Clap
ありがとうございました!
※英国貴族ヤマト坊ちゃんとメイドの続編
ヤマトは16歳になっていた。
爵位を継ぐにはまだ早いが、もう子どものままではいられない年齢になってきた。
幼少の頃からお世話をしてくれるメイドは相変わらずヤマトを甘やかしてくれるが、それでも就寝前に寝室に来てくれることはなくなっていた。
彼女が屋敷で働き始めてから、もう10年以上の月日が経ったことになる。
「ヤマトぼっちゃ…ぅ、じゃなかった、ヤマトさま」
「別に今までと同じでいい」
ヤマトは、使用人から坊ちゃまと呼ばれることが、いつの間にかなくなっていた。
メイドは特に入れ替わりがあるため、新しく入ってきた者はヤマトのことをそうは呼ばない。
外見も含めて、ヤマトが大人に近づきつつある証拠だろう。
けれども彼女はその風潮についていけず、昔馴染みの呼び方でヤマトを呼ぶ。
ヤマトはそれで良かった。その愛らしい声で、いつも通りに声をかけてくれた方が、安心する。
「では、坊ちゃま。本日のティフードです」
彼女も、2人きりのときはすぐに諦め、これまで通りにヤマトを呼んだ。
「本日のメニューは…」
午後の休憩のこの時間だけは、二人きりで過ごせる貴重な時間だ。
使用人と主人が同じテーブルに座って、同じものを食べるということが、このときだけは許されていた。
正しくは、秘密裏に行われているこのひとときを、一部の者は知っているが黙認されているのだ。
「そういえば、エリーナが今月付けで辞めるそうですよ」
「…悪いが一人一人の名前を覚えていない。パーラーメイドか?」
「そうです。わたくしが指導した子ですから少し感慨深くて。良いご縁談があったそうで」
屋敷での経験歴が長くなってきた彼女は、新人の教育係をしたり、部下を持つほどの立場になっていた。メイド長の補佐的な役割だ。
彼女が過ごした10年余りの間に、何人もの新しいメイドが入り、そして大体は結婚を理由に辞めていった。
住み込みの使用人なんて仕事は、女性が家庭を持ちながら働くには不便だ。だから若いメイドの雇用期間は自然と短くなる。
「お前は…その、」
思えば彼女に関しては、縁談といった噂話すら聞いたことがない。
平民階級の出身のため家柄を重視した縁談はなくとも、外向的な彼女のこと、多方面から話が舞い込んできそうだが。
「いや…何でもない」
ヤマトは気になるその事柄を確認することができなかった。
彼女のいない生活など考えられない。
けれども、ヤマトはメイドである彼女と今以上の関係にはなれない。
ヤマトには、将来的に一家を背負って立つ責務がある。
生涯の伴侶に、一介のメイドを選ぶことなどできないと、頭では分かっているのだ。
「わたくしは退職の予定はございませんよ」
「…そうか」
その言葉に、心底、ほっとしてしまう。
彼女を正式な結婚相手に選ぶことが例えできなくとも、側におきたい。
彼女を慕うヤマトの気持ちは、成長するにつれていつの間にか恋慕へと発展していた。
…なんて、これが身勝手な我儘だということは、百も承知だ。
「それに、もうこの歳ですから嫁の貰い手もありませんわ」
「………」
ふふ、と彼女は笑った。その笑みは、自虐的にも、寂しげにも見えた。
「いくらでもあるだろ」
それほど魅力的な女性なのだから、とヤマトは胸中で続けた。さすがに、口には出せなかった。
「まあ。そんなこと仰ってくださるのはヤマト坊ちゃまだけですわ」
それが、真実なら、良いのに。
このまま、ずっと、彼女を囲ってしまえたら良いのに。
正式な結婚ができなくとも、どうにかして彼女を自分のものにできないかと、これまで何度も悩まされてきた。
自分の立場でメイドと恋人になろうと思えば、愛人のように囲ってしまうくらいしか、方法が思いつかない。
ただ、それはヤマトの望む形ではない。
それに当の本人は、そんな形を望まないのではないか。
彼女は、ヤマトの一番の側近として、理解者として、ヤマトを支えていくことを望むのではないだろうか?
「坊ちゃま?お召し上がりにならないのですか?せっかくのお紅茶が冷めてしまいます」
目の前にいるメイドは、ヤマトの葛藤など露知らずといった表情で言った。
「………」
こっちは、お前のことで、こんなに悩んでんだ。
ヤマトはそう言いたい気持ちをぐっと飲み込んだ。
…彼女に、自分の想いを伝えたら、どんな反応をするのだろう。
そんなことを考えるが、口に出す勇気もない。
ヤマトは目の前に置かれた紅茶のティーカップに手を伸ばした。
成長したヤマトは、午後のティフードの時間にミルクを飲むことはなくなった。
彼女が淹れてくれた紅茶のカップを持ち上げ、鼻に近づける。
ふわりとした良い香りが鼻腔をついた。
それがなんだか、彼女の纏う香りのように思えて、ヤマトの胸がきゅうと締め付けられたのだった。