ふわり おひさまの香り



 一護は部屋を掃除していた。
 それはそれは念入りに。嫌味な姑でもいるのか? と10人中7人程度が突っ込みたくなるほどに念入りに。
「一護?」
「んだよ」
 コロコロコロコロと粘着テープでラグを綺麗にしながら、一護の眉根には深いシワが刻まれている。
「何やってんだ?」
「掃除」
 それは見れば解るって。
 コンは邪魔にならないように押入れに入ったままで言う。うかつに床に下りていた日にはほこりと一緒に掃除機で吸われてしまう。現に何度か吸われかけたことがある。粘着テープに追い掛け回されて部屋中逃げ回ったこともある。
「そこまでやらなくても」
 一護の部屋は基本的に整理整頓されているし、結構マメに掃除をしているから改めて気合を入れて綺麗にする必要があるようには思えない。それなのに、なにを躍起になっているのか。潔癖症か? なんなんだ一護。コンは短い腕を組んでひたすらに一護を見詰めていた。
「髪の毛一本残ってちゃなんねぇんだ」
 一護は怖いくらいに真剣な表情だった。
 布団も干してあった。シーツやカバーの類も取替え済で、窓もくもり一つなく磨き上げられている。
「で。今日は何があるってんだよ」
 と、口にしたところで聞くまでもなかったかと気付いてコンは後悔する。訊ねた途端に、アレほどまでに真剣だった一護のお顔がデレっと崩れた。女子が遊びに来る、と聞いてもちょっと出ている本を片付けて軽くモップをかけるくらいで終えさせる一護がこんなに念入りに掃除するなんて、相手は1人しか考えられられなかったのだ。女の子相手だと、酷い時はもうそのままだったりする。「散らかってて悪いな」とか言いながら本気で気にかける様子はない。ホモ過ぎる。特盛よりもつるぺったんがいいなんでどうかしてるぞ、一護。(女子ならぺったん、もナシじゃないけど。)
「あー、解った解った。なんにも言わなくて良い」
 どうせアレだろ、メガネだ。
 嫌な顔のコンに、一護はだらしない顔で言う。
「石田が遊びに来てくれるって言うのに、部屋が汚かったら嫌われちまうかもしれないだろ」
「そうかぁ?」
 一護は知らないことだけれども、コンはそこそこ雨竜の家に遊びに行ったりしているのだ。だから、雨竜の部屋の実情を良く知っている。物が少ないから部屋が荒れるわけではない。でも潔癖症というわけでもなさそうだし、白が好きだから真っ白なものが多くて清潔そうに見えるだけなんじゃないか、と思うのだ。雨竜がぼんやりしている時など、部屋の隅にマチ針が落ちていたりする危険な部屋なのだ、実は。あまり神経質に綺麗にしすぎていても、そういう男は面倒臭いと思われるんじゃないだろうか。あぁいや。石田雨竜も男だった。コンはうっかりしすぎな自分の思考回路に舌を出す。
「お前に石田の何が解る」
 睨まれても、コンには反応の仕様がない。
 多分、一護よりも本当の石田雨竜の姿が見えているとは思うが。
 なんて言った日には、雨竜の改造が必要なほどのヒドイことをされてしまう。 
 でも一護の目に映っている雨竜の姿というのは、どうにも本人から離れていっているのではないか、と最近しみじみ感じるコンなのだ。
 ――乙女フィルターが装備されてる。最近の一護ってば。
 気色悪。
 ぶるっと身震いしてコンは言った。
「で、何時だって?」
「えぇと、11時……ってうわっ! こんな時間ッ!?」
 時計を見上げた一護は慌てて着ていた服を脱いだ。
「は? 着替えるのか?」
「ッたり前だろ!」
 朝、しっかり着替えていたじゃないか。それ普段家で着てるヤツじゃないか、と突っ込むコンに、普段着で良いワケがないだろう、と叫んだ一護は洋服片手に風呂場へ駆けていった。
「おにいちゃぁん? ウチの中走っちゃダメだよ〜?! ってハダガで出てこないでーッ! お父さんじゃないんだからッッ」
 なんて妹に怒られながら。

 コンは主のいなくなった部屋にのそのそと出て行き、お日様の力でふわふわになった布団の上にポスンと座った。
「おーお日様の匂いってヤツかぁ」
 ゴロゴロ転がる。それから、窓際に座って日光浴を始めた。ここに座っていると、身体がフカフカになってなんとも気持ちが良いのだ。
「…………」
 ぼんやりと、おひさまのにおい、を繰り返したコンは突然嫌な思いに取り付かれて表情を曇らせた。
「においって言やぁ」
 もしかして、オレの身体……一護の匂いが染み付いてる、なんてコトはないよな?
