4 Foolish



 とある春の夜。ぼんやりとしていた一護は唐突に落ち着かない気分になって家を飛び出した。
 一見ぼうっとしているだけの一護だったが、脳内は妄想で大変なことになっていた。腰が落ち着かなくなるのも当然だ。
 時刻はもう真夜中。家族に見つかればとやかく言われるだろう。静かに、誰も起こさないように玄関を閉めた。

 頭を冷やそうとひたすらに歩く。目的もなく歩く。ふと周囲を見渡せば無意識に足を向けていたのは妄想していた場所の近くで、一護はどうにも辛抱ならなくなった。
 多分、行ったら迷惑だ。それから、凄く嫌な顔をされるだろう。
 顔をしかめて「何しに来たんだ、君は」だなんて言われるのだろう。
 ――うわっ、その顔見てえ!!
 完全にどうかしている。嫌な顔をされるところを想像しただけで胸が沸き立つ。別に危ない趣味があるわけではない、と思いたいのだが。
「別、別。完全に特別」
 こんなのはアイツ限定だ。
 頭を振って気持ちを切り替え、一護は目的地を睨んだ。
 行ったら、絶対に嫌がられる。というか、嫌われるかもしれない。いや、今現在だって好かれているかどうか非常に怪しい気がする。
 一応、付き合ってる――んだよな?
 何度か確認したのだが、どうも自信がもてない。確認するたびに「そんなに嫌なら止めても良いんだよ」なんて言われるところをみるに、相手にも付き合っていると言う認識はあるらしい。だったらもう少し甘くても良いんじゃないかと思う。
 ――石田相手じゃ、ムリか。
 がっくりと肩を落とした一護は、覚えてしまった道を目的のアパートまで向かうのだった。

