▼ 黒尾先輩と閉じこもる
※排球
視聴覚室に入り、掃除当番の子たちが続々とホウキを手にする。一歩遅れて掃除用具入れを覗いた私は、自然と顔が固まった。私の分のホウキがない。
すでに掃除と称した遊びが始まった当番の子たちを見て、仕方なしと視聴覚室を出る。他の教室からホウキ取ってこようっと。
廊下を歩いて通りすがる教室を確認するが、どの教室もこの時間は掃除が始まっている。ホウキを借りることはできなさそうだ。
しばらく進んで応接室のプレートを確認。ここなら鍵かかってないし、めったに人来ないし、掃除用具入れもあった気がする。
何も考えてなかった。
単にホウキがほしくてそのまま応接室の扉を普通に開けた。そして中にいた人を見てぎょっと目を見開く。
女子生徒が男子生徒を壁に押しつけ、身を乗り出すように迫って顔を近づけていた。今にもキスしようとしてるその光景に背筋が凍る、し、なによりその男子生徒が一方的に見知った人だったから頬が引きつる。
女子生徒はもちろんのこと、押されている男子生徒……黒尾先輩も私を見て目を丸くした。
「失礼しました……」
「あーっちょっちょっと待った」
私の中に宿る危機回避能力が作動して咄嗟に扉を閉めようと動いた。しかしそれを制止する男の声が聞こえてしぶしぶと止まる。扉の隙間からゆるりと顔を戻せば、いやに焦ったような黒尾先輩が必死に私を見ていた。女の先輩からは睨まれてるけども。
「なんか俺に用事あったんじゃないの？」
「は……いや、黒尾先輩にじゃなくて、そこのロッカーに」
「ロッカー？」
「ホウキを借りたくて」
「どーぞどーぞ」
「や、でもお取り込み中なら……」
「どーぞどーぞ！」
ものすごい促されている。なんとも清々しい笑顔で全力で促されている。訝しみながらも(そして女の先輩の恐ろしい形相は見ないようにしながらも)、私はそろりと掃除用具入れに近づいた。ロッカーを開けると長ホウキが一本とちりとりが一つだけあった。意外と少ない。
まあでも良かった。早くこの異様な空間から抜け出そう。ホウキを手に取って引き寄せる。が、長すぎるのか、なかなか上手くロッカーから出てくれない。
「ちょ、こ、え、ん？」ぐいぐいと引っ張ってもロッカーがガコガコ音を立てるだけ。背後の先輩ら二人が無言なのがまた怖くて焦る。早く退出しないと「邪魔すんな」てキレられるぞこれは。
ガコガコガコガコ。
「あーもう！ うるっさいわね！ ムードぶち壊しよ最悪！」
急に響いた女性の声に肩が跳ねる。振り向くと、前髪をかき上げながら不機嫌な表情でちょうど応接室を出ていく女の先輩。やはり邪魔をしてしまったようだ。おそるおそる取り残された黒尾先輩に視線を向ける。ニヤニヤと調子が戻ったように笑っていて、少し瞠目した。
「あー助かった。ありがとネ」
彼は肩を回すと緩やかに私の元へと近づいた。そして私の隣に立ち、ぬっと腕を伸ばしてホウキに手をかける。ぐっと押してから引いて上手く角度をつけてロッカーから取り出してくれたホウキ。「ん」差し出されたそれに、礼をつぶやきながら受け取った。
「ごめんなさい」
「なにが？」
「邪魔しちゃって。彼女さん追いかけた方がいいです」
「はは。ダイジョーブ」
「私がお詫びに追いかけましょうか」
「いや、ていうか彼女じゃねーし」
「え……彼女じゃないのにこんな密室に連れ込んだんですか」
「ちょっ誤解誤解。なんでもかんでも男が元凶みたいに考えんのもどうかと思うよ？」
苦笑いを浮かべながら言う黒尾先輩に、それもそうだと言いよどむ。ごめんなさい、再び謝れば「この状況じゃそー考えるのもムリはないけど」とまるで他人事のように彼は笑った。
「え、じゃああの人が黒尾先輩を連れ込んだんですか」
「まあね。俺もびっくりした。いきなりチューされそうだったし」
「……」
「君が来てくれなかったら俺の純潔奪われてたわー」
「純潔はウソでしょ……」
「はっは。でも助かったのはホント」
にい、と猫のように目を細めて笑う先輩に、やっぱり訝しみながら首を傾げる。
「嫌だったなら拒絶すればいいじゃないですか」
「こんな感じに攻められたことねーからどう対応していいかわからなかったんだよ」
意外だった。なんとなく黒尾先輩て女子にモテモテで、扱いもわりと慣れてるんじゃないかと思ってたから。どちらかと言えばS顔してるのに攻められるのは弱い人なのかな……どうでもいいけど。そう、どうでもいいんだよ！ 私は掃除に戻らなきゃ。
「まあ、ええと、助かったなら良かったです。じゃ私掃除あるんで」
「おー」
「あ、あと余計な世話かもしれませんけど、この部屋って男女二人でいるのバレると不純異性なんたらで厄介になるんですって」
「え、マジ？」
「……鍵もかかりますしね」
知らなかったのか。やっぱりバレーに打ち込んでるから異性とどうこうの情報なんて知らないことが多いのかも。さっきの女の先輩だって、男好きて噂あるのにホイホイこんな所に連れてこられちゃって。
黒尾先輩、鋭そうなのに恋愛事に関しては鈍いのか……？ なんて思いながら扉に手をかける。