 一護の部屋に住み着いて、押入れなんてとこに居てみたり、部屋だと言ってチェストの一段を貰ってみたり。一護の部屋から出ている時間もそれなりにあるとはいえ、でも住処はこの部屋なわけで。
「最っ低……!!」
 ドーンと縦線背負ったコンに、タオルで髪を拭きながら戻ってきた一護は訝しげな顔をした。
「どうしたんだ?」
「いや、ちょっと嫌なコトに気付いて……」
 コンは暗い顔のまま思い浮かんだことをぼやく。
 オレ様のスペシャルでパーフェクトでラブリーなボディに一護の匂いが染み付いてたら! 最低だ。本当最低だ。オレ様はラブリーでスィートな香りがするべきなのに、一護の匂いが付いていたりした日には!!
 もう再起不能だ。
 と、コンがボヤき終わる前に一護は血相を変えて下の階に駆け下りていく。また妹に叱られながら部屋に飛び込んできた一護は、部屋中に何かを撒き散らし始めた。
「?! 何しやがるッ」
 シューッと霧状のものがコンの顔面を直撃する。思わず目を庇ったコンは、次の瞬間には宙に舞っていた。
「ぎゃあぁぁぁ!!」
 一護は掛け布団を捲ってマットレスに向かってスプレーを振りまく。やっとのことで布団から抜けだしたコンは、怖いほどに真剣な一護に突っ込みそこねて唖然としたままその光景を眺める。
「なにやってんだよ。一護」
「ファブ○ーズ」
「……ファブ、ってそりゃ」
 消臭スプレー、だな。
 コンは、自分の身体からなにやらふんわりと香るのを感じた。
「コレ、なんの香りだ?」
「知らん」
「ちょっと……」
「何だよ」
「なんでもない」
 甘い香りすぎやしないか、と言いかけて止める。これ以上一護の心配事を増やしてどうする、と思ったのだ。
 なにやらふんわり香る部屋になったのに満足そうに頷き、一護はスプレーを定位置に戻しに行く。
 部屋に帰ってきた一護は、落ち着かなさそうに時計を眺め、もう整理する必要のない本を弄り、カーテンを括り、布団を何度も直していた。
 ――そんなにベッドばかり気にしていると、露骨な下心が見えるみたいで凄く居心地悪いぞ。
 居て良いものだろうかと思うけれども、出て行けと言われていないのに出て行くのは、いかにも『そういうこと』があるのだろう、とこちらが下品な勘繰りをしているように思われてしまいそうで嫌だった。

 11時ちょうどにドアチャイムが鳴る。その1分ほど前、部屋の窓から雨竜が来るのを目視した一護は玄関に迎えに出ていた。チャイムが鳴ると同時にドアを開けられ、多分石田雨竜は嫌な顔をしているのだろう、と上から覗きながらコンは思う。邪魔をする趣味はないから、と、とりあえず押し入れに入り込んで2センチほど隙間を残して襖を閉めた。

「気なんて使わなくて良いのに」
「君にじゃない、ご家族にだ」
 どうやら、手土産についての口論らしい。
「でもわざわざケーキ焼いてくるなよ」
「うるさいな。気に入らないなら食べなきゃ良いだけだろう。良いよ君、一片たりとも口に入れるなよ」
 黒崎のために焼いてきたんじゃない、と雨竜は冷たい。そんなつもりではなかった一護はうろたえてしどろもどろだ。雨竜が作ったものを食べたくないなんて言うはずもない。でもそんな一護の気持ちになんて雨竜は気付かない振りをしているのだからどこまでも突き放しにかかる。いつものことすぎて傍から見ているコンが情けない気分になってきた。
 ――意地っ張り同士というか、もっと正直に言えば良いのになぁ。
 雨竜だって、きっと作っている時に思っていたのは一護のことのはずで(いや、一心や妹たちのことだけを考えていた可能性もゼロではないのだが)そういう風にちょっとでも思えば、そこまで卑屈にならなくても良いんじゃないかと思う。でも、それは周りがアドバイスしたりどうこう言ってもしょうがない話だと思うから、コンは黙っている。
「……ん?」
 部屋に一歩足を踏み入れたあたりだろう。雨竜が不思議そうな声を出して立ち止まった。
「ど、どうした、石田」
「いや……」
 そう言う声は少し笑っているように聞こえる。
