12


名前の誕生日当日がやってきた。
名前は無事定時で上がることができ、会社を出る前にトイレで化粧直しをした。
今日はちょっとした仕事を後輩に頼んだらミスしてしまい名前が上司に謝罪することになったり、上司の友人が急に面会に現れて名前にセクハラをしていったり、なんてことがあったため少し顔が疲れている。

「まぁ、そんな日もあるよねー...」

そう鏡に映る自分を励まし、この後の食事のためにも気持ちを切り替えることにした。

会社から歩いて数分の大きな駅に着くと、相変わらず人でごった返していた。
会社の最寄り駅で待ち合わせと言っていたが、名前は連絡手段もないこの状況でお互いを見つけられるのか不安になってきた。
一通り辺りを見回したが鬼灯はいないようなので、とりあえず分かりやすいようにと、駅入口の壁際に立つことにした。

「お姉さん、お仕事帰り?」

こういう大きな駅で待ち合わせしていると必ず遭遇するのがナンパや夜のスカウトだ。
相手は30歳くらいのスーツを着た男性だった。
おそらくナンパだろう。

「...そうですけど」
「お姉さんすっごい好み。これから飲みに行きません?」
「人と待ち合わせしてるので」
「それって女の子?だったら一緒に...」
「男です」
「そんな男ほっといてさ、俺と飲みに行きましょうよ」
「...っしつこいです...!」

名前は中々引かない男の横を通り過ぎ、場所を移動して撒こうとした。
だが男はそれでも付いてくる。

「(も〜...鬼灯くん早く来てよ〜)」

そんなことを考えながら余所見して逃げていると、誰かとぶつかってしまった。

「ぶっ...!...す、すみません」
「いえ」

名前が顔を上げると、鬼灯によく似た人物が立っていた。
失礼だと思いながらもそのまま顔をじっと見ていると、後ろから追いかけていたナンパ男が名前の肩に手を置いた。
名前はうわ、と嫌そうな顔をして振り向くと、先程ぶつかった男性が名前の後ろからナンパ男の手を払って、名前の肩を抱いて引き寄せた。

「何か御用ですか」

ナンパ男は名前を抱き寄せている男を見ると、その長身と睨むような視線に怖気付いたのか小さく謝ってどこかへと消えていった。
名前はナンパ男が去ったのを見届けると、肩を抱いている男を見上げた。
やっぱり鬼灯に似ている。
男は名前の肩を離すと名前に向き合って言った。

「お待たせしました」
「えっと...誰...?」
「.........」

男は眉根を寄せて下目遣いで名前を睨んだ。

「(こわっ...)えっと...鬼灯くん...?」
「分かってるなら最初からそう言いなさい」
「えっ?えっ?どうしたの...?」

鬼灯はネイビーのストライプシャツに黒スキニー、そして濃いめのグレージャケットを着ていた。
髪もきちんとセットされていて、擬態薬を飲んだのか耳や角までも人間と同じそれになっていた。

「まって、どこに食べ行く気?私スーツ...」
「今から着替えに行きますよ」
「ちょ、」

鬼灯は名前の手を引いて駅ビルへと入っていった。

「(どうしよう...めっちゃかっこいい...)」

レディースファッションのフロアに行き良さそうな店に入ると、鬼灯は店員に言った。

「今からレストランに行くのでそれっぽい服をお願いします」
「かしこまりました」
「はっ!?なにそれ聞いてな...」
「こちらなんていかがでしょう」
「いいですね。試着してきてください」

店員はニコニコと笑顔を浮かべながら紺のワンピースを鬼灯に勧め、名前は抗議する間も無く試着室に押し込まれた。
名前はあまり状況が分かっていない中、渡されたワンピースを見た。
紺一色のノースリーブワンピースで、胸元から上がレース生地になっている。
状況的にも着ないと怒られそうなので、フェイスカバーを着用し仕方なく着替えた。
そっと試着室のカーテンを開けると、目の前で腕を組んだ鬼灯と先程の店員が待っていた。

「あら!とってもお似合いですよ〜!」
「あ...ありがとうございます...」
「少し肌寒いと思うのでこちらのカーディガンと、パンプスもご用意しました」

店員が薄手のグレーのカーディガンと、白いパンプスを名前に渡してきたので、大人しく身につけた。

「あとこちらのクラッチバッグもどうぞ」
「いいですね。これください。このまま着ていきます」
「かしこまりました」
「えっ...!?」

会計に向かう鬼灯を、名前は慌てて脱いだスーツとバッグを掴んで追いかけた。

「いっ、いいって、払うよ...!」
「貴女はちょっと黙ってなさい」
「ええ......(怒られた...)」

店員は脱いだスーツを名前から預かり、丁寧にショップバッグに入れてくれた。
鬼灯が支払いを終えショップバッグを手にすると、名前を連れて店を出た。
後ろから「楽しんできてくださいね、またお待ちしております」と店員の声が聞こえた。