「応接室はあちらになります」
「やあありがとう」
扉の外から聞こえた声。少し離れてたけど、会話の内容からこの部屋に向かってることは察せれた。
……私は今黒尾先輩と二人きりである。男女二人でいると少々厄介な部屋に二人きりである。これ、二人で出て行くとヤバイ感じじゃないかな。
さっと青ざめた私。だが次の瞬間には腕を引かれて景色が動いた。
ガラリ、開いた応接室の扉。校長先生と来客が中に入り、奥のソファに座った。和やかに始まった会話。
私と黒尾先輩はほっと息をついた。掃除用具入れの中で。
「あっあっ危なかった……」
「あ、やべ。別にお前隠れなくても良かったじゃん。ホウキを取りたかったからっつってさ」
「あっそうですよ、なんで二人してロッカーに隠れなきゃいけないんですか！」
「しー。なったもんは仕方ねーから大人しくしてな。この状態こそ見つかったら厄介になんじゃん」
「誰が連れ込んだと……！」
「俺ー」
嘲るような笑みに苛立った。
先ほど、校長先生たちがこの部屋を開ける寸前で、黒尾先輩が私の腕を引いて掃除用具入れのロッカーに押し込んだ。もちろん長ホウキも強引に。そして黒尾先輩も無理やり入ってきて、ロッカーの扉を閉めて、細長いロッカーは向き合う二人でぎゅうぎゅうである。確かに間一髪で見つからなかったが、ある意味この状況もヤバイ。ていうか苦しい。
黒尾先輩は180cmくらいあるんじゃないだろうか、ロッカーの天井に頭がつくため無理やり首を曲げていた。痛そう。足も長いから膝を曲げている。体制的にキツそう。
でも私も、その、股の間に黒尾先輩の片足が入ってる、し、胸板が目の前にあるしで、その、気まずい。
「そーいやさ」首を曲げているからか、密着しているからか、ロッカーの前で話していた時よりも黒尾先輩の声が近く聞こえる。ぼそりと小さくつぶやく声も明確に。
「なんで俺のこと知ってんの？ どこかで会った？」
「え……ああ、孤爪くんと同じクラスで。よく呼びに来ますよね」
「あー、研磨と。ナルホドね」
あいつクラスメートとよくやってる？ とまるで親のように始めた黒尾先輩と、孤爪くんという共通話題で少しだけぼそりぼそりと会話をした。ロッカーの向こうからは校長先生と来客の方の笑い声が聞こえる。
「……なんかまだかかりそーだな」
呆れたような声色と共に息を小さく吐き出した黒尾先輩。まだこの状況が続く、と認識するとどっと足に疲れが溜まった気がした。股の間にある黒尾先輩の足に絶対触れてたまるもんかとさっきからつま先で立っていた分、疲労が早い。
「く、黒尾先輩」
「どうした？ 暑い？」
「あ、足をですね、着きたくてですね」
「え、なに、つま先立ちしてたの。なんで、俺の足に座っていーよー」
「や、ほんと、膝少し引いてくれるだけでいいんで」
へいへい、と黒尾先輩がすっと足を動かす。
「んっ」
「……」
「……」
「あの、鼻から抜けるような声出すのやめてくれませんか。意識しちゃうんで」
「なっなんで上に擦り寄せてくるんですか！ 膝引いてって言ったんですけど！」
「ごめん好奇心」
「最低だ……」
「もう俺に寄りかかっちゃえばいーじゃん」
「私が息絶えた時にお願いしますね」
もぞもぞと足を動かしてくる黒尾先輩に動くなと意思を込めてたくましい胸板に拳を打ち付ける。動かなくなった。
早くこのロッカーから出たい。息遣いやにおいや体勢に意識を向けてしまう。般若心経を唱えよう。仏説摩訶般若波羅蜜多心経……「なんのシャンプー使ってんの？」おいやめろ嗅ぐな。
「ではよろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします」
校長先生と来客の方が立ち上がる。そのまま和やかに会話しながら応接室を出ていった。
すぐさまロッカーを開け、外に飛び出す。「いかんいかん忘れ物」校長先生が戻ってきたので急いでロッカーに戻った。黒尾先輩に飛びつくような形で戻ってしまった。泣きたい。
「そんなに俺に抱きつきたかったんですかー？」泣きたい。
校長先生が応接室から出ていって、しばらくして戻ってこないことを確認。
ロッカーを開けて転がり出た。そのまま無言で扉に駆け寄ったが、目当てのものを持ってないことに気づく。振り返れば黒尾先輩が得意げに長ホウキを揺らしていた。頬が引きつる。
「アリガトウゴザイマス」
「修羅場をくぐり抜けた仲だしさ、名前教えてよ。俺だけ知られてるってのも不公平だよね」
長ホウキを掴み腕を伸ばしたがものの見事に空振った。ホウキを高く上げて胡散臭い笑みで見下ろしてくる黒尾先輩に、私も負けじと満面の笑みを持って返した。この人、本当に攻めてる方がイキイキしてんな。
「ちり とり子です」
「アレ、嫌われた？」
思いっきり息を吐いてからすぐに掃除用具入れに近づき、中からちりとりを取り出す。そして振り向きもせず応接室を後にした。散々だった。もう二度と応接室にホウキなんて借りに行かない。絶対行かない。
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