「あ、そこら辺どこに座ってもいいから」
「うん」
「って言うか、ベッドにでも座って――」
「いや、良い」
 呆気なく、多分駄々漏れな一護の下心は打ち砕かれる。
 ――メガネ、そこは察してやれ。
 2センチの隙間から覗きつつコンは舌打ちしそうになる。どうしてそう鈍いんだ、石田メガネ。
 雨竜はコンの正面に座る。「あ、見つかる」と思った時には遅く、雨竜とばっちり目が合ってしまった。ちょっと驚いたように目を開いた雨竜は、苦笑いを浮かべて軽く頭を下げてくる。コンも同じように会釈を返し、そのまま見てて良いものか迷う。特に目配せもないから良いのだろう、と傍観することを決め込んでコンはじっとしていた。
「えぇと」
 一護は胡坐をかいた膝に掌を何度も擦り付けている。もしかしたら、緊張で手に汗をかいているのかもしれない。青臭くてくしゃみが出そうだった。
「黒崎」
 自分の部屋だというのに極度の緊張状態の一護に対して、雨竜はどこまでも自然体だ。ゆったりとベッドに寄りかかっている。
 ――一護は気付いていないかもしれないけど。
 コンは思う。
 雨竜は見かけ通り神経質な部分が多々あって、他人様の部屋に行ったとしてもベッドなんて生活に密着している場所にあんなに無防備にもたれかかることはない。ああやって、一護の生活の一部に平気で触れているということは、それだけ一護に心を許しているということなのだ。家に1人で遊びに来るのだって、雨竜が一護とその家族に対して親しみを感じているという証拠だ。
 なにせ、本人から聞いたのだから間違いない。
 クラスメイトなんかの家に招かれても落ち着かないから、お招き受けるのは好きじゃない。
 他人のベッドに平気で座る人とかいるだろう。どういう神経しているんだ、って思う。
 雨竜のベッドにひっくり返っていたコンに向けられた言葉。そこにいるなという意味かと思って身体を起こしかけたコンを、雨竜は止めた。
「君は、良いんだ」と言って。
 この場合の『君』と言うのは中身であるコンに対してなのか、それとも、身体の持ち主である一護に対してのことなのか。コンは判断しかねて、微妙な顔を返すしかなかったのを思い出す。

 雨竜は気の抜けた様子でゆったりと身体を傾けた。
「今日は、なに? 何かあったのかい?」
「へっ、な、なにもねえよ?!」
 そう言った一護の声は裏返っている。もしかして、家族がいるというのに好からぬことでも本気で考えていたのだろうか。態度が不審すぎた。
「なんか、いつもと違う香りがする」
 何の香りだろう。
 雨竜はぼんやりしている。もしかしたら昨日も遅くまでなにか作っていたのかもしれない。一護が楽しみにしていた訪問イベントだというのに、どうしてそうやって気付かないのだメガネ。 
「そ、そうかっ?!」
「うん。ルームフレグランスかなにかかい?」
 なにやら言い訳めいたことを口にしている一護だが、あまりに小さくて聞き取れない。はっきりしろよ、と活を入れてやりたいところだが出て行くわけにもいかない。
「別にこの香り、嫌いじゃないけどさ」
 雨竜は、もしかしたら眠いのかもしれない。
「いつものでも構わないのに」
「いつもの、って」
「あー、アレ。もしかして黒崎の匂いなのかな。僕、嫌いじゃないよ」
「!!!」
 石田、良いからベッドに座れ。
 唐突な一護の申し出に不可解そうな顔をしつつ、雨竜は大人しく言うことを聞いてちょこんとベッドに腰掛けた。
 ――やっぱり眠いんだ、あのメガネは。
 一護の鼻息が荒くなっていることに全く気が付く様子はない。あんなに無防備な姿を晒したら……コンはカウントを始める。
「1・2・3」
「石田――ッ!」
 3秒で一護は堪えきれなくなって雨竜を押し倒しにかかった。が、いくら眠そうであってもそこは滅却師石田雨竜。簡単に押し倒されてはくれないのであった。雨竜はすっかり目が覚めたようで、本気で抵抗していた。
「な・にをするんだ君は!」
 昼間っからなにを考えているんだッ! ご家族だっているんだろう?!
