閻魔庁での挨拶を終え、新人獄卒として入った名前は、名前用の執務机の上に置かれた膨大な量の資料を見てドン引きした。

「......なんですか、これは...」
「地獄に関する資料とマニュアルです。基礎的なものから応用編まであります。これを二週間で頭に叩き込んで下さい」
「に、にしゅうかん......」
「名前さんは頭が良いので大丈夫ですよ」
「ご期待に添えられるよう努力しますね......」
「分からないところがあれば都度聞いてください。では私は裁判所の方にいますので」

そう言って鬼灯は名前を執務室に残して出て行った。

「二週間でこれは鬼畜だって......」

名前は再度その膨大な量を見て溜息をつき、しかしいつまでも文句を言っていても仕方がないと気持ちを切り替えて、椅子に腰掛け資料を手に取った。

地獄に関する資料を読んでいて思ったのはとても興味深い、ということだった。
地獄には閻魔大王がいる、くらいにしか知識がなかったが、地獄の仕組みが面白くて読めば読むほどのめり込んでいった。

「んん...?結局八寒地獄ってどんなところなの...?」

八寒地獄についてはほとんど記述がない。
だが何も知らないのもどうか、と思いメモ帳を持って鬼灯に聞きに行くことにした。

「鬼灯様」

執務室を出て鬼灯の元へ行くと、鬼灯によく似た細身の男性が立っていた。
その男性は頭に大きなタンコブができており鼻血まで出している。

「(給食当番みたいな格好だな...)」
「どうしました?」
「ああいえ、お取り込み中なら後ででも...」
「全然お取り込みしてないです。ほら用が済んだならとっとと帰れ」
「待って何その子...めちゃくちゃ可愛くない...?」

鬼灯がチッと舌打ちをした。

「(あれ、なんかマズイことしたかな...?)」
「ねぇねぇ、君名前はなんて言うの?」
「えっと...名前です。新人獄卒として研修中の身です。どうぞよろしくお願いします」

そう言って名前は頭を下げた。

「こんな男に頭を下げる必要はありません」
「えぇ...??」
「失礼な奴だな」
「あまり近付かないほうがいいですよ、孕みます」
「え”っ」
「本当に失礼な奴だな」

名前が引いたような顔をすると、細身の男性は両手で名前の手を取りニコニコしながら話しかけてきた。

「僕は白澤。普段は天国にいるから、いつでも遊びにおいでね。君みたいな可愛い子はいつでも大歓げ...」

全てを言い終わる前に白澤は鬼灯の拳によって遠くに飛ばされた。
鬼灯が名前を心配して目をやると、名前は何かを我慢をしているかのような強張った顔をして冷や汗をかいていた。

「名前さん」
「......、あ...」

鬼灯が名前の頬に手を当て優しく撫でてやると、名前は鬼灯を見た後眉を下げて恐怖感を露わにした。
少し呼吸も荒くなっている。

「大丈夫ですか?...いえ、大丈夫ではなさそうですね」
「...大丈夫、です...」
「深呼吸をして、」

名前は言われた通り目を閉じて深く深呼吸をし、鬼灯は名前が落ち着くように反対側の手で頭を撫でた。
白澤はその光景を見て名前の反応にも驚いたが、それよりも鬼灯が女に対して優しく触れていることに死ぬほど驚いた。
ようやく落ち着いた名前は鬼灯を見て小さくありがとう、と呟いた。

「え、何...おたくら付き合ってるの?」
「付っ...!?」
「まだいたんですか?早く帰れ」
「お前には聞いてない!」
「べ、別に付き合って「付き合ってますけど」は!?」
「えええええ!!?」
「鬼灯くっ...」
「ちょっと貴女は黙ってて下さい」

丁度いいタイミングで現れたお香までもが、声は発さずとも大変驚いていた。
何を言っているんだとか、いや私が知らないだけで実は付き合っていたのかとか、第三者にとんでもない誤解をされてしまうとか、名前は頭の中が混乱した。

「おやお香さん」
「鬼灯様に恋人がいたなんて知らなかったわァ...」
「だから違いま、」
「そういうことなので手を出したら殺しますよ、淫獣」
「お前にその子は勿体なすぎる...!」
「...はぁぁ...」

名前は誰も話を聞いてくれないので否定することを諦めた。
やがて白澤は諦めて帰り、お香だけがそのまま残った。

「紹介します。恋人の名前さんです」
「だから違うってば!」
「こちらはお香さん。衆合地獄の主任補佐です」
「あ...よろしくお願いします、新人の名前です」
「よろしくね名前ちゃん。可愛らしい子でいいじゃない」
「そうでしょう」
「だから違うんですって...誤解なんです...」
「そうなの?」
「私は誤解されてもいいんですけどねぇ」
「いけません!」

鬼灯の分かりやすい好意にお香はくすりと笑った。

「(名前ちゃんがその好意に気付いてるかどうかは分からないけど、そのうちくっつくんでしょうねェきっと)」
「それで、結局何の用事だったんですか?」
「や、もういいです後でで。お香さんの話を先に聞いてあげてください。もう勘弁してください」

名前はこれ以上この場にいるのが恥ずかしくなり、そそくさと執務室に戻っていった。

「本当に可愛らしい子ねェ」
「そうでしょう」
「以前言ってた子かしら?」
「そうです。研修が全て終わったら私の秘書にする予定です」
「あらまァ...鬼灯様も隅に置けないわね」