 見上げた部屋には、まだ明かりが灯っていた。部屋の中で影が動いている様子はない。
 ――石田。
 明かりを見詰めていると、突然カーテンが開いた。
「……っ!」
 つい隠れようとする一護を見て顔をしかめ、雨竜は何かに気付いたような顔で部屋を振り返る。
 ――もしかして、誰か来てる、とか?
 どうしよう。帰るか? 鉢合わせしたら気まずい。一護は困る。誰かが来ていたとして、どうして自分が引かなければならないんだ、とも思うけれども強気にはなれない。歓迎されているとは到底思えなかったからだ。逡巡しているうちに雨竜がまたこちらを向いた。そして、なんと手招かれた。
「え? 俺?」
 自分を指差すと、他に誰がいるんだという顔をされる。おいで、ともう一度手招いて雨竜は玄関を指差した。ドキドキしながら玄関に向かうとノックする前にドアが開けられた。
「やぁ黒崎。こんな時間に散歩かい?」
「いや、その」
「まだ寒いだろう。上がっていけば良い」
 珍しく部屋に上げてもらえた。いつもは押し問答の末になんとか上がりこんでいるというのに。
 夜中に玄関先でゴチャゴチャ言われたら苦情が来るのだろうか。などとどうしても理由を探してしまう。のろのろしているとさっさと上がれと怒られた。
「なにをしていたんだ?」
「いや、なにも」
「ふぅん。こんな夜中に? 君の家から僕の家まで、ちょっとそこまでって距離でもないと思うんだけどな」
 雨竜は行儀悪く壁に寄りかかってそんなことを言う。座れ、と言われていない一護は大人しくその場に立っていた。
「黒崎。君はさ」
 ゆっくりと首を傾げた雨竜の頬に、その黒い髪がさらりと落ちた。ぼんやりその髪の動きを眺めていると雨竜の指が髪をかきあげた。そして、視線がまともにぶつかる。
 やはり、気まずい。
 どうしてこんなに緊張するんだ、と思いながら一護はズボンで掌の汗を拭った。そんな様子を雨竜はじっと見ている。数秒一護の手を見て雨竜は壁に視線を移した。視線を追えば、そこには時計とカレンダーが掛かっている。時刻は天辺を回っていた。
「あ、いや。やっぱこんな時間に来ちゃ迷惑だよな。ゴメン。帰る」
「黒崎」
 玄関の方を向いた一護のすぐ後ろで声がした。声の近さに驚いて振り返れば、ごく至近距離に雨竜の顔があった。
「帰るのは構わないんだけどさ。ちょっとだけ話をしても良いかい?」
「あ、ああ」
 なんだろう、とまた身体の向きを直す。雨竜はいつものようにすっと背筋を伸ばして立っていて、一護もつられて姿勢を正した。
「君に、言いたいことがあるんだ」
 ――別れ話――
 咄嗟にそんな言葉が浮かんで、一護は表情を強張らせた。一護の顔を見ていた雨竜は「あぁ」と呟いて呆れ顔になる。
「多分、君が想像しているような話じゃないから大丈夫」
 うん。大丈夫、だよ。雨竜は確認するように言って頷く。そうは言われても、まだ緊張は解けなかった。
「大丈夫だから。はい、深呼吸して」
 促され、2回ほど深く息を吸い込む。少しだけ気を持ち直せたような気がした。やっと笑えた一護に、雨竜ははっきりと言う。
「嫌いだよ」
 その言葉は、真っ直ぐに目を見て言われた。
「……あ?」
 そんなストレートに、しかも改めて言われるとどうして良いか解らなくなる。第一、全然大丈夫じゃないじゃないか。想像していたものとどう違うのか解らない。いや、雨竜はそもそも、一護が何を考えたと思ったのだろう。そこからが解らなくなった。明らかに狼狽した一護を見て、何故か微笑んだ雨竜は繰り返す。
「僕は、君が嫌いだ。大嫌いだよ黒崎一護」
「石田、いきなりそんな」
「いきなりじゃないよ。いつも言ってることじゃないか」
 雨竜はにこやかに爽やかに言い切った。こんなに晴れやかな雨竜は見たことがない。一護は眩しいやら悲しいやらで雨竜を直視できなくなった。耐え切れずに視線を外すと、顔を両手で包まれる。
「こっち向けよ、黒崎」
「?!」
 そんなことはされたことがなかったから、また一護は動揺する。無理矢理一護の首を自分の方に向けた雨竜は、また笑った。いつもとは違ってそれはそれは楽しそうに嬉しそうに。男に対してこのような表現はどうかと思ったのだけれども、それこそ、雨竜は花が咲いたように笑ったのだった。
「石田……」
 ――うわ、大好きだ。どうしよう、俺。俺は本当に石田の事。
 大好きだ、とひたすらに頭の中で繰り返す。ぼんやりとする頭。頬は熱くなってきた。
 もう一度、好きだ、と脳内で繰り返した一護は雨竜を抱きしめる。嫌いだと言ってきている相手にすることではない。そんなことは解っていても、衝動を止めることは出来なかった。
「ごめん。ゴメンな石田」
「なに謝ってるんだい?」
 くつくつ笑って、雨竜は一護の肩に顔を埋めた。そんな行動をされるのも初めてで動揺のあまり離れそうになる。2センチほど離れたところで雨竜の手が背中に回された。またもや一護はギョッとして身体を強張らせる。
 そんなに緊張しなくても、と言った雨竜は腕を抜くと一護の首筋に回してきた。首に雨竜の頬が当たる。一護はまた心臓が音高く鳴り出すのを感じていた。
「黒崎、大ッ嫌いだよ。本当に、心から。君のことが――憎い」
「ちょ、石田ソレ」
 言動と行動のあまりの落差に脳が付いていかない。あまりの混乱で泣きそうになってくる。浅い呼吸を持て余す一護の顔を覗き、雨竜はそのまま距離を詰めた。
 ちゅ、と軽い音を立てて口唇が離れる。
 またもや混乱のドツボに陥る一護を雨竜はやっぱり笑って、もう一度ゆっくり口吻けた。
 二度三度と重ねられる度に脳髄が痺れる気がして一護は動けなくなる。足元から力が抜けそうになる身体は、雨竜がしっかりと抱き留めていた。
「ちゃんと立てって」
 耳元で囁かれて、腰が抜けそうになる。情けないと思いながら一護は雨竜を抱き締めた。
「ごめん」
「黒崎、さっきから謝ってばっかりだな」
「俺、すっげぇ格好悪ィ」
「うん。そうだね」
「少しは否定して欲しいんだけど」
「無理だよ、それは」
 そんなところも大嫌いだ。と言った雨竜は、口唇が触れるほどの距離でもう一度囁いた。
「大嫌いだ」
「だから石田、それは」
「聞かないで」
 さあ黒崎、どうする?
 雨竜の口角が上がる。一護は誘われるようにそっと口唇を重ねた。

