには目を見なきゃ失礼じゃん。だからなまえちゃんと話すにはサングラスが必要だと思ったわけよ!

曰わく、及川の戯れ言である。岩泉は息を大きく吐きながら聞き流すことに徹した。

先日、岩泉が及川の教室の前を通りすがった際に見えた光景は、このへらへらした優男がサングラスをかけてなまえに話しかけているところだった。
岩泉は思った。とうとう脳細胞が死滅したかと。そう思うほどに学校でサングラスをかけていた及川は異様だった。

ただいま体育の合同授業中。広々としたグラウンドでは岩泉と及川のクラスがそれぞれ男女分かれ、男子はサッカー、女子はハンドボールで体育が進んでいる。目の前でサッカーをしているグループを見ながら、及川は山になった膝に肘を置きながら「あ、なまえちゃんだ」声を洩らした。どうやら男子ではなく女子の体育を見ていたらしい。

及川の声につられて岩泉も遠目に見える女子の体育へと視線を向けた。彼の言うとおり、ハンドボールのコートではなまえがプレーしている。
俺には目を凝らしてもみょうじが光っているようには見えねえ。
岩泉は眉間に皺を寄せ、次にちらりと横の及川に視線を移した。他校のバレーを見ている時のような、試合中に相手の癖を見極めている時のような、そんな顔をしながら彼女を見ている。「あーあ」次には拗ねるように息を洩らした。

「なまえちゃんが怪我したらいいのに」

さすがにこの台詞には岩泉もドン引きした。

「最低だな」
「さすがに大怪我しろなんて思ってないよ〜。擦り傷ぐらい!」
「女に怪我してもらいたい願望持ってんじゃねえよボゲ」
「だってそしたら俺が保健室に連れて行って手厚く看護できるじゃない。一気に距離が近づくチャンス」

にっこり笑いながら指で丸を作る及川に岩泉はさらに引いた。今度は表情で嫌悪を露わにした。目的のためには手段を選ばない様子にぞっとする。将来が心配でしかない。

そこで根本的な疑問が岩泉に浮かぶ。ある日を境になまえ なまえと言っている及川だが(もちろん聞き流している)、本当になまえを恋愛感情として好きなのかと。
この優男は整った顔立ちに加え、接しやすい雰囲気を作っているからか女子にとてもモテる。古くからの付き合いがある岩泉は及川が数多の女子と交際していることも知っていた。

だが、どうもおかしい。何がってここ最近の及川の挙動である。詳しく言うならばなまえに対しての及川の言動である。
正直岩泉からしたら「チカチカ? は? サングラス? バカ?」という心境だ。これまでの付き合いで及川がそんなにも電波なことを言うことはなかった。
頭が異常になったのか(元からが否めない)、それともなまえへの反応から察するに本気で輝いて見えるのか、それは恋なのではないのか、……もしや及川はそれに気づいてないのか。

悪寒がしてきたので岩泉は考えることを放棄した。男と恋だの愛だの話すなどしたくないし、それこそ及川とするなど舌を噛みそうな程無理な話だった。

だが、と岩泉は思案する。なまえは中学からのよしみだ。そしてまともであり、良いヤツなのも知っている。及川の毒牙にかけるのは可哀想な人柄だ。
なまえが及川を好きなのだろうこともわかるが、だからとはいえこの状態の及川に巻き込むわけにはいかない。
なんせこいつは、現在、彼女がいる。

「あー……そういやお前、その、最近彼女とはどうなんだよ」

どうでもよかった。舌を噛み千切ってでも聞きたくなかった。しかし「及川は人を惹きつける」と言ったなまえのはにかんだ様子を思い出した岩泉は、その顔が崩れるのはなんとなく見たくない気がした。
対して及川はぱちくりと目を瞬く。まさかあの岩ちゃんが俺の恋愛を訊くなんて、と。心境の変化があったのだろうが、さすがに今の一言だけでは読みきれなかった及川は呼吸をするように軽口を叩く。

「まさか岩ちゃんっ。岩ちゃんも俺の彼女を好きにっ。まさかの三角関係っ」
「なんねーよボゲ! いいから答えろ!」
「怖いな! 恋バナする態度じゃないよそれ!」
「お前と恋バナなんかしたくねーよ!」
「言ってること無茶苦茶!」

急に憤りだした岩泉に内心首を傾げながらも、及川は「どうって言われてもなー」と口を尖らす。

「かわいいよ。よく甘えてくれるし」
「……」
「ナンデスカその顔」
「じゃあみょうじとは」
「エッなんでそこでなまえちゃん出てくんの!?」
「話してんのか」

苛立ちをそのままに訊ねた岩泉の問いを受け止め、及川はちらりと体育で動いているなまえを視界に入れる。眩しそうに目を細めた彼は、手で口元を覆うとモゴモゴとつぶやきだした。

「用事もないのに話せるわけないじゃん。ただでさえ性格悪いって言われてんのにこれ以上話してヘマしたら嫌われちゃうでしょ」

ふっと。岩泉は苛立ちを通り越して力が抜けた。既に嫌われてるかもしれないなんて微塵も考えていないくせに、変な所で尻込みすることが呆れる。と同時に、及川の中の彼女に対しての意識の違いに岩泉は深く息を吐いた。

