白黒メタフィジカル



 ここは、誰もいない。
 いつも静かで、一人きりだ。

「こんばんは」
 突然目の前に現れた黒衣の男に、俺は目を細める。
 燃えるような紅い瞳が印象的だ。その髪も、瞳と同じように深い真紅。真っ白な肌に、唇だけが紅く濡れて見えた。
「――誰だ、お前」
「…随分とご挨拶ですね。いきなり『誰だ』ですか。ご自分が名乗らないのにそれはないでしょう?」
 にこり、と笑顔を作る目元は笑っていない。
「それもそうか…」
 自分がアイツに言った言葉を思い出して、苦笑いする。そんな俺の間の前に佇んでいる男は、座り込む俺を覗くように上半身を折った。
 眼鏡越しに紅い瞳が俺を射る。
 左目を眇めて不快感を露にすれば、相手は意地の悪い笑みを浮かべた。

「で?」
 尋ねると、その男はまた姿勢を正す。
 真っ直ぐに立つ姿には、妙に目を惹かれた。
「何しに来た?」
 不遠慮な俺の言葉に、男は首を傾げて。
「何しに来た…?」
 同じ言葉を繰り返す。
「目的は」
 短く問えば
「目的…?」
 また繰り返して、にやり、と唇を歪めて目を細めた。

 意図の解らない存在というのは、確実に心をささくれ立たせる。何をするわけでもなく目の前に立たれ、じっと観察されるのは正直不快だ。
 見るな、と言うのはあまりに自意識過剰。
 かといって、その視線が気のせいとも思えなかった。

「見るな」
 耐えかねて言うと、その男は、ふ、と鼻で笑う。仕草の一つ一つがいちいち癇に障って、俺は立ち上がった。
 立ち上がって、気付く。
 相手と自分にはさして身長差がない。ほぼ同じ目線。
 口元だけ笑みを浮かべたその顔は、整っているだけに一瞬目を奪われる。無表情でいたのなら「笑え」と言うことだって出来るのに、目は明らかに笑っていないけれども、口元は確かに笑っているのだ。そうは言えない。
 どちらにしろ、じっと見つめられるのは落ち着かないし、趣味じゃない。
 俺は男を無視して歩き出した。

「どちらへ?」
 その声に視線を投げると、音もなく歩み寄ってきていたらしい男が言った。
「行き場所なんて、あるんですか?」
 本当に腹が立つ。気持ちが悪い。
 俺は思い切り睨みつけて言う。
「煩い」
「失礼」
 そんな視線にも小さく肩を竦めただけで応えた男は、全く悪びれていない口調で答えて隣に並んで歩く。
「ついてくるなよ」
 暫く沈黙を保ったまま数歩遅れてついてこられ、その状況にも苛立った俺は、耐えかねて口を開いた。
「…偶々でしょう。行く先が一緒なだけですよ」
 ふ、と声色を柔げた男を見ると、僅かに目元が笑っていた。が、一瞬でその表情は消えてしまい、また小莫迦にしたような視線で俺を見る。
「行き先が一緒だってンなら、『どこに行く』とか聞くな」
「――それも、そうですね…」
 言い返した俺に小さく呟いて、男は俺と歩幅を合わせた。

 黙って、同じ速度、同じ歩幅で隣を歩かれる。
 気になって時折横目で見てしまう俺と違って、相手は真っ直ぐ正面を向いたまま。何を考えているのか、さっぱり解らない。無性に、苛苛した。 
 と――男の足が止まる。
 つい俺も足を止めてしまい、そんな自分に舌打ちした。

 目だけを動かしてみると、男はまた、目元だけ冷たい表情の笑みでこちらを見ていた。

「やっぱり、お前、誰なんだ」
 もう一度問えば、男は諦めたように肩を竦め、軽い溜息の後で言う。
「そんなに知りたいんですか? 仕方ないですね」
「腹立つな、その言い方」
 思い切り顔を顰めた俺に、男は俯きがちな顔から上目遣いに視線をよこし、しばらく考えるように斜めを見てから言った。
「私は――私ですよ」
「私?」
 一人称に引っ掛かる。そして、同時に言葉の意味も捉えられなくて俺は眉を寄せる。
「ええ。」
 にこり、と笑うその表情からは、それ以上答えようという気は見えなかった。
「だったら…」
 俺は何とかして正体を暴きたいと思い、考えて、言葉を紡ぐ。
「お前は、なんだ?」
「なに…?」
 その質問に、いつの間にかまた正面を向いていた男は、ゆるり、と首を回した。
「私は、   ですよ」
「あ?」
「ですから    だ…と」
 その部分だけが、どうしても聞き取れない。なにか表面を上滑りしていくような言葉が流れる。言葉だ、単語だ、と認識はあるのだが、頭の中までは入ってこなかった。不可解さを隠そうともしなかった俺に、男は無表情に言う。
「知ったところで、貴方にどんな関係がありますか? 関係、ないでしょう。
 私が誰で、もしくは何で…何の為に此処に居るのかも、貴方には、関係がない筈だ。 そう、貴方に声をかけたのも、ちょっとした気紛れ、それに過ぎない…」
 俺に言い聞かせるように、そして自分にも言い聞かせるが如くゆっくりと言葉を区切って答える。
「…ない、かも知れないが、ある、かも知れないだろ」
 そうは言われても、簡単に「はいそうですか」とはいかない。少なくとも今までこの世界にこんな男は居なくて、自分に係わってくるような相手は限られていて、その連中とコイツは明らかに雰囲気が違っていた。
 敵だとか味方だとか、そういう考えは持ち合わせてはないが…確かにコイツは、異質だった。

「かも知れない、ね…」
 俺の答えに小莫迦にしたように頭を反らせて、見下すような視線を投げてくる。
「文句あるのかよ」
「いえ、別に。」
 しれっと答えて、男は歩き出す。
「……」
 振り返ろうともしない後姿が恨めしかった。

「はぁ…」
 大きな溜息をついて歩き出す。
 今度は何故か、俺がヤツの後を追っていた。

 この世界の王様はアイツで、まだ主導権は俺にはない。
 そして此処は何時だって静かで、俺は一人きりだったんだ。
 不意に迷い込んできた男に、惹かれ始めている自分に気付いた。




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -