4:さよなら


菊は鬼灯に「名前なのか」と聞かれると否定する。
だが鬼灯は菊の気持ちを尊重しつつも、やっぱり名前ではないのかという思いが拭いきれなかった。
そこで鬼灯は、同じく幼馴染であるお香に名前は今どうしているかを聞いてみることにした。
その日仕事でやって来たお香から書類を受け取った後、お香に話しかけた。

「お香さん、名前さんって覚えていますか?」
「名前ちゃん?懐かしいわねェ」
「彼女、家の都合で引っ越したじゃないですか。どこへ行ったか知ってますか?」
「エ...さ、さァ...よく知らないわ、大昔のことだし」

お香は実を言うと名前の引っ越した事情も、引っ越し先も知っていた。
だが絶対に鬼灯くんには言わないで、と口止めされていたため、今まで一度も口にした事がなかった。

「どうしたの急に?今までずっと名前ちゃんのことなんて言わなかったじゃない」
「いえ...最近似た人に出会いまして。違う名前を名乗っているというか...名前さんかと聞くと否定されるのですが、どうしても名前さんとしか思えなくて」
「そうなのねェ...でも、世の中にはそっくりな人間が3人はいるって言うじゃない?」
「鬼にそれは適用されるんですか?」

鬼灯様だって白澤さんと似てるじゃない、と言おうとしたが、機嫌を損ねそうなのでお香は黙っておいた。

「...今だから聞くけど、鬼灯様って名前ちゃんの事好きだったの?」
「知ってたんですか?」
「態度があからさまだったから...」
「...そうですか。好きでしたよ。何なら今でも好きです。今まで何人もの女性と付き合った事がありますが、名前さんを超える人は現れていません」

お香はそれを聞いて、そこまで好きだったのかと絶句した。
だが名前に口止めされている限り言う事はできず、お香はそうなのねェと適当に返事をしてそこを去った。


そして変化は突然やって来た。
鬼灯が年末にも関わらず忙しく仕事をし、視察が終わって歩いて帰っていた時だ。
店の髪飾りを見つめている、よく見知った姿を見つけたのだ。
着物を着ていて髪を結い上げている。
だがあれは紛れもなく、

「菊さん」

菊と呼ばれたその女性は、あまりに近くで話しかけられたため訝しげな顔で鬼灯を振り返った。

「...人違いです」
「では名前さんですか?」
「はい、そうですけど」

鬼灯は目を見開いた。
ずっとずっと会いたいと思っていた相手が、目の前にいるのだ。

「もしかして...鬼灯くん?」
「...そうです。お久しぶりです」
「...お久しぶり。元気だった?」

名前はにこ、と笑って鬼灯にそう言った。
その笑顔が初めて会った時の菊そのもので、鬼灯は思わず眉根を寄せた。

「...やっぱり菊さんじゃないですか?」
「その菊さんって誰なの?」
「...いえ、すみません...。今何してるんですか?」
「まぁ...色々。久しぶりに時間ができたから地元の方に帰ってみようかなって」

鬼灯は会えて嬉しいはずなのに、菊ではないかという気持ちが入り混じって上手く接する事ができない。
そんな鬼灯に名前は近寄り、背と手を目一杯伸ばしてポン、と高い所にある鬼灯の頭を撫でた。

「鬼灯くん、おっきくなったねぇー」

にこにこしながらそう言う名前に、鬼灯は当時の気持ちがぶわ、と溢れ出した。
彼女は変わっていない、相変わらず可愛らしくて素直で純粋なままだ、と。
そしてやっぱり名前が好きだ、と。

「さっきから固まっててどうしたの?...あ、もしかして〜...そんなに私に会えて嬉しい?ふふっ」
「...ええ、嬉しいですよ。とても。ずっと会いたかったんですから」
「ふふふっ。私もだよっ」
「この後時間ありませんか?」
「え?...まぁ、なくはないけど...」
「ご飯食べに行きませんか?」
「えー!行きたい!」
「マッハで仕事を終わらせるので、ちょっと待っててください。場所は...」
「あ、私この辺変わりすぎてて全然分かんないから、どこか職場の近くで待ってるよ?」