「お前、今の彼女とはさっさと別れてやれよ。このままじゃクズだぞ」
「なに急に!」
「クズは元からか」
「いつにも増して辛辣だな!」

岩泉は及川とは惚れた腫れたなどの会話をしたことがなかったが、それは単に自分がそのような話をする相手に向かないからだろうと思っていたのだが、もしかしたらそれ以前の問題なのかもしれない。
ここで仮説が浮かんだ。及川は今までいわゆる本気の恋をしたことがないのではないかと。全ての関係は相手の女子からの好意により成り立っていたものではないかと。
それならば現在、ただ一人なまえに対してだけ今までになく気持ち悪いことも頷ける。及川は初めて恋をして、それに本人は気づいていないのだ。

――まあ、だからといって俺は絶対ぇ教えねえ。

岩泉自身、目が眩む程の恋などしたことがない。気持ちがさほど理解しかねるし、わざわざ教える気はさらさらなかった。というか正直、惚気を聞くことになるだろうことが予測されたので普通に面倒だった。





体育を終え、岩泉はクラスの友人ら二人と講堂へ昼食を摂りに行った。丼を注文しトレーに乗せて、友人らと空いている席を探す。昼時の講堂は学生で混み合っていた。
長テーブルの間を縫うように進み、ようやく空いていた席を見つけると、その隣には女子生徒三人が座っていた。向かい合って座っている二人の女子は知らないが、その隣の三人目の女子に目をやって岩泉は少しばかり驚愕する。
既に向かい側で並んで座る友人らに目をやり、岩泉はトレーをテーブルに置いた。

「わりぃみょうじ、隣いいか」
「どうぞどうぞ」

待ってましたとばかりに応えたなまえに岩泉は口角を上げ、礼を言いながら座る。
岩泉の登場に驚いたなまえの友人らだが、岩泉がなにも言わずに丼を食べ始めると話に戻っていった。

「岩泉くん山盛りだね。よく食べるね」
「あ? ……みょうじは少ねえな」
「普通です」

笑うなまえに、岩泉は少しだけ米をやろうかと思案していれば「あ」と隣から気づいたような声が聞こえた。見るとなまえが前方に視線を向けている。
「及川くんだ」ふっと緩んだなまえの表情、続くように岩泉も視線を動かした。

及川は受け取り口の前で女子生徒に掴まっていた。にこにこといかにも優しそうに笑う及川に、共に食べようと女子生徒が声をかけている。ふざけた面しやがって、と岩泉は顔を歪めた。

「お、及川くんと同じもの頼んでる……!」

歪めた顔はぽかんと気の抜けたそれに変わった。隣のなまえは自分の定食と、遠目ながらにも見える及川の定食を見比べ、しみじみとしながら噛みしめるように食事を続行した。岩泉は毒気を抜かれ、そして心配げに見つめる。

「そんなに好きか?」
「うん、とても美味しいんだよこれ」

それじゃなく。

「岩泉くん」呼ばれた声に岩泉がなまえの隣側にいる彼女の友人らに目を移す。彼女らはニヤニヤと楽しそうに人差し指を口元に当てていた。コイツら、友人の恋路を楽しんでやがる。
いかにも純粋ななまえは、どうやら及川と同じくこいつも自分の気持ちに気づいていないらしい。おそらく、憧れの形として留まらせているのだろう。それはいい、まだ可愛げがある。しかし、と岩泉は思い出したように前方へ向き、そして「げ」と苦虫を噛み潰した。
衝撃を受けた様子で及川がこちらを見ている。

女子生徒を軽くかわした及川は、長テーブルを縫って岩泉らの元へとやってきた。そして岩泉の前の席にガチャリとトレーを置くと、取り繕うように笑う。

「楽しそうだね〜俺も混ぜてもらっていい?」
「他にも楽しそうな所はあるぞ」
「俺にはここが一番楽しそう」

そう有無を言わせぬ物言いの及川に、岩泉となまえの両者の友人らは驚愕。なまえに至っては驚きすぎて漬け物に醤油をかけていた。

「あ、なまえちゃんだ。こうやって一緒にご飯食べるの初めてだね」
「う? うん、お、及川くんがいると、もっと、楽しくなるね」

なにがなまえちゃんだ、白々しい、気づいて来たんだろが。岩泉は眉間の皺が消える程呆れた。しかしへらへら笑っていた及川が目を丸くし、そして困ったようにその目を細めたものだから驚く。
そのまま岩泉の方へ向いた及川は、切羽詰まった顔で驚愕を露わにした。

「よくこんな子と隣で岩ちゃんはふっつーにご飯が食べられるね! つっかえたりしないの?」
「えっ」

ガーンとなまえから衝撃を表す効果音が聞こえたような。
「俺には無理、なんかもうお腹いっぱい」惚けたように続けた及川に、なまえはショックを受けてうなだれた。

――ああ、こいつら面倒。

痛くなったこめかみを抑えつつ、岩泉は深い深い息を吐く。このボゲ共に誰か恋ってのを教えてやってくれ。俺は無理だ。つーか知らねえしそもそも巻き込まれたくねえ。
この先の苦労を振り払うように、岩泉は丼を口腔内にかきこんだ。



140923
こちらの岩ちゃんは他人の恋愛に聡いね

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