「あの...ありがとう」
「いえ。似合ってますよ」
「っ......」

普段言われても特に照れることなどないのに、鬼灯の雰囲気が違うせいか名前は顔が赤くなった。
そのまま互いに言葉を発することなく、少し歩いて高層ビルに入った。
色んな施設やオフィスが入っているが、上層階にホテルが入っていて、少しお高めのレストランも入っているビルだ。
エレベーターに乗り目的の階に着くと、名前は足を踏み入れたことのない雰囲気に緊張が増した。
荷物をクロークに預け、スタッフに続いて席に着いた。
夜景が目の前に広がるカウンター席で、二人で並んで座るタイプだ。
夜景を見ながら呆然としていると鬼灯がサッと注文を終え、名前は手慣れている鬼灯に疑問を持ちながらナプキンを膝に敷いた。
名前は大きな声にならないよう静かに話しかけた。

「鬼灯くん、こういうとこ来たことあるの...?」
「ええ、まあ」
「えっ...!?誰と...!?」
「さて、誰でしょうね?」

実際は向こうの世界で現世視察に行った時にお香を誘って行ってみただけなのだが、あえてそれを言うこともなく鬼灯ははぐらかした。

「名前さんは?」
「あるように見えます...?」

秘書として様々な勉強をする中で知識としては勿論知っている。
だが特に誰かと来る機会もなかった。

運ばれてきた料理は高級そうな(実際に高級なのだが)イタリアンだった。
乾杯してワインを口に含むと、口にしたことのない芳醇な香りが広がった。

「おいしい...」
「それは良かったです」

名前は慣れないテーブルマナーに気を遣いながら料理を堪能し、デザートが来るまでの間にちらりと鬼灯を見た。
視線に気付いた鬼灯が名前に目を向けると、名前はサッと顔を逸らした。

「(ぐおお...かっこいい...なんなの...いや元々顔は整ってるけど...!)」
「...なんですか?」
「...いえ...なんでも...」
「ほう。せっかくお洒落してきたのに名前さんは何も言ってくれないんですねぇ」
「!?」

名前がバッと鬼灯の顔を再び見ると、鬼灯は余裕そうな顔でこちらを見下ろしていた。

「(ぐっ...かっこいい...)」
「.........」
「あの...えっと...その......大変かっこゆうございます...?」
「日本語おかしいですよ」
「いやその...あの...はい...かっこいいデス...」
「...どうも」

そんな話をしていると、スタッフがろうそくの刺さったミニケーキを運んできた。
皿には“Happy Birthday”と文字が書かれている。

「お誕生日、おめでとうございます」

鬼灯はそう言って、懐から黒いスエード生地の箱を取り出して名前に渡した。

「え...」

名前は突然のプレゼントに驚いていたが、鬼灯の顔をちらっと見た後、恐る恐る蓋を開けた。
中には有名なジュエリーブランドの文字が書いてあり、仕事で付けて行っても差し支えのなさそうなシンプルなネックレスが入っていた。

「いいの...?こんな高価なもの...」
「名前さんに付けて欲しいから買ったんですよ」

鬼灯は固まっている名前の手から箱を取り、ネックレスを取り出した。

「後ろ向いてください」

背を向けた名前の前に手を回し、金具を後ろに持ってきて留めた。
髪をふわっと整えてやれば完成だ。
鬼灯が名前を前に向かせると、名前は目に涙を浮かべていた。
唇を噛み締めているところを見ると、ここで泣いてはいけないと必死に溢れる気持ちを我慢しているようだ。

「っ......ありがと...」
「はい」

鬼灯による数々のサプライズを受けて、名前は感謝の気持ちを持つと共に自分の気持ちに気付いてしまった。
自分を大事にしてくれる鬼灯のことが好きだ、そしてきっと自分はもっと前から鬼灯のことが好きだったのだ、と。
なぜ弟としか見ていない鬼灯に対して照れたり恥ずかしい気持ちを持ったりしていたのか、今ならよく分かる。
だがその想いを口にしたところで、と一瞬で色々なことを考えた。
嬉しい気持ちと悲しい気持ちとが入り混じって更に涙が溢れそうになった。

「っ...た、食べよっか...」
「そうですね」

しかしここで泣いてはいけない、と気を紛らせ涙を飲んだ。

こんな気持ちになったのは初めてかもしれない、と名前は食後に化粧室へ行って思った。
鏡で自分の顔を見ると情けない顔をしていた。

「(他人を本当に好きになったことなんて、今まで本当になかったんだなぁ...)」

そう思えるくらいに名前は自分の変化に気付き、驚いていた。

「(ここに来て今更だけどどんな顔して戻ればいいんだろ...)」

はぁ、と名前は溜息をついた。
いつまでもここにいても仕方ないと思い、意を決して化粧室を出て席に戻った。
会計は既に終えたようで、そのまま二人でレストランを後にした。

