名前が研修のために閻魔庁を出てから11年と少しが経った。
一日視察を含む全272箇所の研修は終わり、今日から再び閻魔庁に戻り、鬼灯の元で1ヶ月の最終研修がある。
転々としていた寮も閻魔庁へと移され、鬼灯の部屋の隣になることが決まった。
二人は数年前の忘年会からずっと喧嘩をしたままだが、名前は自分から謝るつもりはなかった。
謝ったところで上司としてしか見ないということは変わらないし、仕事をする上では私情を出さないので問題ないからだ。
互いに必要以上に関わることもなく、ただ淡々と業務をこなし名前は閻魔庁での仕事を覚えていった。

そんなある日。

「仲直りしませんか?」

一日の仕事を終え日報を提出すると、突然鬼灯からそんなことを言われた。

「...仲直り、ですか?」
「ええ。このままでは色々とやりづらいでしょう」
「ご心配なさらなくとも、私は業務に私情は挟みませんので」
「仲直りする気がないということですか?」
「そんな理由で仲直りのお誘いをされても全く嬉しくないということです」
「...ほう。ではどんな理由ならいいんですか?」
「.........」

名前は考えた。
だが答えは単純だった。
鬼灯が“また名前と仲良くしたい”と思ってくれているなら喜んで仲直りしたいが、仕事がやりづらいからという理由で仲直りを求められても、それは根本的な解決にはなっていないのではないだろうか、と。

「...ご自分でお考えになってはいかがですか?」
「.........」
「お先に失礼します。お疲れ様です」

そう言って名前は執務室を出て行った。

「(“仲直り”できたらよかったんですけどねぇ)」

そんな下衆なことを考えながら鬼灯は仲直りするための手段を考えた。


コンコン、と扉がノックされた。
名前がそれに気付き、こんな夜中に何の用だ、寝ようと思ったのに、と思いながら扉を開けると、扉の前には鬼灯が立っていた。

「...何かご用ですか」
「夜這いをしに来ました」

名前はそれを聞いて急いで扉を閉めようとしたが、ガッと鬼灯の足が差し込まれそれは叶わなかった。

「痛いんですけど」
「そういったご用件であればどうぞそういった所へいらっしゃってください」
「冗談ですよ」

鬼灯は扉の縁を掴み、ギギギと扉を開けた。

「仲直りしに来ました」
「性的な意味での仲直りですか?」
「貴女が望むのならそうしますけど」
「望んでません」

はぁ、と溜息をついて名前は扉から手を離した。

「どうぞ」

名前の部屋はまだあまり物がないというのもあるが、綺麗に整頓されていた。
充満する女性らしい香りに、鬼灯は初めて名前の部屋に上がった時のことを思い出した。
名前は奥にあった椅子をベッドの前に置き、鬼灯に椅子を勧めてから自身のベッドに腰掛けた。

「あの時は意地の悪い言い方をしてすみませんでした」

名前はすんなり鬼灯が謝ったことに驚いた。
ネチネチと責められると思っていたのだ。

「...は、い」
「私は貴女の気持ちが知りたいです」
「私の、気持ちですか...」
「貴女が何を考えてそうなってしまったのか知りたいんです」
「.........」

名前は膝に肘をついて顔を手で覆った。
できれば言いたくない。
だが鬼灯が素直に謝って素直に問いかけてきているのにそれを跳ね除けるようなこともしたくない。
かといって素直に答えて、好きだというのがバレてしまうのも嫌だ。
素直に気持ちを伝えて「すみませんそんなつもりではなかったんです」なんて振られるのが怖いのだ。
だったらこのままの関係でいた方がいい、と。
名前はしばらく考え込んだ後、姿勢は変えぬまま意を決して口を開いた。

「鬼灯くん、が」
「.........」
「......遠くて、」
「.........」
「ずっと同じ気持ちでいちゃダメだ、って...」
「...どういうことですか?」
「......鬼灯くんは偉い人だから、いつまでも友達みたいな感覚でいちゃダメだって、思って...。立場をわきまえて、ちゃんと上司として接さなきゃ、って...」
「.........」
「全然会えないし、寂しいし、でも甘えることなんてできないし......っ、そう思うしか、なかったんだよ...っ」