閻魔庁の近くに待たせるような場所があっただろうか。
しかしあったとしても何時間も待たせるのは可哀想だ。
鬼灯は黙って考えていると、ふとある考えが頭を過ぎった。

「...じゃあ、私の部屋でもいいですか?」
「きゃ〜!やだ!何言ってんのエッチ!」

名前は茶化すようにそう言った。
確かにあわよくばという考えが無いと言ったら嘘になるが。

「そういうつもりで言ったんじゃないです。何時間もファミレスで時間を潰すのは酷でしょう。私の部屋で寛いでいて構いません。散らかってますけど」
「鬼灯くんがそれでもいいなら...」
「大丈夫です。行きましょう」

鬼灯は菊といるような感覚が抜けず、つい手を繋ごうと手に触れてしまった。

「っ、すみません」

触れてすぐに彼女は菊ではないと気付き、パッと手を引っ込めた。
食事に誘い手まで繋ごうとし、ガッツいていると思われただろうか、そんな風に思った。

「ふふふ。大丈夫だよ。昔よく繋いでたじゃん」

そう言って名前は自ら鬼灯に手を絡めてきた。
鬼灯はまるで少年のように、繋いだ手が甘く痺れるのを感じた。

「(ガキか...)」
「行こ?」
「...はい」

鬼灯様が女性と手を繋いで歩いている、と二人が道を進むたびに周りの人がザワザワとした。
中にはショックを受けて膝から崩れ落ちる女性もいた。

「...なんか、さっきからずっとザワザワしてるけど...やめた方がいい?」
「いえ。やめる必要はありません。周りは気にしないで下さい」

周囲を無視して鬼灯の部屋に着き、鬼灯は名前を部屋の中へ入れた。

「寝ててもいいです。ゆっくりしていて下さい」
「ありがとう。お仕事頑張ってね」
「頑張って終わらせます」

そう言って鬼灯は来た道を戻っていった。
名前は鬼灯の部屋を見回し、散らかってるなぁ片付けたいなぁと思ったが、下手に触るのも良くないと思い放置する事にした。
寝ててもいい、と言われたのを素直に受け取り、鬼灯のベッドに寝転んでみた。

「(...鬼灯くんの、匂いだ)」

名前は鬼灯の香りに包まれて胸が高鳴った。
今更言うまでもないが、名前は菊だ。
何度も抱かれてはいるが、ここまできちんと嗅いだ事なんてない。

「(このままずっと、ここにいられたらな)」

そんなことを考えながら、名前はそのまま眠りに落ちた。


数時間経って、鬼灯が部屋の扉を開けた。

「お待たせしま...」

入ってすぐに、ベッドで眠っている名前が目に入った。
自身のベッドでスヤスヤと可愛らしく眠っている。
そんな名前を見て鬼灯は名前に触れたい気持ちに駆られ、ベッドに近付いて名前の頬に触れた。

「ん...」
「すみません、起こしてしまいましたか」
「...大丈夫、ごめん、寝ちゃってたみたい...」
「大丈夫ですよ。お腹は空いていますか?」
「...うん。ご飯いこ?」

鬼灯は名前を連れて閻魔庁を出て、少し高めの和食の店に入った。
個室に案内され座ると、名前は周りがとても静かな事に気が付いた。
安い居酒屋と違って酔っ払いのうるさい声や下ネタも聞こえない。

「ねぇ...ここ、高いんじゃないの?」
「心配しないで下さい。出させるつもりは無いので」
「そ、それはだめだよ...!ちゃんと出すよ...!」
「男と食事に行って財布出させる男こそダメですよ」
「いやほら...男っていうか友達だし...ねっ?友達は普通割りか...」