「...半分出そうか?」
「誕生日くらい奢られてなさい」
「...ありがとう。ご馳走様です」

そんな会話をしながら呼んですぐに到着したエレベーターに乗り込んだ。
扉を閉めると、鬼灯が手と手を絡めてきた。
いつものような手繋ぎではなく、これはいわゆる恋人繋ぎというものだ。

「(...手が、熱い)」

普段からしていることだったのに、気持ちが変わったというだけでこんなにも特別に感じることなのか、と名前は思った。
そして名前は沈黙を破るように口を開いた。

「...あのね。今までこんなことしてもらったことなくて...その......。...すっごい幸せだな、って思った。本当にありがとう。」
「...何情けない顔してるんですか」
「っ......」

ばれた、と名前が思っていると、鬼灯がふわりと名前の髪に触れ、名前が顔を上げた。
名前と鬼灯の目が合う。
互いに何も言葉を発さずじっと見つめ合った後、鬼灯はじっとしている名前の額に、そっと唇を寄せた。

「っ......!」

名前が目を見開くと、鬼灯の唇はすぐに離れた。

「な......に...」
「...嫌ですか?」

抗議の言葉も、拒絶の言葉も出てこなかった。
名前はまた情けない顔になり、しかし何を言ったらいいのかも分からなくて、俯いて小さく首を横に振った。
きっと今までの名前なら恥ずかしいという気持ちしか湧かなかったと思うが、気持ちを自覚した後だと“遊んでるのか?”“男慣れさせる練習の一環か?”と次々と余計なことが思い浮かんだ。

「......なんで、したの...?」
「......そっちこそ、どうしてずっとそんな情けない顔をしているんですか?」
「.........」
「.........」

互いに互いの質問に答えることはなく、1階に到着するまでずっと沈黙が続いた。
その後も互いに言葉を発することなく、手を繋いだまま歩き、電車に乗り、名前の家まで帰ってきた。
到着した直後、大粒の雨が降り始め、遠くで雷の鳴る音が聞こえ始めた。
名前は窓を見てそれに気付き、はっとした顔で鬼灯を見た。
鬼灯の手は、透けていた。

「そんな...っ」
「時間みたいですね」
「やだ...っ!」

名前は鬼灯に駆け寄り、手に触れようとしたがそれは叶わなかった。

「日付的にもそろそろだと思ってました。最後に誕生日をお祝いできて良かったです」
「やだ...行かないで...!」
「...仕方ないですよ」

名前は溢れる涙を抑えることなく頬に流れさせた。

「っ...鬼灯くんに会えてからね、毎日がすっごい楽しかったの...っ。私はまだ鬼灯くんと一緒にいたい...!」
「.........」
「...また、会えるよね...?」
「...会えますよ、きっと」
「っ......」

会えると言っても今度はいつ会えるかなんてわからない。
...言ってしまいたい。
そう思ったが、情けないことにその想いが口に出ることはなかった。
だが最後に何かをしたい気持ちは止まらない。

「......かがんで」
「......?」

鬼灯は言われた通り上半身を前屈みにさせた。
名前はその鬼灯の肩にそっと手を置き、背伸びをして鬼灯の頬に唇を寄せた。

「......!?」
「...ま、またねっ...!」

名前が唇を離してそう言うと同時に、鬼灯は完全に消え去った。

鬼灯が目を覚ますと、見覚えのある天井が目に入った。
どうやら自室で寝かされていたようだ。
鬼灯はぼーっと天井を見つめたまま、左手で自身の左頬に触れた。

「.........」

頭の中には名前の唇の感触が鮮明に残っている。
“名前は自分のことが好きなのか?それとも雰囲気で?”
“こんなことならきちんと想いを伝えておけばよかった”
“遠慮しないで一回くらい唇にキスしておけば良かったかもしれない”
“いやいっそ抱いておくべきだったか?”
ぐるぐるとそんなことを考えたが、思考は纏まらず答えを見つけることはできなかった。
やがて鬼灯は、終わってしまったことについて考えても仕方がない、と思い考えるのをやめた。
ガチガチに固まった髪をシャワーで解し、服もいつもの着物に着替えた。
身を整えた後部屋を出て、おそらくこちらでは三日ぶりであろう閻魔大王の元へ行き、意識を失っていたことを謝罪した。
そして心配する閻魔大王に、これまで黙っていたトリップについて説明をするべく口を開いた。



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