名前の声が震え始めた。

「寂しいなら寂しいと言ってほしかったです。彼氏なんて作ってないで」
「っ......」
「私はそうやって勝手に離れられていったほうがよっぽど迷惑ですし、心配です」
「...ごめん、なさい...」
「ずっと心配していたんですよ、こちらは彼女も作らずに」
「作ればいいじゃん...モテるんでしょ」
「簡単に言わないでください」
「こっちは鬼灯くんのこと忘れなきゃって思って...付き合ったっていうのに...」
「今もまだ付き合ってるんですか?」

名前は顔を上げて首を横に振り、涙で濡れた顔を手で拭って口を開いた。

「別れたよ...。やっぱり、無理だった」

鬼灯はそれを聞いて内心ホッとした。
まだ手は出されていないようだ、と。

「...もう、疲れた」
「何がですか」
「...人間関係に悩むくらいなら、私は他人とは職場の人として付き合っていた方が楽なの...だから、きっとこれからも鬼灯くんのことは上司としてしか見ないし、一生彼氏も作る気はない」
「どうしてそう極端なんですか...」
「だって、無理だもん...っ」

名前は再度顔を覆い泣いてしまった。
だから私が面倒を見るから何もしなくていいと言ったのに、と鬼灯はひそかに思った。
おそらく職場の人とは職場の人としてしか付き合ってこなかったのであろう。
友達が急に上司になった時の適切な距離の保ち方が分からないのだ。
鬼灯は腕を組んで口を開いた。

「私は悲しいです」
「...っえぇ...?」
「せっかく築き上げてきた名前さんとの距離を離されるのがとても悲しいです。上司と部下になったからといって」
「鬼灯くんは上の立場だからそういうこと言えるんだよ...下に立つ人間の気持ちもわかってよ...」
「じゃあ選んでください。今すぐ仕事をやめて私に面倒を見られ続けるか、オンオフを切り替えて私と付き合っていくか」
「っ......」
「無職じゃ申し訳が立たないという貴女の意見を尊重しての提案ですよ。さぁどうしますか?」
「、そんな...簡単に...」
「ゆっくりでいいです」

鬼灯が名前の頭を撫でた。
名前は懐かしい感覚にまたじわりと涙が溢れた。

「オンオフの切り替え方はゆっくり慣れていけばいいですし、男性関係でお悩みなら私でゆっくり慣れればいいと、前も言いました」
「そんな、上司にそんなこと...」
「今は上司として話してません」
「.........」
「私は名前さんに以前のように接してほしいと思っています」
「......う、ん...」
「そうしてくれますか?」

名前は顔を上げて鬼灯に言った。

「...善処します」
「...よろしい」

その日二人は、およそ十年ぶりくらいに以前の二人のような関係に戻った。

残念なことに翌日からも仕事中の名前の態度は変わらなかったが、少しだけ雰囲気が柔らかくなった印象がある。
そして感情表現が少し素直になった。
今もまさにそうだ。
名前がシャーペンを机の下に落とし、鬼灯がそれを拾って手渡そうとした際に、少し指と指が触れた。
たったそれだけなのに名前はビクッと体を震わせ再びシャーペンを落とした。

「すっ...すみません...!自分で拾います...!」

名前は過剰反応してしまう自分に恥ずかしくなった。
仲の良かった頃は手なんて普通に繋げたし、研修中も仕事として割り切って接していたからここまで反応することはなかった。
だが何年もそうして割り切って接しているうちに男性への耐性はなくなり、鬼灯と出会う前の名前に戻ってしまった。
...今更前のように手を繋いだりするのが恥ずかしいというのもあるが。
名前はしゃがんでシャーペンを拾うとはぁ、と溜息をついて額に手を当てた。
鬼灯は私でゆっくり慣れればいいと言った。
だがやはり名前としてはまだ“上司”という存在を捨て切れていない。
上司にわざわざ「男の人に慣れるための練習をさせてください」なんて頼めない。
いや、部下としてもだが、一女性としてもそれは言いづらい。

「(まるでビッチみたいじゃないか)」

名前はそんなことを考えながら自分の机に戻り仕事を再開した。
あともうすぐで上がりの時間だ。

「(しんどいなぁ...っていうかどうせ鬼灯くんで慣れたとしても多分他の男の人は無理だろうしなぁ...)」
「名前さん」
「は、はいっ!なんでしょう!」
「仕事が終わったら私の部屋で待っていてください」