 なんて凄い剣幕で怒り・怒られつつも2人は激しい攻防戦を繰り広げている。目にも留まらぬスピードだ。能力の無駄遣いすぎる。
「だって石田が可愛いコト言うから!」
「はぁ? 他人のせいにしないでくれるかなッ、第一僕は何も言ってな――黒崎!!」
「いや、だってほらおめーが」
「ほらじゃないよ、怖いよ目が」
「石田ッ! 俺っ」
「〜〜ッコ、コン君っ!!」
 流石に耐え切れなくなったらしい雨竜が助けを求めてくる。こんなラブリーボディじゃ何の役にも立たなかろうと思いつつ、ついつい手助けに行ってしまう人の良いコンなのだった。
「一護、落ち着け」
 雨竜に完全に圧し掛かった体勢の一護の肩をぽふぽふ叩く。えらい形相で振り返られても一応助けに来た手前引くことは出来ない。いやもう、完全に殺気立ってる。
「何しに出てきやがった。つーか、どうしてここにいる」
「どうして、ってなぁ。部屋から出て行けって言われなかったし」
 なぁ。と雨竜に振れば困った顔で返される。一護に視線を移すと、先ほど以上の怖い顔になっていた。
「なに石田とアイコンタクト取ってんだ……?」
 男の嫉妬、みっともない。
 どうしたものかと思いながらも、コンは鹿爪らしい顔をする。
「……メガネとオレ、トモダチだし。なぁ?」
「え? う、うん。そうだね」
 一護は無言で崩れ落ちる。コンと雨竜のトモダチ宣言は思った以上に一護にダメージを与えた。これでしばらくは大人しいだろう、と判断したコンは爽やかに指を2本、揃えて立てて額のあたりで振って見せた。
「じゃっ☆」
「え? コン君どこに――?」
 慌てる雨竜にコンは更に爽やかに言い放つ。
「お散歩。オレは2時間くらい散歩に行ってくるからな!」
「行かなくて良いって! ここにいれば良いじゃないか」
 黒崎と2人きりにしないでくれ、と言う雨竜を無視して、コンは窓から外へ抜け出した。散歩、と言ってもそこら辺をふらふらできる身分ではない。屋根の上で昼寝でもしていよう。
 どうせ、雨竜だって拒絶しきれずにいつも最終的には押し切られてしまうのだ。コンがいるだけ無粋と言うものだ。
 ――アイツだって一護のコト嫌いじゃねーんだから。
 一護にあと数秒堪える精神力があれば、拒絶されずに受け入れられるのではないのだろうか。かと言ってあの雨竜が積極的にアピールするとも思えないから、微妙な雰囲気の変化・醸し出す空気の色を察しなければいけないのだけれど。
 ――いや、一護にムードとか、空気読めとか。言うだけ無駄な気もするんだけど。
 なんでオレが野郎2人の色恋沙汰の心配しなきゃなんないんだ。
 コンは青い空を眺めてどんよりした気分になるのだった。





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