宵闇異聞録



 昔から、異界との境目に在るものたちを見ることは多かった。
 今ではすっかり、なんの違和感もなく生活の中に溶け込んでいる。
「お兄ちゃん」
 ツンツン、と引かれた気がして振り返れば、幼い少女が微笑んで見上げてきている。
「なんだ?」
「見える?」
「あぁ」
 他の者に気付かれぬよう、口を殆ど動かさずに喋る技巧も身に付けた。今自分の右にいる小さな影も、微笑んで話しかけてきはするのだが、印象が薄い。
 既に存在しないモノなのだ。
「じゃぁ、遊ぼ」
「遊ぼうって言われてもなぁ」
 実際には、見えはしても触れられるわけではない。それに、あまり深く係わり合いになるのもどうかと思っている。かつてその判断がつかなかった幼少の頃には、気味悪がられて自分が倦厭されてしまったものだ。
 生半可に見えてしまう体質な上に、生まれ付き全身の色素が薄い。橙にも見える髪は、それだけで人々から避けられてしまう要因になった。
 幼い頃から不条理な言いがかりをつけられることも多かった。負けるものかと頑張っているうち、眉間に皺が定着してしまった。
 これのおかげで、今ではほとんど人が寄ってこない。
 苦笑いして首を振ると、少女は残念そうな顔をして、消えた。
 はぁ、と深い溜息を吐く。
 結局、見えるだけなのだ。なにかしてやれる事などない。変に期待されて付きまとわれるのも迷惑だった。
「なぁんでこんな能力があるかね」
 一護は深い溜息をついた。

 ***

 狭間のものたちと付かず離れずの生活を続けていたある時、一護は今までに見たこともないような禍禍しいモノを見た。其れの放つ気はおどろおどろしく、全身が総毛立つようだった。
 充満する殺気に呼吸することすら危うい。喘ぐような息をした一護は、思わず目を見開いた。
 其れの前に、小さな影がある。
「あ……ああ・ぁ」
 ガタガタと震えている小さな影は、この前の少女だった。
 考えるより先に身体が動く。
「逃げろッ!」
 身体を盾にして護ろうとする。触れられるわけではないから、抱えて逃げることは出来なかった。
「お、お兄ちゃ……」
「早く!」
「でもっ、動けな・い」
「クソッ」
 抗う術があるわけではない。でも、何もしないよりは悪足掻きでも立ち向かっていくしかなかない。親から護身用に渡されていた小太刀を抜く。仄蒼く輝く刀身に、妖の表情が変わった。
『ほぅ、面白いものを持っているな人間』
「しゃ、喋れる……のか」
『ほほ。無知とは悲しいものよな』
 言うが早いか、妖は手を振り上げ、巨大な爪を突き立ててくる。
『そんな様子では、其れを使いこなせる筈もない……か』
 グフグフと喉の奥で水の沸き立つような気味の悪い笑い声を立てて、弄ぶように土に爪痕を残していく。
「ぐ……ァ」
 爪が足を掠る。焼け付くような痛みに声が漏れた。
『ヒッヒッヒ』
 背後の幼女を護るために、一護はその場を動けない。何とか小太刀でかわしてはいたが、それも限界だった。
『そんなのを護ってどうする。お主になんの得が有る。ソイツはもう死んでいる。もう一度食われて無くなった所で、痛みなどないぞ』
「そんな訳有るか!」
『触れられぬものの一つや二つ、存在が失せた所でお主には無関係だ』
「黙れ、化物」
 もう死んでいることなど解っている。でも、存在が消えるというのなら、益々放ってはおけなかった。
『化物とな。ははは』
 其れは高笑いして首を掻き切る仕草を見せる。
『我はお主でも構わん。寧ろ生きている人間の魂魄の方が美味いからの』
「駄目! お兄ちゃん逃げて」
 服の裾を掴もうとした少女の手がすり抜ける。矢張り、互いに触れられぬ存在なのだ。
 少女の顔が絶望に歪む。
 と、その時――