そう言って鬼灯は部屋の鍵を名前に渡した。

「.........えっ」

鍵を渡したらさっさと仕事に戻ってしまった鬼灯に名前は一人混乱した。

「ちょ、ちょっと待ってください、どういうことですか...?」
「そういうことです」
「分かりません!!」
「お風呂とか勝手に使っていいので」
「いやいやいやいや」
「私はこれから視察に行ってきます。22時頃には部屋に戻れると思いますので、寝てていいですよ」
「いやちょ、」

名前の抗議を聞く間もなく鬼灯は執務室を出て行った。

「ええぇ......」

鬼灯が何を考えているのかは全然分からないが、鍵を渡されてしまった以上鍵を持ったまま自分の部屋で眠るわけにはいかないし、鍵をあけたまま自分の部屋へ帰るわけにもいかないし、結局は鬼灯の部屋へ行くという選択しかなかった。


食事を済ませ、風呂も済ませて、一応化粧は落とさずに名前は鬼灯の部屋へと入った。

「(うわぁ...十何年ぶり...)」

相変わらず鬼灯の部屋は散らかっていた。
鬼灯のベッドに腰掛けると、一緒に寝ていたことを思い出して顔が赤くなった。
何をして待っていたらいいのか分からず、積み上げられている本を読んでみたり(よく分からなかった)、並んでいる金魚グッズを手に取ってみたりしたが、どうにも落ち着かない。
鬼灯が帰ってくる時間まではまだ1時間以上ある。

『寝てていいですよ』

鬼灯のそんな言葉を思い出し、名前は思わずベッドを見下ろした。
そして少し考えた後、コロンと静かに寝転んでみた。

「(う、わ...)」

鬼灯の香りがふわりと名前の鼻孔をくすぐり、ぶわっと一瞬にして顔が熱くなった。

「(めっちゃ鬼灯くんの匂いする......いや当たり前か...)」

もっと近くで感じたい、名前はそんな風に思ってしまった自分を戒めたが、体は言うことを聞かず、布団を捲って被ってみた。

「(ウワ〜〜......)」

約十年前はこの布団で一緒に寝ていたというのに。
今はもうそんな何ともないことのようには思えず、名前はただただ自分の心臓を落ち着けるので精一杯だった。

「(すきだ、なぁ...)」

鬼灯の香りに包まれて思う。
好きだ、甘えたい、一緒に寝たい、また手を繋いだり、キスをされたり、自分からキスをしたりもしたい。
次から次へと好きという気持ちが溢れ、昔の距離感を取り戻したいとも思った。

「(...あれ?)」

はた、と気付いた。
自分は鬼灯と付き合いたいのか?と。
先ほど言った通りのことを鬼灯としたいとは思う。
だが付き合いたいのか問われるとどうなのだろう、と名前はぐるぐると考え始めた。
おそらくここまで好きな人ができたことがないため付き合いたいという感情がよく分かっていない。
今までは告白されたからなんとなく付き合っていただけなのだ。

「.........」

名前は顎に手を当て考えたが、答えは出てこなかった。


「...おや」

鬼灯が部屋に戻ってくると、布団に山ができていた。
布団を少し捲るとスヤスヤと眠っている名前の顔が見えた。
どうやら待っている間に眠ってしまったようだ。
鬼灯は眠っている名前は起こさず汗を流すためにシャワーを浴びに行った。
サッと浴び終えベッドに戻ると、名前はまだ眠っていた。

「.........」

鬼灯は名前が眠っているのをいいことに、布団に潜って上半身だけ名前に覆い被さった。
名前の頬を愛おしげに撫でた後、そっと額に唇を落とした。
そこから瞼、鼻筋、頬、と顔のあちこちに唇を落とす。
つつ、と唇をなぞったところでどうすべきか迷った。
迷ったが、悪魔の囁きには勝てずそっと唇を重ね合わせた。

「.........」

初めて口付けた名前の唇はとても柔らかかった。
だがやはり名前が起きている時にしたいとも思った。
今日鬼灯が名前を部屋に呼んだのは別件で用事があったからなのだが、気持ちよさそうに眠る名前を起こすのも可哀想に思えてきたため、そのまま一緒に眠ることにした。

朝起きると名前は隣で一緒に眠る鬼灯に悲鳴を上げた。



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