After Sods



 ――相変わらず何もねぇ部屋。
 一護は小さな流し台の前に立ち、慣れた手つきでお茶を淹れながら部屋を見回した。
 部屋が片付いているというよりも、無駄なものがないから散らかりようがない、というのが事実なようだ。ただ、以前感じたような生活感のなさなんてものはなく、むしろ居心地の良い空間になってしまっている。
「石田、お茶飲む?」
「あ、うん。ありがとう」
 聞かずに用意した2つのカップを手に尋ねると雨竜は読みかけの本から視線を外さないで言う。一護は雨竜の目の前に薄い水色のカップを置くと、自分はテーブルの向かいに腰掛けオレンジのカップを両手で包んだ。
 2人はだいたいこんな感じだ。一緒に居ても、特に何か共通のことをするわけではない。
 一緒にDVDを観よう、なんてことは滅多にない。雨竜は本を読んでいるか裁縫をしているか。一護もそんな雨竜の向かいで雑誌をめくっているか、持参した携帯ゲーム機で遊んでいるか、ぼんやりと雨竜を見つめているかだ。
 時には一緒にテレビを見ていることもあるが、気付くとまた、お互い勝手なことをしている。
 それを別に寂しいとか変だとかは思わない。恋人同士なら一緒に居るなら何かもっと別にすることがあるんじゃないか、と突っ込まれかねないとは思うが、一緒に居るだけで幸せなのだ。自分の趣味に無理に雨竜を付き合わせるつもりもないし、雨竜とて一護に共通の趣味を持とう、なんて提案してはこない。同じ空間に居ることが大切なのだ。何もかもを自分と同じに、なんてことは考えていなかった。なんだかちょっと家族化しているようで、くすぐったいような複雑な気持ちになることはある。でも甘い恋人っぽいことを特に求めていない以上、これでいいのではないかと思う一護だ。
 ――家族かぁ。
 雨竜の横顔を見つめて一護はちょっと深い息を吐く。
「どうしたんだい?」
「え? なにが?」
「なにが、って。今溜息ついただろう」

 ――あ、気にしてくれていた。
 そんな些細なことでニヤけそうになる。いや、実際にニヤける。一護の表情の変化に嫌な顔をして、雨竜はまた本に目を落とした。
 気にするだけ損をした、とは思っていないだろうけれども、たいしたことじゃない、と判断されたのだろうことは想像に難くない。実際たいしたことではない。ただ、雨竜を自宅に連れて行ったら――今までのようにクラスメイトとしてではなく、特別な存在として連れて行ったら、どうなるのだろう。なんて思ってしまっただけだ。
 ――どんな反応するんだろうな。
 妹たちからは軽蔑されるだろうか。気持ち悪がられるだろうか。自分がそういう目で見られるのは仕方がないが、それで雨竜の本質からも目を逸らして欲しくはなかった。今のまま、トモダチとして連れて行くなら、きっと妹たちとも雨竜は良い関係を築けるだろう。けれど、恋人として紹介したなら? 一護はどうもその勇気が持てない。
 父親はどうだろう。やっぱり長男が女性と付き合っているのではないと知ったらショックを受けるだろうか。いや、それともいつものノリで軽く受け入れてくれるだろうか。どうも読めない。どちらかというと、恋人という存在をからかわれることになりそうでうっとうしい。
 ――誰かに言いたいわけじゃねぇんだけどよ。
 実際、どうしてもノロけたい時にはコンにぶちまけさせてもらっている。不自由はしていない。
 コンにも言えないような内容の時は、本人に言っているから問題はない。雨竜は一護の発言に絶句し、顔を赤くしたり白くしたりするのだけれどもそんなのも可愛いから丸々オッケーだ。
 でも、雨竜を家族として迎えられたら。
 なんだかそれは、ちょっと幸せなことなんじゃないかと思うのだ。
 一護の身勝手な妄想ではあるのだけれども。

 悶々としながら、一護はなんとなく視線を壁に移す。そこにはカレンダーが2つ、並べてかけてあった。
 1つはシンプルな1ヶ月の予定が書き込めるようになっているもの。青い字は雨竜が、オレンジの文字は一護が書き込んでいる予定だ。
「君の予定を僕のカレンダーに書き込まないでくれ」
 とは連日言われているのだが、自宅と同じ程度に目に入るカレンダーだ。なんとなく書き込みたくなる心理は解ってもらえないだろうか。勿論最初から無許可で書いていたわけではなく、そんなこんなを繰り返すうちにこのカレンダーにも予定を書くのが習慣になってしまっただけだ。
 絶対にダメだと言うのなら、書き込みことは止めようと思う。止められると思っている。でもそんなに強く言われるわけではないし、会話の中にカレンダーを参考にしてる部分が大いに見受けられるのだから、止める必要もないんじゃないかと思っているのが現状だ。
 そんな常用しているカレンダーとは別に、もう1つ日めくりカレンダーがかけてある。どこかで貰ってきたものらしいのだが、詳細は知らない。まだまだ残りはたくさんで、壁からドン! と飛び出しているのだった。
 そのカレンダーは、4月1日になっていて、もう何ヶ月も捲られてはいない。いつまでも4月1日だ。
 誰かが見たら、何でめくらないのか、どうしてそんなカレンダーをかけっぱなしにしておくのか、と疑問に思うに違いない。一護とて変だと思わなくはないのだが、そのカレンダーをめくるな、と言ったのは、他の誰でもない一護自身だ。今更そんなことを言ったら怒られるだろう。