     ++++++++++

 ゴロゴロゴロゴロ。ゴロゴロゴロゴロゴロ。
「っだぁぁあぁああああ! 意味解ンねえええ!!!!」
「いや、一護」
「わっかんねええええ!!」
「うるっせーよ、夜中に!」
 ぼずっ、とコンに後頭部に蹴りを入れられた一護はようやく転がり止んだ。突っ伏した姿勢の口からは唸りが漏れている。
 さすがの一護も、何があったかの詳細を話すわけにはいかない、と思っていた。ただ、何も言わずにもいられなかった。
 惚気、になるのだかならないのだかは定かではないが、コンは多分男とキス(しかも何回も)した話など聞きたくもないだろう。かいつまんで話そうとするとこうなった。
「石田が俺に〜っ。大嫌いだって言うんだけどよぉ。でもその態度が全ッ然嫌いって感じじゃなくて、むしろ好意持ってる相手に見せるような、っての? そういうのなんだよ。本当、全ッ然意味解んねえ〜っ!」
「……はぁ。そうかい」
 それじゃこっちの方が全然意味解らないぞ、一護。と思いながらも、根掘り葉掘り聞いたところで自分にとって面白い話じゃなさそうだと判断したコンは気のない返事をする。
「聞けよッ。他に言える相手いねーんだから!」
「知るかよ!」
 付き合っていられるか、と一護から視線を外したコンの目が卓上カレンダーを捉えた。そういや月が変わったんじゃないか? 親切なオレ様が変えといてやろうじゃないか。そんなことを思って1枚捲る。そして、初めの日付の枠に小さく書き込まれている文字を見て、コンはぽふっと手を打った。
「一護」
「なんだよ」
 ジト目でコンを睨んだ一護は、妙に輝いている黄色い物体に目が眩んで唸った。
「聞け、一護。オレってば天才かもしれないぞ!」
「お前が? 天才?」
 一護は、なに寝ぼけたことを言ってんだ、とコンを見もしない。仕方なく、コンは机によじ登ると卓上カレンダーを手に取り、えいや! っとベッドに向かってダイブした。
 どすん、と一護の背中に着地。ぐぅと言ったきり一護は黙り込んだ。
「おい、おい一護!」
 オレンジの髪を掴んで顔を上げさせる。見えた顔はなんとも情けないものだった。
「……あのメガネ、コレのどこが良いんだろうなぁ」
「違ェだろ、ついさっき嫌いだって言われたんだから。何聞いてたんだオメー。あああ。何度も言わせるなよこの野郎」
 しみじみと呟いてしまったコンに一護は心底憎たらしそうに言う。だがそんなことには気付かない様子でコンは「起きろ〜」とぺしぺし額を叩いてきた。ムカつきが最高潮に達した一護はやっと身体を起こす。
「なにすんだ!」
「見ろって、良いから」
 怒った一護に頭を変形するほどに掴まれたコンは、その目の前にカレンダーを突きつけてくる。一護には意外と几帳面そうだと言われる自分の字で新学期の開始日が書かれているのしか見えない。「ここだ、ここ」とコンは指しているようなのだが、この不器用そうな指ではどこのことを言っているのか解らなかった。
「どこだよ」
「今日だって!」
 今日? と不思議そうな顔をした一護にコンは言った。
 12時回ってるんだから『今日』は4月1日ってコトなんじゃないか? と。
「4月って」
「ここに書いてあるじゃないか。エイプリルフールだって」
「あ?」
 エイプリルフールって、嘘ついても良い日なんだろ?
 コンは可愛らしく首を傾げてみせた。その言葉を理解したらしい一護の眉間のシワが一瞬にして消え、目は真ん丸に見開かれる。
「う・そ……?」
「お前、前そう言ってなかったか?」
「言った」
 一護の声は掠れている。
 ――嘘。嘘だって?
 ぐるぐると色々な考えが浮かんでは消え、廻り、混乱しそうになる。
 ――いや、エイプリルフールってコトは。
 嘘、なのか。
 ――嘘っておい、それってつまりは。

 嫌い、が嘘なのだとしたら。
 その、逆はどんな意味だ。
 嫌いじゃない、よりも、きっともっと強い意味で。
 強い、意味で。明らかな好意を示す言葉なのだとしたら。

「それ、って――好き、って意味か」
 一護はぼそりと呟いて、耳に入る自分の言葉で赤面した。
「鈍いな、一護」
「ちょ、黙れコン」
 と、デレそうになる顔を元に戻したかと思えば一護はやたらと格好良い顔になった。コンはどうしたのだろうと様子を窺う。自分のあまりの鈍さを反省しているのだろうか。1分、2分。それ以上待っても一護は動こうとしなかった。痺れを切らしたコンは声をかける。
「どした?」
「だから黙れって! 今頭ん中で石田声で再生してんだからッ」
「…………」
 この石田莫迦が。
 吐き捨てたくなるのを我慢したコンは口を押さえた。「嫌い」を「好き」に変換して脳内で雨竜に喋られて悦に入っているなんて、変態の極みだ。またしばらく、一護の妄想タイムが始まる。見てられずに背中を向けたコンに今度は一護から話しかけてきた。
「な、なぁ」
「ンだよ。黙れって言ったり話しかけてきたり」
「あ……のさ。に、憎むとも……言われたんだけど……」
 それって、どういう意味だと思う? 一護はぎくしゃくとした動きでコンを見た。なにか期待している顔だ。自分の妄想なのだから好きにすれば良いのだけれどもきっと後押しが欲しいのだろう。どうしてオレが、と思いながらコンは耳を掻いて、面倒臭そうな空気を隠さないままで答えた。
「逆って。おおかた愛してるとかじゃねぇの」
 声に張りがない。しかも抑揚もない。本当に嫌そうに答えたコンの言葉に一護の顔が輝いた。
「や、やっぱりそう思うか?!」
 あ。しまった。
 コンが気付いたときには遅い。
「俺、もう一度石田んトコに行って来るッ」
 一護はコートを掴んで走り出そうする。コンは慌てて部屋のドアを塞いだ。
「待て一護ッ! さすがにそれはマズイだろっ」
 もうすぐ1時だ。いくらなんでも今からというのは非常識すぎる。でも盛り上がった一護の常識的な思考回路は吹き飛んでいた。
「いや、だって石田が愛してるって……!」
「言われてないだろ。落ち着け一護! それはお前が勝手に妄想しただけで――」
「俺じゃねえ! お前が言ったんだろうが!」
「じゃあオレが勝手に思っただけで、それが石田の本意とは限ら――」
「いいや! きっとそうだ。そうに決まってる」
「どおしてオレの言ったことは嘘だと思わないんだ一護ォ!」
 コンは半泣きだ。
 きっと一護は雨竜に会った後「コンに言われて気付いた」とか言うのだろう。そんなの告げ口された日には、余計なことをして、と雨竜からどんなお仕置きを受けてしまうか解らない。フリルだらけは嫌だった。
 そこを退け、と言う一護とコンの攻防は、それから20分にも及んだのだという。




 だからどうしてうちの黒崎一護はそうヘタレなのかと。
 こちらサイト6周年の記念フリー配布になっております。
 気に入ってくださった方はどうぞお持ち帰りくださいませ。
 もしもサイト等に載せていただける場合には、サイト名と室井の名前を書いていただけますと嬉しいです。





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