 シャン、と鈴の音が響いた。

「何を騒いでいらっしゃいんすか」
 凛とした声が聞こえた。
「え……?」
 反射的に身体を縮めていた一護は、目を開けた先に白い着物を見る。その足首に、鈴がつけられている。先程鳴った鈴は此れだった。
 視線を上げると、手ぬぐいで頭部を覆った人がいた。
「騒がしいったらありゃしない」
 その人は一護に視線を向けると
「下がっていてくんなまし」
 そう言って、胸元からなにかを取り出した。
「むやみに現世を騒がしちゃいけありんせん。さっさと消えなんし」
 目が眩むような閃光と共に、大きな黒い影は崩れるように消える。
「な……」
 言葉を失くしている一護に、流れるような仕草でしゃがみ込んだその人は顔を覗き込んでくる。
「お怪我はありんせんかぇ?」
「あ、あぁ、大丈夫だ」
 にこりと微笑んだその人は、抜けるような白い肌に涼やかな切れ長の瞳をしていた。吸い込まれそうな瞳に戸惑っていると
「貴方は変わっていんすね。でもこれ以上は関わりんせん方が好い」
 その人は一護の目を塞ぐように白い手を差し出してきた。
「関わるなって言われてもな」
 見てしまったものは忘れられない。そう主張する一護に疲れたような溜息を吐く。
「大抵の人は、あんなものを見れば逃げ出しんす」
 強情だ、と顔を顰め、その人は立ち上がった。
「あれに食われたら同じ道に堕ちんすから。くれぐれもお気をつけて」
 ひょい、とまだ一護の後ろに隠れていた少女の霊を手招く。その手を掴むと、その人はどこかへ去っていこうとする。
「どこに連れて行く気だ!」
 一護は慌てて立ち上がろうとする。
 たった今妖から助けてもらったとは言え、完全に味方と判断できたわけではない。先程の様子を見ていると、あの妖を退治する能力は持っているようだが――だが、それだけではあの少女の霊が良くしてもらえる確証は得られなかった。
 焦った一護はよろける。ゆらりと振り返ったその人は笑っていた。
「なにか心配事でも?」
「当たり前だ。その子も、無理やり消すんじゃあるまいな」
 だとしたら連れて行かせない。
 なんとかその白い手から少女を開放しようと思うも、抉られた箇所がじくじくと痛んで立ち上がることは出来なかった。
「無理はお止しよ」
 しばらく無言で一護を眺めていたその人は、苦笑いで戻ってきてどこからともなく取り出した酒で傷口を洗い、軟膏を塗りこんでくれる。
 文句を言いながら治療する、その口調に少し変化が見られた。

「大体、何の能力もない只の人間が、あれに立ち向かおうってのが間違ってるンです」
「私は良いですよ。術を持っている。でも貴方は違うでしょう」

 要約すれば、危ないから近寄るな、とそればかりを繰り返す。
「それは解ったから。で? お前はその子をどうする気だ」
「どうって」
 ――有るべき場所に還すだけ。
 そう言って、また僅かに微笑む。
 有るべき場所、とは極楽のことだろうか。一護は考える。
「そこに行けば、その子は幸せになれるのか?」
「さぁて」
 のらりくらりとはぐらかされる。次第に一護は苛苛してきた。
「少しでも好くない場所だってんなら、渡すわけにいかねぇ。手を離してもらおうか」
「此処にずっといたって何が変わるわけでもないでありんしょう。苦しむことが有るとしても、それでも貴方は構わないと言いんすかぇ?」
 一護の主張に、相手も苛立った声を上げる。互いに聞き分けがない、と罵りあい疲れてくる。ふ、と相手から視線を逸らしたその先に、不穏な動きをするものが見えた。
「危ない!」
 白い着物の人を押し倒すのと同時に、いつの間にか復活していた妖の腕が髪を掠める。危ない、と脂汗をかく一護の下で
「しぶといでありんすね」
 苦い顔で、その人はまたなにか光る物を取り出して掲げる。
「それは――」
 応えることなく放たれる矢のようななにかが、今度は妖の頬を裂いた。
「チッ」
 逃した、と舌打ちすると覆い被さっている一護を睨みつける。
「早く退いてくんなましっ」
 腹を蹴って強引に退かすと、体勢を整えようとする。だが、それよりも妖が手を出してくる方が早かった。
「アッ」
 手拭いが裂かれて髪が宙に舞う。真黒い艶の有る髪は短く切り揃えられている。長めの前髪に比べ、襟足は短く刈られている。そして、その頭頂部に、耳があった。
「……あ、アンタ……」
「面倒な」
 一護の表情に顔を顰め、ピクリと頭の耳を動かす。髪と同じく艶の有る黒い毛で覆われた耳は尖っていて、猫を連想させた。
 なにがなんだか解っていない一護でも、説明してもらう時間がないことくらいは解っている。先程から近くにしゃがみこんで頭を抱えている少女に覆い被さるように伏せる。
「お兄ちゃん」
「大丈夫」
 笑って見せると、少女は安心したように強張っていた顔を綻ばせた。こうやっていても本当に守れているのかは解らない。
 ただ一護には、こうしていることくらいしか出来なかった。

 2人で顔を伏せて暫く、肩を軽く叩かれた。
「終わりんした」
 そういう顔は、困ったように柳眉を寄せている。その頭にはもう手拭いが巻かれていた。
「今日見た事は夢幻。みな夢でありんすぇ。忘れなんし」
 一護の目に手を翳して、囁くように呟いた。
「忘れろって言ってもな」
「私の事も、あの妖の事も、総てお忘れ」
 グラ、と眩暈がする。
 世界が歪む。
「貴方とこの少女の霊、そして妖の住む世界が違うように、私と貴方の世界も違う。お忘れなさい。それが貴方の為にもなる。
 ――お幸せに」
 その言葉を最後に、一護の意識はプツリと途絶えた。

 気が付いた時には、争いの爪痕だけ残して、その人も少女の霊もいなくなっていた。

 ***

 少女の手を引いて歩いていった先に、朽ちかけた大木があった。
「お帰り」
 ニタリと粘つくような笑みを見せて、木に背を凭れさせていた白い影が身体を起こす。
「……性悪」
「ははは、やっぱりそう言うか」
 その顔は、先程の男と同じ。
「わざわざ日時を指定しているから、なにか有るとは思いんしたが」
「そういう顔をするな、雨竜」
「触りんせんでくんなまし」
「そうやって睨んでも、怖かねぇよ」
 フツフツと笑う男に、雨竜は少女の霊を見せる。
「この子。この子は素直にあちらに送ってやってくんなまし」
「何故?」
「…………」
「俺と同じ顔の男に、言われたからか?」
「関係ありんせん」
「嘘だな」
 お前は嘘を吐くのが下手だ。
 ビクビクしている少女に、雨竜はしゃがみこんで微笑んだ。
「もう大丈夫。またお友達と遊べるよ」
「お姉ちゃん……それ、本当?」
「――私は、男だよ」
「えっ」
 驚いている少女の頭を撫で、雨竜は男を冷たい目で見た。
「この子に手出しは――」
「しねェよ。好きにしな。そんな餓鬼に興味なんてねぇ」
 男はそういうと、面倒臭そうに手を振る。安心した雨竜は、安心させるように少女の頭を撫でた。
「それにしても、どうする? きっとアイツは忘れない。お前を探すだろうなァ?」
 その背中に、声がかかる。如何にも楽しんでいる風な声を打ち消すように、雨竜は目に力を込めた。
「それは、私には関係のない話」
「冷たいな。あぁ、もうすぐやつの目が覚める。本当に忘れているかどうか、楽しみだなァ雨竜?」
 どんなにきつく睨んでも、男はヘラヘラと笑って懐から取り出した水晶玉を透かして見ている。雨竜は苦々しい顔でその場を立ち去るしかなかった。


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 説明不足絶好調な1話目でした。

 以下蛇足な説明を少々。
 一護→普通の人間。でもあのルックスの為に倦厭されがち。本当は、親から貰った小太刀ってのが斬魄刀みたいな能力を持っているんだけど、一護はまだ気付いてません。
 雨竜→妖退治の一族。普段は手拭いで耳を隠している。
 増えすぎて邪魔になった妖(あやかし/要するに虚みたいなもの。人間の魂魄に限らず、九十九神のようなものでも邪に転じたもの全てを指す)を滅ぼす能力を持っている、元は人間。白崎から与えられた猫のような耳で敏感に妖の気配を察知することが出来る。
 白崎のことや自分の立場などを考えると、普通の人間である一護にはこれ以上関わって欲しくないと思っている。
 白崎→雨竜を好きなように使ってる人型の妖。
 強大な力を持っていて、人でも魂魄でも妖でも、自分の邪魔になるものは躊躇いなく排除する。
 雨竜を貢物として貰って以降、妖は雨竜に退治させている。(楽だし見ていて面白いから。)
 雨竜を自分のものだと思っているが、靡かないので不服。まだ手は出していない。

 そんなお話。
 ちょっと妖怪っぽい話が書きたかったときに書いたネタ。




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