「まだダメなのか……?」
「なに?」
「え?」
 口に出していたことに気付いたのは雨竜の反応があったから。ぼんやりしすぎて、独り言を呟いてしまっていたらしい。
「あ〜、なんていうかなぁ、アレ」
 触れてはいけないことのような気がして視線を逸らしつつ、一護は右手人差し指で日めくりカレンダーを差した。
 まだ、必要なものだろうか。
 つい家族なんて妄想をしてしまったから、余計にそんな思いが強く出てしまった。今まで触れずにいた部分なのに、今日は気にせずにいられなかった。
「…………」
 途端に不機嫌そうな空気が漂ってくる。
「アレー……はずさねェの?」
 ――怒られる。
 頭では解っていながらも、つい口をついて出てきてしまう。
 エイプリルフールに告白されて、し返して、――今日だけは嘘吐き・ここでだけは、嘘を吐いても良いから――の名目の元に始まった関係。それを続ける為の束縛。4月1日からめくられることのないカレンダー。
 それを否定してしまっては、まるでこの関係を解消したいかのように聞こえてしまうかもしれない。カレンダーを外すということは、この部屋の中での「嘘だから恋人」だなんていう戯言を止めてしまえと言っているようなものだ。恋人関係を止めよう、と言っているように聞こえるだろう。
 それでも、一護は言わずにいられない。
 このままで良い筈がない。
「君は」
 雨竜の声が硬い。
「止めたいと言うんだな」
 声が平坦だ。感情を押し殺しているように聞こえる。
 そっと様子を伺えば、雨竜は本に視線を落としたままだった。
「止めたいなんて言ってねェよ」
「言ってるじゃないかッ!」
「だからっ!」
 つい、一護も釣られて口調がキツくなる。
「壁掛け時計も電池は切れたまま。カレンダーもめくられないまま。それってどうなんだよ」
「どう、って……」
 おかしいと思わねェの?
 小声になった一護の視線に、雨竜はただ俯いた。
 時間は止められるものじゃない。そんなの、小学生だって知っている。あの時のままじゃない今の自分たちに、『嘘だから』なんて言い訳、必要だろうか。
「あのさ、石田」
「なんだよ、黒崎」
「カレンダー外したからって、なにか変わるわけじゃねーだろ。アレがなくなったからって、嫌いになるわけじゃあるまいし」
 雨竜の返事はない。
「っていうかさ、止めたい、んだよな、正直」
「――ッ!!」
 目を見開いて、雨竜は一護を見る。2秒ほど見詰めた後、不意に眉が歪んで雨竜はまた瞳を伏せた。
「石田、石田」
 立ち上がらず、四つん這いのままで雨竜に擦り寄る。
「話を聞けって、な? 別れ話とかじゃねぇんだから」
 身体を強張らせる雨竜を背中から抱き締め、顔を寄せた。

 それから3分。
「……凄ェ、早い」
 一護の笑いを含んだ声に、雨竜は振り返った。
「聞こえるぜ、石田の心臓の音」
「……? ……あ」
 カァッと頬を染めた雨竜は、一護を振り解こうと暴れだす。一護と接触している時の鼓動の速さを、どうやら自覚していたようだった。
「安心する」
「な、なにがだ」
「嘘じゃできないだろ、こんなのは」
 一護は雨竜の左胸に掌を当てる。
「本当に好いてくれてるんだなーって、安心する。凄い嬉しい」
 ほら石田。
 一護は雨竜を振り返らせると自分の胸に抱き込んだ。
「聞こえんだろ、俺のも」
 距離が近付くにつれ鼓動が速くなる。この胸の高鳴りが、嘘でなるものか。
「お互い、正直になろうぜ石田雨竜」
「黙れ黒崎」
「カレンダー外して、時計の電池、取替えよう」
「黒崎」
「大丈夫だって、あんなんなくても、もう大丈夫」

 ――君が大丈夫でも、僕は大丈夫じゃないよ――

 不満げに呟く雨竜が愛しくて、一護は抱き締める腕に力を込めた。

「嘘じゃなくて、本当に、本気で、マジで好きだ」
「改めて言われると気持ちが悪いなあ」
 そう言う雨竜は、決して不快そうには見えない。時計を掛けるために爪先立ちした一護は笑う。
「なに笑ってるんだ」
 不安定な体勢のところを小突かれてバランスを崩した一護は、そのまま雨竜に覆い被さった。
「退いてくれ」
「イヤだ」
 口唇が触れ合う。
 たぶん無意識に回される腕が心地良かった。
「カレンダー、次のゴミの日に捨てちまおうか」
 壁から外され、床の上に無造作に置かれたそれを見て一護は言う。
「捨てるな」
「でも」
 もう必要ないだろう、と言いながら触ろうとすると、物凄い勢いでひったくられた。驚いていると、気持ち赤い顔で雨竜は眼鏡を押し上げた。
「裏はメモに使える。それに――」
「それに?」
「あぁぁぁぁッッ!」
 雨竜は突然キレる。
「本当煩いな君は。黙れ黒崎。僕のものに触るな。君にはゴミでも僕にとっては違うんだよ。それからあっちのカレンダーにもむやみやたらに書き込まないでくれるかな。捨てられなくて困・る。あ」
「困る?」
 にやぁっと上がる口角を、一護は抑えられない。
「なに? お前俺が書置きしたメモとか、わざわざ取ってあるとか言うのか?」
「うるさいうるさいッ黙れ黙れッ!」
「お前って本当に……!」
 そんな可愛いことを言われては、じっとしていられない。抱き締めようとしても逃げ回る雨竜を捕まえようと躍起になりながら一護は
 ――自分の部屋の机の中も、たいがい似たようなもんだな。石田のメモでいっぱいだ。
 と幸せに浸りつつの苦笑いするのだった。




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