友達だし、という言葉を聞いて鬼灯は思わず顔をしかめて名前を見た。
その顔を見て名前は続きを言う事をやめた。

「何飲みます?」
「......じゃあ、カシオレ」
「可愛いですね」
「お酒弱いのーっ」

鬼灯は呼んだ店員に酒と適当な料理を注文した。
そして横で拗ねている名前を見て再び可愛い、と思った。

「男にお酒弱いとか言わない方がいいですよ」
「どうして?」
「沢山飲ませて持ち帰ろうなんて輩もいますからね」
「へぇー。じゃあ鬼灯くんもお酒弱い女の子と飲みに行ったらそういう事するの?」
「......それは............相手次第ですかね」
「相手次第ではするんだね......」
「好きな子相手だったらあわよくばって考えるかもしれませんね」
「ええーサイテー」
「男なんてみんなそんなものですよ。だから気を付けろと言っているんです」
「ま、じゃあ、今日は大丈夫だね!」

名前は鬼灯が自分の事を好きだと分かっていて、あえてそう言った。
先程友達だと強調した事もそうだが、脈無しと思わせておいて諦めてくれないかという気持ちからだった。
鬼灯はそんな名前に眉根を寄せた。

「私、今貴女の事好きじゃないなんて一言でも言いましたか?」
「え?」
「そういう危機感のなさの事を言っているんですよ」
「えー......うーん...」

名前は困ったフリをした。
これはダメだ諦めてくれそうにない、と思い、せめて告白は阻止しようと別の話題に変えた。
その後昔話や近況等を話し、そういう雰囲気は無くなっていった、と名前は思っていた。
名前にそこそこ酒が回ってきた頃、鬼灯と名前は店を出た。

「送ります。どこに寝泊まりしてるんですか?」
「実家だよぉ〜」
「じゃあ分かります。っていうか、結構酔ってますよね?」
「んーえへへ、そうかも〜。ごめんねぇ」
「大丈夫ですよ。気分が悪くなったら言ってくださいね」

名前は気分がいいのか鬼灯の腕に絡み付いた。

「私だからって油断しているでしょう」
「鬼灯くんは持ち帰ったりなんてしなそうだなーって」
「それはちょっと男の沽券に関わりますね。持ち帰っても良いですか?」
「きゃ〜!えっちぃ〜!」

名前はケタケタと笑いながら覚束ない足取りで鬼灯と歩く。
鬼灯はハァと溜息を吐いた。
店から名前の実家はそう遠くない。
酔っている名前を転ばせないよう気を遣いながら歩いていると、すぐに着いてしまった。

「懐かしいですね...」
「ねー。よく遊びにきたよねーっ」

名前は鬼灯の腕から手を離し、体を離そうとした。

「わわっ」

するとぐらりと体が傾き、それを鬼灯が受け止めた。
まるで抱き付いているかのように密着してしまい、名前は「あ、マズイかも」と思った。

「名前さん」
「...ん?」
「今日はどうしても言っておきたい事があります」
「ど...どうしたの?急に...」
「...小さい頃からずっと、貴女の事が...」

名前はその先を聞く前に、人差し指を鬼灯の唇に押し当てた。

「それは、言っちゃダメ」

鬼灯は少しキョトンとした後、唇に置かれている名前の手を取って言った。

「どうしてですか」
「......どうしても。お互い辛いだけだから」
「...いえ。それでもこれだけは言わせてください。...好きです」
「.........」

名前はそれを聞いて眉を下げ、悲しそうな顔をした。

「どうしてそんな悲しそうな顔をするんですか」
「.........」
「...すみません、嫌でしたか?」
「...嫌、じゃないけど...」

名前はじわじわと目に涙を浮かべる。

「...嫌じゃないけど...っ言ってほしくなかった...」

結ばれない事は分かりきっている。
だから、菊として間接的に好きだということを聞くよりも、名前として告白される事を何よりも避けていたのだ。
名前は遂に涙が零れ、顔を手で覆った。

「......ありがとう、とっても嬉しい。でも、ごめんなさい...」
「.........」
「...さよなら」
「っ、」

名前はさよなら、と一言だけ告げると、鬼灯が追いかける間も無く走って家の中へと入って行ってしまった。


さよなら
(さよなら、って何ですか)
(どうして泣くんですか)



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