そんな話をしているとも知らず、名前は執務室で溜息をついて机に突っ伏した。


地獄に関する知識を全て頭に叩き込み、名前は研修のために閻魔庁を出て行った。
閻魔庁を出て行く前夜、名前は寂しさや不安が入り混じり泣くまいと思っていたがやはり泣いてしまった。
だが月に一度会えることを糧に次の日からは泣くのはもうやめた。
毎日日報を書き、月に一度、最終日にそれを纏めて研修終了の報告書と共に閻魔庁に提出しに来ること。
つまり月に一度会えるとはいえ、仕事での関係に過ぎなかった。
月一のそれ以外に会えたのは、偶々鬼灯が視察に来た時や、祭り、忘年会等のイベントだけだった。
鬼灯は基本的に毎日のように仕事をしているし、名前は休日はあまり外に出ないため、オフにばったり会うということもなかった。
そしてたまに鬼灯に会うタイミングがあったとしても、以前のように砕けて話すようなことはなくなった。
元から真面目な名前が経験を積んでいくうちに、仕事として付き合っていく意識を持つようになったからだ。
会っても様付けでしか呼ばないし、敬語でしか話さないし、上司と部下、それこそ以前秘書として働いていた頃のような、気を遣ったテンプレートのような会話しかしなくなった。
名前はそれでいいんだ、上司と部下なんだから、と一人で納得し、最初の頃にあったような鬼灯への想いはだんだんと薄れていき、いつの日か“諦め”という形で鬼灯への想いを閉ざした。
だが鬼灯は日に日に事務的な態度になっていく名前に寂しさを感じていた。

そんな日々が続き、閻魔庁を出てから数年経ったある日のこと。
月末の最終日、研修を終えた後に報告書を書き、21時を回ったくらいの頃に名前は閻魔庁へと向かった。
月一の報告をするためだ。
おそらくまだ鬼灯がいるであろう執務室の扉をノックし、失礼しますと声をかけて中に入った。

「お忙しい所失礼します。月一の報告書を提出しに参りました。只今お時間宜しいでしょうか」
「...いいですよ」
「ありがとうございます。今回如飛虫堕処にて研修をさせて頂き...」

鬼灯は名前から報告書を受け取ったがそれを読まず、淡々と報告をする名前の顔をじっと見た。
名前はやりづらいな、と心の中で思ったが顔に出すことなく簡単な報告を続けた。

「...以上です。」
「大変分かりやすい話し方で何よりです。お疲れ様でした」
「ご質問等ございますか?」
「まだ報告書を読んでないのであれですが、今のところ無いです」
「かしこまりました。では私はこれで失礼します」
「...あ、待ってください」

一礼してその場を去ろうとする名前を、鬼灯が引き止めた。

「はい、いかがされましたか」
「この後用事はありますか?」
「...いえ、特に用事はありませんが...」
「では食事に付き合ってください」
「あ...はい。かしこまりました」

名前は数年ぶりに鬼灯と食事に行けることに一瞬嬉しくなったが、これはプライベートではない、仕事上の付き合いだ、と自分を戒めた。

鬼灯に連れられて入ったのは静かそうな個室の居酒屋だった。
店員に席を案内され、名前は先に鬼灯が入るよう促したが、背を押されて先に入れられてしまった。
そして上司を上座に、と当たり前のように手前の椅子の側に立ったが、背後から鬼灯が名前の肩を掴み、奥に追いやられて座らされてしまった。
冷静に考えれば上座に座らされた、というだけの些細な出来事なのに、名前は鬼灯に女性扱いされたことに嬉しくなってしまった。

「お酒、飲みます?」
「いえ、私は...」
「たまには息抜きも必要ですよ」
「...では、少しだけ」

名前は鬼灯の言葉に甘えて久々に酒を飲むことにした。
だが上司の前であること、迷惑はかけられないこと(むしろ上司を介抱しなくてはならない側)を考え、名前は元々弱いというのもあって本当に少しずつしか酒を飲まなかった。
だが鬼灯はそれが面白くないようだ。
互いの近況の話をしても、名前は静かに笑い、鬼灯を褒め、立てて、時々飲み物はどうするか気遣いをするだけだった。
飲みに行っても上司としてしか接してくれない名前に、鬼灯は内心悲しくなった。
泣き虫で照れ屋で意地っ張りで、でも自分に素直で笑顔の絶えなかった彼女はもう見れないのか、と。
鬼灯はそんなことを考えながら名前の目をじっと見つめた。

「...あの、何かついてますか...?」

視線に耐えかねた名前は手で自分の顔を触り始めた。

「いいえ、ついてませんよ」
「そうですか...」

じゃあ何だ、と名前は思ったがこのまま黙っておくことにし、ついでに目を合わせ続けるのが恥ずかしいので視線をテーブルに落とした。
鬼灯はしばらく名前を見つめた後、テーブルの端に置かれた名前の手を見て、反応を伺うようにそっと自分の手を重ねた。
そして徐々に力を込め優しく手を握る。

「......っ」
「.........」

名前の手がピクリと反応し、少しオロオロとした後、名前は静かに手を引いた。
鬼灯と名前の手は再び離れた。
ふと首元に目をやれば、あれほど大事にしていたネックレスも、もうついていなかった。
鬼灯はああもうダメなのだな、と思い手を引き、酒を煽った。
こんなことなら研修になど行かせるんじゃなかった、と身勝手なことを考えながら。
もうそれ以上何かを言うこともできず、二人はその後店の前で解散した。



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